アンドレアの不満
メイド長についてくるように言われたノーラはそのまま王城の奥へと進む。
辿り着いたのは装飾が美しい白い扉の前だった。
一度、この扉を見たことがある。
そう思う間もなくメイド長が扉を開けると、中には予想通りの貴婦人が佇んでいた。
橙色の髪に萌黄色の瞳の美女が深紅のドレスを身にまとう様は、さながら薔薇の化身のような美しさだ。
一度だけ会った時には、ノーラは毒を盛られて吐いて寝た後だった。
それどころではない状態だったので、じっくりと姿を見るのは初めてと言ってもいい。
上品が服を着て歩くとこんな感じだろうと暫しうっとりしていると、何やら貴婦人の眉間に皺が寄っているのに気付いた。
「……どうして、私のところに来てくれないのですか」
「アンドレア様?」
「しかも、庭で歌っているなんて」
そこでようやくノーラはアンドレアの不機嫌の理由に気付いた。
ノーラはトールヴァルドの口利きで働きに来ているのだから、軽挙に怒っているということか。
「ご挨拶が遅れて、申し訳ありませんでした。今後、歌わぬよう気を付けます」
すぐに頭を下げるが、アンドレアは更に不機嫌そうに眉を顰めている。
「違いますよ。私も聴きたかったのです」
「……はい?」
思わず問い返すと、アンドレアは椅子から立ち上がった。
「私のことが嫌いですか? 陛下があなたに無理をさせたから、怒っています?」
「は、はい?」
ノーラのそばまで来たアンドレアは、その白い手でノーラの手を包み込んだ。
「だって。あなた、全然私のところに来てくれないではありませんか。エリアスから王城で働いていると連絡がきて、びっくりしたのですよ? ずっと楽しみにしていたのに。使用人達には歌ってあげるのに、私には会ってもくれないなんて……」
さめざめと泣きそうな勢いのアンドレアに心が揺さぶられるが、よく考えると何だかおかしい。
「あの。私は王城で働いているだけです。用もなくアンドレア様のおそばに近付くのは、不敬だと思うのですが」
アンドレアのそばというのは、一通りの雑務をこなせるようになったうえでようやく近付けるという、花形の役職だ。
いくら一応顔を知っているとはいえ、新米のノーラがふらふらと近付くのはおかしいだろう。
だが、アンドレアはノーラの手を握ったまま、首を傾げた。
「どういうことです?」
「ですから、使用人として雇われた以上は、その決まりを破るようなことはできません」
「……私についてくれるという話ではないの?」
「え?」
手を握られたままアンドレアと見つめ合うと、次いで二人同時にメイド長に視線を移した。
「陛下はアンドレア様のお話相手として招きたかったようですが、本人が働くと言っていたので、一応行儀見習いという形で城に入っております。一通りの説明と最低限の指導を終えたら、アンドレア様の元に顔を出す予定だったはずなのですが」
メイド長の説明に、ノーラとアンドレアは目を瞬く。
「そうなのですか? てっきり、普通の下働きなのだと思っていました」
「私の話し相手だとばかり」
「そもそも、ノーラにはお部屋の掃除や紅茶の淹れ方を指導するくらいだったはずです。なかなかアンドレア様のお部屋に来ないので、相当難航しているのだと思っていたのですが……城内の噂から推察する限りは、そういうわけでもなさそうですね」
メイド長は小さく息をつきながらも、慣れた手つきで紅茶の用意をしている。
手早いのに優雅とは、何と素晴らしい技術だろうか。
「なので、折を見てアンドレア様のお部屋に顔を出すよう伝えたはずなのですが」
「そう言えば、アンドレア様に会いたいか聞かれたような気が」
「ほら! 何故、そこで来ないのです」
ノーラの手を揺さぶりながらアンドレアが訴えてくるが、そう言われても困ってしまう。
「ですが、まだ仕事を始めたばかりですし。アンドレア様のご迷惑になるといけませんから、一通り覚えてからの方がいいだろうと思いまして」
「……一通りとは、何をするものなのですか?」
生粋の侯爵令嬢であるアンドレアにとっては、使用人の仕事は未知の世界と言っても過言ではないだろう。
興味を持った様子が少し可愛らしくて、ノーラは笑みを浮かべた。
「ええと。荷運び、皮むき、下ごしらえ、洗濯、掃除、草むしり、窓枠の塗装、花壇の製作……」
「……ノーラ。多分、それは行儀見習いの仕事ではないと思いますよ」
アンドレアの視線を受けたメイド長は、何やら険しい表情でこちらを見ている。
「そうなのですか? 互いの仕事内容を把握し経験した上で、それぞれに配属されるのかと思っていました」
未だにノーラの手を握ったままのアンドレアは、メイド長と顔を見合わせてため息をついた。
「こちらの説明が足りず、連絡も不足したようですね。あなたはアンドレア様の話し相手となるために、行儀見習いをするという名目になっています。そこまで本格的に下働きをする必要はありません」
メイド長の言葉に、ノーラは衝撃を受けた。
「そんな。それではお給料が」
アンドレアの所作を身近で学べるのは嬉しいが、きちんと働かなければ当然給料は出ない。
エリアスへのプレゼントのためにも、お金は必要なのだ。
焦るノーラとは対照的に、メイド長は落ち着いた物腰でティーカップをテーブルに置いた。
「それは十分に用意されています」
「でも……お話するだけ、ですか?」
うなずくメイド長を見て、ノーラは慌てて首を振った。
「それはいけません。ちゃんとお給料のぶんだけ働きます」
「何故です? 私の相手をするだけでいいのだから、楽でしょう?」
ノーラはそっとアンドレアの白い手を外すと、不満そうな貴婦人に笑みを返した。
「私はお金の価値というものを、身に染みて理解しています。お話相手を務めてお金をいただけるような人間ではありませんから」
「もう。何なのでしょう。真面目というか、頑固というか。……そういうところ、エリアスに似ていますよ」
意外な言葉に、ノーラは目を瞬かせた。
「そうなのですか?」
「そうですよ」
アンドレアは微笑むと、優雅に椅子に腰かけ、紅茶を口にした。
「下働きは、もう終わりです。これからは、私のところに来てくださいね。それから、歌は歌ってもいいけれど、私も聴きたいのです」
最後の方は少しばかり駄々っ子のような言い方だったので、ノーラは思わず苦笑した。
 





