3.お昼は一緒にサンドイッチ
最果ての砦を落とすと、リュミスの進攻は加速した。
手始めに近くの集落を襲い壊滅させると、興が乗ったのだ。
近隣に存在する村や隠れ里を見つけ出し、嬉嬉として襲撃していった。
その行いは…… 余りにも酷く、苛烈で凄惨だったという他ない。
幼き少女は戯れに調理を施すと、村に住まう人や家畜を片っ端から平らげて行ったのである。
この一方的な虐殺は、幼き魔族の無邪気な悪意に人間達が気付くまで続いた。
それまでの間、少女の悪意は魔界側から人間界の深部に向けて波の様に広がっていったのである。
と、まあ…… 手記を紐解いた者はそう理解している。
覇王に存在した、極悪非道の幼少期。 と。
凡そ、間違ってはいない事だろう。
しかし、私はある一文に注目した。
それはささやかな一文。
極悪非道な行いが綴られる中、不自然に書かれたその一文。 その意図は今も不明のままだ。
『友とパンを食べた』 そうだ。
友…… そこまで出てこなかった新しい言葉。
私は、これがとても強い意味のある言葉だと、そう信じている。
◆
「……あきた」
リュミスの口から本音がポロリと漏れたのは、指の数より多くの村落を落とした後である。
少女は切り立った崖の上に腰を下ろし、ブラブラと足を揺らしながら空を見上げて今回の件を総括していたのだ。
「人間界って…… ひろーい」
想定していたよりも、かなり広かった。
リュミスが想定していた人間界とは大きな家畜小屋。
そこにはエリスの言葉を真に受けた弊害が出ていた。
とは言っても、リュミスはエリスの言葉を疑ってはいない。
結局のところ、想定していたよりも広いという言うだけの話だ。
ただ、このまま計画を続行するのか? と聞かれると痛い所ではあった。
正直、この時点でリュミスはめんどくさくなっていたのである。
でもこのまま帰ると、城で待つのは無断で抜け出した事に対する父からの叱責。
幼き少女は、怒り狂う父を想像して顔を青くして唸った。
「ムムム…… どうしよう……」
正直帰りたい。 でも帰れない……
姉を喜ばせたいという思いから始まった身勝手な計画は、既に頓挫していると言える。
おまけに、今はくだらないジレンマで身動きが取れない状態であった。
それを思うと、リュミスは小さなため息をついた。
しかし、幸いな事に食事には困っていない。
崖より眼下に見下ろすと、次の村が見えた。
しかも前の村と比べて少し規模が大きい。 というか、徐々に大きくなっていた。
それを見てリュミスは思う。
人間界に居る限り、空腹で倒れる事はなさそうだ。 と。
それは、事実であり…… 慢心でもあった。
不意に声が掛けられたのは、そんな時だった。
「あのー 御一緒してもいいですか?」
座った姿勢のまま周囲を見渡すと、少年が少し離れた場所ではにかんでいた。
急に現れた気配にリュミスは驚いたのだが、それどころの話ではない。
それはとても美しい少年だった。
「は!」
リュミスは見惚れていた自分に気付くと、声を上げ赤面する。
あまりの恥ずかしさに顔を抑え、少年から隠した。
まともな応対も出来ず、返事も忘れ伏してしまったのだ。
◆
あーーーあれです。
皆さんは、覇王がちょろい女だと思うかもしれません。
しかし、それは仕方のない事です。
とびっきりの美少年を…… 異性を前にして、免疫のない少女がそれに抗えるでしょうか?
いや、無理でしょう。
交友があるのは、同性の姉ぐらい。
過保護な魔王に育てられ、情操教育を怠った結果の今。 というわけです。
で、どうです? ね?
