一石二鳥だそうです
「ノーラ、今度のウルリー会だけど」
「何ですか、その呼び名」
いつものように店の楽屋に入ると、フローラが謎の会の名前を告げてきた。
「王城で『男装の麗人ウルリーカ』を取り上げた夜会を開いて、そこでノーラも歌うんでしょう? 私もピアノで参加することになったわ」
「フローラが一緒なのは嬉しいのですが……その名前はどうしたのですか?」
「今回の夜会を提案したカルム侯爵夫人が『男装の麗人ウルリーカを皆で楽しむ夜会は、名前が長い』と言って。この名前で呼ばないと怒られるらしいわ」
「そうですか……」
かなりの熱の入れようだとは思っていたが、熱の方向が謎だ。
まあ、確かに長いので省略する気持ちはわからないでもないが、だったら普通に夜会でも良くはないだろうか。
「うん? ということは、フローラも挨拶を済ませたのですね?」
はにかみながらうなずくフローラはとても可愛らしい。
恥じらいはすぐそばにあるのに、ノーラだけを避けている気がして解せない。
「フェリシア様があんなに自由な方だとは思わなかったわ」
「確かに、自由ですね」
だが逆に言うとあれくらいの女性でなければ、油断ならないエリアスとその父親と共にはいられないのかもしれない。
行動を真似するのは難しいが、心意気は参考にしたい。
「私がピアノ奏者に選ばれた理由、知っている?」
「え? ピアノが上手くて可愛いからじゃないですか?」
「そんなの、他に本職のピアニストがいるでしょう。そうじゃなくて、どうやらフェリシア様の意向らしいのよね」
カルム侯爵夫人となればその意向を取り入れられるのも納得だし、そういえば全力で後押しするとか言っていた。
「私が歌いやすいようにフローラに声をかけてくれたのでしょうか」
「惜しい。それよりも現実はアレよ。何でも、フェリシア様は息子の花嫁二人共演を楽しみたいらしいわ」
花嫁二人。
確かにノーラとフローラはカルム兄弟と婚約しているわけで、いずれは結婚するのだから花嫁というのは間違ってはいないが。
「そんな私情で決めていいのですか」
全力の後押しとは、そういうことだったのだろうか。
どうも権力の使い方がおかしい気がする。
「誰も止めなかったのなら、いいんじゃないの? 私達に決定権はないし、従うだけよ」
息子の嫁を共演させたいという理由でそれを現実にできるのならば、きっと小道具の鍬も凄いことになっているのだろう。
貴金属でできた高価な鍬とかは持つのに心理的負担が大きいから、できればやめてほしいのだが。
「まあ、何はともあれ頑張りましょう。はい、今日の楽譜」
ノーラは楽譜を受け取ると、小さくため息をついた。
「今日の歌も素晴らしかったよ、ノーラ」
「ありがとうございます。いつの間にお店に来ていたのですか?」
今日もエリアスが王城に行っていたので、ノーラを迎えに来てくれたのはアランだった。
この口ぶりでは歌を聴いていたようだが、かなり忙しい移動ではないだろうか。
「ノーラの歌にはギリギリ間に合ったよ。帰りは俺が送るからね」
「忙しいでしょうに。無理しないで少し休んだらいかがですか?」
ノーラは現在週に三日ほど歌っているので、今日を逃したところですぐに次の機会は訪れる。
何も慌てることはないと思うのだが。
「休む暇があるなら、ノーラに会いたいから」
「凄いですね。顔面から滲み出る破壊力が桁違いです」
「……なあ、それは惚気なのか?」
アランが呆れながら鳥の皮を揚げたものをつまんでいる。
だいぶ前からお気に入りで食べているが、まだ飽きていないらしい。
「そういえば、フローラはどうしたの?」
「今日はお店の売り上げを計算しなければいけないので、食事は一緒に摂れないそうです」
「そうか。残念だね、アラン」
「お、俺に言うな!」
