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勉強しないと駄目ですね

「え」

「俺のことを気にしてくれて嬉しいな、ノーラ」


 すかさずエリアスが笑顔を向けてきたが、同時に背後から小さな歓声が上がった気がする。

 会話は聞こえていなくても、表情は見えているのだろう。

 声の主は恐らく女性なのだろうが、気持ちはわからないでもない。

 だが、遠目に麗しい笑顔を楽しむのと、実際に向けられるのでは心の負荷が段違いだ。


「そういうわけでは……なくもないですけれど」

 嘘をつくのもあれなので、さりげなく視線を逸らして檸檬のジュースを口にする。

「でも、ノーラが何かしたとしても大丈夫。そのくらいのフォローは問題ないよ」

「……エリアス様の中で、私はどんな失敗をする予定なんですか」

 じろりと睨んでみるものの、エリアスの笑顔は崩れない。

 そうしてずっと見つめられれば、ノーラの心臓の方が先に音を上げるのは必然だ。


「いちゃつくなら、二人で頼むぞ」

「あら。私はちょっと見ていたいわ」

「フローラ……憶えていてくださいよ」

 フローラとアランを睨みつけてみるものの、まったく効果はない。

 それどころか、二人共にこにこと笑みを浮かべているのだから、何だかつらい。



「それで、結局は参加しないのね?」

「はい。アンドレア様の支度はお手伝いしますが、給仕もしません。私は通常業務です」

「そう」

 エリアスは一言そう言ってうなずくと、お酒のおかわりを注文する。

 相も変わらずカルムの双子はいいお酒を注文するので、心の中で毎度ありがとうございますとお礼を言っておく。


「アンドレア様と二人だけの時に、聞かれたんだよね?」

「はい。メイド長もいませんでした」

「王妃となるアンドレア様は、国中でも最上位と言っていい、位の高い女性だ。それはわかるよね?」

「はい」

 何故そんなことを確認するのだろうかと思っていると、エリアスとアランが視線を交わしてうなずいた。


「そのアンドレア様に招かれたのならば、相応の理由がなければ拒否することはできない。場合によっては不敬だとされるだろうし、その後にも影響を及ぼしかねない」

「簡単に言うと、偉い人からの招待は受けるしかないってことだ」


「招待、ですか」

 そうか。

 あれは軽いお誘いではなくて、『招待』なのか。

 となると、ノーラは侯爵令嬢にして王妃となる女性の『招待』を、『参加者が嫌』というとんでもない理由で断ったのか。

 それに気付いた途端、背筋がすっと寒くなった。


「ど、どうしましょう。私、参加者が嫌だと言って断ってしまいました」

「参加者が嫌……」

 エリアスとアランが顔を見合わせ、次いで堪えきれないように笑い出した。



「な、何ですか?」

「もう少し婉曲な断り方があるだろう。よりによって、参加者が嫌って。どれだけ正直者だよ」

 言っている内容は非難のはずなのだが、アランは何故か楽しそうに笑っている。


「陛下がノーラは腹芸に向いていないようだと言っていたけれど……本当だね。まさか、そんなに直球の言葉で断っているとは思わなかったよ」

 エリアスは苦笑しながら注文したお酒を受け取った。


「テーブルマナーなどは問題ないけれど、貴族令嬢としての暗黙の了解というか、しがらみというか……そういうものは、確かにちょっと不足しているね」

 エリアスの指摘が正しすぎて耳に痛い。

 今までバイトに明け暮れて、ろくに貴族としての社交をしてこなかったツケが、今表面化していた。


「大丈夫。それをわかっていて、アンドレア様は二人だけの時に聞いてくれたんだよ。本来なら招待状ひとつで強制連行できるのにね。だから、今回のことは心配しなくていいよ」

