しつこい初恋
「今日は、久しぶりに王城内の空気が引き締まっていますね」
アンドレアの一言に、ノーラは紅茶を注ぎながら首を傾げた。
「空気、ですか?」
久しぶりと言われても、ノーラはここ最近以外の王城の様子を知らない。
なので空気が緩んでいるのか引き締まっているのかも、よくわからない。
アンドレアの好みに合わせて少し温めたミルクを紅茶に入れると、そっとテーブルに置く。
「宰相が久しぶりに顔を出しているようですよ。彼がいると適度な緊張感が生まれますし、仕事もはかどると陛下も仰っていました」
「そう言えば、トール様……いえ、陛下から宰相が体調不良だとお聞きしました」
何でもリンデル公爵関連のことで激務だったらしいが、大丈夫なのだろうか。
「ええ。彼もそれなりの年齢ですからね。こういう時には、補佐する子供がいないのが惜しまれます。さすがにそろそろ後継を育てないといけない、と陛下も常々こぼしていますよ」
どうやら宰相には子供がいないらしい。
当然貴族なのだろうから家の跡継ぎ問題もあるだろうし、宰相職は必ずしも世襲ではないとしても実際には子や孫が継ぐことが多いと聞く。
今から後継を探して一から育てるのだとしたら、かなり大変そうだ。
恐らく家は養子をとって継がせるのだろうから、宰相職もその養子が継ぐのだろう。
ノーラには縁遠い別世界の話だが、こういう時には名のある貴族じゃなくて良かったなと思ってしまう。
「それで、ノーラ? 今日はエリアスとの馴れ初めのお話を聞かせてくれますか?」
「な、馴れ初めですか?」
何故ここでそんな話を聞きたいのだろう。
それに、馴れ初めと言われてもどこから話せばいいのか。
ノーラとしては婚約破棄とプロポーズの夜会から始まっているが、そもそもは幼少期に会っていたノーラをエリアスが見つけたのだ。
となると幼少期の話をするべきなのかもしれないが、正直、ノーラには大した思い出はない。
困って言葉に詰まっていると、アンドレアがくすくすと柔らかく微笑んだ。
「そんなに悩むとは思いませんでした。実は、大体の話は陛下から伺っています。要約すると、エリアスのしつこい初恋ですね」
「しつこい初恋……」
辛辣なようで正確とも言える表現に、思わず唸ってしまう。
「では、エリアスと陛下が出会ったきっかけは知っていますか?」
「陛下がリンデル公爵に毒殺されかかって、それを助けたのがエリアス様だと聞きました」
アンドレアはゆっくりとうなずくと、ティーカップを手にする。
「もう五年前になります。私の家が主催の夜会で、リンデル公爵……当時の公爵令息が第二王子だったトールヴァルド様のグラスに毒を入れたのです」
それは既に聞いた内容だが、こうして改めて聞くと疑問が浮かんでくる。
「何故、リンデル公爵は陛下に毒を盛ったのでしょうか。第一王子と懇意だったというのは聞きましたが、放って置いても第一王子が国王になったのではありませんか?」
ノーラからすれば、リンデル公爵の行動は自身にも第一王子にも危険なだけに見えるのだが。
紅茶を一口飲んだアンドレアは、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「まあ。本当に紅茶を淹れるのが上手くなりましたね。とても美味しいですよ」
「ありがとうございます。メイド長の指導のたまものです」
ノーラも紅茶を淹れること自体はできたのだが、いかんせんクランツ家では茶葉の使い方が独特だ。
少量の茶葉を白湯になるまで使うというのは、王妃となるアンドレアに飲ませるような代物ではない。
ふんだんに茶葉を使うという未知の領域で加減がわからなかったが、メイド長の指導のおかげでどうにかコツを掴んできた。
「本来ならば第一王子がそのまま王位を継ぎます。でも、第一王子に問題があったのと、トールヴァルド様が優秀だったこともあって、当時王位継承順に関してかなりの議論が起こっていました。私の家、メルネス家はトールヴァルド様の側にいましたから、まとめて邪魔者を消すつもりだったのでしょう」
だが、そうは言っても危険な行為だ。
もしもバレたり失敗すれば、かえって第一王子の不利になるし、リンデル公爵に至っては王族の暗殺未遂で死刑になっておかしくない。
「何故、そこまで……しかも、自分で実行したのでしょうか」
公爵令息なのだから、誰かを雇うなり騙すなりして命じることは可能だろう。
実際、ヴィオラは無関係の店員を雇って、ノーラに毒を盛ろうとした。
「第一王子が王位に就けば、何らかの見返りがあったのでしょうね。同時にトールヴァルド様が王位に就けば、自分達に不利だと理解していたということです。私も詳しくは知りませんが、色々と良くないことをしていたようです」
それが動機だとしても、やはり自分で実行する理由がよくわからない。
その場で思いついて短絡的に行動したのかとも思ったが、それだと毒を所持しているのがおかしい。
「第一王子がそういう人だと、トールヴァルド様は理解していました。なので王子本人はもちろん、王城の使用人が用意した物でも警戒していました。だからこそ、リンデル公爵本人が目の前でワインのボトルを開けさせ、自分が先に口にして見せたのです。……当時まだトールヴァルド様は、第一王子とリンデル公爵令息が懇意であることを知りませんでした」