お断りします
「やあ。ノーラ」
王城に到着して回廊を移動中、目の前に現れた美青年はそう言って笑みを向けてきた。
「こんばんは、スヴェン様」
声をかけられた以上、無視するのもどうかと思うので挨拶を返すと、スヴェンは少し驚いた様子で笑った。
「良かった、名前は憶えてくれたんだね。君も久しぶりだね、エリアス・カルム」
「お元気そうですね、スヴェン・エンロート様」
美青年二人が笑顔で挨拶を交わす麗しい絵なのに、周囲の空気が冷ややかなのは気のせいではないだろう。
何だか気まずいのでさっさと通り過ぎたいのだが、そのまま通過してもいいだろうか。
「ちょっと話があるんだ。いいかな」
良くない。
良くないが、正直にそう言うわけにもいかないのが、貴族社会の面倒なところだ。
即答で断らなかっただけ、ノーラもほんの少しは成長したかもしれない。
「……エリアス様と、一緒なら」
「わかった。ついてきて」
それならいいやと断ってくれないかという期待は、淡くも崩れ去った。
仕方ないので歩き出すと、エリアスがノーラの背に手をそっと添える。
見上げると空色の瞳が細められ、それだけで少し安心できた。
スヴェンについて行った先には庭があり、その四阿のベンチに腰掛けたスヴェンは、視線でノーラ達も座るよう促した。
「単刀直入に言うよ。ノーラ・クランツ――俺のものにならない?」
「お断りします」
着席するなりかけられた言葉に、ノーラは即答した。
せっかくの貴族令嬢的成長も消え去ったが、こんな質問をしてくるスヴェンも悪いと思う。
若干食い気味に返事をしたのが面白かったのか、当のスヴェンは苦笑いを浮かべていた。
「相変わらず、早いな。理由とか、聞こうよ」
「聞いても変わりませんので」
正直に答えると、困ったと言わんばかりにスヴェンが腕を組んだ。
「うーん。自分で言うのもなんだけど、公爵家の跡継ぎだよ?」
「あと……議会、でしたか」
「そう。それも憶えてくれていたんだ。……少なくとも、身分も財産も将来性も、そこのカルムより上だと思うよ?」
ちらりとスヴェンが視線を移したが、エリアスは特に表情を変えずに黙っている。
「そうですか。でも、お断りします」
きっぱりとそう言うと、スヴェンは大きなため息をつき、がっくりと頭を垂れた。
「うーん、そうか。まあ、予想していたけどね。……ノーラを口説き落とそうにも、誰かさんのおかげで二人になれないし。ちょっと悪戯心で我が家に招こうとしたけれど、それも阻まれたしなあ」
「お言葉ですが、悪戯にしては質が悪いですよ」
エリアスの指摘に、スヴェンは大袈裟に肩を竦める。
こういう演技がかった仕草も美青年がすると絵になるのだから、不平等だなと思う。
「誰かさんが父に教えたせいで、きつくお叱りを受けたよ。……まったく。あの人も誰の味方なのやら」
「閣下は聡明な方ですから。陛下のお気に入りである歌姫にちょっかいを出す危険を、御子息に指南したのでしょう」
非の打ちどころのない笑顔を浮かべながら、エリアスが答えている。
この話の流れからすると、先日ノーラを追いかけ回した男性はスヴェンの指示だった、ということだろうか。
確かに「一緒に来てもらおう」と言うだけで、脅したり危害を加えようとはしなかった。
だが、あの方法で招かれても恐怖しかないと思うのだが。
そして、エリアスはそれをエンロート公爵に伝えたわけか。
何と言ったのかは知らないが、何となくエンロート公爵の胃が心配になってきた。
「顔がいいだけのお坊ちゃんかと思っていたけれど、結構アレな手を使うよね、君。正攻法で婚約を申し込もうかと思ったのに、父には嫌がられるし、メルネス侯爵令嬢から釘を刺されるし……。それから、うちが桃の花だらけになったんだけど」
「お褒めの言葉をいただき、恐縮です。カルム侯爵領としましても、希少にして高価な花のお得意様になっていただきまして、光栄に思っております」
「褒めていないよ。しかも、ノーラ宛てには一本たりとも届いていないみたいだし。今年の花は終わりだって言うし」
「感謝の気持ちを込めて、桃の花を献上しました。今年の花はもう終わりますが、また来年のご利用をお待ちしております」
眉をひそめて不満そうな顔のスヴェンに対して、エリアスはずっと笑みを浮かべている。
話を聞く限り、どうやらエリアスはスヴェンが婚約を申し込むのを見越して、エンロート公爵とアンドレアから圧力をかけさせたようだ。
アンドレアはともかく、エンロート公爵に息子の婚約を見送るよう言わせるとは、一体何とお願いしたのだろう。
その上、ありったけの桃の花をエンロート公爵邸に送りつけたようだ。
元々珍しい花な上に、この時季にはカルム侯爵領にしか咲いていないと言っていた。
おかげで、スヴェンはノーラに桃の花を贈れなくなったわけか。
「別にいいだろう、花くらい。それとも、花言葉が気に入らなかったのか?」
「おや、何のことでしょう。花言葉とは、スヴェン様は意外とロマンチストですね」
「……父がエリアス・カルムに関わるなと言うのも、わかる気がするよ」
そう言うと、スヴェンは大袈裟にため息をついた。
「仕方ないな。女性に無理強いするのも気が乗らないしね。……まあ、気が変わったら、いつでも教えてくれるかな。俺は君のファンでもあるから。また歌を聴きに行くよ」
「はい。お待ちしています」
今までお店に来ていたのだろうが、ノーラは一度も見かけたことはない。
ということは結構な変装をしていたか、相当端の席からこっそり見ていたのだろう。
だが、この言い方では今度は堂々と来店しそうだ。
カルムの双子とトールヴァルドの時点で、その美貌に店の女の子達が騒いでいるのだが。
さらに一人美青年が加わるとなると、賑やかになりそうである。
「スヴェン様。おかげで、私も覚悟が決まりました。ありがとうございます」
頭を下げるエリアスを見て、スヴェンの眉間に皺が寄る。
「うーん。敵に塩を送っちゃったかな。……まあ、いいか。この後の歌も楽しみにしているよ」
スヴェンは立ち上がると、そう言って手を振りながら立ち去って行った。
その背中が見えなくなるまで見送ると、ノーラは小さく息をついた。
「……意外と、あっさりしていましたね」
身分を持ち出してきたので粘られると面倒だったが、何にしても穏便に話が終わって良かった。
「ノーラが取り付く島もないというのも、あるよ」
「そうでしょうか」
意見を求められたので、返答しただけなのだが。
「懐かしいよ」
苦笑する様子からして、恐らく婚約破棄騒動の頃のノーラの対応を思い出しているのだろう。
あの頃のエリアスは顔のいい不審者という認識だったので、多少素っ気なくても仕方ないと思う。
「それは……そう言えば、覚悟って何ですか?」
スヴェンにわざわざ言うからには、何か関係しているのだろうか。
「うん? 先延ばしにしていたことに、けじめをね」
「はあ」
結局、よくわからない。
首を傾げるノーラを見て微笑むと、エリアスは目の前に手を差し出した。
「さあ、行こうか。『紺碧の歌姫』」
活動報告にて、お話の名刺を公開しています。
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