価値の物差し
それを、エリアスが止めたのか。
だが五年前というのなら、エリアスはまだ社交界デビューしたかどうかという年頃だ。
当時王位継承権を争うような立場の王子によく声をかけたものだと思うし、トールヴァルドの方もよくエリアスを信用したものだ。
いっそ、エリアスの方を疑っておかしくない気がするし……そもそも、何故エリアスは毒の存在に気が付いたのだろう。
「エリアスの毒見趣味については、聞いていますか?」
「いえ。趣味が毒見だとアラン様が言っていたのと、実際に毒を見分けたのは目にしましたが。詳しくは知りません。……アンドレア様も毒を学んでいると伺いました。上位貴族では、毒を嗜むのは普通のことなのでしょうか」
ノーラの問いにアンドレアの萌黄色の瞳が瞬き、すぐに笑い出した。
「まさか。毒なんて物騒ですし、見たこともないという人がほとんどでしょう。私はトールヴァルド様をお守りしたい一心で、学んだだけです。エリアスは……自分で聞いてみるといいでしょう」
ヴィオラやリンデル公爵など、最近関わる上位貴族達がことごとく毒に関わっている。
なので、上位貴族はそういうものなのかと思ってしまったが、さすがに違うらしいので安心した。
「トールヴァルド様は、エリアスを友人として大変に信頼しています。その長年の想い人であるノーラを危険に晒すのには、かなり躊躇していました。それでもリンデル公爵を追い詰める絶好の機会を、逃すわけにはいかなかった。……これは一個人としてもそうですが、国王としての判断でもあります」
すると、アンドレアは傍らに立つノーラに視線を向け、椅子を指し示した。
座れという意味なのだろうとは思うが、今のノーラはアンドレアの身の回りの世話をする係だ。
主人と同じ席に着くというのは、不敬ではないだろうか。
「今は私とあなたしかいません。座ってください、ノーラ」
そこまで言われれば、断る方が失礼かもしれない。
ノーラが椅子の端に腰かけるのを見ると、アンドレアは少しだけ口元を綻ばせた。
「あなたにはいくら謝っても足りないと思っています。私からも謝罪させてください」
そう言って頭を下げるアンドレアを見たノーラは、弾かれるように椅子から立ち上がった。
「あ、頭を上げてください。アンドレア様が謝ることではありませんから」
「私は陛下の計画のおおよそを知っていましたし、あの方の妻となる身です。陛下は立場上、公の場では謝罪できませんし、私も同様です。なので、この場を借りて言わせてもらいたいのです。ごめんなさい、ノーラ」
「陛下からは謝罪していただきましたし、埋め合わせとしてここで働かせていただいています。その上、クランツ領のジュースを舞踏会に提供する機会もいただきました。もう十分ですから」
どうにか頭を上げてもらおうと必死に話すと、ようやく頭を上げたアンドレアが苦笑している。
「……アンドレア様?」
「ああ、ごめんなさい。だって国王に謝罪されて得た埋め合わせが、この労働でしょう? 理由は聞きましたが、おかしくて」
再び椅子を指差されたので、今度は大人しく椅子に座る。
「陛下も、ギリギリまで悩んでいました。エリアスはそれを理解していたから、最終的に従ったのです。でもマルティナの予想外の動きで、あなたが毒を盛られてしまったから……」
エリアスは万が一に備えてアンドレアの控室に解毒薬を用意していたが、まさか本当にノーラが担ぎ込まれるとは思っていなかっただろう。
あの準備がなければ、ノーラはどうなっていたかわからない。
今になって、背筋が寒くなってきた。
「いくら優秀でも侯爵令息でしかないエリアスでは、リンデル公爵どころかその妹さえ抑えるのは難しいことです。身分や地位のもどかしさを、思い知ったようでした」
「エリアス様でも、身分について悩むことがあるのですね」
驚くノーラを見たアンドレアは、紅茶を一口飲んで微笑んだ。
「本当は、陛下はリンデル公爵領の半分を、クランツ男爵に渡そうとしていたのですよ?」
「ええ?」
リンデル公爵領は、王都に接する重要な街道をいくつも抱える豊かな領地だ。
その半分どころか五分の一にも満たない規模のクランツ男爵領とは、比べるべくもない。
「でも、エリアスが止めました。『まずは被害者のノーラの意見を聞いてほしい。貰えるならばこれ幸いと、何でも貰ってため込む人間ではない。分不相応なものはいらないと言うだろう。それに男爵も欲がなく、領民と家族が幸せならいいという人だ。下手に広大な領地を与えれば、周囲との軋轢にもなる』って。……それで、結局領地は貰わなかったのでしょう? もったいないですね」
笑顔で揶揄するような口ぶりに、ノーラもつられて微笑む。
「そうかもしれません。でも、貰うことに慣れてはいけないと思うのです。過ぎたるものは、身を滅ぼします。私達家族にとって、リンデル領はそういうものなのだと思います」
「そう。私なら、きっと貰います。でも、ノーラの考えも嫌いではありません。……ただ、あなたは自分の価値を、もう少し知った方がいいでしょうね」
「価値、ですか?」
思い当たる節がなく、首を傾げて考える。
身分も容姿も当てはまらない、とすると。
「歌、でしょうか」
建国の舞踏会で歌ったというのは、歌い手としてはかなりの評価だ。
実際はリンデル公爵の件でちょうど良かったから選ばれただけでも、世間から見れば同じことだろう。
「それもありますが。謙虚は美徳ですが、自身の価値を理解できないだけならば、それは愚かなことです」
アンドレアの言葉の意味が理解しきれないノーラに、萌黄色の瞳が向けられる。
「よく、考えてみてください。価値の物差しは、ひとつではありませんよ」





