エリアス・カルムの誤算
「……あれで、本当に飲んだと報告するか?」
アランは男が飛び出した扉を、腕組みして眺めている。
「飲ませなければ危ういのは自分だ。飲ませたと言わざるを得ないだろう」
「俺達のことを報告されたら?」
「俺達に邪魔をされたと言えば、エンロートの名をばらしたとみなされかねない。自分で自分の首を絞めるとも思えない」
「……あの、結局どういうことなんでしょう。私が、何か恨まれているということですか?」
青みがかった黒髪の少女が不安そうに問いかけてくる。
ノーラが『葡萄ジュースとケチャップを吐き出す』という指示に協力してくれたおかげで、犯人をあぶり出すことができた。
だが、詳しい理由は時間がなくてまだ伝えられていない。
自分に対して毒を盛ろうとしている人がいるなんて、普通は怖くなるだろう。
「そうだね。ノーラにも、ちゃんと説明をしないと」
「何をですか?」
「ノーラとアランが婚約することになった、原因だよ」
「……それじゃ、そのエンロート公爵家が、提出された書類の名前を書き換えたんですか?」
「今回の騒動の一番の原因は、婚約書類の名前が違ったことだ」
おかげでノーラとアランが婚約してしまい、雪だるま式にややこしい事態が重なっていったのだ。
「最初に王城に問いただした時には、わからないの一点張りだったし、俺が間違っていたんじゃないかとも言われた。だが、それは絶対にない」
エリアスが、ノーラと婚約するための書類を間違えるはずがない。
それも、自分以外とノーラを婚約させるなど、絶対にありえないことだ。
「そもそも、王城では書類の審査をするのであって、文字を記入することはない。だが、伝手を使って確認した提出書類の字は、俺のものじゃなかった」
「王城に提出した書類を取り出せるその伝手、怖いんですけど」
「やめておけ、ノーラ。こいつの交友関係は、俺だって怖いから聞きたくない」
「実に健全で正当な、友情によるものだよ。大丈夫だ」
怯える二人を安心させようと説明すると、「それが怖いんだよ」とアランが呟いている。
「あの書類はカルム侯爵家から王城に提出されて、陛下の裁可を待つものだ。普通に考えて、ただの役人が酔狂で書き換えるとは思えない。誰かの指示があったと考えるのが自然だ」
指示があったとしても、発覚すれば首が飛びかねない。
それでも実行したのだから、余程の利益か圧力があったのだろう。
「それが、エンロート公爵家ですか? でも、何故でしょう」
「……以前に、縁談があってね」
「縁談? エリアス様にですか?」
少しは反応があるだろうかと期待して見てみるが、ノーラの表情は特に変わらない。
わかっていたとはいえ、思わずため息が出る。
ノーラに好意を伝えてそれなりの時間が経ったが、未だに『お友達』の範疇だ。
それはそれで楽しいのだが、やはりもう少しエリアスのことを気にしてほしい。
「もしかして、アラン様が言っていた『どっちでも良い』という話ですか? 破談になったという……」
「何だ。知っていたんだね」
「確か、縁談の相手になると爵位を継ぐことになるから、アラン様が跡継ぎに変更されたんですよね?」
「そう。その相手がエンロート公爵令嬢、ヴィオラ・エンロートだよ」
********
「――綺麗だよ、ノーラ。とても似合っている」
扉を開けて姿を見せたノーラは、普段とは別人のように飾り立てられていた。
艶やかな髪は結い上げて真珠を散りばめてあり、青みがかった黒髪に良く映えている。
濃い青から黒のグラデーションが美しいドレスは、余計な装飾を控えていて品がある。
靴も手袋も同じく濃い青、首元には真珠と、色使いはシンプルだが統一感があり、ノーラに良く似合っていた。
更に、化粧もいつもとは違うらしく、女性らしさが増しているように感じる。
潤んだ瞳と唇に、エリアスも心が落ち着かない。
「女はドレスと化粧で化けるものだな」
色々難儀なアランも、一応は素直に感心しているらしい。
「ノーラは絶対磨けば光るって思ってたのよ。素敵なドレスをありがとう、エリアス様。もう、大満足の仕上がりよ」
支度を手伝っていたフローラが興奮気味に報告しており、髪型や化粧のポイントをアランに説明している。
だが、ノーラの表情は見事に曇っている。
「……何で、私がこんな格好をしないといけないんですか」
不満そうなノーラも可愛いが、それを言うとこじれそうなのでやめておく。
「大体、このドレスは何ですか」
「協力してもらう報酬ということで」
「いりません」
「そう言うと思って、バイトでも使えるように青にしたんだよ。『紺碧の歌姫』にぴったりだろう?」
「……もったいない攻撃といい、そういう知恵ばかりつけますよね」
ノーラはため息をつくと、エリアスの隣に並んで腕を組んだ。
そうやって移動する段取りではあったが、ノーラの方から腕を組まれるとは思わなかった。
嬉しい誤算に、エリアスの顔が綻ぶ。
「報酬分は働きますよ」
「それは頼もしいね」
笑顔をかわすと、馬車に乗り込む。
行き先は、エンロート公爵家主催の夜会。
今までのツケを支払わせる時が、ようやく来たのだ。