腹黒い上司と部下でした
エリアスに連れられて王城の中を移動し、到着したのは重厚な扉の部屋だった。
壁がすべて本棚になっており、大きな机には本と書類がうず高く積まれている。
対して横の机は何も置かれず綺麗だが、一体ここは何なのだろう。
「宰相は陛下に呼ばれているから、暫く戻らないよ。とりあえず、座って」
「……ということは、ここは」
「宰相の執務室だね」
やはりか。
メイドとして働いていた時にもこの周辺は近付いていないので、さすがに詳しい配置は知らなかった。
「確か、宰相の執務室周辺はメイド立ち入り禁止でしたよね」
「そう。色々機密文書もあるしね」
本来はお茶を用意したり掃除したりするはずのメイドを近寄らせないので、宰相の容姿や人柄はあまり知られていない。
ノーラも短い間とはいえ王城勤務をしていたが、一度も宰相の姿を見ることはなかった。
「そんなところに私を連れてこないでください。すぐに失礼します」
唯一出入りを許されているのはメイド長だけと聞いたし、その重要性と厳しさがわかるというものだ。
宰相自身の招待でもない限りは、近付かない方がいいだろう。
だが立ち上がろうとするノーラの手をつかむと、エリアスはその笑みで退室を阻んだ。
「……怒られても知りませんよ」
「俺が招いたんだから、怒られるわけないよ。ちょっと話をするだけだし」
「話、ですか?」
「そう。ノーラ、俺に何か言うことはないかな」
……これは、世間話ではない。
エリアスは優しく微笑んでいるが、回答を間違えたら恐ろしいことになる予感がした。
ペールが言っていた『先手を打つ』のは、恐らく今だ。
本能に従ってそう決断すると、すべてを説明する。
おとなしくそれを聞いていたエリアスは、ノーラの話が終わるとゆっくりとうなずいた。
「うん。知っている」
「……それ、おかしくありませんか。どこまで知っているのですか」
まさかという気持ちと、やはりという気持ちがノーラの中で拮抗しているが、当のエリアスは何ということはないという表情だ。
「メイド達の態度に関しては聞いているし、演奏家の二人はそういう態度を取ってもおかしくないとは予想できた。いずれ釘を刺すなり手を回すなりしようと思っていたけれど、ちょうどいいタイミングだったね」
「そのために、わざわざ来たのですか?」
「ノーラに会いたかったのは本当だよ。……それに、回廊でちょっかいを出している男がいるという話が届いたし」
「……また出ました。エリアス様の、ストーカー的情報網」
感心というよりは若干引いているノーラに気付いているだろうに、エリアスの笑みは揺るがない。
「情報源はあれですが。知っていたのなら、別に私から話を聞かなくてもいいのでは?」
「それは違うな。ノーラが俺に伝えるというのが大切。これだけ色々あって隠すようなら、ちょっとお仕置きかなとは思っていたけど。良かったよ」
お仕置きって何だ、一体何をする気だ。
もの凄く気にはなったが、聞いたら終わりのような気がする。
何にしても、エリアスに言うべきというペールの判断は正しかった。
心からの感謝を込めて、ペールの好きなクッキーを焼こう。
「そ、それにしても、エリアス様は人気ですね」
演奏家の二人は公認歌姫の件で不満があったようだが、メイド達は完全にエリアスに好意があったうえでノーラを敵視していた。
特に親しいという様子でもなかったし、要はファンということだろう。
エリアスに相応しくないという理由だけで、彼女達は自分の職務を放棄してもノーラに嫌がらせをしたのだ。
そこまで熱烈に想われるエリアスの美貌が恐ろしい。
「嫉妬してくれたのなら、嬉しいな」
そう言ったかと思うと、あっという間にエリアスはノーラの頬に唇を落とす。
まさかの早業に驚いて頬に手を当てながら見つめるのと、背後の扉が開くのはほぼ同時だった。
「……何だ。邪魔したかな?」
弾かれるように目を向ければ、そこには一人の初老の男性が立っていた。
この部屋に入ってきたから宰相なのかと思ったが、その男性の姿をノーラは見たことがある。
「あなたは、ペンキをくれた庭師の方……?」
王城でメイドとして働く際に、パウラに部屋の掃除を頼まれ、ついでに窓枠のペンキを塗り直したことがある。
その際にペンキを分けてくれた男性が、そこに立っていた。
「ああ。後で君が掃除をした部屋を見せてもらったが、あれは掃除の域を超えている。ちょっとした改装だ。よくまあ、あの短時間でこなしたものだとメイド長と呆れたものだよ」
「あの時は、ペンキをありがとうございました」
「どうせ余っていたのだから、気にしなくていい」
