#バイトなう。近所の川にラッコ並のレア感で、サボりまくりでヤバいから、使ってもいいケド、自己責任ッスよ?
かつて、世界を我が物にせんと人間界に降臨し、各地にモンスターを送り込み、人々を恐怖させた魔王がいた。
彼が世界征服の拠点とした魔王城。
世界征服を阻止すべくやって来るであろう勇者一行を、その巨大な城の最上階で、彼は待ち受けていた。
彼が人間界に現れた目的はもちろん、世界を手にするためであり、その気になれば一瞬にして全人類を屈伏させるだけの圧倒的な魔力を持っていた。
だが、それではあまりにも味気ないと、彼は考えていた。
徐々に強くなっていくモンスターに立ち向かい、複雑怪奇なダンジョンを突破し、様々な苦難を乗り越えてようやく城へと辿り着いた勇者達を、完膚なきまでに叩きのめし、自身の力を全人類に知らしめた上で世界を我が物とする。
それが、彼の描く理想の世界征服像だった。
魔王城最上階で待ち続けること数年、ようやく1人の勇者が彼の前に現れた。
相まみえる両雄。
しかし、魔王の力はあまりにも強力過ぎた。
幾多の試練を乗り越え、伝説の剣に認められやって来た勇者でさえも、彼に全くダメージを与えられず、多くの人々が見守る中、敢えなく散った。
勇者を倒し、世界征服を宣言した魔王だったが、あまりにも呆気ない幕引きに納得いかず、もっと強い勇者が現れるまで、世界は人類に預けておくと言い出し、城を残して、新たな地へと姿を消してしまった。
彼が残していった魔王城は今……
観光地となっていた。
連日、ツアー客らが訪れる魔王城。
かつて魔王が使っていた食堂は、拡張改装工事を行い、『食事処 魔王庵』と姿を変え、団体客をはじめ、個人的にやってくる客などでも賑わっていた。
「ゆうくーん、ちょっとこっちいい?」
「うーっす。」
「ゆうくん、ゆうくん、後でこっちもおねがーい!」
「ういー。」
魔王庵のホールスタッフ唯一の男性である「ゆうくん」
背が高く、愛想は決していいとは言えない青年だが、まじめな仕事ぶりで、ホールスタッフからはもちろん、調理スタッフからも頼りにされていた。
この青年、魔王城とは浅からぬ因縁があるのだが、魔王庵でそれを知る者はいなかった。
「ゆうさーん、ちょっといいですかー?」
「おー……連休明けそうそう、忙しいな……」
メガネを指で軽く押し上げ、呼ばれたほうへ向かおうとする青年。
「繁忙期過ぎたって聞いてたんスけど、なんか忙しそうッスね。」
「ああ。今日はたまたま団体客の予約が入ってる上に、料理長が急に休んでさ。」
「えー、大変じゃないッスか、それ。」
「実際大変なんだよ。だから、邪魔にならねぇようにしとけ……って、なんでいるんだよ!?」
あまりに自然すぎてごく普通に会話していたが、違和感に気付き、青年はその違和感の前で足を止める。
「リクエストにお応えして、遊びに来たッス。」
違和感の主であり、城の元 主でもある魔王は、当たり前のように答える。
「来なくていいって言っただろうが!」
「別に『ゆうくん』に会いに来たわけじゃないッス。魔王城に遊びに来てくれるみなさんとか、魔王庵のみなさんに会いに来たんス。」
「『ゆうくん』言うなっ! ん?」
青年は、違和感の隣にいる更なる違和感に目をやる。
三つ揃いの黒スーツをキチッと着熟し、完全な白髪だが40代くらいに見える男性は、落ち着きのある優雅な微笑みで軽く会釈した。
「オレ様の執事さんッス。」
「はじめまして。マエノと申します。」
「……なにふざけてんだよ、イッコマエさん。」
魔王の執事 マエノの正体をあっさり見抜き、青年は呆れたように言った。
「あ、やはりわかりますか? さすが『ゆうさん』」
「だから、『ゆうくん』だの『ゆうさん』だのやめろって。」
魔王やその側近 イッコマエこと、イッコマエ・ノ・チューボスとタメ口で話す、魔王庵ホールスタッフの青年 『ゆう』
彼こそが、魔王の元に辿り着いた唯一の、そして、魔王との戦いで命を落としたとされている勇者その人である。
この勇者との出会いで、世界征服への考え方が変わった魔王は、彼に協力を仰ぎ、勇者を始末した芝居を打ち、魔王城を去る口実にしたのだ。
恐怖や暴力で抑圧された世界を手にしてもうれしくない。
自分が望むのは、誰もが幸せで、笑顔に満ちた平和で豊かな世界。
そのために、寂れた地に第2第3の魔王城を築き、打倒 魔王を目指してやってくる冒険者相手の商売や、魔王城見学に訪れる観光客相手の商売で、地域の経済を活性化させよう!
