ほぼ、鍬でした
フーゴの足にナイフのようなものが刺さっていると気付くと同時に、アランが剣を弾いて男性と距離を取る。
男性はすぐに剣を抜くが、アランは丸腰だ。
ノーラは今までずっと肩に担いでいた鍬の柄に手をかけた。
「アラン様!」
ノーラが放り投げた鍬を受け取ったアランは、間一髪で男性が振りかぶった剣を弾き返す。
美貌の令息が鍬を構える様に、似合わないだろうと思っていた少し前の自分を嗜めてやりたくなった。
麗しの侯爵令息は、鍬を掲げても麗しい。
当然と言えば当然の結果だが、今はそれに感心している場合ではなかった。
「おまえ、こんな重くてバランスが悪いものを、よく振り回せたな!」
「腰の入れ方です、慣れです!」
男性に鍬で対抗するアランにあまり役に立たない激励のアドバイスを送っていると、いつの間にか背後にいたらしい人影がぎゅっとノーラを抱きしめた。
「遅くなって、ごめんね」
その声とぬくもりとふわりと鼻をくすぐる香りに安心し、匂いでエリアスを判別できるなんてどんな変態だと少しばかり自分が悲しくなった。
「ちょっと面倒なのに絡まれてさ」
「エリアス様に面倒と言われるなんて、どれだけ面倒なのですか」
エリアスは腕を緩めると空色の瞳を細めて、ノーラの頭を撫でる。
そしてうずくまって呻くフーゴを見たが、笑みはそのままに、その瞳には優しさが消えていた。
「あなたがエリアス・カルムですか。……紛らわしい顔ですね」
「それで。ノーラに何の用かな」
恐らく、フーゴの足にナイフを投げたのはエリアスなのだろう。
引き抜いたらしい血に濡れたナイフが床に投げ捨てられ、カラカラという音が響く。
どうやらカトラリーのナイフらしいが、夜会会場から持ってきたのだろうか。
いや、そうだとしてもとても人に刺さるようなものだとは思えないのだが、どういうことだろう。
「『紺碧の歌姫』の歌声を活かせる場にお連れするだけですよ。これはノーラさん本人のためであり、国のためでもあります」
苦痛に顔を歪めながらも立ち上がったフーゴは、エリアスに挑むような視線を投げつける。
「本当に、その訴えでいいのかな? 一応、主張は聞くよ」
「……何?」
「――おい、それよりもこっちをどうにかしろ!」
ずっと鍬で交戦中だったらしいアランが叫ぶと、エリアスは腰に佩いていた剣を放り投げる。
アランは鍬を男性に投げつけて怯んだ隙に剣を受け取り、素早く鞘から引き抜いた。
ガランガランという重い音と共に、ノーラの足元まで鍬が転がる。
「そいつは、任せる」
「おう!」
剣を構えたアランはにやりと笑うと、男性の剣を受ける。
鍬よりも格段に良くなった動きに、アランは剣を使えたのかと感心したが、それ以上に鍬はそんなに重いのかという衝撃がノーラを襲った。
剣を使える男性がてこずる得物を振り回す令嬢。
……どう考えても、一分の恥じらいも存在しない。
これはもう、恥じらい自体を諦めた方が早いような気がしてきた。
「それで、主張はもう終わりかな。『ノーラの歌が活かせる場に連れて行く』でいいんだね?」
フーゴが何も言わずに睨んでいるのを肯定ととらえたらしいエリアスは、ゆっくりとうなずいた。
「第一に、ノーラは王家公認の歌姫だ。歌う場もまた、陛下の指示によって決められる。それを妨げる者は、陛下の意に背くことと同義。これは、わかるね?」
「な、何を」
「次に、王城に許可なく武装した人間を手引きした罪。ノーラに薬を盛ろうとした罪や脅迫もあるね。……だが一番問題なのは、他国と通じて陛下の歌姫を拉致しようとしたことかな」
それまでずっとエリアスを睨みつけていたフーゴは、最後の一言で目を見開く。
明らかに顔色が変わったフーゴは何度か視線を彷徨わせると、何かに駆り立てられたような顔で腰の剣を抜いて突進してきた。
「――アラン!」
その声に導かれるように、アランが投げた剣がエリアスの手に収まる。
フーゴの剣を滑るようにいなすと、そのまま首筋を剣で殴打した。
エリアスが剣を持っているということは、アランは丸腰だ。
ハッとして振り返ると、ちょうど男性がアランに向けて剣を振りかぶるところだった。
