そろそろ覚悟を決めないと
回廊を抜けると、そのまま中庭に入って四阿でようやく立ち止まる。
途中から手を引かれて歩いていたのだが、使用人の姿でエリアスと手を繋いで歩く様子を見られるのもどうなのだろう。
自然と緊張して周囲を見回していたが、お茶会のおかげか回廊から中庭まで誰の姿を目にすることもなかった。
「大丈夫? ノーラ」
四阿のベンチに座るよう促しながら、エリアスが尋ねてくる。
緊張しながら歩いたせいで少し疲れたが、大したことはない。
「はい。……でも、何故エリアス様がここにいるのですか?」
お茶会には呼ばれていないはずだし、王城に用があったとしても会場に続く回廊には近付かないような気がするのだが。
「アンドレア様にお茶会の参加者を聞いたんだ。スヴェン様が参加するというから、念のためにね」
ノーラが座ると、エリアスも隣に腰を下ろす。
「でも、来ておいて良かった。ノーラこそ、何故あそこにいたの? 何もされなかった?」
「茶葉の缶で誘い出されたみたいです。……舞踏会でエスコートしたいと言われました」
ノーラの一言に、空色の瞳がすっと細められた。
「――へえ。それはまた、ふざけた話だな。俺がいると知っていて言うんだから、堂々と宣戦布告ということか」
その低い声に、ノーラは背筋が冷えるのを感じた。
圧倒的な美貌から繰り出される静かな怒りは、怒号とは一線を画す怖さがある。
「あ、あの、エリアス様」
「何?」
気まずさに思わず呼びかけると、先程までの冷え冷えとした表情が少し和らいだ。
「私、即答で断ってしまったのですが、良くなかったでしょうか。もっと、こう、上品な断り方というか。……断っても、いいのですよね?」
スヴェンにエスコートされるつもりはない。
だが圧倒的に身分が上のスヴェンの申し出を、正直に断るのは良くないのだろうか。
「たしかにスヴェン様の身分は高い。だが、恋人がいる相手に言うべき内容じゃないからね。それに、あの場には我々しかいなかったし、俺の一言でスヴェン様も引いた。大丈夫だと思うよ」
「公衆の面前だったら、断れないのでしょうか」
不安になって尋ねると、エリアスは苦笑する。
「現状では、ノーラと俺は恋人だ。これを真正面から崩せるとすれば、陛下がノーラを側妃に迎えたいと言った場合かな。その時には、仮に俺達が婚約していたとしても、かなり厳しいね」
「それはないので、大丈夫ですね。公爵令息だと、どうなりますか?」
「正式にクランツ男爵家にノーラとの婚約を申し入れるとなれば、厄介かな。心情では恋人を優先したくても、公爵家の申し入れを断るのは難しいだろうね」
「それもないでしょうから、大丈夫ですね。ということは、失礼な言葉にならないように気を付ければ、断るのは問題ないということですか」
少し安心するノーラを見て、エリアスが苦笑している。
「まあ、相手がいる女性に無理強いをするというのは、褒められたものではないからね。体面を気にする貴族では、表立って無茶はしてこないだろう。……でも逆に言えば、なりふり構わずに来られたら、相当厳しいということだよ」
「……何だか、難しいですね」
嫌だから断るという単純なことでは、駄目なのか。
つくづく貴族は面倒だが、その中で生きていかなければいけないのだから、注意はしておいた方がいいだろう。
こうして考えてみると、ヴィオラの行動は凄い。
公爵令嬢という、国でもかなりの上位に位置する女性。
それが国王の見る書類を改ざんし、男爵令嬢に毒を盛ろうとした。
エリアスへの想いだけでそれらを実行したのだから、善悪はともかくとして、行動力は凄い。
今、エリアスが説明したのはノーラの場合だが、逆の方が可能性は高いのだ。
名門侯爵家の美貌の令息に、上位の貴族令嬢が正式に婚約を申し込んだら……恐らく、エリアスでもかわすのは簡単ではないのだろう。
ヴィオラの時には、双子のどちらでもいいという条件だったから、エリアスはすんなりと辞退できた。
恋人同士と言っても、あくまでも本人達の主張。
社会的には、何の力もないのだと改めて実感させられた。
「あの。……スヴェン様から、エリアス様がヴィオラ様の毒杯を防いだと聞きました」
