一生をかけて支払います
「私、頑張ります。公認歌姫に相応しいように。エリアス様の足を引っ張らないように。陛下に報いるためにも」
そこまで言うと、ノーラは小さく息をついてエリアスに体ごと向き直った。
「私、歌は諦めるべきなのかと思っていたんです。でも、そんなの私じゃないし、きっと後悔します。でもエリアス様に迷惑もかけたくなくて。……だから、陛下は恩人です。これでエリアス様のそばで、ずっと歌えますから。――幸せです」
心からの感謝の気持ちで、自然と笑みがこぼれた。
「……ねえ、ノーラ。気付いている?」
「はい?」
少し硬い表情のエリアスの問いに、ノーラは首を傾げる。
「それ、俺のそばにずっといたい、って聞こえるよ」
「え?」
驚いて目を瞠るノーラを見ると、今度は悪戯っぽい笑みをエリアスが浮かべた。
「ノーラからプロポーズされたようなものかな。嬉しいよ」
「そ、それは……」
色っぽく微笑まれて、一気にノーラの頬が熱を持つ。
慌てて否定しようとして、ふと考えた。
違う、のだろうか。
……いや、違わない。
結局、エリアスとの将来を考えているから、歌を続けられないのかと悩んだのだ。
エリアスと一緒にいるために、考えたのだ。
ノーラは、エリアスと一緒にいたいと……この先も一緒がいいと、思っているということだ。
「……そうかもしれません」
「え?」
想定外の答えだったらしく、エリアスがぽかんと口を開けている。
もちろん、そんな顔も美しいのだから、困ってしまう。
「ちょっと、お借りします」
テーブルの上に置かれた一輪の青い薔薇を取ると、まっすぐにエリアスに差し出した。
「エリアス・カルム様。――私と、結婚してください」
既に開いていた口を更に開けて、エリアスが完全に固まった。
暫しの沈黙が流れ、さすがにノーラが不安になってきた頃、ようやくエリアスの口が動いた。
「……な、何?」
「いえ、考えたのですが。私はエリアス様と一緒にいたいです。今まで散々お断りして、延期していますので。ここらでひとつ、しっかりとけじめを……」
「――ま、待って待って」
真剣に意見を述べるノーラに対して、エリアスはどんどんと顔が赤く染まっていく。
「ノーラ……。何で、そういうところが強いというか、男らしいというか……」
珍しく言葉に詰まっているエリアスに、ノーラは一つの可能性に気付いた。
「あの。もちろん、お断りいただいても結構です」
今のところ恋人だが、将来を考えられないのなら、迷惑な申し出だろう。
多少切ないが、こういうことはハッキリとさせておいた方がいい。
すると、エリアスはがっくりと肩を落とした。
「……するわけないだろう。もう、本当に何なんだよ、ノーラは。俺は翻弄されてばかりだ」
「怒っていますか?」
ノーラが問うと、エリアスは首を振り、ため息をつく。
そんな悩まし気な仕草ももちろん、麗しい。
「怒っていない。……自分の不甲斐なさというか、間の悪さには、ため息しか出ないよ」
そう言ってノーラの持つ薔薇を受け取ると、それをテーブルに置く。
何だろうと見守るノーラの前でソファーから立ち上がったエリアスは、ポケットから何かを取り出すとそのままその場にひざまずいた。
「ノーラ・クランツ。――俺と、結婚してください」
差し出された手の平には、指輪が乗っていた。
「わあ、用意がいいですね」
感嘆の声を上げるノーラとは対照的に、エリアスは苦々しい笑みを浮かべている。
「まさか、ノーラに先を越されるとは思わなかったよ」
「薔薇、ですか?」
銀色の指輪には、立体的な銀の薔薇があしらわれていて、その横には小さな空色の宝石が輝いていた。
「……エリアス様の瞳の色ですね」
「つけてくれる?」
ノーラがうなずくと、エリアスはそっとノーラの左手を取る。
薬指に収まった指輪は誂えたようにぴったりだが、どうやってサイズを確認したのだろう。
こういうところが、エリアスのストーカー的情報網の怖いところである。
だが、今は怖さよりも嬉しさの方が上回っていた。
「綺麗ですね」
決して華美な装飾ではないが、指につけてみるととても印象的で美しい。
何より、エリアスの瞳の色を身に着けるというのは、何だかくすぐったい気持ちになった。
ふと気付くと、エリアスがノーラをずっと見つめている。
「どうかしましたか?」
「いや。宝飾品を素直に受け取ってもらったのは初めてだな、と思って」
「この指輪は、特別です」
顔のいい不審者に押し付けられた謎のものではない。
恋人にプロポーズして……いや、されて?
ともかく、信頼した相手からならば、話は別である。
「うん。……それで、ノーラ。返事は?」
それを言ったら、ノーラの方に返事をされていないのだが、ここはまとめて返事ということでいいのだろう。
「あ。待ってください。恥じらいを忘れていました」
「恥じらい?」
「アンドレア様に、恥じらいが足りないと教わりまして。恥じらい……この場合、どうするのが恥じらっていると言えるのでしょうか」
既にノーラからプロポーズしたような形なので、手遅れのような気もする。
だが今後のためにも、恥じらいポイントは知っておいて損はないだろう。
「……あのね、ノーラ。恥じらうなら、結婚してくださいとか、けじめだとか言わないと思うよ」
「あ、やっぱりですか。困りましたね。撤回すればいいですか?」
「いや、それはやめて。せっかくノーラがその気になってくれたんだから。若干、俺が情けないけど、それでもいいから。……それで、返事は?」
エリアスは苦笑すると、ひざまずいたままの姿勢でじっとノーラを見つめる。
空色の瞳は澄んでいて、とても綺麗だと思った。
「私で良ければ――喜んで」
そう言うが早いか、エリアスは立ち上がる。
そのまま、ソファーに座ったノーラに覆いかぶさるように、勢いよく抱きしめた。
「あー、幸せ。……長かったなあ。本当に、長かった」
すっぽりと腕の中にノーラを収めたエリアスは、そう言いながらノーラの髪に何度も唇を落としている。
チュッというリップ音が聞こえるのは恥ずかしいのだが、何だか子供みたいに喜ぶエリアスが面白くて、自然とノーラの口元も綻ぶ。
「お待たせしました」
エリアスは腕を緩めると、くすくすと笑うノーラをじっと見つめる。
「うん。待った。これから、待たされたぶん、しっかりと支払ってもらうよ」
「また借金生活ですね。……これから、一生をかけて支払います」
ノーラとエリアスは視線を交わして微笑むと、そっと唇を重ねた。
これで「恋人編」は完結です。
ここまで読みいただき、ありがとうございました。
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これも読んでくださる皆様のおかげです。
ありがとうございます。