甘いですね
「婚約者がいるのに、複数の男性と親しくお話だなんて。公認歌姫とやらは、人気で結構ですね」
ワゴンを押して練習用の部屋に戻ると、ノーラを出迎えたのはメイドの声だった。
二人でクスクスと笑いながらこちらを見ているが、複数の男性と言うからにはフーゴとスヴェンのことだろう。
つまり、回廊まで様子を見に来ていたことになる。
ちらりと覗いて、ノーラよりも先に戻り、何食わぬ顔で嫌味を言う。
言葉にすれば簡単だが、あの回廊からこの部屋までは距離がある。
二人に遭遇して面倒くさくなったノーラは、誰にも話しかけられないようにそれなりの速度でワゴンを押していたのだから、それより早いとなると確実に走っているだろう。
意外と体力勝負な嫌味だが、こんなことをして本当に楽しいのか疑問でしかない。
ワゴンを置いてメイドのそばに移動すると、それまで嘲笑っていた二人が少し狼狽えている。
「あなた方のお仕事は、何ですか?」
「な、何?」
「ウルリー会の練習に来ている、私達四人へのお茶の提供ですよね?」
「それが何?」
「現在、それを放棄している状態ですが。本当にこれでよろしいのですか?」
一瞬怯んだものの、二人は顔を見合わせて互いを鼓舞したのか、ノーラを睨みつけてきた。
「公認歌姫様は随分と偉そうな物言いですね。それとも、カルム侯爵令息と婚約して自分も偉くなったとお思い? 美人でもない上に品のない男爵令嬢だなんて。エリアス様がかわいそうです!」
食ってかかるように叫んだメイドを見て、ノーラは大きなため息をついた。
「それが職務放棄の理由ですか? ――甘いですね」
「何ですって⁉」
「たとえ貴族令嬢の行儀見習いであろうとも、王城に入ってその制服に袖を通している以上は、メイドです。メイドとして働く以上はその職務をまっとうすべきです。ここまでは、間違っていませんよね?」
メイド二人は何かを言おうと口を開きかけるが、ノーラの視線を受けると何故か口を閉ざした。
「対価をいただく以上は働いて当然です。相手が美人ではなくても、品がなく身分の低い男爵令嬢でも、麗しい侯爵令息を奪った憎い敵だとしても、分不相応な役職をいただいていても、貧乏でも、胸がなくても、心から軽蔑していようとも! 笑顔でお茶を用意するのが、あなた方に課せられた使命なのです!」
拳を掲げて力説したのだが、メイド二人はぽかんと口を開けている。
人の話を聞くときには口は閉じるべきだと思うが、そこまで言っていてはキリがない。
「正直、私はお茶を用意してもらわなくても一向に構いません。何ら問題ないです。ですが、あなた方は違うでしょう? 誰も何も言わなくても、いずれメイド長には知られます。その時に、一体何と釈明するつもりですか」
二人は口を閉じたかと思うと、段々と眉間に皺を寄せ始める。
ノーラの言葉が不快なのか、内容を理解しているのかはよくわからない。
「貧乏で美人でもなく胸もないのに、あれこれと分不相応と言いたい気持ちはわかります。ええ、痛いほどにわかります。すべて事実です。ですが、それと職務放棄は別問題。あなた方の都合のせいで、王城のメイド全体の価値まで下がりかねません。どうせなら、個人的に私に喧嘩を売るべきです!」
「ええ⁉」
怒りとも困惑ともとれる表情のままメイドが震えている。
「あ、でも今日はもう自分で用意したのでお茶はいりません。それから、喧嘩を売っていただくのは結構ですが、買うとは限りませんので」
貧乏だ、美人ではない、胸がないだなんて、当然のことなので反論するに値しない。
つまり、喧嘩になりようもないからだ。
「……随分と物騒な話をしているね」
急に耳に届いた麗しい響きにつられて視線を動かせば、扉の前に灰茶色の髪に空色の瞳の美青年が立っている。
メイド二人がエリアスを見て歓声を上げるのを聞いて、ノーラは自分の恥ずかしい失態に気が付いた。
「恥じらい……また忘れていました」
職務放棄に関して話すのに夢中だったが、よく考えれば拳を掲げて対価に見合う働きをしろと訴えるのは、淑女ではない気がする。
とはいえ、言った内容に悔いはない。
……今更ではあるが、ノーラに恥じらいは相性が悪すぎるし、才能がないようだ。
不甲斐ない恥じらいに少しばかりがっかりしていると、いつの間にかエリアスがノーラの隣にやってきていた。
「それで、君達。ノーラが何だって?」
眩い笑みにうっとりと目を細めていた二人は、何を言われたのかに気付くと、さっと顔色を変えた。
「いえ、その。クランツ男爵令嬢が、お茶の淹れ方が気に入らないとお怒りで……」
悲し気に顔を伏せつつ、ちらりとエリアスを見上げるその様子に、ノーラは感銘を受けた。
――これはまた、なかなかの恥じらいだ。
言っている内容はともかく、何となく不憫で肩入れしたい雰囲気が出ている。
フーゴもこのメイドもごく自然に恥じらいを実行できているが、これが生粋の貴族との差なのだろうか。
一応はノーラも貴族だが、貧乏ゆえの教育不足がここに現れているのかもしれない。
それなら、フローラは自然に可愛らしい恥じらいを見せているのも、納得だ。
だが、メイドの態度と言葉に感心しているのはノーラだけのようで、エリアスは表情を一切変えないし、フローラに至ってはあまり人様に見せられないような怒りの顔である。
「ありえないけれど、万が一、仮にそうだとして。……それで、君達はどうしたの?」
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次話 エリアスの圧が強い……!