もう少しかまってやれ、と言われました
「何だかんだで、エリアスとは上手くいっているみたいだな」
バイトの送迎のために一緒に歩きながら、アランがそう言った。
何やら笑っているように見えるのは、からかっているのだろうか。
「何だかんだは否定しませんが……上手くいっているかは、わかりませんよ?」
なかなか靡かないから躍起になっていただけだとしたら、そろそろ冷めてもおかしくはない。
別にエリアスを疑っているというわけではないが、そんなことが起こっても仕方がないとは思っている。
それくらい、エリアスとノーラでは身分も何もかも違い過ぎるのだ。
「エリアスを見ればわかるさ。あいつが上機嫌なのはちょっと気持ち悪いが、不機嫌よりはずっといい」
灰茶色の髪と檸檬色の瞳のエリアスと同じ整った容貌の青年は、ノーラに合わせて少しゆっくりと歩いている。
初対面で突然の婚約破棄宣言をし、その後も俺様貴族な様子だったのが嘘のようだ。
これはやはり、失恋がアランを成長させたのだろう。
色恋というものも、侮れない。
「一応、ノーラにも言っておくが。俺はカルム侯爵を継ぐ気はない」
「はあ、そうですか」
言われてもどうしようもないのでとりあえず相槌を打っていると、アランは呆れたように肩を竦めた。
「いや、もう少し気にしろよ。俺が継がなければ、当然エリアスが継ぐ。……つまり、ノーラは将来のカルム侯爵夫人ってことだぞ」
「こ、侯爵夫人……?」
気持ちが引き潮のごとく後退すると共に、口が引きつるが自分でもわかった。
「そんな嫌そうな顔をするなよ」
「だって……そんな話をしたことはありません」
確かにカルムの跡継ぎはエリアスかアランの二択だろうが、その先についてはまだぼんやりとしか考えていなかった。
エリアスが継ぐかもしれないということは頭にあっても、まさか自分が侯爵夫人になるかもしれないなんて……実に胃が痛い話だ。
「まあ、無理に話を進めたら逃げられると思っているんだろうな。何せ片思いが長くてこじれているんだ、あいつは」
エリアスに対するコンプレックスをこじらせにこじらせていたアランが言うのも何だかおかしい気がするが、そこは黙っておく。
「もう少し、かまってやれよ。喜ぶぞ」
「犬猫みたいな言い方しないでください」
喜ぶと言うと尻尾をぶんぶんと振り回す犬を思い浮かべるが、エリアスはそういう感じではない気がする。
どちらかと言えば、灰茶色の長毛で空色の瞳が輝く高貴な猫というイメージだ。
それも、お腹の毛は真っ黒な猫だ。
想像してみると意外とはまっていて、危うく噴き出しそうになる。
「そういうアラン様は、どうするのですか?」
「次期侯爵じゃない時点で、俺の価値は半分以下だからな。まあ、エリアスが結婚すれば家は問題ないし、のんびりやるさ。今まで通り領地経営の手伝いでもするかな」
言っている内容は自身を卑下するものとも受け取れるが、アランの表情を見る限りそういう後ろ向きな感情は皆無なのだというのが伝わってくる。
もともと爵位を継ぐ気はないとは言っていたが、随分と大人になったものだ。
何となく困った弟が成長したような感覚になり、ノーラは知らず微笑んだ。
店に到着し、アランと別れるとそのまま楽屋に向かう。
扉を開けると、視界にピンク色が飛び込んできた。
「あら、ノーラ。今日も届いているわよ、お花」
「そうみたいですね」
入口に置いてあるのは、濃いピンク色の先端が尖った花弁が可愛らしい花束だ。
普通の花束と違って木の枝をまとめた形なので、結構場所を取る。
そのせいで入り口付近に置かれたのだろうが、鮮やかな色が目を引いた。
「桃の花……でしたよね。最近、多いですね」
「この辺りじゃ珍しいお花よ。――麗しの『紺碧の歌姫』へ。スヴェン。……よくある名前だし、誰かはわからないけれど。桃の花が好きなのかしらね」
フローラは手にしていたカードを、ノーラに差し出す。
「これ、何ですか?」
「桃の花に添えられていたカードよ。お花はノーラが自由にしていいって言うから、持って行く人も多いしね。カードはさすがにどうかと思うから、外してあるの」
「スヴェン。……知らない名前ですね。何にしても、ありがたいですね」
ちょうど建国の舞踏会を終えた頃から、時々桃の花が届けられるようになった気がする。
桃はかなり珍しいので記憶に残っているが、既に結構な回数届けられているのは確かだ。
「そういえば、ちょうど前回の桃の花弁で作ったジャムを持って来たんです」
椅子に腰かけてバッグから小瓶を取り出すと、机の上に置いた。
『紺碧の歌姫』宛てにお花を貰うことも多いが、それらはお店に飾ったり、従業員に分けたりできる。
だがこの桃は木の枝に花がついている形が珍しいために、あまり持ち帰る人がいなかった。
そこでノーラが持ち帰っては花弁を摘み取って、ジャムにしているのだ。
「わあ、ありがとう。この間のジャムも美味しかったわ。お父様も絶賛していたわよ」
「それは良かったです。今回は色がより鮮やかになるように工夫してみました。自信作です」
「……ノーラって、男爵令嬢にしておくのがもったいないわよね」
ジャムの瓶をしまいながら、フローラが呆れたように呟く。
「今日の送迎はエリアス様?」
「いいえ、アラン様です。……エリアス様にもう少しかまってやれ、と言われました」
フローラはきょとんとすると、次いで笑い出した。