あまり刺激しないでくれる
逢瀬というのは、愛し合う男女が密やかに会うことだ。
ノーラは酔いが回ったところを捕獲されただけなので、逢瀬でも何でもない。
言いがかりも甚だしいので、やめていただきたい。
一言文句を言ってやろうと思っていると、何やら靴音が近付いてきて、同時にノーラを抱えるフーゴの手に力が入る。
横から伸びてきた手に顎をすくわれたかと思うと、次の瞬間には空色の瞳が見え、そして唇を重ねられる。
暫しそのままで、ゆっくりと顔が離れたかと思うと、エリアスは至近距離で一切の曇りのない笑みを浮かべた。
「……それで?」
謎の迫力に気圧されたらしいフーゴの手が緩むと、すかさずエリアスがノーラを引き寄せ、抱きしめる。
しっかりと腕の中に入れられてはいるが、フーゴのように力任せではないので、苦しくない。
胸に顔をうずめる形だったノーラがちらりと見上げると、そこには美しすぎて皮膚が引き裂かれるのではと錯覚するほどの、鋭い笑みを湛えたエリアスがいた。
「――消えろ」
その一言にフーゴは身震いすると、転びそうになりながら走り去った。
事態がよく飲み込めずにぼうっとしていると、腕を緩めたエリアスに顔を覗き込まれる。
「ノーラ、大丈夫? ……お酒を飲んだの?」
これだけ至近距離にいるのだから、さすがに吐息でわかったのだろう。
「ジュースだと思って。あの」
もっとしっかり説明しようと思うのだが、何だか上手く頭が働かない。
「あいつが勧めたの?」
「いえ。厨房で。ジュースの味の、検討を、手伝って」
そこまで聞いたエリアスは少しほっとしたように息をついた。
「ノーラはお酒に弱いのかな」
「そういうわけでは。ただ、昨日は徹夜で。ジャムを作って。朝も食べられなくて」
今度こそ深いため息をつくと、エリアスはそっとノーラの頬を撫でる。
「とにかく。そんな顔で歩き回られたら、たまらない」
ということは、相当だらしない顔か、汚い顔なのか。
もともと綺麗でもないのにそんなことになったら、確かにたまらなく迷惑だろう。
「見苦しいものをお見せして、すみません……」
何だか情けなくて悲しくて、ノーラはしょんぼりと俯いた。
「違うよ。可愛いから、誰にも見せたくないってこと」
エリアスは苦笑しながらそう言うと、ノーラの頬に唇を落とした。
びっくりして離れようとするが、足がもつれてふらついてしまう。
再びエリアスに抱きしめられると、何とかふらつきも治まった。
「大丈夫?」
「はい。水を飲んで……出すものを出せば、いけます」
「……ノーラ。恥じらいが」
そうだ、恥じらいを練習中だった。
婚約者の前で出すもの出せばいいなんて、恥じらい以前の問題だ。
だが、他に何と表現すればいいのだろう。
お水を飲んで、お酒を出せば……いや、これではまるで吐き出すみたいだ。
出すという表現がいけないのかもしれない。
「お酒を消滅……お酒を供養……」
どうもしっくりくる恥じらい表現が浮かばず、思考がぐるぐる回る。
ついでに目も回ってきたし、これは色々限界のようだ。
「恥じらえないので、帰ります……」
「いや、おかしいから」
「でもお酒を弔わないといけません」
「……だいぶ酔っているだろう?」
「お酒を、看取ります」
「今、弔うとか言ってなかった? 生き返ったの?」
歩き出そうとしてふらつくノーラを抱きしめながら、エリアスがため息をつく。
「こんな状態のノーラを、一人で帰せないよ」
そう言われたかと思うと、ぐらりと視界が回り、足が床から離れた。
抱き上げられて運ばれているらしいと気付きはしたものの、何と言えばいいのかわからない。
「エリアス様」
「いいから、黙っていて。あまり俺を刺激しないでくれる?」
拒絶の色を持ったその言葉に悲しくなったノーラは、黙って息を止めた。
だが、人間は呼吸をしなければ死ぬ。
