三千年草の君
「……それ、危険じゃないのか?」
好物のはずの鳥の皮揚げを食べる手を止めたアランは、そう言うとエリアスに視線を向けた。
「公爵は約束を違えるほど愚かではない。陛下も絡んでいるしね。エンロートの令息と言えば、ヴィオラ嬢の兄で嫡男だ。ことの次第は把握しているだろうから、復讐するほど馬鹿ではないだろう」
何の約束をしたのかは知らないが、エリアスがここまで言うからには復讐の線は消えたと思っていいはずだ。
「それなら、安心ですね」
ノーラに対して害意を持っているようには見えなかったし、これで心置きなく王城でのバイトに励めるというものだ。
懸案が解消されてスッキリしたノーラは、林檎ジュースでのどを潤す。
仕事の後の一杯は、格別である。
ところが、エリアスの表情は曇ったままだ。
「どうしました? 危険はないんですよね?」
「別の意味では、あるかな」
「え?」
「ああ……」
首を傾げるノーラとは違って、アランは何かを察したようにうなずいた。
「王城の庭で、使用人達に歌っていたんだろう? そこに来たということは、情報を得て会いに来たわけだ」
「偶然じゃありませんか?」
大々的に告知したわけではないが、あれだけの人数が集まったということは、使用人の間ではそれなりに話題に上がったのだろう。
となれば、たまたま聞きつけたか通りがかって見ただけのような気がする。
「ノーラの素性は隠されていない。『紺碧の歌姫』に会いに来たんだよ。公爵令息が、使用人のスペースにわざわざ顔を出してまで、ね。ノーラのファンだとしても、随分と熱心だろう?」
「まあ、そう……でしょうか」
確かにあの裏庭は主に使用人が休憩したり、荷物を一時保管する場所だ。
仮にノーラの歌のためだけに来たとすると、確かに熱心と言ってもいいかもしれない。
とはいえ、そもそもの前提がありえないので、机上の空論でしかないが。
既に終わったこととして気にせずパンを頬張るノーラの横で、エリアスは小さく息をついた。
「最近、ノーラに桃の花が届くって言っていただろう? あれは、恐らくエンロート公爵令息だ」
「え? 何故わかるんですか?」
「メッセージカードに書いてあっただろう? スヴェン、と。エンロート公爵令息の名前は、スヴェン・エンロートだ」
そう言えば、そんな名前が書いてあったような気もする。
だが、それほど珍しい名前でもないのに、何故確信をもって言えるのかがわからない。
「桃の花は高価だし、伝手がないと手に入らないと以前にも言ったよね? エンロート公爵令息ならば、それが可能だ。それに、カードの筆跡も彼自身の物だった。代筆させていないあたり、ただの貴族の戯れとも思えない」
「何故、筆跡がわかるんですか」
「カードを預かっただろう? あとは王城にある書類と照合すればいい。彼はエンロート公爵の手伝いとして、議会にも顔を出して記録係をしているからね」
王城の書類をそんなに簡単に見せてもらえるのか、とか。
書類をカードを見比べて、そんなに簡単に筆跡を特定できるのか、とか。
色々気にはなるが、聞いてもきりがないし、何となく怖い。
「……久しぶりですね。エリアス様のストーカー的情報網……」
少し引きつつそう言うと、アランが楽しそうに笑い出した。
「褒め言葉として受け取るよ」
当のエリアスは空色の瞳を細めて笑みを返してくるので、これ以上追求する気も起きない。
「……そう言えば、カードと同じようなことを言っていましたね」
「何?」
「麗しの『紺碧の歌姫』。三千年草の君、って」
その言葉を聞いたエリアスは、一気に顔を顰めた。
「やはり、か。……『三千年草』は、桃の別名だよ。暗に、ノーラに桃の花を贈ったのは自分だと言っているんだろう」
「――そうなんですか?」
初めて聞く言葉に、ノーラは目を瞬いた。
奥ゆかしいとか素敵とか言うべきなのかもしれないが、ノーラの率直な感想としては『面倒臭い』である。
「本人には、全然届いていないけどな」
笑いながら、アランが差し出したグラスを、エリアスが受け取る。
「どちらかと言えば、俺へのアピールだろうな」
エリアスはそう言って酒を一口飲むと、グラスを置いた。
「この時季に王都で桃が手に入るのは、カルム侯爵領の山間のものだけだ。俺への挑戦状ってことだろう。――いい度胸だ」
笑みを浮かべるエリアスが妙な色気と危険な気配を放っていて、何だか怖い。
「うわ。関わりたくないな」
双子の片割れの意味深な笑みを見て、アランが大袈裟に首を振っている。
ノーラもまったくの同意見だし、この話題は終わりにしたいが……そうなると聞かなければいけないことがある。
「あの。桃の花弁のジャムを持って来たのですが……いらない、ですか?」
話の流れからして、スヴェンから贈られた花のジャムなど食べたくないかもしれない。
だが、作って持ってくると言った手前、勝手に持ち帰るわけにもいかない。
ここは、本人に決めてもらうのが一番だろう。
いらないと言われたら言われたで、ノーラが自宅で食べるので問題はない。
「まさか。もらうよ、ありがとう」
少しほっとして小瓶を手渡すと、エリアスは屈託のない眩い笑みを浮かべている。
さっきのように陰のある笑みよりも、こちらの方が見ていて安心できる。
多少眩すぎて目と心が疲労するが、怖いよりはずっといい。
すると、ノーラの思いを知ってか知らずか、空色の瞳が優しく細められた。
「明日はドレスを作る予定だったよね、ノーラ。楽しみだね」
前言撤回。
やはり、疲労も過ぎればつらい。
程々の美貌と笑みにしてほしい。
ノーラはうなずきながら、心の中でため息をついた。