公爵に嫌われているようです
リンデル公爵邸は広く、豪華な装飾と調度類でクランツ親子を威圧してきた。
差し出された紅茶のカップひとつにしても、繊細で華やかな絵柄と金色のラインが美しい。
下手すればこのティーセットだけでクランツ邸よりも価値があるかもしれない。
そう思うと口をつけるのもためらわれ、ノーラはただじっとカップに描かれた薔薇の花を見つめるばかりだった。
暫く待って姿を現したリンデル公爵は、錆色の髪と飴色の瞳の落ち着いた雰囲気の男性だった。
カルムの双子やトールヴァルドを見てしまったのであれではあるが、なかなかの美丈夫である。
年齢はトールヴァルドより少し上だろうか。
公爵という身分に違わぬ威風堂々とした振舞いに、ノーラは感心しつつ窮屈さも感じていた。
カールとペールは通行料を抑えるようにお願いしているが、暖簾に腕押しと言った様子。
他の領地はそのままなのに、何故クランツ領だけなのか聞いてみても、のらりくらりとかわされる。
ペールに聞いていた通りの対応だが、正直不愉快だ。
せめて明確な原因を教えてもらいたいし、それができないのなら話をしてもいいなんて期待を持たせないでほしい。
いっそ、『機嫌が悪いので八つ当たりします。公爵家は偉いから、逆らうな』ぐらい言ってもらった方が、こちらとしても清々しい。
「……ところで。そちらが噂の『紺碧の歌姫』? 大層な名前がついているからどれほどの美女かと思えば……いや、失礼」
明らかに揶揄する言葉に、ペールの目に苛立ちが見え始める。
勝手に呼んでおいて勝手に幻滅するなと言いたいが、相手は公爵だ。
ノーラはただ穏やかに微笑みを浮かべて聞き流す。
「それにしても。清き歌姫は寄付するお金はあるのに、通行料は払えないなんておかしな話だな」
「清き歌姫など、勝手な噂でしかありませんので。我が家はいわゆる貧乏貴族です」
「噂ね。では、あちらの噂は本当なのかな。寄付したのは汚い手段を使って手に入れたお金だとか、侯爵令息をたぶらかしているとかいう……」
にやにやという形容詞がぴったりの笑顔で、ノーラを見ている。
リンデル公爵に会ったのはこれが初めてだが、彼がノーラのことを嫌っているというのはよくわかった。
「昨日は清いと言って、今日は汚いと言う。噂というものはあてになりませんね」
「どうだろうね」
いよいよペールの眉間の皺が深くなってきたので、少し話を変えた方が良いだろう。
「それで、リンデル公爵閣下。クランツ領だけ通行料が値上げされる理由を、お教え願えませんか? やはり街道整備の問題でしょうか。クランツ領は恥ずかしながら貧しく、通行料の値上げには耐えきれません。どうかもう一度考え直してはいただけませんか」
ノーラはできるだけ穏やかにお願いをしてみるが、リンデル公爵はゆっくりと紅茶を口にした。
「『紺碧の歌姫』は、建国の舞踏会の歌い手に選ばれたそうだね」
突然無関係の話を始めたリンデル公爵は、ノーラに視線を移し、にやりと笑った。
「そういうところは尊敬に値するよ。既に決まっていた歌い手を押しのけてまで、舞踏会に出るというのだから。その度胸には驚く。一体どうやって、そんな機会を得たのだろうね」
一応申し訳程度に褒めているように見えるが、まったく褒めてなどいない。
『図々しいな。どうせ汚い手段で歌い手の座をもぎ取ったんだろう?』
ノーラにはリンデルの心の声がありありと伝わってきた。
ここで感情のままに否定して怒っても、相手は公爵なのだからこちらが失礼をしたことになる。
もしかすると、それを理由に更なる通行料の値上げを迫られるかもしれない。
「……たまたま、縁があっただけです。分不相応であることは承知していますが、選ばれた以上はしっかりと務めるつもりです」
精一杯の返答は、けれどリンデル公爵にあっさりと鼻で笑われた。
「良い心がけだね。せいぜい、頑張ってくれ」
「結局、通行料はそのままだし、嫌味を言われただけでしたね。無駄足です」
公爵家の門を出た瞬間に、ペールが吐き出すように文句を口にする。
「リンデル公爵家は妹が王妃候補の一人ですし、名門ですからお金に困っているはずもないのに。どんなに偉くても、貧乏貴族をいじめるような真似をする人は尊敬できませんね」
ペールは文句を言い続けているが、概ね同じ意見なので誰も止めはしない。
「しかも、姉さんを舐めるように見ていましたよ。不愉快です」
「それは気のせいだと思いますが」
「見ていました」
「はいはい」
不機嫌な弟の背を押して歩きながら、それでも何かが引っかかる。
公爵ともあろう人が、わざわざ嫌味を言うためだけにノーラを同行させるだろうか。
もしかすると、噂を信じて美女がやってくると期待していたのかもしれない。
ペールによるとリンデル公爵は女癖が悪いらしいので、そういう意味で見てみたかったのだろうか。
だとすれば、彼のお眼鏡にかなわなかったのは間違いないので安心だが、結局は通行料の交渉をできなかったのが悔やまれる。
ふと振り返って公爵邸を見てみる。
大きくて立派で、見かけた使用人の数や内装や調度類からしても、困窮しているとは到底思えない。
たぶん、お金を取りたいわけではないのだ。
それはわかるが、貧乏男爵家に嫌がらせをするほど暇そうにも見えない。
「……本当に、何なのでしょうね」
そのまま屋敷を見ていると、窓の一つに人影が見える。
長い金髪と赤いドレスのその影は、すぐに見えなくなってしまった。
公爵夫人か、それともリンデル公爵の女癖の関係者か。
どうでも良くなったノーラは視線を外すと、このままでは借金復活か、とため息をついた。