こんにちは。さようなら
「楽団と共にノーラの歌。いいではありませんか。私も楽しみです」
アンドレアは楽しそうに手を打って微笑む。
最近王城に呼ばれてお茶をする機会が多いが、これは一体何なのだろう。
エリアスに聞いてみたところ、『将来の宰相夫人と親睦を深めるという建前でノーラと話をしたいだけ』と言われたが、よくわからない。
まあ、次期王妃であるアンドレアが嫌なことをわざわざするとも思えないので、何か面白い点があるのだろう。
ノーラとしてはアンドレアと話すのは嫌いではないし、立ち居振る舞いすべてが参考になるのでありがたかった。
「それにしても、結婚の話が出るなんて。エリアスの話を聞いてノーラを知ってからだいぶ経ちますが、自分の弟のことのように嬉しいですね」
喜んでくれるのはいいが、ノーラの話を聞いてだいぶ経つとは何事だ。
エリアスとアンドレアは、トールヴァルドが毒殺されそうになった時からの知り合いだというが、まさかその頃からノーラのことを話していたのだろうか。
だとしたら、アンドレアが『エリアスのしつこい初恋』と表現していたのもうなずける。
「あのエリアスが浮かれているのを見るのも楽しいですしね。ドレスにもこだわるのでしょうね」
「ドレスなら、エリアス様が着た方がいいくらいです」
「まあ、確かに似合うでしょうね」
あっさりと納得してうなずくアンドレアを見て、ふと余計な記憶がよみがえってきた。
そして、よみがえってしまった以上、気になって仕方がない。
「アンドレア様。以前に陛下がドレスを着たら似合うというようなことを、仰っていましたよね」
あれは、どういう意味だったのだろう。
聞いてはいけない気もするが、やはり気になる。
すると、アンドレアはいたずらっぽく微笑んだ。
「それに関しては、陛下から聞いてくださいね。ただ……似合っていましたよ。とても」
もう、ほぼ言ってしまっているではないか。
少なくともトールヴァルドはドレスを着たことがあるのだ。
経緯は不明だが、あの美貌なので似合っても何ら不思議はない。
詳細を知りたくないと言えば嘘になるが、さすがに一国の国王に対して『女もののドレスを着たことがありますか』と聞くのは無理だ。
ささやかな疑問のために命をかけたくはない。
慌てて首を振るノーラを見て微笑むと、アンドレアはゆっくりと紅茶に口をつけた。
「今日も、エリアスと一緒に来たのですか?」
「はい。エリアス様はお仕事があるので、先に帰るつもりです」
ノーラの帰りのために馬車まで用意してくれているのだから、ありがたいやら申し訳ないやら。
「いつか、エリアスにもお願いしてみましょうね」
何を、と聞くまでもない。
だが、それを口にしたら終わりのような気がする。
ノーラはどうにかぎこちない微笑みを返すと、ゆっくりと退室した。
そのまま帰っても良かったのだが、せっかく王城に来たのでノーラは厨房に足を運んだ。
ウルリー会のあれこれでパウラには世話になったし、改めてお礼を言おうと思ったのだ。
「気にしないでいいから。それよりも、ちょっと手伝ってくれない?」
そう言ってパウラに手を引かれて椅子に座ると、机の上にいくつもの瓶とコップが並んだ。
「ミックスジュースを検討しているんだけど、なかなかしっくりこなくて。新鮮な意見を聞きたいの。これ、飲み比べてくれない?」
そう言ってグラスにジュースを注ぎ始める。
「これは、桃と葡萄。こっちは林檎と檸檬。それから、葡萄と白葡萄。この中なら、どれがいいと思う?」
勧められるがまま、それぞれのコップに口をつける。
どれも美味しいには美味しいのだが、何だか変だ。
「何でしょう。濃いというか、香りが果物とは違うというか」
「え? ――ああ! この葡萄ジュース、ジュースじゃない!?」
