胸をお願いします
「わ、私。是非、とお願いしてしまいました。楽しみにします、って……」
「まあ、エリアス様も楽しみでしょうから、そちらは問題ないと思いますよ」
「あああ……」
ペールが恐ろしいことを言っているが、今はそれどころではない。
ノーラは顔どころか全身が一気に熱を持っていくのを感じた。
どうにもならない恥ずかしさと苦しさで、真っ赤になった顔を手で覆いながら俯く。
知らなかったとはいえ、何ということを言ってしまったのだろう。
恥ずかしさで人が死ねるのなら、たぶんノーラはもうすぐ死ぬと思う。
「……どうしたの、ノーラ」
瀕死のノーラの耳に、麗しくも今一番聞きたくない声が届く。
間の悪いことに、エリアスが到着したらしい。
「自分の無知と浅慮に打ちのめされています。放っておいてください……」
いっそ逃げ出したいくらいだが、これからウルリー会だし、既にエリアスはそこにいる。
どうしようもない心をどうにかなだめようと、ノーラは脳内で一心不乱に葡萄を収穫し始めた。
「後悔先に立たず、口は災いのもと……」
「大丈夫?」
ぶつぶつと呟いたまま俯くノーラの隣に座ったらしいエリアスの手が、そっと背を撫でる。
脳内の葡萄の籠が一杯になったところで顔を上げると、そこには正装に身を包んで眩さを増したエリアスがいた。
「うう……顔がいいです……」
こんな麗しい顔に『是非、胸を揉んでください』と言ってしまったのかと思うと、自分が大変に破廉恥な人間に思えてきた。
実際に提案してきたのはエリアスなのだから、破廉恥なのはあちらのはずなのに。
顔がいいというのは、何とも横暴な正義である。
どうにもならないモヤモヤのおかげで、ノーラの脳内は葡萄の収穫祭で大賑わいだ。
「……何だ、あれ。どうしたんだ?」
「ちょっとね……」
不思議そうに様子を見ていたアランにフローラが耳打ちする様子が視界の端に映る。
「エリアス様、あの。昨日の件を、辞退したいのですが」
このままじっとしていても埒が明かない。
脳内の葡萄をすべて収穫し終えたノーラは、意を決してエリアスに顔を向けた。
「昨日? 護衛なら、辞退は無理だよ」
「いえ、そちらではなく。その、私の乏しいアレをアレする件で」
「うん? ああ、結婚後に?」
ようやく合点がいったとばかりにうなずくエリアスに、ノーラもまたうなずき返す。
「それです。あの、もういいので。乏しいまま生きていきますので。聞かなかったことにしてください」
「何? 誰かから聞いたの?」
この様子からして、やはりエリアスはわかった上で言っていたのだろう。
何と破廉恥なことをしてくれたのだと思いはするが、今はとにかく撤回させるのが優先である。
「ペールが。俗に、そういう方法があると」
「胸を揉むと大きくなるって?」
「――いやあ! いい顔で言わないでください!」
首がもげそうなほど振るノーラを見て、エリアスは優しく微笑む。
「大丈夫。ちゃんと、結婚まで我慢するから」
大丈夫って何だ。
全然、大丈夫じゃないではないか。
非の打ちどころのない麗しい笑みが、今は何だか憎らしい。
「違います。そうではなくて、もういいです。大体、我慢って何ですか」
「そりゃあ、ノーラに触れたいし。ノーラが望むことを叶えてあげたいから」
優しく頬を撫でられ、眩い笑みに騙されそうになるが、言っていることは『胸を揉みます』だ。
信じてはいけないとわかっているのだが、至近距離での麗しい顔に、抵抗する術が思いつかない。
「助けてください。フローラ、アラン様」
エリアスに頬を撫でられたまま顔を向けると、アランは顔を赤らめた状態で眉を顰めていた。
「水飴って、これか……」
「確かに水飴ねえ」
「感心していないで、助けてくださいよ。ペール!」
ちっとも役に立たない二人に見切りをつけて弟の名を呼ぶが、ペールはエリアスに頭を下げている。
「姉の胸をよろしくお願いします」
