もう逃がさない
「万が一にも改ざんされないように、直接陛下に提出して、一筆貰った」
「それ、職権乱用ですよ」
「嫌だな。健全な友情によるものだよ。それに、陛下としては将来の宰相を確保する重要書類だから、優先するのは当然だって言っていたし」
「全然、友情じゃありませんよね」
それはつまり、エリアスを将来の宰相にするためにノーラとの結婚を利用したということだ。
そういう話は聞いていたし、別に構わないのだが、ほんの少しだけ釈然としない。
「結婚するのはいいのですが、私にも一言あって良かったのでは?」
「それは、ごめん。思いの外、陛下が早くサインしてくれたのもあるし、さっさとノーラを囲い込みたかったのもあるな」
「全然謝っていないどころか、さらりと恐ろしいことを言いましたよね」
本当に、時々こうしてストーカー的なことを言うのは、何とかならないものだろうか。
顔がいいぶんだけ割り増しで怖いので、どうにかしてほしい。
「……ということは、もう結婚しているということでしょうか」
「結婚式はまだだし、一緒に住むのはその後だけれど。書類上は、もう夫婦だね」
「そ、そうですか」
そう言われると意識してしまい、何だかエリアスの顔を見るのも恥ずかしい気がしてきた。
「だから、もういつでも減り張り目的じゃなくても揉めるよ」
「……は?」
耳が幸せな麗しい声がおかしな言葉を紡いだので見上げてみると、空色の瞳が楽しげに細められている。
減り張り目的で揉むというのは、胸のことで。
それ以外でも揉めるということは、やはり胸のことだろう。
それはつまり、エリアスがノーラの胸を揉むということだ。
「――何故、そんなことに⁉ いいです、結構です!」
大体、その件はもう揉まないということで話がついたはずではないか。
……いや、エリアスはあの時『減り張り目的では揉まない』と言った。
だから、それ以外は揉まない約束などしていないのだ。
何という恐ろしい罠。
さすがはエリアス、油断ならない男。
衝撃を超えて感心していると、エリアスが少しだけ困ったように笑う。
「まあ、けじめだからね。ちゃんと結婚式を終えて一緒に住んでからね。そうしたら、もう我慢はしないよ」
まさかの堂々とした宣言に、ノーラも返す言葉がない。
「ノーラのことが好きだからね。全部欲しいと思うのは、当然だろう?」
この世の美を集約したような眩い笑みで『当然だろう』と言われてしまえば、何だかそんな気もしてくるのだから、恐ろしい。
「顔がいいです……怖いです……」
俯いて手で顔を覆っていると、その手を優しくすくい取られる。
仕方がないので顔を上げれば、そこには当然麗しい顔があり、微笑みと共にノーラの手に唇が落とされた。
「少し早いけれど、誓うよ。生涯、ノーラだけを愛する。大切にする」
「はあ、どうも。ありがとうございます」
本来ならば恥じらい大爆発の事件のはずだが、色々な衝撃のせいで事務的な返答しかできない。
「ノーラからも、返事をくれる?」
可愛らしく首を傾げるエリアスを見ていたら、何だか少し悔しくなってきた。
その時、ノーラの脳内に『言葉よりも行動が欲しい時もある』というアランの言葉が浮かんだ。
どうせ何を言っても、エリアスの顔がいい攻撃には負けるのだ。
少し違う方向で攻めてみるのもいいかもしれない。
エリアスは、ノーラを生涯愛すると言ってくれた。
その返事に相当する行動となると……。
「エリアス様」
「うん?」
返事をするエリアスの顔を両手で挟み込んで引き寄せると、そのまま唇を重ねる。
一瞬とはいえ、自分からキスするのは初めてだ。
少しドキドキしながら、それを隠すようにエリアスをじっと見つめる。
「以前に、『言葉よりも行動が欲しい時もある』と言う言葉を聞いたもので、行動してみました。……嫌でしたか?」
瞳を見開いたまま動かなくなってしまったので心配になり尋ねてみると、エリアスは勢いよく首を振った。
「いや、そうじゃない。嫌とかじゃなくて」
「ああ、恥じらいですね。……忘れていました」
自分から婚約者にキスするなんて、恥じらいの欠片も存在しない。
せめて照れながらするべきだったか……いや、どちらにしても変わらないか。
本当に、ノーラに恥じらいは向いていない。
がっくりと肩を落とすと、何故かエリアスも同様に肩を落としていた。
「もう。ノーラは本当に、何なの。俺の間が悪いの?」
「あの。嫌だったのなら、言葉でやり直しをすればいいでしょうか」
「……何て言うつもり?」
少し赤みを帯びた顔でエリアスに尋ねられ、ノーラは暫し考える。
「ええと。よろしくお願いします、でしょうか」
それを聞いたエリアスは、深いため息をついた。
「それは、確かに行動の方がいいな」
そう言うが早いか、ノーラの頬に手を滑り込ませ、唇を重ねる。
「言葉なら、『好き』とかにして」
「わかりました。好きです、エリアス様」
すぐに返答すると、エリアスががっくりとうなだれてしまった。
「ああ、もう、本当に……ノーラには、かなわない。さっきまで照れていたくせに、急に男前なんだから」
「エリアス様の方が、格好いいですよ?」
まさかの言葉を訂正すると、ゆっくりとエリアスが顔を上げた。
「そんなことないよ。俺は初めて出会った時から、ずっとノーラの虜だ。……もう、逃がさない」
空色の瞳にノーラが映り、その手が頬を撫でる。
あまりの麗しさに、人以外の何かなのではと疑いたくなるほどだ。
「エリアス様が言うと、何だか怖いのですが」
「嫌?」
反対の手はノーラの腰に回され、エリアスに引き寄せられる。
吐息がかかるほどの至近距離に麗しい顔があり、眩いそれに呼吸が苦しくなりそうだ。
「……そうでもないので、困ります」
ノーラが渋々答えると、空色の瞳が優しく細められる。
「ありがとう、ノーラ。――愛しているよ」
「はい。私もです」
ゆっくりとうなずくノーラに、エリアスの唇が降り注いだ。
これで、「そも婚」婚約者編は完結です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
明日からは「虐げられた苺姫は聖女のループに苺で抗う 〜たぶん悪役令嬢の私、超塩対応の婚約者に溺愛されてる場合じゃない〜」(略称・苺姫)の連載を開始します。
夜の活動報告で、あらすじとお話の名刺を公開します。
新連載も、どうぞよろしくお願いいたします。
第8回ネット小説大賞を受賞作
「婚約破棄されたが、そもそも婚約した覚えはない」(略称・「そも婚」)
宝島社より紙書籍&電子書籍、好評発売中!
(活動報告にて各種情報、公式ページご紹介中)