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袖振りあうも... 後編  作者: 月のひまわり
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十四  健太と花柄シャツの男と

 比奈と克代は休みの日が違う。比奈は美穂達と同じように九時から十七時までの昼間の勤務だが、克代は早番、日勤、遅番の三交代制で働いていた。日勤を代ってくれる人は簡単に見つかるが、朝夜の勤務を変ってくれる人は少ない。そこで、克代の日勤の日に合わせて二人は休みを取り、伊東の町に買い物に出かけた。

 最初に史恵用の布団を買って配達を頼んでから、二人は商店街を見て歩いたが、克代は気にいる物がなかなか見つからないらしく買い物が捗らない。比奈は退屈しのぎに本屋で雑誌を見ているうちについつい夢中になった。ふと気がつくと克代の姿が見えない。慌てて本屋を飛び出し、克代を探していると一人の若者の姿が目に入った。

 金色のあの髪、あの服、あのピアス、そして、あの歩き方は三宅さんから孫だと紹介された彼に違いない。確か健太とかいった……。

 比奈の視線に健太が気がついた。

 次の瞬間、健太は飛び上がり、それから一目散に逃げ出した。

 しきりに比奈の方を振り返りながら、次々と角を曲がって走る健太。

 比奈は逃げられないように必死になって健太を追いかけた。比奈にしてみれば、年寄りを騙してお金を巻き上げるなんて奴は絶対に許せない。

 あちこちの路地を巧みに曲がりながら走っていた健太が、川沿いの道に飛び出した途端に鋭いブレーキ音が響いた。走ってきた自転車とぶつかったのだ。

「バカヤロウ!」自転車の人は健太を怒鳴りつけると、車体を立て直して走り去った。

「何がバカ野郎だ。 バカにすんな!」

 地べたに転がった健太は半身を起こしながら、自転車の背中に怒鳴り返した。

 健太に走り寄って助けようとした瞬間、健太の手の甲から腕にかけて点々とついている黒い痣が目に止まり、比奈は衝撃をうけた。この人も又、イジメを受けているのでは? この痣は煙草の火だ。火の付いた煙草を押しつけられたのに違いない。

 比奈の視線に気がついた健太は慌てて腕を背中に隠した。

 健太の隣に座りこんだ比奈は、袖を捲って腕を露わにし健太の目の前に突き出した。

「なんだよ?」健太が聞いた。

「この傷が目に入らぬか!」比奈はふざけて言った。

「だから何?」

 比奈の腕の傷は、いつのまにかほとんど目立たなくなっていた。太った所為かもしれない。比奈は黙って捲りあげた袖をおろした。

「それがリストカットの痕だとしてもよ、俺とお前とは全く違う」健太は暗い目を更に暗くして比奈を見た。「お前さ、江戸時代かなんかでさ、島送りになった人間は腕に印をつけられるんだけど、それはなんでか知ってっか」

 良く見る時代劇では、確かに、悪事を働いて島送りになった人の腕には二本線の刺青があったような気がする。

「あの刺青はね、罪人は二度と堅気の世界にゃ戻れねえように入れるんだ。俺はそう思う。今だって同じだろ。刑務所帰りがバレりゃ、二度と真っ当な世界にゃ戻れねえ。これはその印なんだ。奴らは俺が二度とまともな世界に帰れないように、こうして焼きを入れるんだ。お前の傷はお前が自分でつけたんだろ。俺とは違う」そう言うと、健太は立ち上って歩き始めた。

「ちょっと待ってよ!あんたさあ……、三宅さんにお金返してあげなよ」

 健太は立ち止まった。暫くそのままじっとしていたが、「あれはもらったんだ」とボソリと言った。

「三宅さんもそう言ってたけど」

「あのお婆ちゃんが?」健太は振り返って比奈を見た。

「でもね、三宅さんはその所為で禁治産者ってのにされちゃったんだよ」

「きん……、何?」

「禁治産者。今はね、法律が変わって青年何とかって言うだって。つまり、三宅さんは今後、息子さんの許可が無ければお金が使えなくなったってこと」

 健太の眼が泳いだ。その視線はウロウロと川を見つめ、地面を見つめ、辺りを見つめ、それから比奈の上に戻った。

「三宅さんはほんとに俺にお金くれたって、そう言ったの?」

「そうだよ。見舞いにも来ず、何年も会っていない家族なんかよりも健太の方が大事だって。だから、『健太にお金をあげて何が悪いんだ』って、そんなようなことを言ってたらしいよ」