「ああ、また余計なことを。ノーラは気にしなくていいよ」
忌々しいとばかりにそう言う表情から話を終わらせようとするのがわかり、ノーラはエリアスの袖を掴んだ。
「スヴェン様もヴィオラ様を庇うどころか、死んで当然という言い方でした。私も一応は貴族なので、陛下に背く罪が重いというのはわかっているつもりです。でも、それをエリアス様が止めたのは何故ですか?」
「……それ、聞きたいの?」
「はい。私にも関わりがあることだと思います」
エリアスは小さくため息をつくと、自身の袖を掴むノーラの手を取り、そっと握りしめた。
「ノーラは、ヴィオラ嬢が死ぬべきだと思う?」
質問を返されて、ノーラは暫し俯いて考える。
「……わかりません。公爵家の名で陛下に背く重罪を犯したのはわかります。まして私は毒を盛られかけたようですし、それを望むのが普通なのかもしれませんが」
ふと顔を上げると、エリアスが穏やかな顔でノーラの次の言葉を待ってくれているのがわかった。
「でも、あの綺麗な人が死んだと聞いたら、ちょっと……何と言いますか、しっくりこないというか。……嬉しくないです」
「うん。ノーラはそうだろうね」
エリアスはノーラの手をそっと放すと、静かな笑みを浮かべた。
「俺個人の意見を言えば、毒杯でも生温い。存分に苦しんだ上で死んでもらって結構だと思う」
日の光を微かに浴びて煌めく灰茶色の髪の美青年が、さらりと恐ろしいことを口にしている。
心のままに少し体を引くノーラに気付いたらしく、エリアスが苦笑する。
「でも、ノーラはそれを気に病むだろう? だから、やめてもらった」
「私のため、ですか?」
驚くノーラの頭を、エリアスはゆっくりと愛おし気に撫でる。
「あんな女一人の死で、ノーラが縛られるのは嫌だからね。それに、助命することでエンロート公爵にも恩を売れるし」
「油断ならない……腹黒い……」
正直な感想を呟くノーラを見ながら、エリアスは楽しそうに頭を撫で続けている。
「それに、生が必ずしも救いとは限らないよ。公爵令嬢としてわがまま放題だったらしいから、慎ましく生活するのは矜持が許さないだろうね。あとは俺達が仲良く過ごしていると伝われば、十分な罰になる」
「そう、ですか」
「不服?」
手を止めて首を傾げるエリアスの眩さに、ノーラは思わず視線を逸らす。
「いえ。陛下が決めたことですし。それに……あの人が死んでいないと聞いて、少しほっとしました」
「そう」
「エリアス様、ありがとうございました」
ヴィオラの罪を裁くのにノーラの感情は関係がない。
なのに、それを考慮してトールヴァルドに意見してくれたのだろう。
公爵云々もあるのだろうが、恐らくは……ノーラの心を守るために。
「十分にノーラを守れたとは言えない有様だったから、心苦しいけどね」
エリアスは苦い笑みを浮かべると、遠くの空に目を移した。
「俺はただの侯爵令息で、まだ未熟だから。できることに限りがある。……もっと、成長しないとね」
「え。十分に、色々アレだと思いますが」
ノーラの失言に、エリアスは視線を戻すとぱちぱちと瞬きをした。
普段、圧倒的美貌を振りまくエリアスのその仕草に、ちょっと可愛いと思ってしまったのは内緒だ。
「それ、褒めているの?」
「……概ね」
もう一度瞬きをすると、エリアスは花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「ノーラを守るためだ。――俺も、そろそろ覚悟を決めないといけないな」
言っていることは素敵な雰囲気なのに、何となく怖いのは何故なのだろう。
「ノーラ。スヴェン様の誘いを断ってくれて、ありがとう」
「は、はい」
勢いに押されて返事をすると、空色の瞳が優しく細められる。
「好きだよ、ノーラ」
「そ、そういうことを、その顔で言わないでください」
言葉だけでも十分暴力的なのに、いい笑顔を向けられたら、困ってしまう。
すると、次の瞬間にはノーラの体はエリアスの腕の中にすっぽりと収まっていた。
「大好きだよ」
頭上から降り注ぐ美声に、ノーラは胸の苦しさを堪えるのが精一杯だった。





