非自明の死
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平成三十五年法律第百十二号
非自明の死に関する法律
第2条 国は誰からも存在を認知されていない人物を非自明の死とする。
平成三十九年法律第百五号
移住禁止の法
第1条 国民は自身が生まれた都道府県市区町村を別に定める要件を満たさない場合は移動してはならない。
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ここ一週間ほど、決まって真夜中の三時に電話が鳴る。おかげで最近不眠症だ。
今日は仕事で疲れ、早めの睡眠を取っているが、また、電話が鳴る。出なければいいのだが、なにせ深夜の物音一つしないときにけたたましく電話の音が鳴るもんだから、慌てて電話を取ってしまう。電話の音を消すことに躍起になってしまうのだ。やかんでお湯を沸かしている時みたいに。
電話はいつも、10秒ほどの沈黙(ハアハアという息づかいは聞こえる)の後、一言、
「おやすみ」
と言って切れる。
声は聞き覚えのない若い男の声である。
あんまり続くものだから電話線を切ってしまおうかとも思うがなんとなく切れない。この番号しか知らない人からの電話をどこかで待ち望んでいるのかもしれない。
私にもかつては家族がいて、妻と息子が一人いた。息子は三歳の時、郊外のショッピングモールに妻と買い物に行く途中で事故にあい死んでしまった。ということになっている。この国では、死ぬということは、対象を認識することを許されなくなるということだ。私は重々承知しているが、15年経った今でもうまく乗り越えることができない。
家庭として、息子が生まれて1年ぐらいはうまくいっていたと思う。三年目から、私の仕事のストレスからか、子どもの泣き声とか妻の愚痴に付き合わされるのがうんざりしてくるようになってきた。そして、一度、たった一度、妻を殴ってしまった。妻は泣き出し、息子を連れて家を出ていってしまい実家に引っ込んでしまった。それから一週間後に、妻と息子は事故で亡くなったと連絡があった。
そう、この国ではよくあることだ。形式上の死。いや、むしろこれこそが本物の死といってもいいかもしれない。生物としての死があっても、例えば遺族の中で大切に扱われ、お墓が建てられ、思い出として残っていればそれは実際には死といえないかもしれない。
私は彼女の中で死んだのである。死はどこにでも転がっている。必要な時に法律上手続きを行うことになったというだけである。自身が生まれたところからの移住が禁止され、固定化された人間関係に人々が疲弊し始めた。それを解決するためにこのような死が用意された。
会社からの帰り道、いつものように夕食で食べる総菜を、家の近所のスーパーで探していた時だ。どの総菜にしようか?ボリューム・値段のバランスを考え、なかなか決められずに陣取っていたところ、邪魔にしてそうな女の視線を感じ振り返ると、そこにかつての妻がいた。
見かけたのは久しぶりだ。まあ、久しぶりといっても1か月ぶりぐらいなのだが・・・。
私は視線をそらし、酢豚を手に取りその場を去った。
夕食後、テレビをボーっと見ていた時に、ふと息子は今どのように成長しているだろうかと気になった。もう18歳になるはずだが。ひょっとすると妻と同じように度々目にしているかもしれないが、顔は分からない。
私が妻と会話はおろか目を合わせてしまった場合、いわば死者と交信をしていることになり、発見された場合は専用の収容所に叩き込まれてしまう。そのように法律は整備されている。
死者と生者が個別に異なり、そして、同じ場所・時間軸で生活している。これが現在のこの国の姿だが、この法律がなかった前の時代においても同じことだったかもしれない。ただ、昔は許されていた。死者とゆるやかに関係していくことが。
そうこうしているうちに睡魔に襲われ眠ってしまったようだ。気づいたら電話の音が鳴っている。しかし、いつもと違い時間が早い。まだ20時ぐらいだ。
電話を取ると若い女性の事務的な声が響く。
「NPO法人の非自明の死を防ぐ会の佐藤と申します。突然で申し訳ございませんが、今すぐ警察に来てください。あなたの保護を求めている人間がいます。高校生です」
女性は告げる。
「あなたの息子さんは、あなたを死者と認識する旨の申し出をしていませんでした」
「今すぐ保護しないとまずい状況です」
私は困惑し、たずねた。「なぜか?」
「あなたの息子は母親を死者と認識しました。母親どころか、親戚・友達・知人おおよそ彼の知る人物全員を死者と認識してしまいました。彼の届け出た書類は膨大でした。このような場合、国の当局は自殺と認定します」
女性は淡々と説明を続ける。
「我々はこのような状況に陥った人について、まだ現実世界を生きたいという意思があった場合、どうにかして当局の死亡認定を防ぐ活動をしています」
「息子さんは生きたいと望んでいるように思えます。一度、全てを捨てた上で」
「方法はいろいろあるのですが、息子さんの場合、父親であるあなたがポイントとなります。あくまでもあなたの意志次第ではありますが、ぜひ、救ってほしい」
ほんの少しだけ、女性が感情的になったのを感じる。
「息子さんの場合、自身が18歳未満だったころに親権をもつ母親があなたの死を認知しました。このような場合、法は自動的に息子さんもあなたの死を認知したことになると解釈するのですが、この夏の最高裁判定においてこれは違憲であるとの見方が示されています。そのため、このようなケースにおいては判断を一時保留にしたのち執行することになっています。が、国は積極的に確認を行わないようです。あくまでも当局の内部での確認にとどまります」
女性の長い説明が終わったようだ。
「私が息子を認知した場合どうなるのか?」
女性が答える。
「当然、息子さんを認知する正当な人物が現れたため、国は死亡の認定を行いません。しかし、息子さんがまた、あなたの死を認知した場合は同じことになります。だから、説得が必要になります。会ってほしい」
私はひどく混乱した。
「そういえば最近、若い男から電話がかかってきていた。息子だったかもしれない」
女性はまたも事務的に、
「そうですか。接触があったということですね」
「そうかもしれない」
「なるほど。さて、説得に見えられますか?」
私は迷った。正直言ってそれほど愛情があるわけでもない。冷たい男だと我ながら思うが。しかし、私に残された唯一の家族である。それに恐らく私を求めている。今に絶望した息子が。新しい世界に行こうとしているのではないだろうか。
「私にできることがあれば。説得に向かいます」
私は息子に会いに行くことにした。
「ありがとうございます。では、お待ちしております」
電話が切れる。
息子は私に対してどういうイメージを抱いているのだろうか?
この世界をどういう風に考えているのだろうか?
まったく分からないが、一緒に、これから考えて作っていきたいと思う。
私は息子がいる警察署に向かった。