俺にしない?
「……ということで、ヴィオラは関係ない」
「そうですか。それでは、失礼いたします」
「待って、待って」
もう一度頭を下げて立ち去ろうとすると、すぐに手首を掴まれた。
「何故、俺が君を誘うのかは気にならないの?」
「上位貴族の気まぐれに理由を求めていては、使用人は務まりません」
目を瞬かせたスヴェンは、笑いながら両手でノーラの手を包み込んだ。
「それじゃあ、エンロート公爵家の人間として命じれば、俺にエスコートさせてくれる?」
「プライベートは別です。公私混同しません」
「うーん、そうか」
苦笑しながらも手を放さないスヴェンに困り果てたノーラは、美しい橙色の瞳を睨みつけた。
「私は早く茶葉を届けなければいけません。放してください」
「うん。でもそれ、俺に渡すんだよ」
「……はい? でも、これは」
「回廊で待っている人に渡せって言われただろう? 俺のことだよ」
確かにパウラはそう言ったが、何故それを知っているのか。
いや、この口振りではスヴェンがそれを指示したように聞こえる。
「……私を、誘い出したのですか?」
「そう。だって、君と二人きりで話す機会なんて、なかなかないからね。ちょっとお願いしたら、快く引き受けてくれたよ」
そりゃあ、公爵令息の美青年に頼まれれば、断りにくいことこの上ない。
ましてパウラはエンロート公爵令息に対して素敵だと言っていたのだから、容易に話がついただろう。
もちろん、危険な行為であればどれだけスヴェンの顔が良くても、パウラは断ったはずだ。
だが、茶葉を受け取りたいというだけならば、断る方が難しいだろう。
「……では、どうぞ」
何だか納得がいかなまま茶葉の缶を握る手を緩めたが、その上から包み込むスヴェンの手は動かない。
「それで、エスコートさせてくれる?」
「いいえ。お断りします」
せめて手を放してもらおうと力を入れるが、どうにも上手く外せない。
殴る勢いで振り回せば外れるだろうが、使用人が公爵令息を殴るわけにもいかないので、力加減が難しい。
「うーん。埒が明かないな。何故、駄目なんだ? カルムの令息?」
首を傾げる様子は、控え目に言っても麗しい。
パウラの行動には色々言いたいことがあるが、これが相手だったのかと思うと少しばかり納得できてしまう。
それにしても、何故エリアスのことを知っているのだろう。
公に恋人だと宣言したり紹介されたりはしていないのだが。
「何故知っているか不思議? これでも君を見ているからね。君が歌う店で一緒にいるのは多くの人が見ているし」
そう言えば、貴族の客が増えたのだった。
何となく聞き流していたが、つまりはエリアスの素性を知っている人が多くなったということだ。
あれだけの美貌の青年と一緒に食事をしていたら、何か言われてもおかしくない。
いや、恋人なのは間違いないので別にいいのだが。
何というか……恥ずかしい。
少し頬を染めたノーラを見て苦笑すると、スヴェンは手に力を入れて、ノーラを引き寄せた。
「俺はいずれエンロート公爵を継ぐし、貴族議会でも要職に就くと思う。君に十分なものを与えられると思うよ。――俺にしない?」
「……別に、何かが欲しいわけじゃありません」
「うん。でも、逆もあるよ? 俺は要らぬものを排除することもできる。エリアス・カルムは優秀らしいが、あくまでも侯爵令息。跡継ぎとも限らない。どちらの言葉に影響力があるか……わかるね?」
至近距離で橙色の瞳に見つめられて囁かれ、ノーラはびくりと肩を震わせた。
「それは、エリアス様に何かするということですか」
ノーラは精一杯睨みつけるが、スヴェンは笑みを浮かべたままだ。
「俺は平和主義者だからね。そんなことはしたくないな」
確かに、ヴィオラの件もあるし、大っぴらに行動することはないのかもしれない。
でも、わざわざノーラに言うのだから、何かがあってもおかしくはない。
「さて、もう一度聞こう。……俺にエスコート、させてくれるかな」
「――残念ですが、先約があります」
聞き慣れた少し低い声に顔を向ければ、そこには灰茶色の髪の美青年が立っていた。
「……エリアス・カルムか」
呟くスヴェンの手が緩んだ隙に振りほどくと、そのままエリアスの元に駆け寄る。
エリアスは一瞬空色の瞳を細めてノーラの手を引くと、そのまま背にかばうようにしてスヴェンと対峙した。
「私の恋人が、何かご迷惑をおかけしましたか。スヴェン・エンロート様」
ちらりと見上げれば微笑んだエリアスが見えるし、声だって穏やかだ。
なのに何故か、少し怖いと感じてしまう。
対するスヴェンはほんの少し眉を顰めたものの、すぐに笑みを返した。
「いや。麗しの歌姫に、素気無くあしらわれたところさ」
「そうですか。それでは、失礼いたします。……行こう、ノーラ」
エリアスの手に背を押され、スヴェンと反対の方向に歩き出す。
「さっきの話、忘れないで。いつでも待っているからね」
スヴェンの声に振り向きそうになるのを、エリアスの手が止める。
そのまま回廊を離れたが、いつまでも背中から視線が離れないような気がした。





