やばいので、先手を打ちます
「……それ、エリアスさんに言っておいた方がいいと思いますよ」
自宅に帰ってペールに今日の様子を話していると、いつの間にか表情が曇っている。
「でも、アンドレア様の胸が豊かなのは、もう知っていると思います」
「そっちじゃありません。何だかんだと嫌がらせされたことです」
呆れたようにため息をつくと、ペールは紅茶のおかわりを注いでいる。
ノーラが帰宅する前から飲み始めていたらしく、既に紅茶と言ってもいいのかわからない薄さだが、気にする様子はない。
「多少の意見の食い違いはありましたが、和解しましたよ?」
「そうじゃなくて、王城のメイドです」
「……まあ、確かに本来は四人分のお茶の用意を命じられているはずなので、職務怠慢ですね」
二人分だけ用意しましたと正直に言うはずもないので、つまりは虚偽の報告になる。
与えられた仕事をこなさない上に報告まで偽るとなると、かなりの問題だ。
「それもあるでしょうが、エリアス様に事情は伝えた方がいいと思います」
「特に被害はないのに、ですか?」
「はい」
「エリアス様も忙しいのに、わざわざですか?」
「はい。……まあ、きっと知っているでしょうけど」
今日は朝しかエリアスに会っていないので、当然ノーラと話もしていないのだから、知る術がないと思うのだが。
「ああ、アラン様ですか? 帰りにフローラが文句を言っていましたから、エリアス様に伝わっているかもしれませんね」
「だとしても、姉さんから早めに言った方がいいですよ」
「そんなに深刻な問題ですか?」
あまりにも真剣な顔で訴えられるので困惑してしまうが、要はちょっとした嫌がらせでお茶の用意をされなかったのと嫌味を言われたくらいだ。
王城のメイド長ならば職務上看過できないだろうが、この程度でエリアスに伝える必要性があるだろうか。
「だから、嫌がらせの内容云々の話じゃありません。姉さんがエリアス様に報告しなくてもいいと思ったことがばれる前に、言った方がいいと思います」
何やら不穏な言い回しに、ティーカップに伸ばした手を止めてペールを見る。
母親似の美しい顔の弟は、視線に気付くと困ったように眉を下げる。
「俺も何だかんだと情報網を広げようと頑張っていますが。こう言っては何ですが、エリアス様はたぶん……やばいです」
「……やばいって、何ですか」
確かに顔面の麗しさと迸る色気はやばいし、そのストーカー的な情報網もやばいとは思うが、ペールがそこまで言うとなると気になる。
すると、その不安を和らげるかのようにペールがにこりと微笑んだ。
「あの人を本気で心配させたり怒らせると面倒だと思いますので、先に手を打ちましょう。大丈夫です。扱いを間違えなければ、強力な味方ですから」
「……はあ」
何だか妙な表現ではあるが、一理あるような気もする。
必要のない情報なら忘れるだろうし、うっとうしいなら報告はいらないと言うだろう。
となれば、念のために伝えるだけ伝えておいた方がいいかもしれない。
「わかりました。次に会ったら、言います」
「それがいいと思います」
明日も王城でウルリー会の練習だが、エリアスは都合が悪いのでアランが迎えにきてくれる予定だ。
ということは、最速でも明日の帰りの送迎で会うかどうかというところ。
まずはエリアスよりも、ウルリー会の歌のことを考えなければ。
ノーラは紅茶を一口飲むと、頭の中の楽譜をなぞり始めた。
「今日もお茶の用意をされていないの? 気持ちはわからないでもないけど、さすがにメイド長に見つかったら謝罪じゃすまないのに。よくやるわよね」
王城の厨房にあれこれを貰いに行くと、パウラが呆れたようにため息をついた。
「気持ちがわかるのですか」
ティーカップをワゴンに乗せながら尋ねると、茶葉を持ってきたパウラがうなずいた。
「それはそうでしょう。あの美貌のカルム侯爵令息と婚約して、異例の公認歌姫に任じられるなんて。各方向から全力の嫉妬が降り注いで当然よ」
「そういうものですか」
確かにエリアスの顔はいいし、歌姫の件は最初に色々言われた。
だが、それと自分の職務を放棄することは、また別の問題のような気がするのだが。
「そうよ。これでノーラがレベッカみたいに威張り散らすなら、皆で文句に花を咲かせてある程度発散できるけれど。ノーラのメイドとしての働きぶりを知っている人も、応援している人も多いから。盛り上がりに欠けて、鬱憤が溜まっているんじゃない?」
では、ノーラとフローラにお茶を用意しないのは、彼女達なりの憂さ晴らしということか。
「では、私がこうして自分でお茶を用意しているのも気に入らないのでしょうか」
「もちろん。でも、阻みようもないし、下手に騒げばメイド長にばれるしね。大体、ノーラが告げ口しないという自信はどこからきているのかしら」
そう言われれば、確かにそうだ。
ノーラがメイド長にお茶の用意を拒否されたと訴えれば、すぐに改善されるだろう。
その上で、彼女達もそれなりの罰を受けることになるはずだ。
「危険を冒してまで続けたい嫌がらせがお茶の用意の拒否って、何だか微妙ですね。やるなら、もっと正々堂々と……鍬を掲げて襲い掛かるとか」
別に襲われたいわけではないが、心意気としてはそれくらいでもいいと思う。
逆にそれくらいでなければ、半端な嫌がらせなど無意味だし、かえって自分の首を絞める。
ノーラにはよくわからない心理だ。
「意外と怖いことを言うわね。昨日ノーラの話を聞いたから、誰がお茶の係なのか聞いてみたの。担当しているのは、行儀見習いの貴族令嬢みたい」
「ああ。だからカルムの双子を知っているのですね」
王城のメイドでは直接目にする機会もそれほどないだろうし、噂などで恋心を募らせているのなら凄い妄想力だなと感心していたのだが。
貴族令嬢ならば、色々な夜会などで姿を目にする機会もある。
どうやら卓越した妄想力を持った、恋する乙女ではないようだ。
「しかも、子爵令嬢と伯爵令嬢。ノーラは男爵令嬢でしょう? そのあたりで自分よりも下だと思っているらしいのよね」
「まあ、爵位では下ですね。財力と容姿に胸も恐らく下です。ですが、だからメイドの仕事をしないという免罪符にはならないと思います」
既にパウラが把握しているくらいなのだから、ノーラが何も訴えなくても、メイド長に話が届くのは時間の問題だ。
「胸って何? ……まあ、いいわ。どうする? 私からメイド長に言おうか?」
「いえ。パウラさんが巻き込まれてもいけません。とりあえず、私の方から彼女達に話をしてみます。それで駄目なら、メイド長に伝えます」
「そうね、それがいいのかも。……よし。じゃあ、今日はこれを持って行って。ちょっと途中だけど、ノーラなら大丈夫よね?」
パウラはにやりと微笑むと、よくわからない信頼のもとにワゴンにそれを乗せた。
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次話 ノーラの前に現れた男性は……?