育ちで言うなら、ほぼ平民です
「今日はまず、これを運んでもらうわ。あくまでもあなたの仕事なんだから、誰かに手伝わせては駄目よ」
「はい、わかりました。……この中身は、食べ物でしょうか」
ノーラの足元には、両手で抱えられる大きさの麻袋が転がっている。
何かがパンパンに詰まっているのはわかるが、さすがに見た目だけでは中身がわからなかった。
「そうよ。中にはジャガイモが入っているわ。これを八袋は食糧庫に、二袋は厨房に運んでちょうだい。ただし、貴族の方々の目に触れないように、建物の中は通らないこと。いいわね」
「はい。八袋を食糧庫、二袋を厨房ですね。その後はどうすればいいでしょうか」
昨日、掃除の後の予定を聞かなかったせいで、あわや無駄な時間を過ごしそうになったばかりだ。
ここはきちんと予定を聞いておかなければ。
「そのまま、厨房で待っていてちょうだい。私が行くまで、待機よ。それじゃあ、またね」
「はい。わかりました」
パウラを見送ると、ノーラは足元の麻袋を見つめた。
食糧庫と厨房に行くのなら途中にある建物を突っ切るのが一番早いが、それは駄目だと言われている。
となると、ぐるりと迂回して行くことになるだろう。
「厨房で待機ということは、まずは食糧庫に運んだ方がいいですね。さあ、頑張りましょう」
ノーラは自分を鼓舞すると、さっそく麻袋に手をかけた。
「……ノーラ、あなた何をやっているの」
厨房に姿を見せたパウラは、ノーラを見るなり眉間に皺を寄せた。
「ジャガイモの皮むきです」
ノーラは手を止めてジャガイモとナイフを置くと、背筋を伸ばして立ち上がった。
「……私は麻袋を運んでと言ったのよ。それを、こんなに早い時間に厨房にいると思ったら、指示されていない皮むきなんて」
「はい。麻袋は食糧庫と厨房にすべて運びました。厨房で待機ということでしたので、待っている間にできることをと思いまして」
そこで厨房の人間に声をかけた所、ジャガイモの皮むきを手伝って欲しいと言われ、今に至る。
いつパウラが来るのかわからなかったが、それまで皮むきをするという約束なので、ここでやめても問題はないだろう。
「こんなに早くに、すべて運べるわけがないでしょう。あなた、また誰かに手伝ってもらったんじゃないの?」
「いいえ。一人で運びました」
「じゃあ、どうやってこんなに早くに終わるのよ。麻袋ひとつだって、相当重いのに」
「確かに重かったので、一度に二つしか運べませんでした。なので、庭師さんに台車を借りて運びました」
「台車? そんなのズルいじゃない」
弾かれるようにパウラが叫んだので、厨房の端とはいえ数人の視線がこちらに向くのがわかった。
「手伝ってもらうのは駄目と聞きましたが、道具を使うのは問題ないと思ったのですが。それに、いくら麻袋に入っているとはいえ、屋外にジャガイモを出す時間は減らすべきですから」
麻の袋は目が粗い部分もあるので、日光を浴びてしまう恐れがあった。
なので、ノーラは早く運ぶのが重要だと判断したのである。
「……何故、屋外がいけないの」
ぽつりとこぼされた言葉の意味がわからず、ノーラは目を瞬いた。
「ジャガイモを日光にさらしていると、皮が緑色になります。その状態では食あたりするので、危険です。少しの時間なので大丈夫だとは思いますが、王城で高貴な方が口にする物ですので。念のために台車と一緒に布を借りて、麻袋にかけて運びました」
街でジャガイモを買う時にも、たまに緑色になってしまったジャガイモを見かけることがある。
最初は知らずに買おうとしていたが、馴染みの店主が色々教えてくれたのだ。
「パウラさんは有名な商家のお嬢さんだからな。ジャガイモの買い出しなんてしないから見分けがつかないだろうし、まして管理方法なんてしらないだろう」
いつの間にかそばにやって来ていた厨房の料理人と思しき男性は、そう言って笑う。
パウラの頬に朱が差し、料理人とノーラを睨みつけた。
「もう、いいわよ。それじゃあ、ジャガイモ百個の皮を剥いてちょうだい。お昼には間に合わせてね。それから、人参と玉ねぎの下ごしらえも。詳しくはその人にでも聞くのね」
吐き捨てるようにそう言ったパウラを見て、料理人は更に笑った。
「それはすべて終わっている。ジャガイモはもちろん、人参と玉ねぎのカットまで終えているよ。いや、手際がいいし丁寧だし、これなら毎日手伝って欲しいくらいだよ」
「う、嘘。大体、まだ皮を剥いているじゃない」
そう言ってノーラのそばに置かれたジャガイモとナイフを指差す。
「それは、夜の分だ。それにしても綺麗に剥いているが……そのナイフは自前か?」
「いえ。こちらに用意されていましたが、少し錆びて切れ味が鈍っていましたので、研ぎました」
おそらく普段は使用していないナイフだったのだろう。
切れ味が鈍れば作業も滞るし、見た目にもよろしくない。
ちょうど砥石があったので、軽く研いだだけのことだ。
「君、刃物を研げるの? 貴族のお嬢様って聞いていたんだけど」
「生まれで言うならギリギリ貴族ですが、育ちで言うならほぼ平民だと思っています」
正直に伝えると、料理人は目を丸くして、次いで豪快に笑い出した。
「行儀見習いのお嬢様がよく来るが、ほとんどは我儘で自分勝手で他の使用人を見下す困った連中ばかりだ。あるいは、肉体労働がつらいと泣き言ばかりで碌に働かないか。……今回もそうかと思って、言われた通りに山ほど野菜の皮むきを用意しておいたが。――完敗だな、パウラさん」
にやりと笑みを向けられたパウラは、唇を尖らせて顔を背けている。
「あの、パウラさん」
ノーラが声をかけると、パウラは顔を赤らめながらこちらに向き直った。
「何よ、もう。私が悪かったわよ。また貴族の我儘お嬢様が出会いを求めてやって来たと思ったのよ。しかも、コネでメルネス様のおそばに上がるかもしれないって聞いたから――嫉妬よ。悪かったわね!」
絶叫したかと思えば肩で息をしているパウラを見て、ノーラは何度か目を瞬いた。
「そのボタン、取れかけていますよ」
「は?」
パウラのワンピースの袖についているボタンが、糸が緩んで今にも外れそうに揺れている。
「本当だわ。……それで、これが何?」
「良かったら、直しましょうか?」
「あなたが? 今?」
パウラの眉間には深い皺が寄るのを眺めつつ、ポケットから小さなポーチを取り出す。
「何があってもいいように、裁縫セットは持ち歩いていますので」
にこりと微笑むノーラに、パウラはぽかんと口を開け、料理人は手を叩いて大笑いしていた。