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ノーラ・クランツの鼓動

「あの、手を繋ぐ必要はあるんですか?」

「つまずいて転んだら、危ないよ」

 そうは言っても、湖の周りの遊歩道は綺麗に整備されていて、とてもつまずくとは思えない。


「大丈夫だと思いますが」

「俺が心配だから。それに、恋人同士なんだから、手くらい繋いでも良いだろう?」

 反論の余地を潰されたノーラは、大人しくエリアスに手を引かれて歩く。


 視界の隅で、憎らしいくらい長い脚が規則正しく動いている。

 これだけ脚が長いのだから、当然ノーラとは歩幅がまったく違うはずだ。

 それなのにこちらが疲れない速度で歩いているのだから、エリアスが合わせてくれているのだろう。


 こういうことをあの美貌でしれっとこなすのだから、レストランの女性店員がざわめくのも当然だ。


「恐ろしいです……」

「何?」

「いえ、何でもありません」

 うっかり声に出た本音に、慌てて首を振る。



「お腹が空くと思って、一応軽食を用意したんだ」

 湖のほとりを暫し散歩すると馬車のそばに戻り、湖畔のベンチに腰掛ける。

 水面を渡る風が心地良かった。


「干し葡萄が入ったパンと、林檎。後は葡萄ジュースだけど、食べられそう?」

「はい。わざわざありがとうございます」

 どんな豪華な食べ物が出てくるのかと怖かったが、バスケットの中身は至って普通だ。

 安心してパンを頬張ると、干し葡萄の甘みが口に広がった。


「美味しいです、このパン」

 やはり、侯爵家ともなると葡萄パン一つとっても、格が違うのかもしれない。

 パンはふわふわで、葡萄は干してあるとは思えない瑞々しさを感じる。


 クランツ家で出てくる葡萄パンは、全体的に硬めで噛み応えがある。

 だが、あれはあれで美味しいので好きだ。

 咀嚼しながら考えていると、ふとエリアスの視線を感じる。


「どうかしましたか?」

「いや。美味しそうに食べるな、と思って」

「美味しいですよ?」

「うん、そうだね。ノーラはつまらない嘘をつかないから、見ていて安心するよ」


「嘘、ですか?」

 美味しいパンを食べて、美味しくないという人がいるのだろうか。

 よくわからないが、それは随分と面倒な人生だ。


「君の歌と一緒だ。穏やかで、落ち着く」

 そう言って、エリアスも葡萄パンを口にする。

 ただパンを食べているだけなのに、一幅の絵のような美しさがあった。



「……エリアス様は、疲れているのですか?」

 ふと尋ねてみると、エリアスは虚を突かれたように驚いた顔をして、次いで苦笑した。

「……そうだね。でも、ノーラがいるから大丈夫」


 大丈夫と言われても、何もしていないのだが。

 どういう意味なのか考えていると、エリアスがじっとこちらを見ている。


「な、何でしょうか」

「パンくずが付いているよ。取ってあげる」

 ノーラが返答する間もなく、口のそばにキスをされる。


「く、口は駄目って言いました!」

「口じゃないよ。パンくずを取っただけだよ」

「手で取れます!」

「それじゃ、手にするよ」


 そう言うと、ノーラの頬に手を添えて、じっと見つめてきた。

 空色の瞳にとらえられて、何とも恥ずかしくて居心地が悪くなる。


「そうじゃありません。自分で取れます!」

 エリアスの手を払うが、ぬくもりが残っているのか、頬が熱い。

「それは、残念」

「……二回、終わりましたからね」

 笑顔のエリアスに釘を刺そうと、非難の眼差しを送る。


「そうだね。あと一回あるね」

「そういうつもりでは……」

 ノーラとしては、もう終わりだぞ、という意味で言った。

 なのに、その言い方では最後の一回を待っているみたいではないか。

 どうにも腑に落ちず、ノーラは眉根を寄せた。




「……ちょっと、待っていてくれる?」

 エリアスはそう言うと、ベンチから立ち上がり馬車に戻っていく。


『それ、指輪じゃないの? プロポーズでしょう』


 エリアスの後ろ姿を見て、ノーラの脳裏にフローラの言葉がよみがえる。

 本当に指輪とプロポーズだったら、どうしよう。

 だが、断ろうではなくて、どうしようになっている。

 これは、以前よりもエリアスを受け入れている、ということなのかもしれない。



 すると、青い薔薇の花束を抱えたエリアスが戻ってきた。

 薔薇の良い香りが、風に乗ってノーラにも届く。


「もしかして、受け取ってほしいものって、これですか?」

「そう。以前も渡そうとしたけど、断られただろう?」


 以前というのは、婚約破棄騒動の翌日にエリアスが訪ねてきた時だ。

 あの時は婚約破棄からの婚約申し込みをする、質の悪い不審者という認識だったので、花束を受け取らなかった。


「青い薔薇の花言葉、知っているよね?」

 ノーラはうなずく。

 店長に教えられた花言葉は二つ。


 一つは、不可能を可能にする。

 もう一つは、ひとめぼれだ。



「俺はノーラに二度、ひとめぼれをしている。その気持ちを、ちゃんと伝えたくて。……今度は、受け取ってくれる?」

「……はい」


 一応、仮とはいえ恋人なわけだし、今回は不審者ではない。

 なので、受け取っても問題はないだろう。


 ノーラは花束を受け取ると、深呼吸してバラの香りを吸い込んだ。

 良い香りに包まれると、何だか幸せな気持ちになれるから不思議だ。

 すると、エリアスが何やら口元を押さえている。



「どうかしましたか?」

「……いや。素直に受け取ってもらえるとは思っていなくて」

 そう言うエリアスの顔は、心なしか赤い。

 どうやら、照れているらしい。


 自分は散々、あれこれ攻撃してきたくせに、こんなところに弱点があったとは。

 少し可愛いなと思ってしまい、思わず笑みがこぼれる。

 すると、エリアスが手を伸ばしてきたと思う間もなく、頬に口づけられた。


「……そんな顔をされると、我慢できない」

 耳元でそっと囁かれ、危うく悲鳴を上げるところだった。

 慌てて距離を取り耳を押さえるノーラを見て、エリアスが目を細める。


「受け取ってもらえるよう、色々考えていたんだけど。……こんなことなら、花束に指輪を仕込んでおくんだったな」

 そう言って、眩い笑顔を向けてきた。


 ――前言撤回だ、可愛くなんてない。


 色々って、何だ。

 エリアスは、やはりエリアスだ。

 油断ならない。


 ノーラは早鐘を打つ鼓動を鎮めようと、花束に顔をうずめた。

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