パウラが手に取った瓶はラベルに葡萄の絵こそ描いてあるものの、どうやらお酒のようだった。
「しかも、これ結構強いお酒だわ。ごめん、ノーラ。大丈夫?」
「確かに、ちょっと、目が回ります」
「ええ⁉ どうしよう、少し休む?」
どこかに走りだそうとするパウラを止めると、ノーラはゆっくりと息を吐いた。
吐息にも酒の香りがして、一層酔いが回る。
「とりあえず、お水をください。山ほどください」
その場でコップに何杯もの水を飲んだノーラは、当然何度もトイレに行く。
パウラに見せてもらった瓶のラベルによれば、確かに強めのお酒だった。
だがそれにしても酔いの回りが酷い。
これはやはり、先日の特売で購入した苺のジャム作りで徹夜した上に、ジャムの匂いに酔って朝食をあまり食べられなかったせいだろう。
空腹と疲労で酔いが回る。
実にわかりやすく単純なことだ。
酒を体外に出せばいいだろうと水を飲んではトイレに行ったが、その移動もつかれてきたし、何だかふらふらする。
ここで粘っていてもなんだし、もう帰って寝た方がいいだろう。
「パウラさん。私、帰りますね」
「でも、そんな状態で」
「大丈夫です。馬車を待たせてあるので、問題ありません」
馬車まで送るというパウラをなだめると、ノーラは回廊を歩く。
一瞬エリアスに声をかけようかとも思ったが、宰相室に行くくらいなら馬車の方が圧倒的に近い。
行ったところで酒臭いノーラがいては邪魔だろうし、そもそも在室の保証もない。
さっさと帰った方が楽だし安全だ。
この回廊を抜ければすぐに馬車に乗れるので、後は家まで眠らせてもらおう。
もはや馬車に乗ることと眠ることしか考えられない状態のノーラがふらふらと歩いていると、目の前に人影が現れた。
「こんにちは、ノーラさん」
黒髪の青年は、フーゴだ。
それはわかるのだが、それ以上はあまり考えられない。
これは、相当酔いが回っている。
さっさと帰らなければいけないし、一刻も早く眠りたい。
「こんにちは。さようなら」
恥じらいの欠片もない挨拶と共に立ち去ろうとすると、フーゴはノーラの進路を塞いだ。
「どうか、私の気持ちをわかってください。あなたのことが特別なのです」
ノーラとしてもさっさと寝たいという気持ちをわかってほしいし、そこをどいてほしい。
「申し訳ありませんが、今日は失礼します」
なけなしの力を振り絞ってそれらしい断りの言葉を紡ぐと、立ち去ろうと足を動かす。
だがすっかり酔いの回ったノーラの足は思うように動かず、その場でふらついてしまう。
それを抱きかかえるようにして止めたフーゴは、そのまま動かない。
「あの、もう帰りますので。放してください」
助けてくれたのはありがたいが、ずっと抱えられているのもおかしい。
だが、フーゴは手を緩めるどころか、ぎゅっとノーラを抱きしめてきた。
「あなたに婚約者がいるのはわかっています。ですが、私も本気なのです」
何やら色々口説き文句のようなことを言い始めたが、眠くて仕方がない上に世界が回り始めたノーラの脳には一切届いてこない。
よくわからない言葉を耳元で聞かされて不快なノーラは、どうにか腕の中から逃れようともがくが、上手く力が入らない。
その時、どうしたものかと困っているノーラの耳に、良く通る低い声が届いた。
「――何をしている」
エリアスの声だとわかったが、抱きしめられているので顔を向けることができない。
どうにか抜け出した手でフーゴの胸を叩いて抗議するが、一向に意に介していないようだ。
「見てわかりませんか? 逢瀬の邪魔をしないでいただきたい」
フーゴの言葉に、ノーラの眉間にそれは深い皺が寄った。
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