ノーラは足元の鍬に手をかけると、持ち上げた反動を利用してそのまま投げつけた。
「――アラン様、避けてください!」
「うわっ!?」
声に機敏に反応したアランは避けたが、その陰になって鍬が見えなかったらしい男性は一瞬判断が遅れる。
振りかぶった剣で鍬を叩き落とすが、重量のぶんだけ鍬の威力が大きかったようで、体のバランスを崩してよろめいた。
すかさず隙をついてアランが鳩尾に拳を入れると、男性は剣を取り落として床に倒れた。
少し呼吸を乱しつつエリアスの方を見ると、呻きながら床に転がるフーゴに剣を突きつけている。
「本当なら、ノーラにちょっかいを出した時点で切り捨てても良かった。陛下が話を聞きたいし少し泳がせたいと言うから、見逃していただけだ。そこで引けば、君ひとりの犠牲で済んだかもしれないが……まあ、気付かないにしても止められないにしても、同罪だからね」
「何の、話ですか」
苦痛に顔を歪めるフーゴに対して、エリアスは呼吸ひとつ乱れていない。
それどころか笑みを湛える様は優雅で麗しく、神の使いだと言われても納得するほどである。
「ポールソン伯爵領は、質のいい木材の産地だね」
「だから、何ですか」
「王城の一部を改装するから、良質な木材の確保が課題だったんだ。ほら、今ちょうど価格も高騰しているしね。たまたま直轄地に木材豊富な地域が追加されて、一安心だよ」
暫くエリアスの話を眉間に皺を寄せて聞いていたフーゴだが、その意味を理解して一気に顔色が青くなっていく。
「個人的には物足りないけれど、仕方がない。……とりあえずは、これで勘弁してあげるよ」
それはそれは麗しい笑みと共に、エリアスは剣をフーゴの顔の真横に突き立てた。
先程からカトラリーのナイフを刺したり、剣を投げてやり取りしたり、剣で殴打したり。
どうも普通ではない気がする。
トールヴァルドがエリアスは剣を使えるし強いということを言っていたが、何というか……強いというよりもおかしいと言った方がしっくりくるのだが。
「――エリアス様!」
何やら声がしたかと思うと、騎士と思しき男性達がたくさんやってきた。
「ちょっと遅かったね。もう片付いたから、連れて行ってくれるかな」
「了解しました。……この二人、エリアス様と剣を交えたのですか?」
騎士の中でも統率する立場にあるらしい一人が、部下に指示を出しながら尋ねると、エリアスは小さくうなずく。
「まあ、少しだけね」
その返答を聞いた騎士たちの中にざわめきが起こり、上司らしき騎士が怒りの形相に変化した。
「――何という、果報者! 宰相補佐になったせいで以前にもまして手合わせしていただける機会が激減したというのに!」
「いいから、さっさと連れて行ってくれる」
笑顔だが冷たいあしらいのエリアスを気にする様子もない騎士は、アランに視線を向けた。
「アラン様! アラン様も剣を交えたのですか⁉」
「いや、俺は……ほぼ、鍬だった」
その返答もどうかと思うが、確かにほぼ鍬だったのでどうしようもない。
「何と!? 剣以外の獲物まで堪能するとは、許しがたい抜け駆け! これはしっかりとお説教する必要がありますな!」
「程々にね。陛下が話を聞きたいらしいから」
エリアスが釘を刺すと、騎士は姿勢を正して礼をした。
「大丈夫です! 騎士の心得百条を叩きこむところから始めますので!」
「うん。だから、そいつ騎士じゃないし。まあ、伯爵令息でもなくなるけれど。……とりあえずしっかり拘束しておいて」
「了解しました!」
少し耳が痛くなるほどの大きな声で返事をすると、騎士達はフーゴと男性を担いであっという間に立ち去る。
その勢いに、ノーラは茫然と見送ることしかできなかった。
※そも婚も終盤に入りました。
夜の活動報告で、次の連載のテーマを公開します。
第8回ネット小説大賞を受賞作
「婚約破棄されたが、そもそも婚約した覚えはない」(略称・「そも婚」)
6/11に宝島社より紙書籍&電子書籍同時発売!
(活動報告にて各種情報、公式ページご紹介中)
次話 エリアスが語る、衝撃の事実……!