「なんでだよ……」健太は呻いた。「騙されたって言やあ良いのに……」

「おばさんがね、三宅さんは健太君の役に立てて嬉しかったんだろうって、言ってた」そう言って比奈は「あ!」と叫んだ。克代を置き去りにしてきたことを思い出したのだ。比奈はすぐに克代のスマホに電話をかけたが克代は出ない。

「どした?」

「おばさんとはぐれちゃった」

「電話に出ねえの?」

「多分、おばさんはスマホを家に置いてきちゃったんだと思う。ね、駅まではどうやって行けば良いの」

「駅で会う約束か?」

「違うけど、きっと駅で私を待っていると思うから」

「もし、居なかったら?」

「居るよ! 必ず居る。おばさんが私を置いて一人で帰るわけないもん」

「大した自信だな。ま、良いや。じゃ、駅まで連れてってやるよ」健太がズンズン歩き始めたので、比奈は慌てて後を追った。

 ほどなくして駅に着いたが、駅に克代の姿はなかった。

「やっぱり、帰っちゃったんじゃねえの」気の毒そうに健太が言った。

「絶対に帰ってない!」

 比奈は駅舎の中を探し回ったが、克代は見つからなかった。

「おばさんて親戚か何かか?」

「親戚じゃないけど……、友達っちゅうか一緒に暮らしてんの」

「へえ。じゃ先に帰っちゃったんだよ。大人は皆そうだ」

「あたしを置いて帰る筈が無い。きっと……、まだ買い物をしてるんだ」絶対におばさんが先に帰る筈が無いと、比奈は確信していた。

「なら良いけどな。俺たちは、いつだって信じちゃあ裏切られる」健太は鼻の先で嘲笑った。

「あのさあ、肉とジャガイモと人参と玉ねぎで何作る?」

「コロッケ!」健太は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐさま答えた。

「コロッケ? 人参なんか使わないじゃん」

「お袋は入れるんだよ」そう言った途端に健太は、「アッ」と声をあげて比奈の後ろに隠れた。

「どしたの?」

「見つかったら俺、殺される」健太は声を忍ばせ、一人の男を指差した。

 黒い背広の下に派手な花柄のシャツを着た男が、火のついた煙草を片手に持って切符の自動販売機の前に立ったところだった。

 男は煙草を口に銜えるとお札を機械に入れてボタンを押す。

 その時、克代の華やかな声が辺りに響き渡った。「比奈ちゃーん」お手洗いから出てきた克代が手を振っている。

 その声に花柄シャツの男が振り返り、克代を見て、比奈を見て、それから健太に気が付き、目をギョロリとさせた。

 次の瞬間、比奈は健太の服を掴んで克代の方へ走った。

 花柄シャツの男が後を追って来る。

「ヤクザに追われてる」克代の後ろにしがみ付くと、比奈は追ってくる男を指して「殺されるかもしれない」と言った。

 健太が頷いた。

 次の瞬間、克代が花柄シャツの男に向かってあらん限りの声で叫んだ。

「アンタ!オレオレ詐欺のお兄さんじゃないの。お金返してよ!」

 男は一瞬呆気にとられたように立ち止まり、煙草を投げ捨てて克代を睨みつけた。

「誰かぁ!この人はオレオレ詐欺の犯人です!捕まえてください」克代はさらに声を張り上げ、花柄シャツの男を指さした。

 周りの人々が花柄シャツの男に注目する。

 駅員がおっとり刀で駆けつけてくる。数名の駅員がそれに続く。それを見ると花柄シャツの男はやにわに方向を変えて駅の外へと逃げて行った。駅員に混じって、そこいらにいた人々も後を追う。