「何を委ねようとしているのですか!」
ノーラは非難の声を上げたが、当のペールはまったく気にする様子もない。
「本人の了承なしに婚前に襲い掛かるというのなら、弟として一応止めますが。結婚後に合意の上なら、何の問題もありませんし。良かったですね。長年の悩みが解消するかもしれませんよ」
「今まさに、新たな悩みが生まれていますが!?」
胸がないという密やかな悩みだったものが、何故こんな大ごとになってしまったのだろう。
「大丈夫ですよ。エリアス様は姉さんの減り減りボディーでもいいと言っているんです。減り張りになっても、減り減りのままでも受け入れてくれますよ」
「心配ないよ、ノーラ。任せて」
麗しい顔が二つ並んでいるが、最早心配しかない。
「嫌です! 何ですか、二人して!」
「減り減りって、何だ……?」
またアランがフローラに耳打ちされて顔を赤くし、眉を顰めている。
まるでノーラが悪いような反応をやめてほしい。
「おまえら、普段から何をしているんだ」
「私のせいみたいに言わないでください、何もしていません! 私は生まれた時から、汚れなき減り減りボディーなだけです!」
「それ、どうなの」
アランとフローラに何だかかわいそうなものを見るような眼差しを注がれているが、納得がいかない。
「アラン様はいいですよね。フローラは減り張りですから!」
「いや、俺は別に」
指摘されたフローラとアランは顔を見合わせ、二人で頬を染めている。
「頑張ろうね、ノーラ」
すかさずエリアスがいい声で語り掛けてきたが、内容は承認できない。
「頑張りません!」
「それなら、俺が頑張るよ」
「頑張らないでください!」
ノーラは必死に睨みつけるが、エリアスはどこ吹く風といった様子で微笑んでいる。
「……もう時間ですよ。まったく。減り張りでも減り減りでもいいですが、遅刻は駄目です。姉さんは今日の主役のようなものでしょう?」
「ペール。帰ってきたら、話があります」
「俺は姉さんの歌を聴いたらさっさと帰って寝るので、無理です。はい、いってらっしゃい!」
ペールの勢いに負けて家を出されると、仕方がないのでそのまま馬車に乗り込む。
ノーラはフローラの隣を陣取ると、正面に座った美貌の双子を見据えていた。
「ドレス二人が並んで座ったら窮屈だろう? こっちにおいで、ノーラ」
優しい声と麗しい笑みに騙されてはいけない。
ノーラは空色の瞳の圧力に負けぬよう、じっと見つめる。
「嫌です。まだ話は終わっていません。辞退します、撤回を要求します」
真剣に訴えると、エリアスは数回瞬き、そして笑った。
「わかったよ。減り張り目的で揉まない。……これで、いい?」
居並ぶ乙女を根こそぎときめき死させそうな微笑みで言われると、ノーラの方の罪悪感が酷い。
だが、これで最悪の揉みは回避できたとほっと息を吐く。
「それでお願いします」
「わかった」
エリアスは変わらぬ笑みを湛えたまま、ノーラを見つめている。
あっさり引いてくれたのは良かったが、何だろう。
何となく不穏なものを感じるのは、気のせいだろうか。
「……ノーラのこういう、しっかりしていそうで迂闊なところが心配よ」
「え?」
フローラは何やら呟いたかと思うと、ちらりと正面に座る双子に視線を向ける。
エリアスはにこにこと穏やかな笑みを返すのに対して、アランは不思議そうにきょとんとしている。
「……同じ顔なのに、こうも違うのねえ」
「な、何だよ、それ!」
久しぶりにコンプレックスを刺激されたのか、アランが不満の声を上げる。
「私は、アラン様でいいわ」
「な、何だよ、それ!」
今度は顔を赤く染めながら叫んでいる。
本当に、同じ顔なのに何だか色々と愉快な双子だ。
それにとらえられてしまったのだから、仕方がないか。
ノーラとフローラは視線を交わすと、互いに笑った。
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