……と、始まった、なんとも奇妙な『地方再生世界征服』
平和な世界を創るなどと言い出した魔王を倒す理由もなく、帰るところもない勇者は、なんやかんやで魔王とイッコマエと共に2代目魔王城で暮らすこととなり、なんやかんやで1代目魔王城の食事処でバイト生活をしていた。
「2人して、なにノコノコ遊びに来てんだよ。」
「2人じゃないッスよ。」
「は?」
「ニャンズも連れてきたッス。」
「はぁ?」
「留守番させておくわけにもいかないので、こちらにも急遽ニャンズルームを作って、一緒に来ました。」
「いつの間にそんなリフォームを……てか、そこまでしてわざわざ来なくていいって、マジで。」
「ゆうくん、何して……あら、お客様?」
3人に気付いて声をかけてきた、魔王庵責任者の女性。
「申し訳ありませーん。本日はご予約いただいております団体様のみとなっておりまして……えっ? あら、まさか……」
「どーもー。魔王ッス。」
「えっ、えーっ! ちょ……ホントに? うっそーっ!?」
「痛っ! お、落ち着いて、チーフ!」
客の正体が魔王だとわかったチーフは、興奮のあまり、勇者の肩をバシバシ叩く。
「おいでになるのがわかっていたら、ちゃんとお迎えしましたのに……」
「いえ、どうぞお構いなく。わたくし達こそ、お忙しい最中お邪魔してしまい、申し訳ありません。」
イッコマエ扮する、魔王の執事に恭しくお辞儀されたチーフは、急にしおらしい態度に変わる。
「あ、いえ、そんな……えっと……」
「申し遅れました。わたくし、魔王さんの執事 マエノと申します。」
「マエノさん……末永くよろしくお願いいたします。」
「チーフー、気をたしかにー。」
完全に目がハートなチーフを、勇者が現実に引き戻す。
「ゆうくんから聞いたんスけど、料理長さんが急にお休みしちゃったって……」
「そーなんです。なんか状況がよくわからないんですけど、昨日、家のインターホンが鳴って、出てみたら、人間と同じくらいの大きさのコウモリがいたんですってー。」
「へ、へぇー、デカいコウモリ……」
思い当たるシチュエーションに、冷や汗する3人。
「それにビックリして転んだ時に、腕の骨にヒビが入ったとか……」
「それでお休みなんスか。大変ッスね。」
「ええ。なので急遽、ご予約が入っているツアーのお客様対応だけにして、一般のお客様はご遠慮いただいている状態なんです。それに加えて、足りない食材があって、どーしようかってバタバタしてるんですー。」
「何が不足しているのですか?」
「デザートに使うバナナなんですけど……」
「ば……バナナ、ッスか。」
「業者さんに聞いたら、何日か前に大量に買っていった方がいて、こちらに卸す分が足りなくなってしまった、って──」
「チーフー、ちょっといいですかー?」
「あ、はーい。」
他のスタッフに呼ばれ、チーフは調理場へ。
「セリューさんに言われたから、リリアーくん達には、ちゃんとピンポンしてお届けしてってお願いしたんスけど、それでもビックリしちゃうんスね。」
「まあ、森ん中で散々出会ったけど、ウチの前にいたら俺でも驚くだろうな。」
「リリアークが訪問したということは、まおちゃん視聴者だったんですね、ここの料理長さん。」
「料理長本人てか、たぶん奧さんか子供さんだろうな、まおちゃん見てんの。」
「なんにせよ、ヤバいッスね。この忙しさは、完全にオレ様達のせいッス。」
「『達』じゃなくて、100パーお前のせいだろ。というわけで、いつも以上に忙しいんだから、さっさと帰……」
「よし、責任とって、お手伝いするッス! チーフさーん!」
「えっ?」
言うが早いか、チーフを追う魔王。
「調理のお手伝いなら私も。」
「ちょっ……」
魔王に続くイッコマエ。
「手伝わなくていいからっ! 特に、レシピアレンジャーの魔王っ!」
「えっ? 調理の手伝い?」
「そうッス。料理長さんの代役ッス。」
突如現れた魔王と執事風の男性にざわつく調理場。