 克代は素早く比奈の手に二枚の切符を握らせると囁いた。

「早く!ホームへ」

「おばさんは?」

「切符を買ってから行く。電車が来たら先に乗ってて」

「早く!」躊躇う比奈に克代は怒鳴った。

 比奈は健太の腕を掴んで改札を抜け、ホームへと走った。

 あの男に掴まれば健太はきっと酷い目にあわされるのだ。比奈は止まっている下田行きの電車に飛び乗った。だが、克代はなかなか現れない。

 発車を知らせるアナウンスが流れる。

「おばさん、捕まっちゃったんじゃないの?」健太も列車から身を乗り出す。

「大丈夫だよ。掴まってもおばさんは何も悪いことしてないもん」

 きっと大丈夫、おばさんなら大丈夫、口の中でそう呟きながらも、比奈は、心臓が口から飛び出しそうにバクバクしていた。

 もし、おばさんがあの男に捕まったらどうしよう……。


 発車のベルが鳴り響く。

「ああ。神様!」比奈は祈った。

 次の瞬間、階段を駆け上がって来る克代の姿が見えた。

「早くゥ」ドアから身を乗り出して比奈が叫ぶ。

 克代が車内に飛び込んだ瞬間、ドアが閉まって電車が動き始めた。

 無言で克代にかじり付き、その胸をバンバン叩く比奈。

「大丈夫よ。殺されたって死にゃしない」克代がそう言っても、比奈は克代の胸を叩き続けた。

「だから大丈夫だって!」克代は人差し指で比奈の胸を指した。「たとえ殺されたとしても、私はあんたの此処に居る。ずっと此処に居てあんたを守ってる」

 比奈はようやく叩くのを止めた。

「まあ、ちょっと座らせて」比奈を押しのけ、克代は手近の四人がけの席に崩れるように座り込んだ。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」それまで、電車の振動によろけながらも直立不動で二人を見ていた健太が、克代に向って九十度に頭を下げた。

 比奈はリュックからペットボトルを取り出し、まだゼイゼイ言っている克代に差出した。

 水を一口飲むと、克代は改めて健太を眺め、それから比奈を見た。

「健太君だよ。三宅さんの」

 克代は目を見張って健太を見つめ直した。比奈は、健太君は三宅さんを騙したわけではなく、ただお金を借りただけなのだと説明した。

「じゃあ何故、伊東で三宅さんを置き去りにしたの?」克代は訊いた。

「伊東?」健太は怪訝そうな顔をした。

「三宅さんは伊東駅前に居るところを保護されたのよ」

「俺は……、三宅さんを熱海で電車に乗せて……、三宅さんが一人で帰れるって言うから」健太は力なく首を振った。

「三宅さんが無事に帰ってきたから良かったものの、あんな所に置き去りにすれば、誰だってあんたが三宅さんを騙したと思うわよ」

「俺は置き去りになんか!……運が悪かったんす」

「運じゃない!今の若い人は何でもかんでも運の所為にするけど、悪い癖だよ」

「そんなこと言ったって、全てが運で決るじゃないっすか。金持ちに生れればバカでも良い学校に入れ、一生が保証される。貧乏に生まれたヤツは、どんだけ努力したって駄目なんだ。この国じゃ国民はみんな幸せになる権利があるって、憲法に定められてるってのに!」

「何が憲法!あんたは間違ってる!憲法なんか持ち出す位ならちゃんと勉強しなさいよ」

「勉強なんかしたって無駄です。俺の言うことなんか、どうせ誰も信じちゃくれない」

「そりゃあ、あんたね、そんな真っ黄黄の頭をしてたら信じろったって無理よ」

「金髪の何処が悪いんすか」

「そんなセリフは真っ当な人生を歩いてから言いなさい。人はね、先ず第一印象で人を判断するの。だから私だってね、あの派手な花柄のシャツを着てたアイツ」

「日置って言うんす」

「日置?花柄シャツのね、あんなのは見るからにまともじゃないと思ったから、私はあんたを助けたわけでしょ。駅にいた他の人達だってあの日陰が見るからに」

「日置っす」

「あれが見るからにチンピラヤクザだと思うから、ああやって皆が追いかけたんでしょうが!だから、見た目っていうのは大事なの。中身がしっかりしてりゃ金色だって青くたって構わないのよ。あんただって、あんな日差みたいのに」

「日置……」訂正する健太の声がだんだん小さくなる。

「あんただって、あんな花柄シャツのチンピラに追いかけられる人生なんか、いつまでもしたくはないでしょうよ。それであんたの家は?」

 健太は黙って項垂れた。

「大丈夫だよ。あたしも何処にも行くところが無かったときに、おばさんに救われてシャイニータウンで働くようになったんだ。おばさんなら絶対に助けてくれる」比奈は力強く健太に頷いてみせた。



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