国王の計らい
会場から少し離れたその部屋の扉を開けると、トールヴァルドとアンドレアがソファーに座っていた。
「ああ、来たか。座りなさい」
促されてエリアスと共にソファーに腰かけると、正面に座るトールヴァルドがグラスを置く。
「まずは、今夜も素晴らしい歌だったよ、ノーラ」
「ありがとうございます」
ノーラとエリアスの前に紅茶を出したメイド長は、すぐに扉から退出して行った。
トールヴァルドとアンドレアはお酒を飲んでいるが、普段ならばメイド長は給仕のために室内に残るはずだ。
国王と次期王妃よりも優先される仕事があるとも思えないのだが、何故だろう。
まあ、いざとなればノーラが紅茶を淹れればいいので、問題ないが。
「ここには俺達しかいないから、気楽にしていいよ」
そうは言われても、今日はトールヴァルドもアンドレアも正装だ。
ただでさえ美しい男女が着飾ると、一層恐れ多い。
ついでにノーラの隣にも溢れる美貌の持ち主がいるので、そういう意味ではこの室内に安住の地はなかった。
「ところで、ノーラ。これからも歌を歌っていきたいと思うかい?」
「はい」
トールヴァルドの突然の質問に少しばかり面食らうが、そんなもの、答えはひとつだ。
即答したノーラを見て笑みを浮かべると、トールヴァルドは深くうなずいた。
「では、ノーラ・クランツ。君を王家公認の歌姫に任命しよう」
「……はい?」
上手く言葉を返せないノーラを楽しそうに見つめると、トールヴァルドはエリアスに視線を移した。
「エリアスの『埋め合わせ』だが、ノーラの歌の認知度の向上と、悪い噂の払しょくを望まれた。だが、男爵令嬢が建国の舞踏会の歌い手を務め、同時に平民の通う店でも歌っている。どうやっても、妬みや恨みの対象になりかねない」
それは、わかる。
歌い手自体はレベッカのように平民出身の者もいるのだから、ノーラが男爵令嬢であることはそこまで問題ないかもしれない。
だが、建国の舞踏会の歌い手の歌を平民も聴くことができるというのは、特権階級であることを拠り所にする人からすれば、不愉快極まりないことだろう。
ノーラとしては、歌を歌うことにも聴くことにも身分は関係ないと思う。
だが実際に、王城で働いていてもそういう言葉をかけてくる人は何人か存在した。
「とはいえ、今のままではいち男爵令嬢である君に、護衛をつけるわけにもいかない。エリアスとアランだって、ずっと付き添えるほど暇ではなくなるだろう。だから、公認歌姫という職を作ることにした」
「……宮廷音楽家みたいなもの、ですか?」
「まあ、似ているな。ただ、あちらは王城の使用人の一人という形。今回の公認歌姫は、宰相直属にするつもりだ。こうすれば、君の上司は基本的に宰相と俺とアンドレアくらいだ。表立って蔑ろにするわけにはいかないし、宰相の裁量で護衛をつけても問題ない」
話を聞けば聞くほど他人事のようだが、どうやらノーラの話らしい。
「とても光栄ですが……前例のない職を、一人のために作るのでしょうか」
「あなたは、そう言うと思いましたよ」
アンドレアはそう言って笑うと、隣に座るトールヴァルドをちらりと見た。
「謙虚は美徳だが、時と場合による。仮にここが公の場で、国王としての俺からの報奨だとすると、断ることが問題になる場合もある。……気付いていたかな?」
よくわからず首を振ると、トールヴァルドは口元を綻ばせた。
「ノーラが断り、それを受け入れたとしよう。すると次に同様の報奨を誰かに与える際に、ノーラの事例が枷となって十分に与えられない可能性が出てくる。ノーラすら受け取らなかったのだから、受け取るのはおかしいと言う輩も出てくるかもしれないな」
「そんな」
ノーラとしては、身に余るものを受け取りたくないというだけだった。
それが誰かの邪魔になるなんて、考えもしなかった。
ショックを受けて俯くノーラの肩を、エリアスが優しく叩く。
見上げると、空色の瞳の美青年がふわりと笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。だからトールは公の場ではなくて、ここで話をしているんだ」
そうか。
以前にアンドレアの茶会の招待を断った時と同じだ。
今度はトールヴァルドにまで手間をかけさせてしまった。
アランの言葉を借りるならば『偉い人からの命ならば、受けるしかない』のだから、それに意見を言うこと自体が不敬だろう。
ましてトールヴァルドの提案は、ノーラに利があるものだ。
「陛下のご厚意に対して、失礼な物言いを致しました。申し訳ありませんでした」
申し訳ない気持ちと自身の情けなさを堪えながら、深く頭を下げる。
「陛下。あまりノーラをいじめないでくださいね」
アンドレアに腕をつつかれたトールヴァルドは、困ったように笑った。
「まあ、そういうことだ。今は問題ないが、今後はそういうことも考えるようにしてほしい、というだけだよ。……たまには、素直に貰えるものを受けとってみるといい」
笑みを浮かべるトールヴァルドの言葉は、非難というよりも諭すものに近かった。
「それに公認歌姫の件も、ノーラ一人のためだけではないから、誤解しないように。俺としても、利点が三つある」
トールヴァルドはグラスに口をつけると、口元を綻ばせた。
「一つ目は、建国の舞踏会で隣国にまで存在を知らしめた、有望な歌姫を保護できる。二つ目は、護衛を確保することで、引き続き店で安全に歌える。……まあ、さすがに回数は多少減らしてもらうかもしれないが。三つ目は、これにより優秀な宰相補佐を確保できる」
「隣国……? いえ、それよりも。お店で歌ってもいいのですか?」
一気に色々言われてすぐに把握しきれないが、お店という言葉は聞き逃せない。
「『紺碧の歌姫』が生まれ、育まれた場所だからね。一般市民にも広く歌を楽しんでもらおうという、国王の粋な計らいで派遣される形になるから。文句は言えないよ」
国王から派遣されるということは、お店に雇われている今とは雇用形態が変わるのだろうか。
となると、今まで通りのお給料ではなくなるのかもしれない。
まあ借金は消えたし、ほぼボランティアだとしてもそれほど問題ないが。
「となると、昼のバイトを再開した方がいいですね」
「国王から……国から派遣されるんだ。当然、それに準じた給金を支払うよ。わざわざバイトはしなくても大丈夫」
「ノーラ、あなたどれだけバイトをするつもりなのです。これ以上増やしたら、私のところに来ないでしょう? 駄目ですよ」
トールヴァルドに給料のフォローをされ、アンドレアにバイトを止められてしまった。
「国王の命で派遣される以上、誰も文句は言えない。たとえ男爵令嬢でも、結婚した後だとしても、ね」
トールヴァルドにウィンクをされ、何を言っているのかがわかってしまい、ノーラの頬が少し赤くなる。
「そ、それで。宰相補佐というのは、何ですか?」
恥ずかしくて別の話題を振ってみるが、恐らく意図はばれているだろう。
楽しそうに微笑むトールヴァルドは、グラスに再び口をつけた。