嵌められた気がします
思わず立ち上がりそうになるところを、エリアスに止められる。
ここは庶民的なレストランだ。
国王がいるなどと騒ぎになるのは良くないだろう。
「……知らぬこととはいえ、失礼致しました」
浮かせた腰を下ろすと頭を下げ、改めて正面の美青年を見てみる。
この国で一番の権力者なのだから、道理で貫禄があるはずだ。
「そんなに硬くならなくていいよ。ほら、アランが変な態度を取るから、ノーラが萎縮したじゃないか」
「変な態度はエリアスの方ですよ。あいつと同じことを求めないでください」
確かに、偽名とはいえ国王を呼び捨てだし、口調は丁寧だがあくまで普通に接している。
そう頼まれていたとしても、なかなか実行するのは難しい。
主に心理的な要因で。
心を落ち着けようと葡萄ジュースに手を伸ばして、ふと気づく。
嫌な予感に、背筋が寒くなってきた。
「トール様、お尋ねしたいことがあります」
「だから、トールでいいのに。何だい?」
「さっき言っていた、パーティーを開く『うち』というのは、まさか」
「王城だね」
「――辞退させていただきます」
トールヴァルドの言葉に間髪入れずに返答して、頭を下げる。
知らなかったとはいえ、とんでもない話だ。
関わらないに限る。
「それは困るな。俺は君の歌が聞きたいんだ」
呑気なトールヴァルドに、ノーラは焦りと少しの怒りを感じてしまう。
「次の王城で開催される催しと言えば、建国の舞踏会ですよね? あの舞台は歌い手の最高峰の一つ。歌い手は審査を重ねて既に選ばれているはずです。私がお邪魔をするわけにはいきません」
歌を歌う者にとっては憧れの舞台だ。
場所が場所なので、単純に歌の技量だけではなく、身分や容姿も加味される厳しい審査だと聞いたことがある。
ここ数年歌い手に選ばれているのは同じ女性で、それこそ歌も容姿も優れているらしいから、ノーラが割り込むのはお門違いもいいところだ。
「建国の祝いなんだから、国の主がその場に相応しい歌を決めて当然だろう? だから、君にする。『紺碧の歌姫』、君の歌には力がある。それを借りたい」
「そんな」
言い回しこそ依頼に近いが、要は命令だ。
男爵令嬢ごときに異を唱える術はない。
それでも困り果てて黙ったノーラの手に、そっとエリアスの手が重ねられた。
「俺がエスコートするから大丈夫だよ」
「いえ、それはそれで色々と……」
美貌の侯爵令息と一緒にいては、女性達の目が痛そうだ。
歌う前から相当な疲労が予想される。
「何?」
「……何でもありません」
「あら、今日は一人多いのね」
ノーラの横にやって来たフローラは、そっと楽譜を渡してくる。
次に歌う曲だろうから、帰宅したら目を通さなければ。
「君、ピアニストだったよね。うちで開くパーティーでノーラに歌ってもらうんだけど、君がピアノを弾いてくれないかな」
トールの言葉を聞いたフローラが、ノーラに視線を落とす。
「そうなの?」
「……まあ、そうなり……ました」
「ふうん。まあ、ノーラが行くならいいわ。それで、どちらのお宅かしら?」
「王城」
さすがのフローラも一瞬言葉を失う。
表情は驚きというよりも嫌悪に近いものだったが、ノーラをちらりと見て何か納得したらしく、結局は承諾した。
もう断るのは完全に無理だ。
何だか、嵌められた気がする。
釈然としないまま、ノーラは葡萄ジュースを口にした。
「ノーラ、噂を聞いた?」
トールヴァルドの来店から数日後、いつものように楽屋で準備をしながら、フローラが問いかけてきた。
「清き歌姫ですか? そろそろ消えてもいいと思うのですが、しぶといですね」
ノーラに寄付する余剰金などないと、いつになったら気付くのだろう。
噂が下火になって妙な視線を送る人が減らなければ、エリアスによる送迎と飲食物の制限は続く。
楽屋で自由に水を飲めないのは結構不便で、そろそろノーラも嫌になってきたところだ。
「違うわ。どちらかというと、その反対。『紺碧の歌姫』が寄付したのは汚い金だとか、侯爵令息を手玉に取っているとか、そういうやつよ」
フローラに楽譜を返しながら、ノーラはため息をついた。
「勝手に清いと言ったり汚いと言ったり、忙しいですね」
「噂なんて、勝手なものよ。それにしても、何なのかしらね」
ノーラが寄付したのは婚約破棄の慰謝料の残りだが、教会が受け取っている以上は汚いというのもおかしい。
それを言うなら、汚い金を受け取る教会は更に汚いと言うべきだ。
侯爵令息を手玉にというのは、たぶんエリアスのことか、婚約破棄騒動のことだろう。
だが、ノーラはどちらかと言えば巻き込まれた被害者だ。
現在のエリアスが『ノーラに手玉に取られて酷い思いをしています』と訴えているのでなければ、こちらに非があるとは思えない。
「何にしても、無実ですし。気にしないしかありませんね」
「まあ、そうね。それにしても、ノーラは次から次へと、色々あるわね」
「清い、汚いと来ましたから、次は尊いとでも言いだすかもしれませんよ」
ノーラとフローラは顔を見合わせて笑うと、今日の歌の練習を始めた。





