あまり俺を酔わせないで
「へえ。……それで、何の花?」
眩い笑みのはずなのに、何となく怖い。
空色の瞳を向けられたノーラは、口に入れたばかりのお肉をそのまま飲み込んだ。
「ええと。赤いペチュニアです。あと、以前と同じ内容でカードも」
「赤いペチュニア。『諦めない』か。……いい度胸だな」
何故そんなに花言葉を知っているのだとか、スヴェンも花言葉を知って贈っているとは限らないとは思うのだが、とりあえず笑顔が怖くて直視できない。
顔を背けるノーラを見たフローラが、グラスを置いてため息をつくのが聞こえた。
「……本当に、厄介な貴族に好かれるわね。ノーラは」
「それ、誰のことかな?」
「誰でしょうね?」
エリアスとフローラが笑みを交わしているが、怖い。
「ふふふ」「ほほほ」という謎の笑い声まで聞こえて、怖さ倍増だ。
視線の行き場がなくて困っていると、同様に眉をひそめているアランと目が合った。
顔の良さは引けを取らないのに、怖さは皆無。
何だか、アランがとてもいい人に見えてきた。
「アラン様とフローラも婚約の挨拶は済んだのですよね?」
どうにか話を変えたくてそう言うと、同じ気持ちだったらしいアランが勢いよくうなずいた。
「ああ、問題ない!」
「そうね。アラン様が噛みまくった以外は、問題ないわ」
すかさずフローラに突っ込まれ、アランが狼狽えている。
「……想像できますね」
本当に、同じ顔でここまで反応が違うというのも面白い。
「フローラはコッコ男爵の跡継ぎですし、領地の経営に加えて商売もとなると忙しいですね。アラン様は、その手伝いですか?」
この国では爵位を継ぐのは血筋が優先なので、コッコ男爵家の娘であるフローラが将来の男爵となる。
アランはコッコ男爵フローラの夫になるわけだ。
「まあ、そうなるな。カルムはエリアスが継ぐし、問題ない」
「皆、忙しくなりますね」
フローラはもちろん、それを支えるアランも多忙になるのは間違いない。
エリアスは言うまでもなく、既に忙しい。
こうして四人でテーブルを囲んで食事をすることも、きっとなくなっていくのだろう。
わかってはいたし、当然だし、仕方のないことだ。
それでも何となく寂しいと思う心はどうしようもない。
切り分けた肉を口に放り込んで咀嚼しながら、ノーラは少しだけ目を伏せた。
「……何だか、元気がない?」
食事を終えた帰り道、一緒に夜道を歩きながら、エリアスがそう尋ねてきた。
「え?」
驚いて隣を見上げると、空色の瞳が心配そうにこちらを見ている。
油断ならない男は、さすがに目敏い。
そんなに落ち込んだつもりはないが、どうやら態度に出ていたようだ。
「いえ。今みたいに皆集まって食事をすることもなくなるのかなと思ったら、ちょっと寂しくなりまして」
こうして口にしてみると、何と子供っぽい理由なのかと自分でも呆れてしまう。
自嘲の笑みを浮かべていると、エリアスの足が止まった。
「ノーラ」
「は……」
返事をする間もなく、抱き寄せられ、唇を重ねられる。
突然のことに驚いて瞬きするノーラの頬を、エリアスがそっと撫でた。
「その寂しいに、俺も入っている?」
「も、もちろんです」
「そうか」
至近距離でにこりと微笑まれ、その麗しさに目が眩みそうだ。
エリアスの手が緩んだので少し離れると、再び歩き出す。
「できるだけノーラに寂しい思いをさせないように、頑張るよ」
「いえ。お仕事してください」
「結婚式も、できるだけ早くしようね」
「結婚式……」
婚約したのだから、いずれ結婚するのは当然だし、結婚式を挙げるのも当然だ。
だが正直なところ、まったく実感が湧かなかった。
「そんなに大仰にする気はないよ。教会での式自体は親族だけだし、後は結婚披露の夜会を開くくらいかな。ドレスは、今度打ち合わせをしようね」