ほどなくして、ぜいぜいと荒い呼吸をする羽目に陥ったノーラに、エリアスは困惑しているようだった。
「どうしたの、大丈夫?」
「すみません。お酒臭い息でエリアス様を刺激しないように呼吸を止めたのですが。無理でした」
「酒臭いから息を止めてなんて言うわけがないよ。死んじゃうから、呼吸はして」
「はい、すみません。呼吸します」
懸命にうなずくノーラに、エリアスは苦笑している。
人一人を抱き上げて運んでいるというのに、随分と余裕があるものだ。
どこからどう見ても細身の美貌の王子様という風情なのに、意外と筋力はあるらしい。
少し気になってエリアスの胸をつんつんと突いてみるが、上着があるのでよくわからなかった。
「……だから、あまり刺激しないでくれる?」
「すみません。筋肉の、確認を、試みました」
確かに、運んでもらっているのに突くなんて、失礼な話だった。
謝罪するノーラに顔を寄せると、その額に唇が落とされる。
「いずれ、好きなだけ確認させてあげるから。……今日は駄目」
「はあ。ありがとう、ございます?」
「……意味がわかっていないだろう」
エリアスは楽しそうに笑っているが、ノーラの方は段々と眠くなってきて、時々意識が飛び始めた。
気が付くと見たことのある豪華な部屋の天井が視界に入り、そこが先程までいたアンドレアの部屋だと気付いて眠気が一気に覚めた。
「エリアス様、ここは」
「アンドレア様の部屋だよ。ここで少し休ませてもらう」
「だ、駄目です。失礼です。お酒を弔うのに、次期王妃のお部屋は!」
場合によっては吐くかもしれないのに、アンドレアの部屋に入るなどとんでもないことだ。
「……何ですか、お酒を弔うというのは」
「どうやらお酒を供養したいらしいですよ。気にしないでください。それよりも、こちらのソファーをお借りしても?」
「ええ。ベッドでもいいのですが」
「さすがに俺が寝室に入るわけにはいきませんから。それとも、ノーラ、歩ける?」
恐ろしい会話で、ノーラは自分が今いかに危険な状況にあるのか察した。
寝室云々ではなくて、この部屋が駄目だ。
ソファーにおろす気配を感じ取ったノーラは、なけなしの力でエリアスの首にしがみついた。
「――駄目です。アンドレア様の部屋は、駄目です。ベッドも駄目です。どうしてもと言うのなら、床に。床に転がしてください」
必死に訴えるが、エリアスの返答はない。
とにかくおろされたら終わりだと思っているノーラは、エリアスにぎゅっと抱きついて離れない。
そのまま誰も言葉を発することなく、暫しの時が流れ……静かになった部屋にアンドレアのため息が響いた。
「……エリアス。ノーラに抱きつかれて嬉しいのはわかるけれど、いい加減に動いてください」
「す、すみません」
珍しく動揺した声のエリアスがそう言うと、ノーラの手をあっさりと引きはがしてソファーに横たえた。
「少し休んでいて。色々、片付けてくるから」
そう言うとノーラの額に唇を落として頭を撫で、そのままエリアスは部屋を出て行ってしまった。
言いたいことはあるし、ソファーから起きて部屋を出るなり床に転がるなりしなければと思うのに、瞼は閉じていき、体も動かない。
「相変わらず、ノーラに夢中ですね」
呆れたようなアンドレアの声が聞こえるが、既に目は開かなくなってきた。
「エリアスが戻るまで、安心してゆっくりと休んでくださいね」
その優しい言葉を最後に、ノーラの意識は完全に夢の世界に旅立った。
※「そも婚」発売中!
書泉グランデ週刊売り上げランキング5位!
ありがとうございます!
特典取扱店で売り切れ&在庫復活も。
詳しくは活動報告をご覧ください。
第8回ネット小説大賞を受賞作
「婚約破棄されたが、そもそも婚約した覚えはない」(略称・「そも婚」)
6/11に宝島社より紙書籍&電子書籍同時発売!
(活動報告にて各種情報、公式ページご紹介中)
次話 目を覚ますとそこには……。