透け損は困ります
「さあ、今回はどんなドレスにいたしましょうか」
店員は実に楽しそうに生地の見本を広げていく。
色とりどりの生地は、あまりドレスに縁のないノーラですら目を引く美しさだ。
「今回も『紺碧の歌姫』として招かれるので、やはり青系の色でしょうか……?」
別に色に制限はないだろうが、何となくイメージは統一した方がいいような気がする。
「でしたら、この生地はいかがでしょう」
店員が取り出して見せたのは、淡い水色の生地だ。
確かに建国の舞踏会では濃い青だったので、ちょうどいいかもしれない。
ただこの水色は、限りなくエリアスの空色の瞳に似ている気がする。
でも、このドレスの支払いはエリアスだし、少しは恋人らしくした方がいいのだろうか。
「……では、この生地で」
暫し悩んだ末にそう答えると、店員の笑顔が更に増した。
この反応を見る限り、わかっていてこの色を勧めたのだろう。
生地に似た空色の瞳の持ち主をちらりと見てみると、それはそれは眩い笑顔を返された。
顔がいいのだから、少し自重してほしい。
ノーラは小さなため息をつきながら、店員の話に耳を傾けた。
あれよあれよという間に終わり、帰りの馬車に乗ると、どっと疲れがやって来た。
滅多に見ない上質な生地やら装飾やらのおかげで、眼精疲労が酷い。
「素敵なドレスになりそうだね。楽しみだよ」
「……ご機嫌ですね」
ノーラとは対照的に笑みを浮かべる美青年に、少しばかり呆れてしまう。
「そりゃあね。恋人が自分の瞳の色のドレスを着るんだ。男としては嬉しいものだよ」
やはり、そういうことか。
薄々気付いてはいたが、あらためていい声で言われたおかげでノーラの疲労度が更に上がった。
「よく了承したね。気付いていただろう?」
やはり、ノーラが気付いていることも察していたか。
さすがは油断ならない男である。
「ええ、まあ。でも綺麗な色でしたし、青系なのでちょうどいいですし、それに。エリアス様が……喜ぶのかな、と」
恥ずかしさを堪えつつそう口にする。
すぐにからかわれるかと思っていたのに、特に何の返答もない。
もしかして、不快だっただろうか。
心配になって横に座るエリアスを見上げると、手で口元を押さえたエリアスが、がっくりと頭を垂れていた。
「……大丈夫ですか?」
エリアスは無言でうなずくと、暫らくしてようやく頭を上げる。
口元は未だ隠されたままだが、隙間から覗く頬はなんとなく赤い気がした。
「いや。……まさか、そう来るとは思わなくて。もっと、こう……お金のためだから嫌々承諾したのかと」
かなり真実に近い指摘だが、だいぶ失礼なことを言われているような気もする。
「私のことを、何だと思っているんですか」
「違うの?」
「違いませんけれど。でも」
「うん。俺のためなんだよね? 嬉しいよ、ノーラ」
不満を伝えようとしたのに、真正面から眩い笑顔が心に刺さる。
笑顔の威力が凄まじいので慌てて顔を逸らすと、何やら笑う声が聞こえた。
「……やっぱり、お金のためです」
「うんうん。そうだね。それでもいいよ」
結局、エリアスはご機嫌な様子でノーラの頭を撫でてくる。
いつもノーラばかりが負けている気がして、納得がいかない。
「何だか、ずるいです」
精一杯の不満を伝えて睨むと、空色の瞳が優しく細められる。
「知らなかった? 俺はずるい男だよ」
そう言うなり、ノーラの額にそっと唇が落とされた。
「エリアス様と仕立て屋に行ったんでしょう? 透け透けのドレスにされなかった?」
いつものように楽屋で準備をしていると、フローラが楽譜を差し出しながらとんでもないことを言いだした。
「さすがに、そんなことはありません。大丈夫ですよ」
「まあ、そうね。公の場に出るドレスを透け透けにはしないわよね」
うっかりしたと言わんばかりの態度だが、そういう問題ではないと思う。
「いえ。公も何も、透け透けはないですよ」
大体、ペール公認の減り減りボディが透け透けドレスを着たところで、何の魅力も利点もないではないか。
「どうせ透けるのなら、透けてお得なボディの女性に着せたいです。……レベッカさんとか」
「ええ? あの人が透け透けじゃあ、品がないわ」
確かに、元々色っぽいと透けてもお得感がない。
「ということは、逆に清楚な方が透けた時のギャップに慄くということですね。……アンドレア様なんて、凄そうです」
上品かつ胸が大きいアンドレアなら、透けているのに品があり、かつ透けたことに感謝を捧げたいボディを堪能できるだろう。
「将来の王妃を透け透けにしちゃ駄目よ。大体、何でノーラが着せる方に回っているの」
「ドレスだって、どうせなら透け甲斐のある女性に着て欲しいはずです。そうでなければ、透け損です」
「だから、何でドレスの気持ちになっているのよ。何なの、透け損って」
フローラはため息をつくと、楽譜を片付けてため息をついた。
「それで。公爵令息に言い寄られたんですって?」
「言い寄られてなんかいないですよ」
「でも、あの桃の花はエンロート公爵令息からだったんでしょう? しかも王城で声をかけてきたとか」
確かにそうだが、その話をした時にはフローラはいなかったはずだ。
「よく知っていますね」
「アラン様から聞いたわ」
あの場にいたのはノーラとカルムの双子なので、その答えには納得がいった。
「仲がいいですね」
何となくそう言ったのだが、フローラが目に見えて慌て始めた。
「べ、別に。そういうわけじゃないわ」
友人の滅多に見ない様子に、ノーラも驚いて目を瞠った。
「え? フローラがその反応って。まさか、ですよね?」