うきうきという言葉が飛び出しそうなほどの笑顔で話すエリアスは、まるで子供のようだ。
「楽しそうですね」
「もちろん。嬉しいし、楽しみだよ。ノーラのドレス姿をあまり大勢に見せたくはないけど」
そんなもの見せられた方も困るだろうが、ノーラとしても結婚式が大規模でないのはありがたい。
……まさか大勢に見せたくないという理由で小規模にするわけじゃないだろうな、と一瞬恐ろしい考えがよぎったが、ノーラは慌てて首を振った。
いくら何でもそれはない。
国でも有数の名門侯爵家の跡継ぎの結婚式だ。
そんな理由で小規模にするはずがない……と思いたい。
「まあ、ドレスは素敵でしょうね。いっそエリアス様が着た方が、ドレスも喜ぶと思います」
「ノーラなら、何の飾りもないワンピースでも十分に可愛いよ」
「はあ……」
何十倍も麗しいエリアスに言われても、曖昧に返事をするのが精一杯だ。
「信じてくれないの?」
ノーラがごく普通の容姿であることは疑いようのない事実なので、信じるとか信じないという問題ではない。
だが、それを正直に言うと、何となく面倒なことになりそうな気がした。
「ちょっと、緊張しますね……」
結婚式は親族のみといっても、集まるのは名門カルム侯爵家の関係者だ。
そして結婚披露の夜会には更に大勢の客が来るのだろう。
エリアスの隣に相応しいとまではいかなくても、ギリギリ及第点を貰えるような対応をしなければいけない。
今から緊張してしまうのも仕方がないと思う。
「当日……歌う?」
「え? 歌っていいのですか?」
まさかの提案にエリアスを見上げると、空色の瞳が優しく細められた。
「結婚式ではちょっと無理だけど、夜会なら問題ないよ。楽団を呼んで演奏させるし、それにノーラの歌も加わったら喜ばれるんじゃないかな」
「ありがとうございます!」
ピアノやフルート、バイオリンなどとは一緒に演奏したことがあるが、楽団と呼ばれるような人数と一緒に歌ったことはない。
気が重かった結婚関連のイベントが一気に楽しみになり、何だか足取りも軽くなる。
嬉しくなれば、自然と頬も緩む。
それを見たエリアスも、同じように口元を綻ばせた。
「ノーラ」
「はい?」
エリアスの方を向いた瞬間に、唇を重ねられる。
毎度、あまりの早業に返す言葉も見つからず、ただ瞬くばかりだ。
「好きだよ」
宝石と見紛う輝きの瞳に見つめられれば、頬が熱を持つのも当然のことだ。
「わ、私もですが。……あまりキスばかりしないでください」
「どうして?」
純粋に心の底から不思議そうな顔で、首を傾げないでほしい。
そもそもの顔がいいのだから、そういう可愛い仕草をしないでほしい。
「恥ずかしいです」
「そうか。でも、恥ずかしがるノーラも可愛い」
そう言うが早いか、今度はノーラの頬に口づけた。
びっくりして頬を押さえると、エリアスは楽しそうに微笑んでいる。
その笑みの眩さたるや、世の美女達が諸手を挙げて降参するほどだ。
「エリアス様は、自分の顔の威力と色気をもう少し自覚した方がいいと思います」
「ノーラこそ、あまり俺を酔わせないで。……閉じ込めてしまいたくなる」
迸る色気に危うく鼻血でも出そうだが、最後の一言でそれもすっと引いていった。
「だから、エリアス様が言うと冗談でも怖いです」
ノーラの抗議に、エリアスはただ笑みを返すだけだ。
本当に、この美貌の侯爵令息は自分の顔面の持つ破壊力というものを、しっかりと把握してほしいものである。
ノーラは未だに熱を持つ頬をさすりながら、家路についた。
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次話 ノーラにまさかのピンチ……!