街中の追いかけっこ
「待てったら!」
基礎体力は男性の方が上だろうが、小道を何度も曲がって走るのは、体の大きさからしてノーラが有利だ。
しばらくして人の多い通りに出たのだが、男はノーラとの距離を詰めようと走ってくる。
どうやら、人目をはばかってやめるのではなく、より迅速にノーラと接触することを選ぶらしい。
これは、なかなか面倒だ。
このまま家に連れて行くのも嫌なので、どうにか撒かなければ。
「ノーラちゃん、加勢しようか?」
通りを走り抜けるノーラとそれを追う男性を見たパン屋の店主が、声をかけてくれる。
だが、ここまで堂々と追ってくるからには、それなりに権力のある人が関係している可能性がある。
曲がりなりにも貴族のノーラと違って、町民たちは平民だ。
難癖をつけられて迷惑をかけるのは心苦しい。
「大丈夫です。それより、ペールに声をかけてもらえますか?」
「わかったよ、すぐに行ってくる!」
店主はそう言うなり、クランツ家の方角に走り出した。
今回の男性は人目があっても追っては来るが、武器を取り出したり脅したりはしてこない。
とりあえず撒けば何とかなりそうなので、ペールが来るまで時間を稼ごう。
ノーラと店主のやり取りを見た町民達も事情を察したらしく、追いかけてくる男性の足元に籠を転がしたり、水をまいてみたりと妨害工作をしてくれる。
おかげでノーラも少し休めるが、それでも諦めることなく追いかけてくる男性に少しばかり呆れてしまう。
そこまでするからには、よほど報酬がいいか、あるいは相当な権力で命じられたか。
何にしても、いつまでも追いかけっこをしているわけにはいかない。
町民にも生活があるし、ノーラにも予定があるのだ。
これまでの動きからして、ノーラに危害を加える様子はない。
更に、このあたりの地理には詳しくはなさそうだ。
そろそろペールも来てしまうし、もう一度撒けるか試してみよう。
急に方向を変えて路地に駆け込むノーラを、男性は律義にも追ってくる。
人一人が通るのがやっとの細い道、曲がり角だらけの小道を駆け抜けると、さすがに男性の姿が離れていく。
この調子なら、上手く撒けそうだと安心したところで、目の前に木箱の山が現れる。
「あら。ここは通り抜けられると思ったのですが」
以前は普通の路地だったのに、今日は木箱の山で向こう側が見えない。
細い路地だと、こういうこともたまに起こる。
最近は王城勤務のために街に出る機会も減っていたので、把握しきれていなかったようだ。
「や、やっと、追いついたぞ!」
仕方がないので戻ろうとすると、ちょうど男性が走ってきた。
だいぶ疲労しているらしく、肩で呼吸をしている。
「汗が凄いですよ。大丈夫ですか?」
「おまえのせいだろうが! 大体、おまえは何故平気なんだ」
「何故と言われましても。普通に走っただけですから」
疲れないとは言わないが、休みながらだったし、まだまだ走れる。
障害物競争状態の男性よりは、疲労度が低くて当然だろう。
だが、男性は荒い呼吸のまま眉を顰める。
「……貴族の令嬢と聞いているが」
「一応は、そうですね」
ノーラの返答に、男性は困惑しているようだ。
確かに、一般的な貴族の御令嬢は、ここまで走れないだろう。
というか、そもそも走らないし、何なら屋敷からも出ない。
誰の指示かは知らないが、ノーラに対する下調べが不足していると言わざるを得ない。
「まあいい。一緒に来てもらおうか」
「はいはい、そこまでですよー」
のんきな声が路地に響く。
見れば男性の背後に、人影が二つ。
一人は整った容姿の美少年、もう一人は圧倒的美貌の美青年……ペールとエリアスだった。
「姉さん、お疲れ様。大丈夫ですか?」
「大丈夫ですけれど。何故、エリアス様まで?」
その名前に、男性がぴくりと反応した。
「エリアス。……カルム侯爵家の?」
「おや。俺を知っているのか? ということは、貴族の指示で動いているのかな?」
空色の瞳が細められると、男性は不利を悟ったのか、少し後退する。
行き止まりの路地で、それを塞ぐ男性の背後に二人がいるのだ。
当然、二人から離れようと後退すると、そこにはノーラがいる。
ここで捕まるのも、馬鹿らしい。
ノーラの方に走り出した男性の手が届く前に、ノーラは背後の木箱によじ登った。
「――は? 何で登るんだよ!」
箱の下の男性が叫んでいるが、ノーラは既に木箱四つが重なった上にいるので、当然手も届かない。
「何故って。捕まる義理もありませんし」
「そうじゃなくて、何で重なった木箱をあっさりと登れるんだよ! 貴族の令嬢じゃないのか!」
「端に足をかけて、突起に手をかける。後は、ひょいひょいです」
手を動かして見せると、男性の眉間の皺が深くなった。
「そんな馬鹿なことがあるか!」
馬鹿も何も、実際に登っているのだから仕方がない。





