やはり、油断なりません
エリアスの指摘に立ったままと答えようとして、先程のメイドの様子を思い出す。
椅子がなければ座れず、座れないから飲み食いはできないとモジモジする姿。
あれが、恥じらいの正解……のはず。
となれば、ここで元気に立ち飲みをするのは論外なのだろうが、室内にはもう椅子はない。
「ええと。ちょっと椅子を探してきま――」
言葉の途中でノーラの腰に手が回されたかと思うと、気が付けばエリアスの顔が至近距離にあった。
「それなら、ここが空いているよ」
いつの間にかエリアスの膝の上に乗せられた……いわゆる抱っこというやつだ。
それに気付いたノーラは慌てて下りようとするが、しっかりと抱えられていて、まったく手が緩まない。
「エリアス様、下ろしてください」
「座って食べるのなら、ここでいいだろう?」
至近距離で空色の瞳に見つめられ危うく納得しそうになったノーラは、どうにか首を振る。
ここは王城だ。
歌の練習のために来て、今は休憩中であり、他に人もたくさんいる。
にやにやと薄笑いを浮かべるフローラは論外だし、何故かバイオリンとフルートの二人は口を押さえながら頬を染めているが、あれも見なかったことにして。
メイド二人の驚愕と怒りの表情を見れば、この場に相応しくないことが証明されている。
決して、エリアスの顔と色香に惑わされてはいけない。
「いいわけがありません。それなら食べませんし、飲みませんから、下ろしてください」
立ち食い立ち飲みがいけないのなら、飲食をしなければいい。
もともとただの休憩であり、特に喉が渇いているわけでもないのだから、問題ない。
「そうか。それは残念」
悲しそうに目を伏せられれば、ノーラが悪いことをしているような錯覚に陥るのだから、顔がいいというのは恐ろしい。
とにかく下りようとするのだが、やはりエリアスの手は緩まない。
「じゃあ、一口だけ食べてくれる?」
一転して眩い笑みと共に、フォークに刺したケーキが目の前に差し出される。
同時に周囲から悲鳴のような歓声が上がったが、もはや誰の声かはわからない。
「……何故ですか?」
「俺がノーラに食べさせたいから」
まったく理解不能な理由だが、この様子と腰に回された手からして、望みを叶えるまでは離さないつもりなのだろう。
それにしても、よりによってこんな人目のある場所で言わなくてもいいと思うのだが。
……いや、人目があるから言っているのかもしれない。
普通ならノーラが了承しないことをわかった上で、この場を円滑に収めるために受け入れると思っているのだろう。
さすがは油断ならない男、エリアス。
今日も眩いし、腹黒い。
じろりと睨んでみるものの、その笑みは崩れない。
どうやら引く気はないようだと悟ったノーラは、ため息をついた。
「一口だけですよ」
「うん。はい、ノーラ。あーん」
「掛け声は余計です」
ノーラの口にケーキを押し込んだエリアスは、それは楽しそうに微笑んでいる。
正直、笑みが眩くて消化不良になりそうなので、本当に控えていただきたい。
咀嚼を終えるとようやく手が緩んだのでエリアスの膝から下りるが、何だか周囲の視線が痛い。
にやけるフローラはまだいいとしても、バイオリンとフルートの二人は興奮気味で息が荒い。
メイド二人に至ってはノーラを射殺しそうな勢いの眼差しなのだが、どうしてくれるのだ。
諸々を糾弾すべくエリアスに視線を向けるが、にこにこと微笑んでいるだけだ。
絶対に反省していないし、何ならまた同じことを仕掛けかねない。
もう離れるのが一番安全のような気がしてきた。
「もう練習は終わったのかな? それなら、ノーラは借りていくよ」
「ええ⁉」
「どうぞ、どうぞ。お好きなように」
非難の声を上げるノーラに構わず、フローラが手を振っている。
バイオリンとフルートの二人は共に手で顔を押さえたままうなずいているが、鼻と口に一体何が起こったのだろう。
唯一笑っていないのはメイド達だが、それはそれで怖いのであまり見たくない。
「私はこのワゴンの片付けもありますから、エリアス様はお先にどうぞ」
先も何も、どこに行こうとしているのかわからないが、とにかく今エリアスと一緒にこの部屋を出たら、メイド達との関係が全力で悪化しそうだ。
別に仲良くなろうとは思っていないが、あえてこじらせたくもない。
一人で行けと視線で訴えると、エリアスはぱちぱちと瞬きをし、そして苦笑した。
「王城のメイドが用意してくれたお茶だよ。片づけはもちろん、メイドがする。……だよね?」
エリアスに語り掛けられたメイドは、困惑の表情で顔を見合わせている。
これはつまり、片づけをする代わりにノーラ達のお茶の用意をしなかったことには目をつぶる、と言いたいのだろう。
意図をくみ取ったらしい二人は互いにうなずくと、エリアスに頭を下げた。
「はい、私達の仕事です」
その返答に、エリアスはノーラに笑みを返した。
「ほら、大丈夫。王城のメイドたるもの仕事を放棄するようなことはないだろうから、安心していいよ。ノーラ」
笑顔と優しい声なのに、職務放棄は許さないという、ちょっとした確認と脅しにしか聞こえない。
それはメイド達も同じだったのか、姿勢を正した二人は再び頭を下げた。
やはりエリアスは油断ならない。
改めてそれを実感しながら、ノーラはエリアスと共に部屋を出た。
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