高い声を出します
ここにいるのは、名門侯爵家カルムの夫妻。
誘拐か脅迫か。
何が目的なのかはわからないが、手出しをさせるわけにはいかない。
ノーラはカルム夫妻を庇うように前に立つと、男性達を睨みつける。
「何の御用ですか」
「言っただろう。一緒に来てもらうだけだ」
「……大声を出しますよ」
ここは夜会会場から離れた回廊で、人気は少ない。
会場には沢山の人と警備兵もいるだろうが、賑わいが邪魔をして物音が届くとも思えない。
それは男性達にもわかっているのか、ノーラの言葉を気にする様子はなかった。
「それは困るな。……まあ、声が届けばの話だが」
明らかに侮っているその返答からして、周囲に人がいないのは確認済みなのだろう。
「それなら、高い声を出します」
「……は?」
眉を顰める男性に構わず、ノーラは背後の二人に小さな声で「耳を塞いでください」と指示を出す。
そうして、深呼吸をして胸一杯に空気を吸い込んだ。
「――!」
ノーラの渾身の高音があたりに響く。
高い音と言えばそれまでだが、耳と頭が痛くなって平然としてはいられないほどのそれに、男性達も苦悶の表情を浮かべる。
どうにか高音から逃れようと両手が耳に動いた瞬間を逃さず、ノーラは鍬を持って駆け出した。
振り上げては速度が落ちるし、避けられてしまう。
走った勢いのまま鳩尾付近を鍬の柄で刺すように突くと、男性はうめき声を上げてその場に倒れ込む。
背後からフェリシアの悲鳴が聞こえたが、何となく楽しそうなのは気のせいだろう。
もう一人の男性に向かってすかさず鍬を構えると、ノーラはきっと睨みつけた。
「カルム御夫妻に手出しはさせません!」
「はあ!? 違う、おまえだ!」
「え?」
男性の叫びに混乱していると、風のように現れた誰かがノーラの手から鍬をもぎ取り、男性の頭に叩き落とした。
あっという間の出来事に茫然としていると、灰茶色の髪を揺らしてその人が振り返った。
「……何なんだ、こいつら」
檸檬色の瞳の美青年は、鍬を床に置くと倒れている男性二人を見下ろす。
「アラン様。どうしてここに?」
アランは倒れた二人を足で蹴って意識がないことを確認すると、ノーラのそばにやってきた。
「エリアスに言われた」
まさかこの事態を見越したわけではないと思いたいが、油断ならないエリアスなので何とも言えない。
「エリアス様は?」
「陛下と国賓のお相手をしているから、動けない」
「国賓、ですか」
今日の夜会は『男装の麗人ウルリーカ』がメインなのに、まさか国賓まで招いていたとは。
もしかして、ノーラが思う以上に小説の人気があるのかもしれない。
「隣国の王子、だったかな。それで俺はノーラについていろ、って。……それよりも、大丈夫か?」
「はい。カルム御夫妻は無事です」
うなずくノーラを見て、アランが首を傾げる。
「うん? 父さん達を狙っていたのか?」
「いや。たぶん、ノーラちゃん狙いだよ。こいつらは私が警備兵に引き渡すから、アランはそのままノーラちゃんについていなさい」
「ノーラちゃん!」
イデオンの腕を振り切って走り出したフェリシアは、ノーラの手をぎゅっと包み込むように握りしめた。
上品な貴婦人には、鍬を持って男性に突進するノーラは相当野蛮に見えただろう。
手を握ってくれたところを見ると軽蔑まではしていないかもしれないが、侯爵家の嫁になるという視点では決して褒められたことではない。
謝るべきだろうかと困っていると、フェリシアの美しい碧眼に見つめられる。
きらきらと輝くその瞳は、まるで宝石のようだった。
「――凄く、凄く素敵だったわ!」
「……はい?」
心配されるか窘められるかと思っていたノーラは、想定外の言葉に思わず首を傾げた。
「まさかの高音攻撃からの、隙のない動き。躊躇なく鍬で突く心意気。もう、どれをとっても最高よ。私、興奮しすぎて危うくよだれが……」
「――アラン、早く行け」
フェリシアの口を手で塞ぎながらイデオンが指示すると、慣れた様子でアランがうなずく。
「ノーラ、行くぞ」
「でも、フェリシア様が」
「あれは発作みたいなものだ。原因がそばにいたら治らない」
「え? 私のせいですか?」
若干釈然としないままにアランと共に回廊を進んでいく。
「悪かったな。うちの母、ちょっとアレで」
「いえ。明るくて気さくな方ですよね」
「ちょっと思い込みが激しいし、執着も凄いんだ」
「……誰かさん達に似ていますね」
ぽつりとこぼれた言葉に、アランがムッとするのがわかった。
「誰だよ」
「誰でしょうね」
最初の印象ではアランはフェリシア似だと思っていたが、何やらおかしな執着はエリアスも似ている。
やはり双子の母親だけあると納得せざるを得ない。
隣の部屋で待機するアランと別れて控室に入ると、そこには服飾係の女性と共にメイド二人の姿もあった。
さっきは男性っぽく接することで喜んでくれた節があったが、落ち着いた今はどうだろう。
怒っているのだろうか。
ドレスに着替えて髪を結い、化粧を直すと、メイド達がその片づけを手伝っている。
ノーラ以外の使用人とは仲がいいのかと感心していると、何やらちらちらとこちらを見ては頬を染めている。
「あの。紅茶はいかがですか?」
一度たりとも聞いたことのない言葉に面食らうが、別に嫌味で言っているわけでもなさそうだ。
「ありがとうございます。でも人を待たせているので、すぐに出ます」
ノーラの返答にがっかりした様子のメイド達は、何やら意を決した表情でそばに近寄ってきた。
何故か、部屋の入口に置いておいた鍬を持ってやってきた。
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第8回ネット小説大賞を受賞作
「婚約破棄されたが、そもそも婚約した覚えはない」(略称・「そも婚」)
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次話 鍬を持ってノーラに近づいたメイドは……!