ゴミでも喜んでくれそうです
「あと、これもどうぞ」
「これは?」
受け取ったエリアスが包みを開けている間、ノーラは自身の目を休ませようと、しきりに瞬きをする。
「これ、ハンカチ? ……何をしているの、ノーラ」
「休憩です。気にしないでください」
両手で瞼をぐりぐりとマッサージしているところを見られたが、ご両親に生足を見られるよりは問題ない。
「何かプレゼントしたいなと思ったのですが、エリアス様は何でも持っているでしょうから。私が青く染めたんです。白抜きで、イニシャルも入れました」
思いの外上手くイニシャルを入れられたので、ノーラとしては自信作なのだが、どうだろう。
じっとエリアスの様子を窺うが、今度はハンカチから視線が動かない。
「あの、もちろんエリアス様が持っている品とは比べるべくもないですが」
「――俺のために、染めたの?」
「はい。染物のバイトをしていたことがありまして。その伝手で」
「でも、この染料は高価だろう?」
「よくご存知で。でも、王城のお給料はさすがです。少し余裕があったので、ハンカチも絹にできました。……そのぶん、失敗したら終わりなのでドキドキしましたが」
家で糸を抜く時にはかなり緊張したが、こうして綺麗にできあがったので満足である。
「王城の給料って……まさか、働きたいって言ったのは、このために?」
何度もハンカチとノーラを見比べているが、こんなに落ち着きがないエリアスを見るのも新鮮だ。
「はい。振舞いを学びたいのも、ありましたけれど」
そう言い終わるよりも先にエリアスの腕が伸びて、あっという間に抱きしめられる。
「ありがとう。嬉しいよ。……凄く、嬉しい」
「本当ですか」
エリアスの腕の中で声を間近に聞くのは未だに恥ずかしいが、今は喜んでくれたというだけで何だか心が満たされていた。
「うん。ありがとう」
「良かったです。ハンカチを絹にした甲斐がありました」
「……そこじゃないよ」
腕が緩んだので見上げてみると、エリアスは何やら苦笑している。
「ノーラがくれるものなら、雑巾でも嬉しい」
「それ、フローラとアラン様が言っていました。ゴミでも喜んでくれるだろうって」
「そうだな。そうかもしれない」
エリアスはハンカチを見つめると蕩けるような笑みを浮かべて、薔薇と共にテーブルの上に置いた。
「ところで、エリアス様。さっきの陛下のお話はどういうことでしょうか。家を継ぐのはわかりますが、宰相補佐というのは……?」
「うん。ずっと打診されてはいたんだけどね」
「……私のせいですか?」
トールヴァルドは、『恋人が地位や身分に執着しないどころか、それが枷になる』と言っていた。
エリアスに対して打診していたのなら、この恋人というのはノーラのことなのだろう。
それはつまり、ノーラはエリアスの将来を阻んでいたということだ。
ギリギリ貴族の端くれのノーラにだって、宰相が国の重要な職だということくらいわかる。
その誘いを断らせる原因になっていたなんて、あまりにも申し訳なかった。
『偉い人からの命ならば、受けるしかない』のなら、それを断っていたエリアスが不敬だと叱られたのだろうか。
すると、いつの間にか俯いていたノーラの頭をエリアスが優しく撫でた。
「そうだけど、悪い意味じゃないよ。そもそも、宰相補佐の地位には特に興味もない」
顔を上げると、そこにはいつまで経っても見慣れない美しい笑顔がある。
「侯爵を継げば、俺のせいで歌うことに制限がかかるだろう? ……まあ、俺としてはノーラを独り占めも悪くないとは思うけど。でも、君を檻に入れるつもりはない」
何だろう。
ものの例えだとわかっているのに、エリアスが言うとちょっと怖い。
「だが、そうなるとノーラを守る力と、歌う場と口実が必要になる。今まで通りにしていては、皺寄せはノーラに向かうからね。だから、まずはノーラの歌の認知度の向上と、悪い噂の払しょくをトールにお願いしたんだ。牽制にもなるし、護衛をつける口実にもなるだろうと思って」
トールヴァルドはそれがエリアスの望んだ『埋め合わせ』だと言っていたが。
聞く限り、完全にノーラのためだけの内容ではないか。
「そうしたら、トールに提案されたんだよ。ノーラを公認の歌姫に任じ、宰相の下に置く、ってね。トールとしては、ノーラの身の安全確保と、公的な立場を保証しようという計らいだ。同時に俺が宰相補佐を引き受ける――ひいては、侯爵を継ぐことを目論んだわけだ。……一石二鳥というやつだね」
「……何だか、ちゃっかりしていますね」
少し呆れたノーラが呟くと、エリアスは苦笑する。
「国王だからね。『紺碧の歌姫』のファンだからという理由だけで、こんな扱いはしないよ。建国の舞踏会の歌が素晴らしくて、ノーラを引き抜こうという他国の動きを牽制する意味もある」
「引き抜き? 聞いたこともありませんよ、そんなお話」
いくら何でも、ちょっと想像がたくましすぎやしないだろうか。
あるいは、心配をし過ぎだと思う。
だが、エリアスは真剣な顔で話を続ける。
「トールが牽制しているからね。でも、このままだとノーラやその家族に直接接触しかねない。ということで、それぞれに利があるわけだ。……嫌だった、かな?」
「いえ? 光栄なお話です。……でも、そのせいでエリアス様は家を継ぐことになったんですね」
アランは自分は継がないと宣言していたから、放って置いてもエリアスが継いだのかもしれない。
だが、自然の流れで自分が決断するのと、ノーラを人質に取られたような形で決断を迫られるのでは、だいぶ違う。
「元々、跡を継いでも継がなくてもどちらでも良かったんだ。一応長男だったから、最初は俺になっていたというだけだしね。……ただ、最近考えが変わってね。俺が継ぐことにした」
「そうなんですか」
ノーラのせいで決断を迫られたわけではないならいいのだが。
それでも、ノーラに心配をかけないように誤魔化しているかもしれない。
ちらりとエリアスを見てみると、ふと空色の瞳が細められた。
「スヴェン様みたいな人もいるしね。持てる力は持っておくことにした。ノーラを守るため、手放さないためにも、ね」
ということは、やはりノーラの影響はあるのだろう。
だが、狭められた選択肢から嫌々選んだわけではなさそうなので、ひとまずは安心できた。
明日で「恋人編」も完結です。
完結と同時に、新連載を開始予定です。
今夜の活動報告で、タイトルとあらすじを公開します。
よろしければ、ご覧ください。