表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/147

ヴィオラ・エンロートの戦慄

「ヴィオラ嬢、話があるんだけど。いいかな」


 背後からかけられたその声に、胸が震えるのがわかった。

 ヴィオラは今夜のエンロート公爵家主催の夜会に、エリアス・カルム侯爵令息を招待している。

 その彼が、会いに来てくれたのだ。




 エリアスに恋して婚約の打診をし、両親の介入で双子の弟が相手に変わった時には、絶望した。

 何より、エリアスに意中の女性がいると言われて、怒りでおかしくなりそうだった。

 エリアスが婚約の書類を提出したと聞いたヴィオラは、その曲筆を指示した。


 ノーラ・クランツとかいう女性は、アラン・カルムと婚約する。

 これでエンロートとの縁談はエリアスが相手になる。

 そう思って安心したのに、両親が早々に破談にしていたために、結局それはかなわなかった。


 だが、決して諦めたわけではない。

 エリアスの出席しそうな夜会にはすべて参加し、声をかけ続けた。

 話が弾んだとは言えない有様ではあったが、ダンスを踊ったことだってある。


 ノーラとかいう女性のことは、もう忘れたのだろう。

 これから時間をかけてアピールすれば良い。


 そう思っていたヴィオラは、とある夜会でのカルムの双子の騒動を耳にして、久しぶりに怒りが湧いた。



 ノーラとかいう女は、どこまでもヴィオラの邪魔をする。

 アランとの婚約も解消されてしまい、一層邪魔な存在だ。


 レストランで歌っているというので様子を探っていたが、ある時からカルムの双子が揃って来店するようになったという。

 毎回一緒に食事までしているという報告には、地団駄を踏んだ。


 邪魔をしようと下剤を盛るよう指示したが、成果は上がらず。

 それどころか、エリアスがノーラの送迎までしていると知った時、憎悪と嫉妬は限界を超えた。


 夜会でエリアスにひとめぼれしたと伝えたのに、まったく取り合ってもらえなかったこともあり、自制する心はどこかに飛んでしまっていた。



 用意させた毒は、粘膜が炎症を起こすもの。

 一緒にガラスの欠片も入れさせたので、のどは確実に痛めつけられるはず。

 しばらくは歌えないだろうし、上手くすれば声を失うかもしれない。


『紺碧の歌姫』などという分不相応な呼び名まであるようだが、歌えなければ意味がない。


 毒は飲ませたと報告があったし、昨日はノーラの歌が中止になったと聞いている。

 思った通りの成果に、胸が弾んだ。


 歌を聴きにレストランに行かなくなれば、その分夜会に出ることも多くなるだろう。

 そう思って、エンロート公爵家主催の夜会の招待状を送ったのだ。




 今までの努力が、ようやく報われる。

 逸る心を押さえて振り返り、エリアスの姿を見つけると思わず顔が綻んだ。

 次いで、エリアスと腕を組んだ女性を見つけて、一気に険しい表情になる。


 青みがかった黒髪が美しいその女性は、たぶん憎きノーラ・クランツだ。

 報告では髪は美しいが十人並みの容姿とあったが、これはどうだ。

 美少女のヴィオラの足元にも及ばないとはいえ、それなりに見られる姿ではないか。


 ノーラの監視役に雇った人間は、下剤一つまともに盛れない役立たずだと聞いたが、こうなると報告自体も信憑性が低いのではないか。

 唯一の功績は、例の毒をちゃんと飲ませたことくらいだ。


 あれを飲んだなら、少なくとも数日は歌うことなどできないと聞いている。

 報告から二日しか経っていないのだから、恐らく喋るのも苦痛だろう。

 何故ここにいるのかはわからないが、少なくともエリアスとの話に口をはさむことはない。

 そう思えば、少しは心が落ち着いた。



「……()()()()()、こちらにどうぞ」


 花のようと形容される笑みで、エリアスを案内する。

 だが、ノーラは共についてくる。


 ヴィオラはちらちらと振り返っては睨んだが、それでもエリアスと腕を組んだまま。

 つまづいて転びそうになるノーラをエリアスが抱きしめるように支えた時には、危うく悲鳴が出そうだった。

 そうして庭までついてきたノーラに、ついに我慢ができなくなった。



「お話の前に、その人は誰?」

 庭に到着するなり、エリアスの隣を指差す。


「俺の婚約者だったはずの人だよ。……それは、君が良く知っているんじゃないかな」

 そう言ってノーラの肩を抱き寄せるので、ヴィオラは思わず拳を握りしめた。

「何を言っているのか、わからないわ。つまり、何の関係もない人よね?」


 エリアスが婚約の書類を調べているという噂は、耳にしている。

 だが、書き換えた役人が公爵家の指示を漏らすわけがない。

 きっと、揺さぶりをかけているのだ。


 疑われているというのは悲しかったが、絶対に発覚しないのだから、このまま知らぬ存ぜぬで貫き通せば良い。

 視線を逸らすことなく堂々としたヴィオラを見て、エリアスはため息をついた。


「まずは、座ろうか」




「ノーラは飲まない方が良いね」

