少し、寂しかったです
「ノーラ、大丈夫? 怪我はない?」
「はい。少し林檎が温まってしまいましたが」
「いや、林檎はどうでもいいよ……」
どうでもいいとは何事だ。
今日の林檎は特売品でありながらも上質で、美味しいジャムになること請け合いなのだ。
一個でも減るのはもったいない。
不満が顔に出たのか、エリアスは苦笑しながらノーラの頬を突いた。
「今日は果物の特売だからと思って来たけれど、正解だったな」
「そんな理由で来たのですか」
大体、何故今日が果物の特売日だと知っているのだろう。
それに、特売だからといってノーラが買い物に出るとは限らないのに。
「また、謎のストーカー的情報が……」
ちょっと怖いが、今回はそれに救われたのだから、非難しづらい。
「さて。その木箱は俺が持つよ」
「別に、持てるのでいいです」
「俺を、婚約者だけに荷物を持たせるような男にしないで」
だから色気を出すなと言いたいところだが、その一言にノーラの菫色の瞳が輝いた。
「では、もうひと箱追加で買います。これでジャムとジュース以外も作れますね!」
嬉しくなって微笑むと、それを見たエリアスもまた笑みを浮かべた。
「やっぱり、ノーラは面白いな」
何故か御機嫌のエリアスと共にもうひと箱の林檎を買うと、それぞれ木箱を持って歩く。
エリアスの方に林檎を多めに入れられてしまったので、ノーラの木箱は少し軽い。
申し訳ない気もしたが、礼を言うと嬉しそうに微笑まれてしまい、結局はそのままだった。
「こうして一緒に買い物の荷物を運ぶのも、久しぶりだね」
「そうですね」
「本当は、俺が毎日付き添いたいけれど」
「お仕事してください」
すかさず指摘すると、木箱を抱えた美青年は楽しそうに笑っている。
「ねえ、ノーラ。最近、会えない日が多いだろう? 少しは寂しいと思ってくれた?」
「ええと」
「俺は、ノーラに会いたかったよ」
「そ、そうですか……」
曇りのない美しい瞳でまっすぐに見つめられると、何と返答すればいいのかわからなくなってしまう。
本当に、どこまでも底抜けに顔がいいので、困ったものだ。
あっという間に家に到着すると、木箱を運び込む。
「ありがとうございました。あの、お茶を飲んでいきますか?」
木箱を運んだのでそれなりに喉が渇いているだろうと思い尋ねるが、エリアスは首を振る。
「いいよ。すぐに戻るから」
「王城ですか? もう。……本当に、何故来たのですか。どういう情報網なのですか」
呆れてしまうが、エリアスはただ笑うだけだ。
宰相補佐は暇ではない。
すぐに王城に戻るのだから、今日だって忙しいはずだ。
それを、ノーラのために来てくれたのだ。
来るに至った理由やその情報とか、色々とアレな部分はあるが、ノーラを心配してくれたのだ。
それは申し訳ないと思うし、同時に嬉しいとも思う。
ふと、ペールにエリアスの水飴攻撃の対処法を話したのを思い出す。
何でも、ノーラの方から攻めるとエリアスの攻撃が落ち着くらしい。
一瞬とも言っていたが、まあやるだけやってみる価値はある。
「エリアス様」
「うん?」
声に反応してこちらを向いたエリアスの頬に手を伸ばし、そっと撫でる。
何故か固まったエリアスの空色の瞳を、じっと見つめた。
「――少し、寂しかったです」
……というか、今は恥ずかしい。
毎度こんなことを平然とやってのけるエリアスの心の強さに感服である。
ノーラとしては精一杯エリアスの水飴攻撃を真似てみたつもりなのだが、果たしてこれで効くのだろうか。
エリアスの攻撃力に対してノーラのそれはあまりにもちっぽけだ。
普通の会話として流される可能性すらあるのだが、どうなるだろう。
反応を見極めようとじっと見つめているのだが、何故かエリアスは動かない。
それどころか段々とその美しい顔が赤みを帯び、そのまま口元を押さえて俯いた。
「あ、あの……?」
何だか、予想と違う。
まったく気付くことなく流されるか、『それは良かった』とでも言って反撃してくるかと思ったのに。
「大丈夫、ですか?」
想定外の反応ではあるが、エリアスからの攻撃自体は落ち着いている。
ペールの言う通り、逆に攻撃するというのは効果があったようだと感心した。
「……ノーラ」
「はい?」
エリアスが顔を上げたと思う間もなくその手で頬を包み込まれ、唇を重ねられる。
突然の行動に驚いたが、更にその長さに驚く。
今まではキスしてもすぐに終わっていたのに、なかなか離れてくれない。
鼻で呼吸すればいいのかもしれないが、何だか混乱してしまい、息が苦しい。
どうにか事態を打開しようとエリアスの胸を何度か叩くと、ようやく唇が自由になった。
だが、ギリギリ唇が触れていないだけという至近距離にエリアスの顔があって、その麗しさに胸まで苦しくなってきた。
「どうしたの」
「え?」
「ノーラがこんなことをするとは思えない。誰の入れ知恵?」
「え、ええと」
「言って」
もはやキスしていないのが奇跡というほどの近さで色っぽい吐息と共に尋ねられ、ノーラは思わず身震いした。
「その。エリアス様の妙な色気と攻撃をどうにかできないかと思いまして。ペールが、私から攻撃すれば一瞬は落ち着くと言っていたので、物は試しと思い……」
「そうか、ペールか。……礼を言わないと」
「礼!?」
あまりの真剣な様子に、てっきり怒っているのかと思いきや、そういうわけではないらしい。
「ノーラ。寂しかったというのは、嘘?」
「い、いいえ。その、少しだけ、寂しかったです。――でも少しなので! 大丈夫ですから、お気になさらず!」
エリアスは仕事をしているのだから迷惑をかけたくはないし、そこまで深刻な話でもない。
「気にするよ。気にさせて。……ノーラも寂しいと思ってくれて、嬉しい」
ノーラの頬を撫でながらそう言ったかと思うと、そのままこつんと額を合わせた。
キスも恥ずかしいが、これはこれで恥ずかしい。
大体、さっきから普段の何倍も色気が増している気がするが、どういうことなのだ。
そろそろ許容範囲を超えそうなので、本当に勘弁してほしい。
「ああ。王城に戻るの、やめようかな」
「駄目です。お仕事してください」
とんでもない提案にすかさず釘を刺すと、エリアスは空色の瞳を優しく細めた。
「仕方がないな。少し、エネルギーを補給させて」
補給とはなんだと問い返す暇もなく、唇を重ねられる。
「うん。満たされた」
「そ、そうですか」
今度はすぐに顔を離してくれたが、限界が近かったノーラはエリアスの胸を押して距離を取った。
「明日は休みだから、一緒に出掛けよう。じゃあね」
エリアスは眩い笑顔と共に、爽やかに立ち去っていく。
だが、残されたノーラはそれどころではなかった。
ペールの言うように、ノーラから攻撃したら一瞬はエリアスの攻撃が落ち着いた。
だが、本当に一瞬だったし、その後には割増の攻撃を受ける羽目になった。
「……駄目ですね、この方法」
ノーラはがっくりと肩を落としてため息をつく。
それにしても、顔がいい。
あまりにも麗しいし、無駄に色気も凄い。
「あんな人と結婚して、私は無事でいられるのでしょうか」
今更ながら、ノーラはエリアスとの将来が心配になった。
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次話 攻撃失敗かと思われたが、エリアスから意外な評価が……!