すべての始まりは
「今回の事は、トールがリンデル公爵を罰し、妹のマルティナを王妃候補から外すのが主な目的なんだ」
一言目から既にノーラの理解できる範疇を超えている。
「……そもそもトールがリンデル公爵にこだわるのは、不正を正すためだけじゃない。五年前、トールがまだ継承権二位の王子だった時、毒殺されかかったことがある。その時毒を盛ったのが、おそらくリンデル公爵。当時はまだ公爵令息だ」
続く言葉も想像を超えていて、相槌を打つこともできず、ノーラはただ大人しく聞くことにした。
「彼は兄王子と懇意で、トールを目の敵にしていた。毒が盛られたのは彼が開けたワインのボトルだったんだ」
何だかマルティナの時と似ている。
上位貴族の中では、こういう物騒な話はよくあるのだろうか。
「トールが王位を継いでからは大人しくしているように見えたし、妹を王妃候補に出して来た。だけど、他の候補達が不自然なほど次々に辞退していった。調べてみるとリンデル公爵やレベッカの名前が挙がってきたんだ」
そこまで言うと、エリアスはちらりとノーラを見た。
話についてこれているか確認したのだろう。
ついていけているかと言われれば怪しいが、ここで止まっていても仕方がないのでうなずいて見せると、エリアスもうなずいて話を続けた。
「残った候補は幼少期から顔なじみで親しかった、アンドレア・メルネス侯爵令嬢だけ。彼女の家はリンデル公爵家よりも身分が低いから、何か仕掛けられてからでは遅かった」
そうか、あの美女はトールヴァルドの幼馴染でもあるのか。
国王の幼馴染で王妃候補の美女と、秘密の恋人だなんて。
ノーラの中のエリアスの鬼畜度が、更に上がった。
「それでも、表立って瑕疵のないリンデル公爵を裁く事はできない。……そこで、トールは手っ取り早く証拠を押さえて、リンデル公爵を罰する方法を探していたんだ」
エリアスによると、リンデル公爵が後援している歌姫レベッカは、どうも愛人らしい。
巷で評判の『紺碧の歌姫』の人気と清らかな歌姫の噂に嫉妬し、リンデル公爵にねだってクランツ領の通行料値上げをして嫌がらせしていることがわかったという。
「ええ!」
「気持ちはわかるけど、とりあえず聞いてくれる?」
思わず声をあげたノーラをエリアスが宥める。
確かにエリアスに文句を言っても仕方がないので、大人しく黙る。
「ここで罪に問うてもそこまで重くはならないし、余罪の追及が難しい。そこでトールは、ノーラを囮にレベッカに暴れてもらい、リンデル公爵を炙り出すことにしたんだ。レベッカの誇りとも言える建国の舞踏会の歌い手をノーラに変更すると、早速反応があった。例の汚い方の噂だね」
あのうっとうしい噂まで、関係していたのか。
思った以上に面倒臭い話になってきた。
「……この頃、俺に注意喚起と共にトールの企みが伝えられた。――もちろん反対したよ。ノーラを危険に晒すなんて、許せない。だが、既に歌い手として周知されていて、撤回したところでレベッカが何かするのは目に見えていた。トールもノーラに既に護衛をつけていて、最悪の事態にならないように配慮してはいた。トールの長年の悲願だし、国王の命令でもある。俺一人が反対しても、もう止められる状態ではないから、受け入れざるを得なかった」
「護衛?」
まったく身に覚えのない話に、首を傾げてしまう。
「気付いていなかったんだね。レストランの送迎も、店内も、屋敷の周囲にも必ず護衛がついていたんだよ。もちろん、今日の舞踏会も」
「ええ?」
寝耳に水とはこのことだ。
まさか自分の周囲がそんなことになっているとは思わなかった。
「トールは、ノーラは腹芸に向いていないようだし、事情を知れば警戒するだろう。ノーラの身を守るにはその方がいいが、万が一にもリンデル公爵にばれてはいけない。だから事情を伝えないように、と俺に命じた。だから、俺が守ると決めたんだ」
国王直々に腹芸に向いていない太鼓判を押されるって、どうなのだろう。
人としては良い気もするが、貴族としては致命的な気がする。
「建国の舞踏会の歌い手は国の最高峰だと聞いてはいましたが、私には縁遠すぎて実感がなくて。レベッカさんが文句を言ってきた時も困りましたけれど……陛下が護衛をつけるほどの重大なことだったんですね」
「普通に考えれば、歌い手を外されたからと相手に攻撃する方がおかしい。でも、歌い手にとってはもちろん、それを後援する貴族にとってあれほど箔のつく舞台はなかなかない。自分の名誉のためにも譲れなかったんだろう」
トールヴァルドは、そのプライドを利用したわけか。
碌に夜会にも参加していなかったノーラには、建国の舞踏会の歌い手という価値がしっかりと理解できていなかった。
もっと慎重になり、警戒するべきだったのだと後悔する。
だが、それを防ぐためにトールヴァルドはノーラに事情を教えなかったのだから、彼の思惑は成功したということか。
「トールのつけた護衛は、リンデル公爵側に悟られないように、少し距離を取っている。だが、何かあった時に万が一間に合わないと困る。清き歌姫に変な視線を送る奴がいると聞いて、既に送迎は俺とアランになっていた。だから、それを続けて陛下の派遣した護衛と二重体制にした。リンデル公爵は毒を使う可能性が高かったけれど、飲食物は俺が確認するようにしていたからそれも継続した。クランツ領に不当な通行料をかけている件も、証拠を押さえて既にトールに提出してある」
何から何まで手を回す周到さに、ノーラは唖然としてしまう。
軽く『証拠を押さえて』と言っているが、当のクランツ家が手も足も出なかったのに。
これはカルム侯爵家が凄いのか、エリアスが凄いのか。
どちらにしても、恐ろしい。
「リンデル公爵は今まで、王妃候補の家族の男性がレベッカに手を出したように見せかけて追い詰める手口を使っていた。ノーラを潰すのにその手の醜聞を使うだろうとわかっていたから、エンロート公爵の協力を仰いだ。……情けないが、正面切ってリンデル公爵家とやり合うには、うちでは少し弱いからね。方法はあるが、今回はてっとり早くて確実な方法にした。エンロート公爵がノーラを認めていると衆目の前でアピールすれば、ノーラの悪評を消すのにも役立つし」
またさらっと言っているが、公爵家とやり合う方法って何だ。
……いや、やっぱり聞きたくない。
ノーラはしがない貧乏男爵家の娘。
上位貴族のあんなことやこんなことなんて、知らない方が幸せに生きられる気がする。
「それから、舞踏会でも毒を使う可能性はあったから、万が一に備えて解毒剤の用意をしておいた。……でも、マルティナが直接ノーラに接触するとは思わなかった。王妃候補で公爵の妹に目の前でボトルを開けて勧められたら、男爵令嬢のノーラは断れない。衆目があるのに自ら動くとは思わなかった俺のミスだ。ごめん。それにピアノや譜面は、まさか王城のものに手を出すほどリンデル公爵が馬鹿だとは思っていなかった。読みが甘かった」
ピアノや楽譜はレベッカかと思っていたら、リンデル公爵も関与していたのか。
……色々ありすぎて、そろそろノーラの頭も情報で酔いそうだ。
「説明できなかったのは陛下の命令があったから。でも、それを受け入れたのは俺だ。ノーラを危険に晒したのは、俺に責任がある。本当にごめん」
エリアスはそう言うと、ノーラに深く頭を下げた。