 何故かノーラまで同席していることにいら立っていたが、紅茶を前にしたエリアスの言葉に視界が明るくなる思いがした。


 やはり、ノーラはあの毒を飲んだのだ。

 数日は炎症が収まらないだろうから、熱い紅茶など飲めるはずもない。

 それに、さっきからノーラは一言も話さない。

 きっと、歌どころか声を出すのもつらいのだろう。


 だったら家にでもいれば良いのに、エリアスについてくるのだから、図々しい女だ。

 ノーラの存在に苛立ちはしたものの、憎い相手の声を奪ってやったことで、少しだけ溜飲が下がった。



「あら。この紅茶は隣国から取り寄せた一級品よ。せっかくだから楽しんでもらいたいわ」


 おまえのような身分では、決して口にできないだろう。

 荒れた喉では、紅茶を飲むこともできないだろう。


 我ながら意地が悪いとは思う。

 だが、エリアスの隣に座るノーラを見ていると、むくむくと攻撃的な気持ちが湧いてくる。

 これもきっと、嫉妬なのだろう。

 こんな十人並みの、身分の低い女性に嫉妬するということ自体、耐えがたい苦痛だった。



「ノーラはのどの調子が、ね」

 エリアスはそう言って、ノーラの頬から鎖骨にかけて指でなぞるように撫でた。


 その仕草の色っぽさに、思わず息を呑む。

 ノーラも驚愕の表情でエリアスを見ているところからすると、普段からこんなことをしているわけではなさそうだ。

 それでも、十分にヴィオラの心は乱れた。


「俺が代わりに飲むよ」

 庇うように紅茶に口をつける。

 ノーラを苛んだはずなのに、何だかヴィオラの方が被害が大きいのは気のせいだろうか。


 ……やはり、この女性は邪魔だ。

 声を奪うだけの毒なんて、生ぬるかったのかもしれない。

 知らず、ノーラに厳しい視線を送っていると、エリアスが苦笑する。

 その微笑みに、ヴィオラの心はあっという間に浮き立った。




「始めに、言い訳くらいは聞いてあげても良いよ」


「……え?」


 何を言われたのか、すぐに理解できない。

 言い訳とは、何だろうか。



「書類の改ざんに、ノーラへの毒物。どちらも許す気はないが、聞くだけは聞こう。……どうぞ」



 ――エリアスは、知っている。



 全身の肌が逆立つのを感じる。

 そんな馬鹿なことはないと思う一方、間違いなく知っているのだろうという確信めいたものがあった。

 だが、認めるわけにはいかない。


「何のことか、わからないわ」

「そう」


 つまらなそうにそう言うと、エリアスは極上の笑みを浮かべた。



「陛下へ提出する書類の改ざんは、陛下への虚偽の申告と同義だ。たとえ公爵家といえども、見逃すわけにはいかない」

「ま、待って。私には何のことだか……」

「実際に書類を書き換えた役人の証言で、エンロート公爵家の名があがっている」


 あの役人、公爵家を売ったのか。

 よくもふざけた真似をしてくれたものだ。

 カルム侯爵家とエンロート公爵家のどちらが格上かなど、言うまでもないというのに。


「公爵自身は関与を否定しているし、君が指示した可能性を示唆している。……実際、君以外にそれを指示できるような人間はいないんだよ」


 まさか、父親までもエリアスの味方だとは。

 ヴィオラを王族に嫁がせたい父にとっては、ちょうど良いのかもしれないが、酷い話だ。


「私は関係ないわ。それに、国王陛下に提出した書類を調べるなんて、エリアス様にはできないでしょう? 勝手な想像でものを言わないで」



「……俺が調べたなんて、いつ言った?」

「――え?」


 エリアスは変わらず微笑んでいる。

 それは、決して親しみを向けたものではない。

 まるで、ヴィオラを嘲笑うかのような微笑みだ。


「国王陛下御自ら提出書類をお調べになった結果、改ざんを確認されておいでになる。陛下は大変にご立腹だ。エンロート公爵も、娘の短慮を許すわけにはいかないだろう」


「へ、陛下自ら……?」

 そんな馬鹿なことがあるものか。

 一貴族の婚約の書類のために、わざわざ調査をしたというのか。


 ――何故。

 何のために。



「そう。健全で正当な友情の上で、手助けをしてくださったよ。……持つべきものは、()()()()()だね」

「……ま、まさか」


「それに、ノーラに毒を飲ませようとしたことにも、怒っていたよ。()は『紺碧の歌姫』のファンでね。そもそも俺をあの店に連れて行ったのも、()なんだ」

「う、嘘でしょ」


 例の店は、平民が利用する格式の低いレストランだと聞いている。

 そんなところに何故侯爵令息が通っているのかと疑問だったが。

 まさか、国王に同行していたというのか。



 国王がノーラのファンだというのなら。

 ノーラが歌えないと知ったら。

 それがヴィオラのせいだと知ったら。


 背を汗がつたうのがわかった。



「さて。もう一度聞くよ。――言い訳は、あるかい?」



 ずっと、エリアスが好きで、その笑顔が好きだった。

 だが、この時。


 ヴィオラは初めて、エリアスの笑顔に恐怖を感じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