よろしくされても困ります
後日エリアスに連れられてやって来たのは、かなり高級な仕立て屋だ。
ノーラですら名前を聞いたことのある有名な店は、建物からして上品な雰囲気が違う。
まだ一歩も足を踏み入れていないのに、もう帰りたい。
どんどん気分が落ち込んでくるノーラとは対照的に、エリアスの機嫌は良好だ。
店の奥の応接室のようなところに通されると、ソファーに腰かける。
座面が斜めではないどころか、ふかふかで気持ちが良い。
自宅のソファーと一緒に傾く父を思い出し、何だか面白いような悲しいような複雑な気持ちになった。
生地の見本やドレスの図案を山ほど持ってきた女性店員は、満面の笑みを浮かべている。
侯爵令息のエリアスならば支払いが滞らないだろうから、良い顧客なのだろう。
領地のジュースも、こんな風に貴族の顧客がつくと売り上げが安定するのだが。
葡萄ジュースに思いを馳せて現実逃避していると、店員がノーラに話しかけてきた。
「クランツ様は、どんなドレスをご希望ですか?」
「特に希望はありません。流行りもわかりませんし。……強いて言えば、青い色を取り入れた方がいいのかなと思うくらいで」
「そうだね。ノーラは『紺碧の歌姫』として招かれているから、青系の色を使った方がわかりやすいね」
店員はうなずくと、早速いくつもの生地見本を並べ始める。
エリアスはその中からいくつかをあっという間に選んで、ノーラの前に並べる。
謎の連携により、二択や三択に絞られているので、ノーラも選びやすい。
エリアスの選ぶ生地がことごとく高価な気はするが、もう見ないふりをするしかない。
「ドレスの形はいかがなさいますか?」
「お任せする、というのは……駄目ですか?」
「そうですねえ、クランツ様は舞踏会で歌われるのですよね。どんな雰囲気の歌なのか教えていただけますか?」
確かに、歌の雰囲気とドレスがあまりにも合わないと、おかしなことになる。
なるほど、仕立て屋は着眼点が違う。
生地の値段に戦々恐々しているノーラとは全く違うのだ。
「国の繁栄を願う歌と、自然の恵みに感謝する歌なんですけど……」
自分で言っていても、これではよくわからないだろうなと思う。
「ちょっと歌ってみるので、聞いていただけますか?」
国の繁栄を願う歌は、伴奏ありきなのでここでは歌いにくい。
なので、自然の恵みに感謝する歌を口ずさむ。
優しくて穏やかなこの歌は、歌っていても気分が良かった。
「……こんな感じなのですが」
軽く歌い終えて店員を見ると、ぽかんと口を開けたまま固まっている。
「すみません、急に歌ってしまって」
非常識だと思われただろうか。
ノーラがそう思われるのは構わないが、エリアスまで巻き添えにするのは申し訳ない。
「……とても良い歌ですね。クランツ様の声も優しくて素晴らしいです。――なるほど。この歌に劣らぬドレスをご所望なのですね?」
店員がエリアスを見ると、灰茶色の髪の美青年は笑顔でうなずいた。
「承りました。腕が鳴ります。さあ、クランツ様。まずは採寸させていただきますね」
店員の勢いに押されてそのまま別室に向かうノーラに、エリアスは笑顔で手を振っていた。
別室に入ると、あっという間に脱がされる。
手際の良さにただ驚くばかりのノーラを見て、店員は微笑んだ。
「エリアス坊ちゃんが女性を連れてくるとは思いませんでした」
「坊ちゃん……?」
あまりにも似合わない言葉に思わず眉を顰めるノーラの採寸をしながら、店員は何やら楽しそうだ。
「以前に青いドレスを仕立てたのですが、あれはクランツ様に贈られたのですね?」
「え、ああ。たぶん、そうだと思います」
「当店はカルム侯爵家御用達で、小さい頃からエリアス坊ちゃんとアラン坊ちゃんを見てきました。エリアス坊ちゃんは女性に人気ですけれど、ドレスをプレゼントしたり、ましてこの店に連れてきたことなどありません。クランツ様が初めてなんですよ」
「はい……」
意外と遊んでいなかったという正直な感想は、たぶん言ってはいけないだろうから、心の中にとどめておく。
「困った趣味をお持ちですが、どうぞエリアス坊ちゃんをよろしくお願いします」
それはやはり、毒見のことだろうか。
いや、その前に、よろしくされてしまっても困る。
「いえ、その。今回は私が舞踏会のドレスを用意できないから、エリアス様が助けてくださっただけで。私はただの男爵令嬢ですから……」
「なるほど。あのエリアス坊ちゃんでも攻め落としきれていないとは、手強いですね。ですが、そのくらいの方が坊ちゃんにはちょうどいいのかもしれませんね」
店員は謎の理由で納得していたが、何となく怖くて聞くに聞けなかった。
「私が一緒に、ですか?」
何度目かのリンデル公爵との交渉のために出掛けていたカールとペールが帰宅すると、思わぬ言葉を告げてきた。
まともに交渉の席についてくれなかったリンデル公爵が、ノーラも一緒に来るのなら話を聞いてもいいのだという。
「正直、胡散臭いとしか言えませんけどね」
ペールは不信感をあらわにしているが、他に方法もない。
通行料の値上げ阻止は、クランツ男爵家と領地にとって文字通り死活問題なのだ。
「色んな噂のせいで『紺碧の歌姫』の名前は、良い意味でも悪い意味でも知られたみたいです。単純に興味があるのではありませんか? 何にしても、交渉の可能性があるのなら行きます」
「リンデル公爵は女癖が悪いです。歌い手や絵描きなんかが好みらしいので、姉さんに目を付けたのかもしれません。気を付けてくださいね」
心底嫌そうにペールは言うが、何でそんな話を知っているのだろう。
「蛇の道は蛇と言うでしょう? そっちの道の人に教えてもらいました」
「そっちって。ろくな道じゃありませんよね? ペールは大丈夫なんですか?」
「俺はそういうのに興味ないですよ。ちょっと話を聞いただけです」
そうは言っても、ペールはなかなか整った顔立ちをしている。
本人にその気がなくても何か起こらないとも限らないではないか。
ノーラの心配をよそに、ペールは笑顔を浮かべるだけだった。