フローラ・コッコの客観
「エリアスとノーラの話、聞いたか?」
フローラを呼び止めたのは、一人で店に来ていたアランだ。
ノーラの歌もない日だし、エリアスもいないので珍しいとは思ったが、そういうことか。
今日のピアノ演奏を終えていたフローラは、アランの向かいに腰を下ろした。
「ようやく、まとまるかな。仮、らしいけど」
アランが口に運んでいるのは、魚の香草焼きだ。
よく食べているのを見かけるので、お気に入りなのだろう。
「甘いわ、アラン様。その後の話を聞いたのかしら」
出番が終わっているので、フローラも果実酒を注文する。
空腹のまま飲んだので、いつもよりもお酒が回るのを感じた。
「エリアス様は仮の恋人になった瞬間から、ノーラにキス攻撃をし続けて。疲れたノーラと交渉の末、口以外に一日三回まで、という約束になったらしいわ」
「……何だ、それは」
思い切り眉を顰めるとフォークを置いて、お酒のグラスを手に取る。
アランが飲んでいるのは、店でも高価な部類のお酒だ。
心の中で毎度ありがとうございますと礼を言いつつ、フローラも果実酒をおかわりした。
「あいつ、みてくれはあれだけど、中身はあれだからな」
この上なく抽象的な表現だが、何となく伝わるものがある。
「あれって何なのかしら。大体わかるけれど」
「わかるのか?」
「躾が行き届いた、見目麗しい猛獣だと思っているわ」
「……大体、当たりだ。その檻と首輪を一気に取り払ったんだから、これでもぬるい方だと思うぞ」
「ノーラにその自覚が薄いけれどね」
「……まあ、あとは責任をもって、飼いならすなり喰われるなりしてくれ」
アランが突き放すように言うのが、少し意外だった。
「あら、それで良いの?」
「どういう意味だ?」
「アラン様はノーラを気に入っていると思っていたわ」
二人の間に割って入ろうとする感じではなさそうだが、それでも好意がある気がしていた。
「ああ、まあ。気に入ってはいる、かな。でも好意とは少し違うというか。好感というか。見ていて面白いというか……いや、何を言わせるんだ」
気まずそうにお酒を飲むと、グラスをテーブルに置く。
「そういうフローラは、どうなんだ?」
「私はエリアス様みたいな美貌の危険物、伴侶にしたくないわ」
「違う、エリアスじゃなくて。縁談の一つくらいあるだろう? 年頃なんだから。ノーラのことを気にしている場合なのか」
暗に売れ残っても知らないぞと言われた気がして、少しばかりむっとする。
「まあ、なくはないけれど」
すると、アランが興味深そうに視線で続きを促してきた。
話す必要があるとも思えないが、言わない理由も思い当たらない。
仕方ないな、とため息をついた。
「こう言ったら何だけど。うちは男爵家ではあるけれど、お金はそこそこあるの。なので、爵位狙いの平民から、お金狙いの下位貴族まで目白押しよ。私自身も、まあそれなりに見られる容姿で、何より良い年頃だしね」
「……自分で言うか」
「客観的に物事を見ることが出来なければ経営は難しい、と教わっているの」
アランは納得したらしく、なるほどと呟いている。
「それなら、客観的に良い物件を探せるだろう。ノーラにもその目線があれば、話が早いんだがな」
それはつまり、客観的にエリアスは好物件だと言っていることになる。
何だかんだ言って、アランはエリアスのことが好きなのだろう。
だからこそ、コンプレックスがこじれたのかもしれない。
「ノーラの家は財政的に色々あるけれど。あれはあれでたくましい精神が養われていて、好きよ。柑橘類を買い込んで、ジュースとジャムを山ほど作って売るあの技術と手腕。そこらの貴族令嬢にはないもの。あと、歌もね」
「歌はともかく、貴族令嬢にその技術は必要ないだろう」
「何でも、できないよりはできた方が良いわ。そう言うアラン様はどうなの。跡継ぎ問題はまだ白紙なのよね。そちらこそ、縁談が凄そうだわ」