「そんな、魔王様にお手伝いいただくなんてとても……」
魔王の申し出に困惑顔のチーフと、魔王達の登場を未だに信じられない様子の調理スタッフ。
「大丈夫ッス。マエノさんは料理が超得意なんスよ。」
「魔王さんの食事の管理はわたくしがしておりますので、多少はお力になれるかと。」
「はいっ! わたしこそ、ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします!」
「……もう話がついてるし。てか、チーフ、さっきからマエノさんへの返答、おかしいだろ……」
「あ、ゆうくん。ごめんねー。ホールのほう、任せていい?」
「は?」
「今日はわたし、マエノさんと調理場担当するからー。」
「はぁ?」
「よろしくねーっ! あ、マエノさん、エプロンがありますのでこちらへ。」
イッコマエを伴い、更衣室へと向かうチーフ。
「……まさか、チーフのどストライクだったとは、マエノさん。」
「罪作りッスねー、マエノさん。」
「ホールのほうもまあまあ忙しいのに、チーフ不在とか……」
「大丈夫ッス。その分、オレ様がお手伝いするッス!」
「ちょ……いいから帰れよっ!」
すぐさま魔王を追いかけたが、一足早くホールスタッフの前に到着した魔王は、驚きもされたが、それ以上の歓迎をもって迎えられ、1日限定のアルバイトが決定した。
「よろしくッス、ゆうくん!」
「……ゆうくん言うな。」
「どうッスか?」
魔王庵のユニフォーム、作務衣風の黒い上衣と蘇芳色のショート丈のサロンエプロンに着替えた魔王は、ホールスタッフの前でくるっと回って見せる。
「魔王様、かわいーっ!」
「やばっ、めっちゃ似合ってるし!」
「あー、写真とか後にしてくださーい。」
スタッフ達がスマホや携帯を構え始めたのを見て、勇者はすぐさま制止する。
「堅いコト言いっこなしッスよ、ゆうくん。魔王庵ウエイター魔王なんて、近所の川に現れたラッコ並にレアなんスから、写真撮りたいのは当然ッス。」
「ラッコと同じ扱いでいいんですか? 魔王様って……」
「『#魔王とバイトなう。でサボっていいよ』とか、アップしたいッスよねー。」
「いや、サボっちゃダメっしょ?」
早くも意気投合している魔王とスタッフ。
「ラッコでも、バイトなうでもなんでもいいから、後でな。」
脱線しそうな気配を察した勇者は、早速集合写真を撮ろうとしている魔王からスマホを取り上げた。
「ああっ、オレ様のスマホが誘拐されたッス!」
「後にしろっつってんだろ! えと、改めて。なんかいきなり乗り込んできて、手伝うとか迷惑なコト言い出した、1日アルバイターの魔王です。手伝いどころか、邪魔にしかならねぇんじゃねぇかと思いますが、みなさん、よろしくお願いします。」
「ちょっ……ゆうくん! 魔王様相手にそんな失礼な言い方は……」
勇者の容赦ない物言いにハラハラするスタッフだが、
「そうッスよ、失礼ッス! なんスかその、足手まとい決定みたいな紹介の仕方は!」
そう言い返したものの、さほど気にしていない様子の魔王を見て、少しホッとしつつも、フォローを入れる。
「誰だって最初からうまく動けるもんじゃないんだから、そんな風に言ったらダメよぉ、ゆうくん。」
「そうそう。そこはベテランが助けてあげないと。」
「大丈夫ですよ、魔王様。わからないことがあったら聞いて下さいね。」
「あざーッス! みなさん、優しいッス!」
無邪気な笑顔で、あっという間にスタッフの心を掴む魔王。
「みんなが優しいってゆーか、珍しく、ゆうさんが冷たいってゆーか……」
「そうねぇ。何となくピリピリしてる感じよねぇ。」
「魔王様、ゆうくんにいじめられたら、すぐに私たちに言うのよ?」
「……わー、なんだこの、ホームなのにアウェー感。」
あっという間にヒール扱いになってぼやく勇者に、魔王が得意気に言う。
「なんたって、元々ここはオレ様の城ッスからね!」
それをサラッとスルーして、仕事モードに戻る勇者。
