仕事の基本は、掃除です
「パウラ、今日から働くノーラです。まずは城内を案内してあげなさい」
メイド長に見送られ、ノーラはパウラと呼ばれた女性と共に王城内を歩き出す。
「ノーラ・クランツです。よろしくお願いします」
「パウラよ。……ノーラ・クランツって、建国の舞踏会の歌姫でしょう? 何で王城で働こうと思うの?」
赤茶色の髪を揺らしながら、パウラが足早に進んで行く。
貴族女性はゆっくり上品にというのが基本だが、やはりメイドはスピードも重要ということなのだろう。
その上で下品にはならないようにするのだろうから、かえって難しいかもしれない。
学ぶことには事欠かなそうだし、これはなかなかの滑り出しだ。
笑顔でパウラの後につきながら、ノーラはうなずいた。
「確かに建国の舞踏会で歌いましたが、あれはまぐれというか、運が良かっただけです。今回はアンドレア様のような、気品あふれる淑女の振舞いを少しでも学びたいと思って、お願いしました」
「ふうん。まあ、何にしてもまずは王城内の位置関係を覚えてちょうだい。それから、一通りの雑務をしてもらうわ。歌姫のコネで入ったのだとしても、基本には従ってもらわないと困るの」
「はい。よろしくお願いします」
笑みを返すノーラに、一瞬パウラは言葉に詰まる。
さすがに王城は広く、移動だけでもかなりの時間を取られる。
厨房や兵士の詰め所、舞踏会が行なわれる広間など、一通り歩いて案内されると、最後に王城の奥に向かった。
「この先は王族の方々のお住まいよ。本来は王城に勤めていても、限られた者しか近付けないの。今回は特別に案内するよう言われたから、仕方がないけれど」
そう言って一つの扉の前で立ち止まる。
木製の扉は真っ白に塗られていて、細やかな花と蔦の装飾が美しい。
華美ではないが、とても手の込んだものだとノーラにもよくわかった。
「ここは王妃となるアンドレア・メルネス侯爵令嬢のお部屋よ。王城の中でもメルネス様のお部屋に侍ることができるのはごく少数の、花形よ」
たしかに未来の王妃のそばにつくというのは、使用人としてはかなりの名誉だろう。
となると、アンドレアの周りには選りすぐりの人材がいるということだ。
これは、かなり勉強になりそうである。
「ちょっと。何を笑っているのか知らないけれど、いくらコネがあってもすぐにメルネス様の所に連れて行くわけにはいかないわよ。まずは最低限の雑務を一通りこなせるようにならないと」
それもそうだ。
いくらお願いして雇ってもらったとはいえ、働いている人の迷惑になるのはよろしくない。
求められる最低限の知識と技術を身に着けるのが、先決だ。
気を引き締めると、ノーラは背筋を正してパウラを見つめる。
「はい。よろしくお願いします」
「わ、わかればいいのよ。それじゃあ、こっちに来てちょうだい」
そう言って案内されたのは、ソファとテーブル以外に何もない小部屋だった。
「ここは普段使われていなくて、掃除の手が回っていなかったの。高価なものもないし、あなたの手際を確認するのにちょうどいいわ。まずは、この部屋を掃除してちょうだい。掃除道具はここに用意したわ。井戸はさっき説明したからわかるわよね。それじゃあ、よろしく」
矢継ぎ早にそう言うと、パウラは部屋を出て行った。
ノーラの足元にあるのは、バケツと雑巾、箒にハタキに塵取りだ。
改めて部屋の中を見渡せば、全体的に埃っぽい。
テーブルにも埃が積もっているのが遠目にもわかるし、椅子の座面も何だか薄汚れている。
とりあえずは、換気をしなければ空気が悪すぎる。
窓を開けようと少し色の禿げた窓枠に手をかけると、指の形の跡がくっきりと残った。
どうやら、部屋中が埃まみれらしい。
「……これは、なかなかのものですね」
ノーラは窓を開けると、腕まくりをして、口元に笑みを浮かべた。
「――さて。やりますか」
「――え?」
部屋の扉を開けたパウラは、そう言うなり動きが止まった。
「あ、良かった。ちょうどパウラさんを探しに行こうかと思っていたんです」
掃除をしてとは言われたものの、いつまでに終わらせるのかも、終わったらどうするのかも聞いていなかった。
これはノーラの落ち度だ。
今後はその後の予定もしっかりと確認した方がいいだろう。
「え、いえ、その前に。……これ、あなたがやったの?」
「はい? 指示通りにお掃除したつもりですが、問題がありましたか? やり直しますので、教えてください」
ノーラなりに頑張ったつもりだが、王城の掃除の基本がよくわからないので不足部分があるのだろう。
是非とも今後に活かしたいところだ。
頬を引きつらせたパウラが室内をゆっくりと見て回る。
これはきっと、出来栄えの評価をするのだろう。
ノーラは少し緊張しながら、パウラの後ろについた。