ネット小説は、作品よりも作者が大事?
何か月か前に、ツイッターでネット小説について論評している方がいた。
だいぶ前の話なのでうろ覚えだが、曰く「最近のネット小説は、山場も物語の緩急もない、起伏のない話が多い。面白い作品として大切なものが抜けている」。
一見すると非の打ち所のない正論だ。
なお発言者は、プロとして文章で生計を立てている方であり、大勢の書籍化作家の皆様がフォロワーとなっている。
当然ながら数多くのリツイートやリプライのコメント、「いいね!」がついていた。
ただコメントの大半は「耳が痛いです」「自分の書く話も起伏が乏しく悩んでいます」といった類のもの。中には書籍化して人気を博しているプロの作家様もおられた。
ここまでは目的意識が高く、まだ見ぬ高みを目指す人々という事で別段、おかしな話ではない。
さて無名にして底辺たる私、この論評について次のようにコメントを送った。
「物語の起伏(面白さ)が、本当に大切なのだろうか? と疑問に思っています」と。
自分としては特に他意も悪意もない、素朴な疑問だった。
プロ作家の方々ですら、自作品に起伏が無いと悩んでいたりするのだ。
つまり書籍化し、それなりに売れるためにはその手の要素はさほど重要ではないのでは? と考えた私は、おかしいだろうか。
そんな私のコメントに対する返事は――
「これだけ大勢のプロが悩んでいる時点で、起伏(面白さ)の大切さが分からないの?」
という、何だかよく分からないキレ気味の回答。
疑問に回答どころか、疑う事すらおかしい、頭が悪い。そんな事も分からない奴の言葉など、聞く価値もないとでも言いたげだった。
一応その後「おっしゃる事に個人的には賛同できるのですが、プロの方でも悩んでいるし、起伏(面白さ)とやらがなくてもプロになれるって事では……」とレスをした。
そこから先は無回答。そのプロの方との対話は一方的に途切れた。
うーん、なんだかなぁ。
ちなみにその方、書籍化されている方々の作品は無条件に褒め称えているような感じで、判断基準を相手の肩書だけで決めているような印象だった。
指摘したら怒り狂いそうだったので、流石に面と向かっては言わなかったが……
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こういう人がいるという現実が、ネット小説に「起伏や面白さ」がさほど重要じゃない、と証明してしまっている気がする。
ネット小説は良くも悪くも、作家と読者の距離が近い。近すぎる。
作家の作り上げた「作品だけ」で良し悪しが判断されるケースは、まずない。
感想を送ったり送られたりで、どうしても「作家個人」の人柄や人脈までも判断材料に入ってしまうためだ。
少々内容や文章が拙くても、宣伝が上手かったり、大勢の友達を持っている人のほうが成功し、有名になりやすい。
逆にどんなに良い物を書いていても、とっつきづらそうな人だとか、話してて楽しくなさそうだと思えたら、自然と距離が遠のいてしまう。
自分にだって心当たりがある。だから非難したい訳ではない。自然現象だものね。
きっとツイッターで私と喧嘩(?)をしたプロの方は、今でも自分の理念を信じているだろう。
現実として塩対応されてしまった私には、単なるおためごかしにしか聞こえなくなってしまったのだが。
ミもフタもない言い方をすると「自分が気に入るかどうか」が全てだよね。
その後に続く細かい何やかやは、自分の気分を正当化するための手段でしかない。
悲しいとは思う。「小説家」なんだから、小説だけで評価されるべきだとは思うし、良い作品を作れる事と人格者である事は別問題のハズなのになぁ。
(おしまい)