「じゃあ、コイツの面倒は俺が見るんで、みなさんはいつも通り、よろしくお願いしまーす。」
「はーい。」
それぞれの持ち場へと戻るスタッフ。
「ちょっと、オレ様のセリフはガン無視ッスか?」
「はいはい、上手いコト言った、上手いコト言った。」
軽くあしらわれちょっとむくれた魔王だったが、はいっ、と言いながら右手を上げた。
「どうした、急に。」
「わからないことがあったら聞いてって言われたから、質問ッス。」
「……手ぇ上げなくていいからな。で、なんだ?」
「さっきから思ってたんスけど、もう準備完了してるみたいに見えるんスけど……」
テーブルの上に用意された食器類を見ながら勇者に尋ねる。
「よく見てみ?」
「? あ、お料理入ってないッス。」
「イッコマエさん達が作ってる料理を、これから──」
「すまーん、ちょっと手ぇ貸してー。」
調理場からの呼びかけに、スタッフが駆けつける。
「俺も見てくるから待ってろよ。」
そう言い残し、勇者も調理場に向かった。
ホールに1人で残された魔王。
勇者に言われた通り、しばらく大人しく待っていたが……
「あれ? 食器用意してありましたよね?」
調理場から戻ったホールスタッフが異変に気付く。
「ああ。あとは料理を盛りつ……けられねぇぞ!?」
綺麗さっぱり片付いたテーブルを丁寧に拭いていた魔王は、勇者達に気付いて、パッと笑顔になる。
「お片付け、完了してるッス! お料理運んで来ていいッスよー。」
どや顔の魔王を見て、勇者は頭を抱える。
「どうしたッスか、ゆうくん?」
「……片付けた食器、すげぇキレイだったろ?」
「そうッスね。ごはん1粒、水分1滴、キャベツの千切り1本たりと残っていなかったッス。魔王庵のお客さんは残さず食べて偉いッスね。洗ってあるみたいにキレイだったッス。」
「洗ってあるみたいに、じゃなくて、洗浄済みの食器を並べてあったんだよ。」
「えっ? 前のお客さんに出したのを片付けてなかったワケじゃなくて?」
「まだ開店前だし、今日は予約の団体さんしか来ないんだって。」
「あ、そう言えばチーフさんがそんなコト言ってたッスね。」
「団体さんの場合は、食器を先に並べといて、後からそれに盛りつけるだよ……」
「そうだったんスかー。オレ様、新入りなんスから、ちゃんと指示してくれないと。」
「ちゃんと言ったろ?『待ってろよ』って。」
「…………てへぺろ。」
「てへぺろ、じゃねぇよっ!」
魔王と勇者のやりとりを見ていたスタッフが仲裁に入る。
「まあまあ、ゆうさん。バイト初日って、なんもわかんないモンだし、魔王的には良かれと思ってやったコトなんだろうから、怒ったら可哀想だよー。」
「ッスよねー。新入りを1人残して行くのが悪いッス。」
「味方を得たからって、調子に乗んなっ!」
「そうですよ。魔王様も悪いんですから。」
「えっ? オレ様?」
「だねー。注意されてんのに、『てへぺろ』はないわー。」
若いスタッフに指摘され、魔王は目をパチクリさせたが、すぐさま勇者に向かってペコリと頭を下げた。
「ゆうくん、ごめんッした。」
「お……おう。」
まさかの素直な謝罪に、戸惑う勇者。
「まあ、そのー、俺も、説明途中で置き去りにして悪かった。すんません……って、あーっ、調子狂うなっ!」
照れたような、決まり悪いような表情で頭を掻く勇者を見て、2人の少女は顔を見合わせて、声にならない叫び声をあげる。
「ゆうさんもあんなカオするコトあるんだねーっ!」
「意外ですよねっ!」
「ん? なんか言ったか?」
ひそひそ話に気付かれ、2人はフルフルと首を横に振った。
「時間もないし、早く食器セッティングし直そうよ。」
「ああ、そうだな……って、そーいやあれだけ大量の食器、短時間でどうやって片付けたんだ?」
「簡単ッスよ。こんな風に同じ物を重ねて1カ所に集めてー」
魔王がスッと手をあげると、食堂のテーブルと椅子が高々と重なり、
「なっ……!?」
さらに魔王の手の動きに連動するように、テーブルと椅子が集まってきて、勇者を取り囲んだ。
