建国祭の余波
「ノーラさんとの婚約を許していただき、ありがとうございます」
頭を下げるとエリアスの灰茶色の髪がさらさらと揺れ、それだけでも麗しい。
隣に座る美しい生き物を眺めていると、顔を上げた空色の瞳と目が合う。
にこりと微笑まれれば鼓動が跳ねるのだから、迂闊に見てはいけなかった。
慌てて視線を逸らすと、エリアスどころか向かいに座ったペールまでが笑っている。
今日はクランツ家に婚約の挨拶をしに来たわけだが、見慣れた我が家に麗しい青年がいるというのは、なんだか落ち着かない。
そもそも、母のリータと弟のペールはそれなりの美貌だ。
街でちょっと噂になる程度には、間違いなく麗しい。
それが霞むほどの絶対的美貌なのだから、本当に始末に負えない。
クランツ家の人間はエリアスの美貌で骨抜きにされて話が進まないということはなかったので、それだけは幸いだ。
ノーラの隣にエリアスが座り、家族がその向かいに座っているのだが、さっきから父カールの動きが気になって仕方がない。
クランツ家のソファーには謎の凹凸があり、普段はカールが微妙に傾きながら座っている。
さすがに婚約の挨拶で傾いているのは良くないと思っているのか、何度も姿勢を直そうとしては徐々に傾くカールを見ながら、ノーラは小さく息をついた。
「何だかんだあったけど、説明と謝罪にも来てくれたしね。気持ちは十分伝わった。ノーラがいいなら、私達も喜んで受け入れるよ」
にこにこと微笑むカールは、そう言って紅茶を口にした。
クランツ家名物のどんどん白湯に近付く紅茶ではなく、ちゃんと紅茶色の紅茶である。
もともとは貧乏ゆえに茶葉を再利用していたのだが、慣れてしまった現在も限界まで茶葉を酷使するのが続いていた。
とはいえ婚約の挨拶で侯爵令息を迎える今日は、さすがに『どこまでいけるか白湯チャレンジ』を開催するわけにはいかない。
だからごく普通の紅茶なのだが、慣れない濃い味が気になるのか、カールは一口飲み込むと何やら難しい顔をしている。
「ノーラが王家公認の歌姫になったことを、エリアス君はどう思っているのかな?」
ごく普通の世間話をしていたかと思うと、カールがぽつりとそうこぼした。
特に怒っているわけでも嫌そうにしているわけでもないが、質問の意図が読めない。
「ノーラさんの歌の価値を陛下が認め、王家として保護したいというのは素晴らしいことだと思っています。後ろ盾ができたので、今後も歌い続けることが可能ですし……身の安全を図るのにも、ちょうどいいと思っています」
エリアスの話をじっと聞いていたカールはうなずくと、何やら紙の束のようなものを取り出してテーブルに乗せた。
「建国祭の後から届いた、ノーラの歌を聴きたいという手紙だよ。夜会に招きたいとか、個人的に歌を聴きたいとか……後援したい、専属契約したいなんてものもあるね」
まさかの言葉にテーブルに視線を戻すが、軽く見積もっても二十以上はあるだろう。
建国祭以降というのならば、それほど長い期間でもないのに、衝撃の量である。
「初めて聞きましたけど」
「言っていないからね。ノーラはお店で楽しく歌っているから、十分だし。うちの借金を肩代わりするからノーラを差し出せと言わんばかりの要求は、伝えるに値しないしね」
クランツ家は先祖代々泥沼の借金を背負った貧乏男爵家であり、もちろん周囲もそれを知っている。
実際には婚約破棄騒動の慰謝料で借金は消えたのだが、貧乏なことには変わりない。
なので、はたから見れば借金の有無はわからないだろう。
「でも、夜会で歌うくらいなら別にいいのでは」
「一度歌うだけならね。でも、ノーラの歌は素晴らしいから、それで終わりになるとは思えない。それに一件引き受けたら、他を断りづらくなる。あちらは受け入れたのに、こちらは何故駄目なのかと絡んでくること請け合いだよ」
やれやれと言わんばかりに肩をすくめているが、さすがにそこまで歌に固執されるとは思えない。
「まさか」
「本当だよ。だって、今まさに絡まれているから」
しれっと言うので聞き流しそうになったが、絡まれているというのは一体どういうことだ。
「貴族の中でも貴族貴族している連中は、自分を優先にしろとうるさいんだ。ねえ、ペール」
「優先したくなるだけの御立派な貴族様がいないので、仕方ありませんよ。大体、姉さんを商品扱いして自分のステイタスに利用しようとしているんです。弱小貧乏男爵家に断られて悔しがるのがお似合いです」
「ノーラをモノ扱いされて気分が悪いので断っていますし、その後の面倒を避けて一件たりとも承諾していないのもいいのですが。……最近は、さすがにそれでは収まらなくなりかけていましたからね」
最後にリータが付け加えた言葉に、エリアスの眉がぴくりと動いた。
「契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~」完結。
よろしければ、ご覧ください。
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