彼女は苛烈な覇王ではありますが…… 可愛い一面もあるんですよ。
失礼、話を続けましょう。
◆
「あのー 大丈夫ですか? ご気分が優れないようですが……」
「ん? っそ? べつに…… たいしたことないわ」
「……そうですか」
ちっ近。
気付くと少年はリュミスの傍まで近づいていた。
心配そうにリュミスの顔を覗き込んでおり、彼は何か言いたげだ。
リュミスは彼の不躾な行動に、ますます動揺を深める。
少年はその様子を見て、悪い事をしていしまったと少しばかり後悔している様だった。
「ふん」
せめてもの詫びにと、少年は懐の筒を少女に差し出す。
反応が薄いので、筒の栓をとり飲む実演をした。
中に入ってるのは薬草で淹れたお茶だ。
独特の苦みがあるが、すっきりと落ち着く味わいである。
「ほら、これを飲んで。 落ち着くからさ」
少女は遠慮がちに筒を受け取ると、躊躇いながら少しだけお茶に口を付けた。
「にが!」
「…… ックス」
「な、なに笑ってるのよ!」
「いや、素直な反応だと思ってな」
理不尽に笑う少年を見て、少女は頬を膨らませる。
ただ、とても楽しそうに笑う少年を前に、本気で怒る事が出来なかった。
もう一度筒に口を運ぶ。
「苦い……」
「ハハハ、無理して飲むなよ。 ほら、これも」
差し出されたのはブルーベリーのジャムを挿んだパンだった。
しかし、基本的に肉しか食べないドラゴンのリュミスにはそれが何か分からない。
「これ、僕のお昼だけど、半分お前にやるよ」
少し硬めのパンを豪快に引き裂くと、少年は片方をリュミスに手渡した。
リュミスはそれを受け取ると、少年が目の前で実演する様に豪快にかぶりつく。
……甘い。 甘くて、美味しい。
少し、酸味のある甘さが口一杯に広がった。
慣れない味に、慌ててお茶で流し込む。
苦さが丁度良く、とてもおいしい。
そして、和む。
気が付けば少女は落ち着きを取り戻していた。
待っていましたとばかりに、少年は口を開く。
「どうやら、気に入ってくれたみたいだね。
僕はケーニス。 この近くの村で暮らしてるんだけど…… 君は……」
それは本題であった。
ケーニスも興味本意だけで近づいてきたわけではない。
少女の事を知る為に、必要な行為だったのだ。
山の中に幼い少女が一人で居たら、誰しも困惑する事だろう。
何かあってからでは遅いのだ。
何かあってからでは村の者達が困る。
それ程までに、ケーニスは少女を警戒していた。
少年が幼い少女を警戒するのには理由がある。
それは、人間が持つ特別な力だ。
神に愛された種族、人間。
彼らのみが持つ『ギフト』と呼ばれる特別な力。
例えそれが少女であっても、油断はできない恐るべき力。
こんな辺鄙な田舎の山奥に一人で居る少女である。
持っていない訳がなかった。
ただ、それはケーニスの勘違いであったのだが、リュミスが脅威である事に変わりはない。
リュミスは幼い少女の姿だが、魔王の娘でドラゴンなのである。
「ゴクン。 ……おいしかった。
そ、その、け、けーにす…… あいがとう。
私は、りゅ リュミス」
いや、どうやらドラゴンである前に、今は唯の女の子の様だ。
初めて名で呼ぶ異性を相手に戸惑っていた。
敵意を感じない言動に、少年の方も力が抜ける。
此方を見詰める少女に慌てて言葉を返した。
「そ、そっか。 良かった。
その、なんだ、あそこに村があるんだけど、寄って行くか?」
しかし、リュミスと名乗った少女はどこか悲しそうに、そして詫びるように村がある方角を眺める。
「どうかしたのか?」
「ううん。 ちょっと間違っていただけ」
自嘲気味にそうつぶやくと、リュミスは決意の眼差しをケーニスに向けた。
「ごめん」
「ん?」
「私、帰るね」
それだけ言い残すと、リュミスはそこから飛び出した。
少女の瞳は、大粒の涙で濡れていた。
これ以上、食料とみなしていた相手を…… 彼を見ていられなくなったのだ。
――― 情けない。
情けない。 情けない。 情けない。 情けない。
感情が荒れ狂う。
この時、リュミスの心を色々な物が駆け巡っていた。
何より強かったのは…… 後悔の念である。