「で、ほいっと転送してお片付け完了ッス。」
『おい……この包囲網はなんだ。』
「……すっごーい! マジ魔王だったんだ!」
「ちょっとどういう意味ッスか!」
『このテーブルと椅子、なんで隙間なく重なってんだよ? 出られねぇぞ!』
テーブルと椅子のタワーに思いの外防音効果があるのか、勇者の呼びかけに返答がない。
「まおちゃんとかでしか見たことないから、超そっくりなレイヤーじゃね?って思ってたんだよねー。」
「半信半疑でしたよね。」
しかし、外からの声はしっかり届いてくるところをみると、話に夢中で聞こえていないだけのようだ。
少し大きめの声を出してみる。
『おーいっ、テーブルと椅子、元に戻せって!』
「半信半疑ぃ? マジッスかぁ?」
「だって、魔王っぽくないって言うか……」
「なんか、好奇心旺盛な子供みたいな感じですよね。」
「うわっ、そんな風に見えてるって、魔王としてヤバいッスよね?」
『ヤバいのは迫ってる開店時間だーっ!』
驚異のジャンプ力でテーブルと椅子のタワーを飛び越え、勇者は自力で脱出した。
「わっ、ビックリしたぁー。」
「ご、ごめんなさいっ! ゆうさんが閉じ込められてるの、すっかり忘れてました!」
「この高さ飛び越えて出てくるとか、あり得なくない? ゆうさん、すご過ぎ-。」
「大した身体能力ッスね。アクション俳優にでもなったらどうッスか?」
「この騒ぎのせいでクビになったらなっ! なんてコトしやがるんだっ!」
「どうやって片付けたか聞かれたから、テーブルと椅子を代用してやって見せたのに、なんで怒られるんスか。」
「代用品がデカすぎだし、実践しなくても良くね? ったく……で、食器はどこへ転送したんだ?」
「それはもちろん──」
同時刻 調理場
「あら? 来てすぐに取り出したはずなんだけど……」
大量の皿が並んでいる食洗機を覗き、チーフが首をかしげる。
「うわっ、シンクに茶碗とお椀のツインタワーがっ!」
「冷蔵庫に小鉢と仕切り皿詰めこんだんは誰や!」
「大変です! オーブンの中で天ぷらカゴが燃えてますっ!」
調理場から次々と聞こえてくる声にひたいを抑える勇者に、少し遅れてホールに戻ったスタッフの言葉が追い打ちをかける。
「えっ、テーブルどこ行っちゃったのぉ?」
「あらやだ、こんなに積み上げちゃって、何を始めるつもりなの、ゆうくん!」
「……今から雇ってくれそうなトコ、探してくるわ。」
「や、辞めないでください、ゆうさん!」
「クビが決定したワケじゃないし! ねっ?」
「あ、このバイトアプリで、ヒーローショーのスーツアクター募集してるッスよ。」
「うるせぇよ、元凶っ! みなさん、すんませーん、テーブルは何とかするんで、調理場から食器持ってきて、並べ直しお願いしまーす。」
勇者と魔王以外のスタッフは、転送された食器を取りに調理場へ向かう。
「オレ様は何すればいいッスか?」
「俺と一緒に、テーブルと椅子を元の位置に戻すぞ。」
「了解ッス! オレ様1人でできるッスよ。ほいっ!」
集合した時と同様、あっという間に元通りになるテーブルと椅子。
「終了っ! 次は?」
「じゃあ、みんなと一緒に、食器並べ──」
「了解ッス!」
指示を最後まで聞く前に調理場へと走る魔王と、瞬時に元の位置に戻ったテーブルを交互に見る勇者。
「これ、食器並べるのに応用出来ねぇのか?」
セッティングし直した食器に、出来上がった料理をなれた様子で盛りつけていくスタッフ。
「じゃあ、これを配ってって。」
天ぷらが入ったバットを魔王に渡す勇者。
「なんスか、この緑の?」
「これはフキノトウっつって……あ、こら食うなっ!」
「………にが。毒があるんじゃないッスか? こんなものお客さんに出していいんスか?」
「毒はねぇし、その苦味と香りが特徴なんだよ。まあ、俺もあんまり好きじゃねぇけど。それを天紙の上に──」
「てんし?」
「ああ、これ。カゴに敷いてあるこの紙。」