 アンドレアにどう謝罪しようかと青くなっているノーラの肩を、エリアスが優しく叩く。


「私、もっと勉強しないと駄目ですね」

 エリアス云々は置いておいて。

 それでも大人の貴族女性となるからには、貴族的一般常識の欠如は大問題である。


「そうだね。じゃあ、手始めに俺と一緒に夜会にも顔を出していこうか」

「はい。……はい? ……はい」

 勢いで返答してしまったが、それはつまりエリアスと夜会三昧ということか。

 あれやこれやと心配にはなったが、それもこれも今まで貴族の社交から離れていた自分のせいだ。

 ここはひとつ、腹をくくって挑まなくてはいけない。


「――はい! よろしくお願いします!」

 元気に返事をするノーラを見て、カルムの双子は再び顔を見合わせて笑った。



「そう言えば、舞踏会の歌は決まったのか?」

 ひとしきり笑ったアランは、鳥の皮揚げをつまむと口に放り込む。

「あ、はい。大体は」

「そうか。楽しみにしているからな」


「あら。アラン様も来てくださるんですね」

 楽しみにしているだなんて、本当に丸くなったものだ。

 だが、アランはノーラの言葉を非難と捉えたのか、少しばかり眉を顰める。


「駄目かよ」

「いえ、全然。おひとりですか?」

 せっかくなので、フローラのパートナーになってもらえないだろうか。

 ソフィアと別れてから特定の女性と一緒にいる様子はないし、お願いすれば大丈夫な気がする。

 だがノーラの予想に反して、アランは首を振った。


「いや、違う」

 ということは、連れの女性がいるのか。

 思わずフローラと顔を見合わせてしまう。


 さすがは名門侯爵家の美貌の双子の片割れ。

 放って置いても女性は寄ってくるのだろうが、それを受け入れたということはソフィアの傷はすっかり癒えたのか。

 あるいは、それらを打ち消すだけの女性に出会ったのか。



「……良かったわね。おめでとう」

 フローラが弱々しく微笑むと、アランは不思議そうに数回瞬いた。

「何か勘違いしていないか? 別に女連れじゃないぞ」

「でも、ひとりじゃないって」


「両親が来るからな。今回はその付き添い……? 案内……? まあ、そんな感じだ」

「ご両親ですか」

 アランに意中の女性がいるわけではないとわかり、少しばかり安心する。


 そうか、アランの両親が来るのか。

 それに付き合うとは、意外と親孝行ではないか。

 ……いや、何か大切なことが抜けている気がする。


「アラン様の両親……って。それってつまり、エリアス様の両親ですよね? ――カルム侯爵夫妻ですか?」

 勢いよくエリアスに顔を向けると、空色の瞳が細められた。

「な、何で」


「建国の舞踏会で破格の歌声を披露した、『紺碧の歌姫』が歌うんだ。侯爵夫妻が参加するのも普通だろう?」

 確かにお店にも貴族の客が増えていると言うし、とりあえず見ておこうというのはおかしいことではない。

 ほっと息をつくノーラを見たアランが、微かに口角を上げた。


「将来の娘を見たいだけだろう?」

「む、娘……?」

 話の流れからすると、ノーラのことを言っているのだろう。

 それはつまり、カルム侯爵夫妻が息子の恋人であるノーラを見に来るということだ。



「――査定ですか。品定めですか。振るい落としにかかりますか。振るうまでもなく落とされる自信がありますが、どうしたらいいですか。先に落ちればいいですか」

 混乱して矢継ぎ早にそう言うと、エリアスが宥めるようにノーラの頭を撫でた。


「まあ、気にしないでいいよ。歌を聴きに来るだけだから」

「でも」

「ノーラのことは俺が守るから、心配しないで」

「どちらかというとエリアス様のことが心配だから、ご両親が来るのでは?」

「だから、大丈夫だって。大体、最初にノーラとの婚約を許可しているんだから」


 そう言われてみれば、ノーラが知らなかったのと書類の改ざんでアランが相手になってはいたが、元々はエリアスとの婚約の話が進んでいたのだ。

 当然カルム侯爵夫妻の許可なしでは難しかっただろうから、その時点ではノーラとの婚約を認めていたということになる。

 ……ノーラに対する印象や抱く感情はまったく不明なので、恐ろしいが。


「ご挨拶、しますよね?」

 何だかんだあったが、一応はエリアスの恋人に収まっている。

 しかも、何だかんだあった、婚約者に名前が挙がった女だ。

 カルム侯爵夫妻が来ると知っていて、無視するわけにはいかないだろう。


「うん? まあ、無理にはいいよ」

 エリアスの一言に、ノーラの何かに火が点いた。

「いえ! 何でも、第一印象が大切です。新しい職場に入ったら、まずは挨拶。これはバイトの基本です!」


「いやいや、バイトじゃないだろう」

 アランが何やら言っているが、今はそれどころではない。

 真剣に訴えるノーラに、エリアスは空色の瞳を瞬かせる。


「……挨拶、したいの?」

「したいかしたくないかと聞かれれば、したくないです! でも、いずれしなければいけないのなら、気まずくなる前にさっさと終わらせたいです!」

「そ、そう……」

 若干引いているエリアスを見て、フローラがグラスを置いてため息をついた。


「本当に、ノーラってよくわからないところが強いのよね」

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― 新着の感想 ―
[良い点] ノーラに、貴族社会に不案内な自覚が生まれ、学習意欲が湧いたこと。エリアスと交際し、王城で王妃候補に仕え、なのに意識に変化なしだったら人格を疑うところ。 [気になる点] 貴族らしからぬ発想と…
[一言] 上級貴族のお茶会をはっきり断るからこそノーラらしいけど。きちんと自分を客観視している所とか。身分や立場を気にして断れず無理に参加に流されるようなら彼女の魅力が失せる。立場を気にして行動する人…
[良い点] なんかフローラがかわいい。 エリアスはよく言ったよぉ。不敬だよと教えていかないとね。本来なら二時間説教コースだがw
2020/10/05 17:13 退会済み
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