貧乏生活の嗜みです
食事を終えると、そのままアランは帰宅し、エリアスはノーラを送って行く。
これも、すっかり定番の流れだ。
夜道を一緒に歩きながらふと隣を見上げれば、月の光を浴びて灰茶色の髪が輝いていた。
「どうしたの、ノーラ」
ノーラの視線に気付いたエリアスが、空色の瞳を細める。
まるで絵画のような美しさに、思わずため息がこぼれた。
「いえ。今日もエリアス様は顔がいいな、と思いまして」
「それはつまり、俺に見惚れていたってことでいいのかな?」
「……その表現は、ちょっと」
要約すればその通りなのだが、何だか恥ずかしい。
顔を背けたノーラの横から、笑い声が聞こえる。
相変わらず声もいいなと思ったが、それを言うと今度は『声に聞き惚れていた』と言われそうなのでやめておく。
事実だからこそ指摘されるとつらいことが、世の中にはあるのだ。
「トールの埋め合わせのことだけれど、王家主催の舞踏会でノーラが歌う機会を貰うことにしたよ」
「え?」
驚いて見上げると、空色の瞳が優しく細められている。
「埋め合わせって……エリアス様の分ですよね?」
クランツ家としては葡萄ジュースを舞踏会に出す機会を貰ったし、ノーラとしては王城で働く機会を貰った。
エリアスの分の埋め合わせだとしたら、内容がおかしい気がする。
「別に欲しいものもないしね。ノーラの歌の価値を上げたいなと思って」
……別に、欲しいものはない。
わかってはいたが、本人の口から直接聞くとさすがにショックだ。
やはり名門侯爵家の御令息は特に不自由などしていない。
国王にねだる物すらないのだから、間違いなくノーラが贈る物も必要ないのだろう。
不要な物を贈るというのも、どうなのだろう。
やめた方がいいだろうか。
いや、もう決めたことなのだから、やり遂げよう。
仮にも恋人からのプレゼントをいらないと言うのなら、今後を考えることなどできない。
大丈夫、少なくとも受け取るくらいはしてくれるはずだ。
急速にくじけそうになる心を慌てて鼓舞すると、少し気持ちが落ち着いた。
今は、学びつつ働いてお金を稼ぐことに集中しよう。
「……嫌だった?」
思考に区切りがついてふとエリアスを見ると、心配そうに覗きこまれていた。
「あ、いいえ。恐れ多いですけれど、歌うのは好きです」
「そうか。良かった」
安堵の笑みを浮かべるエリアスは、巷の美少女が束になってもかなわないほどの眩さだ。
月の光を浴びているのか、エリアス自身が光を放っているのかよくわからないほどである。
圧倒的に麗しいのだが、それとは別にノーラのことを考えてくれたという事実に鼓動が速まった。
舞踏会の日程として告げられたのは、約ひと月後。
エリアスとアランの誕生日のはずだが、特に何も言ってこない。
さすがに自身の誕生日を忘れているわけではないだろうから、わざとなのだろう。
金銭的にアレなノーラが気を使わないようにということかもしれないが、逆にこれはチャンスだ。
知らないふりをして、サプライズプレゼントにしよう。
そう思いつくと、今度は急に楽しくなってきた。
現金なものだなと思いつつ、家路につく足取りは軽やかだった。
「……ねえ、ノーラ。あなた、何をしているの?」
朝から元気に花を植えていたノーラは、背後からやって来たパウラに声をかけられた。
「はい。花を植えています」
そう言うとシャベルで根元に土をかけていく。
「それは見ればわかるわ。私があなたに指示したのは、小麦粉の袋を運ぶという仕事だったはずよ」
「はい。それはもう厨房に運びました。パウラさんに厨房入口で待機と言われましたので、入り口付近の草をむしっていました。そこにちょうど庭師さんが通りがかりまして、余っている花の苗があるというので。許可を取ったうえでここに植えています」
パンジーを十株程とはいえ、雑草がぼうぼうの状態に比べれば随分と華やかになったと思う。
「そんなことしなくてもいいし……まあ、花を植えること自体は別にいいけれど。それよりも――そのあたりは雑草と石だらけだったでしょう? どこからその柵が出て来たのよ」
パウラが指差した先には、白い木製の柵で囲まれた小さな花壇がある。
今パンジーを植えた花壇は、ノーラの手作りだ。
「端材をいただいて作り、ペンキを塗りました。あとは雑草を抜いて、石を拾い、土を耕して肥料を入れた後にお花を植えただけです」
「だけ、じゃないわよ。何で柵なんて作れるの」
パウラは何故か、腰に手を当てた状態でノーラを見下ろしている。
「ちょっとした工作は、貧乏生活の嗜みです」
「どうせ嗜むなら、貴族の嗜みを覚えたらどうなの」
「あら、耳が痛いお話ですね」
商人の娘が男爵令嬢に言うセリフではない気がするが、当たっているので何とも言えない。
すべての花を植え終わったノーラは、立ち上がるとワンピースの裾を払う。
すると、何か言いにくそうにそわそわした様子のパウラが、意を決した表情で口を開いた。
「……あなた、そろそろメルネス様の所に行ってみる?」





