人生の戒めです
近付いたこともなかった王城に、着たこともない上質なドレスで、未だに慣れない美青年と共に入る。
既に疲労感が凄い。
これは、いっそアランと一緒の方がいい気がしてきた。
少なくともエリアスによる緊張は、なくなるはずだ。
「アラン様とパートナーを交換するのは、どうでしょうか」
王城に入ってすぐにそう切り出すと、アランとフローラが引きつった顔を見合わせている。
「――駄目。ノーラの恋人は、俺だろう?」
一瞬たりとも検討されることなく、あっさりと却下された。
エリアスは笑顔だったが、何だかちょっと雰囲気が怖いのは気のせいだろうか。
「その方向性は危険よ。やめておいた方がいいわ」
そう言うフローラに押されて、エリアスの横に並ぶ。
仕方がないのでエリアスの腕に手をかけると、灰茶色の美青年が微笑みかけてきた。
「……他の奴に、ノーラは譲らないからね」
一片の曇りもない美しい笑みと共に、何だか冷気を感じるのは気のせいではない。
気圧されてうなずくノーラを見ると、エリアスは満足そうに口元を綻ばせた。
会場である大きな広間は、天井からぶら下がるシャンデリアから床石の模様まで、余すところなく豪華に輝いている。
予想をはるかに上回るそれは、さすが王城と言わざるを得ない。
一応男爵令嬢であるノーラは、もちろん夜会に出たこともある。
あるにはあるがごく数回だし、小規模なもので、しかも大抵は早々に帰宅していた。
そんなノーラからすると、この会場は立っているだけでも体力を奪う恐ろしいものだ。
しかも、会場に入った途端に肌に突き刺さるような視線が降ってきた。
レストランで歌っているので、視線を浴びること自体には慣れている。
だが、好奇心や敵意の強いこの視線は、ノーラにとって馴染みのないものだ。
フローラも同じ男爵令嬢ではあるが、父親の付き合いで夜会にも多く顔を出している。
アランの横に立っていても堂々として美しく、こういう場に慣れているのがよくわかった。
一方のノーラは緊張というか萎縮というか……とにかく、視線の居心地が悪すぎる。
ドレスに問題がないのは間違いないから、ノーラ自身が場違いということだろうか。
あるいは、美貌のエリアスと色が揃っているせいで、更に目立っている可能性がある。
やはり、ここは貧乏男爵令嬢が来るようなところではないのだ。
「歌い終わったら、すぐに帰っても問題ありませんよね?」
縋るような眼差しで聞いてみると、エリアスは困ったように眉を下げた。
「少なくとも、陛下に挨拶をしないと失礼だね。この舞踏会は夜中まで続くし、ノーラの歌はかなり後半だから。しばらくはかかるよ」
「……そうですか」
現実は甘くなかった。
会場の奥の方には国王のためのものと思われる豪華な椅子が見えるが、人影はない。
一体いつ来るのだろう。
それに、トールヴァルドが来たとしても一番に挨拶するわけにはいかないし、歌の出番は遅いとなれば、いつ帰ることができるのかわからない。
気が遠くなりそうだ。
いっそ芋の皮むきでもして、現実逃避してしまいたい。
今なら過去最速でむける自信がある。
「ノーラ、大丈夫?」
すっかり黙ってしまったノーラの顔を、心配そうにエリアスが覗き込む。
「こんなに時間が早く過ぎればいいと思ったのは、初めてです」
ノーラの出番は二回ある。
初めに国の繁栄を願う歌、二回目は自然の恵みを喜ぶ歌だ。
「……出番まで何をしていればいいのでしょうか」
途方に暮れるノーラの手をすくいとると、エリアスがにこりと微笑みかける。
「俺と仲良く過ごしていればいいよ」
まさかのセリフに、思わず眉間に皺が寄る。
今夜もやはり、うんざりするほど顔がいい。
「……こういうのに押されちゃ駄目なんですね、きっと」
「何?」
「人生の戒めです」
ノーラがフローラの教えを噛みしめていると、エリアスのそばに来た使用人が何やら耳打ちする。
「ちょっと、荷物を預けてくるから。待っていてくれる? 何も口にしちゃ駄目だよ。アランとフローラと一緒にいてね。すぐに戻るから」
立ち去るエリアスを見送りつつ、荷物とは何だろうと考える。
上着くらいしか思いつかないが、きっと上位貴族には色々あるのだろう。
ノーラとしては、そんなことよりも重大な問題が目の前に迫っていた。
「……そこに美味しそうな料理があるのに食べられないって、つらいですね」
「本当ね」
よくわからないけれど艶々したお肉や、見たこともない果物に、美しすぎて食べ物に見えないケーキ。
どれ一つとっても、今後のノーラの人生で味わうことがなさそうな食べ物だ。
不本意ながら参加した以上、記念に格が違う食事をしてみたかったのだが。
ちらりとアランを覗いてみるが、首を横に振っている。
やはり、駄目らしい。
「悪いが、俺はそのあたりはさっぱりわからない。大人しくエリアスを待っていてくれ」
どうやら、アランには毒見の嗜みはないらしい。
まあ、それが普通だとは思うが。
「それなんですけれど。何でそこまで警戒しないといけないんですか? 歌い手の座を奪われたと店にまで言いに来たのには、驚きましたけれど。もう当日ですし、ここは王城ですし。問題ないのではありませんか?」
「それならいいけどな」
何やら含みがあるところを見ると、どうやら無関係というわけではないらしい。
「歌い手の人……レベッカさん、でしたか。彼女も来ているんですか?」
「いや。レベッカは身分的には招待されていないだろう。だが、誰かの同伴で紛れ込んでいてもおかしくない」
「警備、甘くないですか?」
招待されていなくても同伴すれば良いだなんて、あまりにも簡単すぎる気がする。
「何年も歌い手だったから、顔が知られているんだ。同伴者が上位貴族なら、問題なく通過するだろうな」
「そういうものなんですか」
だから、彼女を警戒しているのだろうか。
それにしたって、王城の舞踏会の食事に何かできるとは思えないが。
「だから、念の為、だ。悪いな」
「……豪華な料理は気になりますが、お店でご飯食べていた方が美味しいし気楽で、幸せです」
正直な感想を口にすると、アランが笑った。
「そうだな。俺もそう思うよ」