ノーラはいつものように目の前に用意された葡萄ジュースを飲むと、小さく息をついた。
「エリアス様もフローラも忙しいですし、アラン様の送迎の回数が増えているので負担ですよね。以前に言っていた護衛というのは、もうすぐ決まりますか?」
「一応、候補は何人か出されたけれど、微妙でね。再選考中だよ。何か問題があった?」
微妙とは何だろうと気にはなったが、そのあたりは宰相なり国王に決定権があるのだろうから、何かお眼鏡にかなわなかったのだろう。
ノーラが口を出しても仕方がない。
「いいえ。ただ、いつまでもアラン様の善意に頼っているのも申し訳ないなと思って」
「アランなら平気だよ。暇だろう?」
「まあ、暇だけど……おまえに言われると何だか腹が立つな」
「忙しい兄のために手伝ってくれると助かるな。アランだから、頼めるんだ」
にこりと微笑まれたアランは、何やらモジモジとしている。
「そ、そんなに言うなら。……手伝ってやる」
まるで乙女のような口ぶりに、ノーラは感銘を受ける。
顔面の良さも加わって、ただの素直じゃない美女にも見えてきた。
ノーラの何倍も恥じらい感があって、チョロくて可愛らしい。
何とも恐ろしい双子である。
「本当に平気ですか? お疲れですよね?」
お店からの帰り道、エリアスと一緒に歩きながら尋ねてみると、空色の瞳が細められる。
「忙しいけれど、ノーラに労ってもらえれば大丈夫だよ」
労うというと、苦労や骨折りに対して感謝すること。
つまりは、褒めろということだろうか。
「エリアス様は凄いです。頑張っていて偉いです。お疲れ様です」
すると、きょとんと目を丸くしたエリスは、次いで苦笑した。
「うーん。言葉も嬉しいけれど、俺はこっちがいいかな」
こっちとは何だろうと思う間もなくエリアスの手がノーラの頬に伸び、唇を重ねられる。
離れていく吐息までも色っぽくて、ノーラには刺激が強い。
熱を持つ頬を思わず両手で抑えた瞬間、ノーラの中で何かがひらめいた。
「……もしや、これは恥じらいチャンス?」
婚約者にキスされて頬を染めるなんて、なかなかの恥じらいのような気がする。
これは降って湧いた貴重な機会だ。
是非ともここで恥じらいのコツを身につけたい。
いずれはそれを応用して、常時恥じらえる淑女を目指したいところだ。
「恥じらいチャンス? 何それ」
「ええと。恥じらいを身に着けたいと思っていまして。今、エリアス様にキスされて恥ずかしかったですし、顔も熱いですし。この調子でコツをつかめばいけるのではないかと」
ノーラなりに説明したのだが、エリアスは不思議そうな顔をして首を傾げている……かと思えば、何やらにこりと微笑んだ。
「そうか。なら、俺が手伝ってあげるよ」
「え?」
声を上げる間もなく、エリアスの唇が降ってくる。
驚いて抗議しようにも、何度も口づけられて呼吸すらままならない。
いい加減呼吸が乱れたところでようやく離れたエリアスは、実に眩い笑みを浮かべている。
「ノーラは恥じらいを学べるし、俺は労われて幸せ。一石二鳥だね」
「こ、これは、正解ですか……?」
自分で言い出したことだが、どうも思っていたものと違う。
もっと、頬を染めてアランのようにモジモジする方向だと思ったのだが、キスされ過ぎて呼吸困難という状態に、恥じらいは存在するのだろうか。
「わからないなら、もう一度試そうか?」
色気を隠さぬ麗しい笑みで恐ろしいことを尋ねられ、ノーラは慌てて首を振る。
まったく、エリアスは油断ならない。
ノーラはわかり切っていたことを再確認しながら、家路についた。
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次話 ウルリー会の練習が始まったが、演奏家達が……?