何せ、国でも上から数えた方が早い名門カルム侯爵家の令息。
その上、かなりの美貌の持ち主で、お年頃。
御令嬢とその親が熱い視線を送っているのは、間違いない。
婚約破棄騒動で多少悪い噂が出たかもしれないが、利点の方が大きすぎて問題視されていないのをフローラも知っている。
「白紙ではあるが、俺はエリアスで良いと思っている。というか、エリアスが適任すぎる。縁談はあるにはあるが……しばらくは、そういう話はいらない」
「ソフィアの傷が癒えない?」
アランが次期侯爵だから声をかけたソフィアのように、爵位目当ての女性が近付いてくるのは、気持ちの良いものではないだろう。
すると、アランは苦笑しながら首を振った。
「そうじゃないが、爵位を継ぐと思っているからこその縁談だろう。期待には応えられないな」
どうやら、アランの中で次期侯爵はエリアス一択のようだった。
「アラン様は一生独身で、エリアス様に養われるつもりなの?」
「そんな馬鹿なことがあるか。領地の経営の方は俺も手伝っているからな。そっちに本腰を入れることになるだろうよ」
ソフィアにうつつを抜かして、公衆の面前で婚約破棄を宣言していた印象が強いが。
そう言えばアランも美貌の双子の片割れで、名門カルム侯爵家の子息だ。
エリアスが優秀過ぎてひねくれたとはいえ、そもそものスペックは悪くないのだろう。
経営にも理解と経験がある、名門貴族の子息で、跡継ぎではなく、ついでに顔が良い。
こうしてみると、アランはフローラ的にはかなりの好物件ということになる。
そう気付いて、慌てて打ち消すように首を振る。
アランはソフィアに手玉に取られるような男だ。
悪い人間ではなさそうだが、ちょっと頼りない。
それから、今は落ち着いているが、エリアスへのコンプレックスもだいぶ面倒くさい。
さすがに身分が高すぎるし、そもそもフローラのことを女性と認識しているかも怪しい。
その前に、フローラ自身がアランを男性として認識していない。
いくら条件が良いとはいえ、多少なりは好意がないとやっていられない。
頭を冷まそうとグラスに手を伸ばすと、うっかり倒してしまう。
床に落ちたグラスが、割れて飛び散る。
お酒がほとんど入っていなかったのが、せめてもの救いだ。
欠片を拾おうと手を伸ばすと、横から伸びた手に握りしめられる。
何だろうと見てみれば、目の前にアランの険しい顔があった。
間近に見た檸檬色の瞳は、透き通るように美しい。
「――ピアニストが、割れたガラスを触るな。怪我するだろう」
そう言うと、アランが欠片を拾い始める。
すぐに店員も手伝いに来たおかげで、あっという間に片付いた。
「大丈夫だった? フローラちゃん」
騒ぎを聞きつけたらしい店長が、慌ててやってくる。
フローラはピアニストとしてこの店にいるが、同時にオーナーであるコッコ男爵の娘だ。
店長からすれば従業員であり、同時に経営者側の人間ということだ。
無用な心配をかけてはいけない。
「大丈夫。うっかりグラスを割ってしまったの。弁償するから、後でお代を教えて?」
「そんなもの、いらないよ。怪我がなくて良かった。顔が赤いけれど、だいぶ飲んだのかい? 珍しいね」
「そうね、ちょっと飲み過ぎたのかも。風に当たってくるわ」
そう言って席を立つと、そのまま裏口を出る。
扉にもたれると、大きく息を吐いた。
ノーラがエリアスのことを『顔が良い』と言っていた意味がわかった。
本当に、顔が良い。
今まではまったく気にしていなかったが、近くで見ると暴力的に顔が良い。
気が付くと、アランが握った手を自分の手で包み込んでいて、慌てて手を放す。
……客観的に考えよう。
ピアニストの指を心配してくれただけだ。
紳士の対応だ。
――だから、何でもない。
そうは思うのだが、頬の熱はなかなか引かなかった。