ノーラが立ち上がって頭を下げると、男性は手をひらひらと振りながら扉を閉め、そのまま向かいのソファーに腰かけた。
「そういえば自己紹介はまだだったか。私は宰相を務めているペッテル・プリングルだ」
「ノーラ・クランツと申します」
ノーラは姿勢を正すと、ゆっくりと頭を下げる。
何故庭師の真似事をしていたのかはわからないが、やはり宰相その人で間違いないらしい。
国でも有数の偉い人な上に、エリアスの直属の上司。
さすがに緊張していると、ペッテルは指を振ってノーラに着席を促した。
「陛下待望のエリアスを動かしたということで興味があったが、上辺だけ美しく取り繕った女性じゃなくて安心したよ」
「……ということは、私の仕事を確認するために庭師のふりをなさっていたのですか?」
「いや? あれは本当に庭仕事をしていただけだ。あれこれと老体を酷使する陛下に付き合っていられないからな。たまにはのんびりしたくもなる」
なるほど、あれは仕事というよりも息抜きに近いのか。
確かに宰相ともなれば、忙しいだろうし、気を張ることも多いはず。
草花の手入れをしていれば、心も落ち着いていい気分転換になるだろう。
「それに、私の姿を知らないものが多いからな。庭師だと侮って色々な話を漏らすことも多いし、盗み聞きできるのも便利だよ」
……違った。
全然、癒しを求めていなかった。
さすがはエリアスの上司なだけあって、負けず劣らず油断ならない人のようだ。
「まあ、エリアスにそういう女性に騙される可愛げがあるとも思えないが。……何にしても、後はさっさと仕事を覚えて、老いぼれを引退させてくれればいい」
「ご謙遜を。閣下には到底及びませんし、まだまだお若いではありませんか」
眩い笑みを向けるエリアスを胡散臭そうに見ると、ペッテルは楽しそうに笑う。
「よく言う。既に通常業務は難なくこなせるだろう。陛下が諦めなかっただけあって優秀なのはいいが、年齢に見合わぬ腹黒さはどうしたものかな」
「閣下のご指導の賜物です」
「私に責任転嫁するな。……ほら、おまえの大切な人が驚いているぞ」
ぽかんとして様子を見ていたノーラに気付くと、エリアスは少し困ったように微笑む。
「大丈夫? びっくりした?」
「はい、少し。エリアス様が腹黒さを隠していないことに驚きました」
ノーラが正直な感想を言うのと、ペッテルが噴き出すのはほぼ同時だった。
「そちらか! つまり君はエリアスの顔に似合わぬ腹黒さを理解しているわけだな?」
「顔に似合っていないのは同意致しますが、腹黒さの底までは存じません」
エリアスが腹黒く油断ならないことは薄々わかっているが、実際どれだけのものかは把握しきれていない。
だがペールやペッテルの話しぶりからして、結構やばいというのは推察できた。
「腹黒いと知っていて、まだ底があると感じ取れているだけで十分だ。世の女性達はこの顔に騙されて物腰穏やかな王子様扱いしているからな」
「騙されてとは酷いですね」
エリアスが眩い王子そのものという笑みを向けるが、ペッテルは胡散臭そうに眉を顰めるだけだ。
「まあ、それはそれで便利だから否定はしないがな。侮られるくらいの方がやりやすい」
「庭師の真似事をして皆を欺いている方に言われたくありませんね」
……どうしよう、帰りたい。
国の中枢を担う腹黒上司と部下の話など聞きたくもないし、巻き込まれたくもない。
公認歌姫と侯爵夫人は受け入れざるを得ないとしても、それ以外は穏やかに過ごしたいのだ。
「あ、あの。お仕事の邪魔になるといけませんし、私はそろそろお暇します」
「それなら、送るよ」
一緒に立ち上がろうとするエリアスを、ノーラは手で制する。
「結構です。お仕事してください」
「ノーラ一人じゃ、危ないだろう」
「エリアス様が馬車を手配してくれていますから、平気です。お仕事してください」
「でもアランは帰ったから、同行者がいないだろう?」
「御者がいます。一人ではありません。何なら一人で歩いて帰ってもいいくらいです。お仕事してください」
「今日の仕事はすべて終わらせているから大丈夫。ですよね、閣下?」
エリアスに笑みを向けられたペッテルは、大袈裟にため息をついて肩をすくめた。
「そいつが言うからには、そうだろうな。まったく、君は厄介な男に目をつけられたな。
諦めて送ってもらうといい」
ペッテルに出て行けとばかりに手を振られてしまい、ノーラは仕方なくエリアスと共に家路についた。
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次話 ノーラが恥じらいのコツを掴んだ……?