「あれ? カゴ、燃えちゃったんじゃなかったんスか?」
「予備のヤツだよ。で、この紙の上に2つずつこうやって……OK?」
「紙の上に、2つずつ……」
フキノトウを紙に乗せ、確認するように勇者を仰ぎ見る魔王。
「そうそう。じゃ、任せるから、なんかあったら声かけてくれ。」
「了解ッス!」
真剣な表情で仕事に取り組む魔王をしばらく見届け、勇者は魔王の後ろから着いていき、同じカゴに他の天ぷらを乗せていく。
「ゆうくん、緊急事態ッス!」
「ん、なんだ?」
「フキノトウ、1コ足りないッス!」
「誰かがつまみ食いしたからな。大抵少し多めに作ってあるから、調理場に行ってもらってこい。」
「バイト初心者を1人で行かせるんスかぁ?」
「バイトは初心者でも、魔王城はお前の『ホーム』なんだろ?」
「そう言わずに、一緒に行ってあげなさいよ、ゆうくん。」
その言葉に、他のスタッフもコクコクうなずく。
「魔王を1人にしとくと、またなんかしでかすかもだし。」
その言葉に、先ほどより大きくうなずくスタッフ一同。
「ちょっ……オレ様の評価、ヒドくないッスか!?」
「それもそうだな。じゃあ一緒に──」
「1人で行けるッス!」
「どのみち、空いたバットとか持って行かなきゃなんねぇし。ほら、行くぞ。」
「やーっ! 1人で行けるッスーっ!」
「時間ねぇって言ってんだろ? さっさと来いって!」
「イヤーっ! 拉致られるッスーっ! おまわりさーんっ!」
勇者に引きずられるように調理場へ向かう魔王。
その様子を、幼い子供を見守るような眼差しで見送るスタッフ。
「なんだか魔王様って可愛らしいわねぇ。魔王っていうくらいだから、もっと怖い感じなのかと思ってたけど。ゆうくんと2人、イケメン兄弟みたいで、目の保養だわぁ。」
「ホント、この短時間でずいぶん仲良くなったわね、あの2人。」
「てか、はなっからわりと仲よさげだったじゃん? スマホ取り上げてみたりして。」
「そういえばそうねぇ。もしかして、知り合いだったのかしら?」
「ということは、ゆうさんも魔族ってことですか?」
一瞬の沈黙の後、
「まっさかー!」
と同時に言う3人。
「で……ですよね。魔王様って、どこかの国の王様とも知り合いだし、知り合いだから魔族だ、ってワケじゃありませんよね。」
「だねー。あ、その国王も魔族だ、ってオチは?」
「ないでしょー、それは。魔族じゃないけど、呑むと大魔王になる人なら知ってるけど。」
「はいっ! ここにいますよぉ!」
明るい笑い声がホールに響く。
「久々の団体さんな上に、料理長も休みで、大変な日にシフト当たっちゃったわぁ、って思ってたけど、魔王様に会えるなんてねぇ。」
「しかも一緒に働いてるとかって、マジ、レア!」
「なんか、逆にラッキーだったね──っ!(×4)」
「すんませーん、天ぷら予備ありますか?」
「作業台に置いてあると思うんで、持ってってくださーい。」
「どーもー。あ、これだな。」
ステンレス製の作業台に置かれた皿の中には、予備の天ぷらが乗っていた。
「まだわりと残ってたッスね。」
「残ってるけど、小さかったり、形が悪かったりしてホントは出したくないヤツなんだよ。だから配る時、落としたりしないように気をつけ……」
「やっぱりにがいッス。」
「だから、食うなって! さっき食って、苦いのわかってんだろ?」
「この苦味の良さがわからへんて、ガキやなぁ。」
「苦いとか酸っぱいって、毒あったり、ダメになってたりするかも知れないんスから、警戒しないと……わっ! お坊さん! お坊さんがいるッスよ!」
「は?」
魔王の言葉に顔を上げると、坊主頭でいかつい男性が作業台の向かいに立っていた。
「何で調理場にお坊さんがいるんスか? 庵違いじゃないッスか?」
「この人はお坊さんじゃねぇよ。」
「じゃあ格闘家? 剛力寺一門でこんなキャラ見たことあるッス。」
「なんだよ、剛力寺って。お坊さんでも格闘家でもなくて、ここの料理人のイタさん。」
「イタさん? そもそも、イタさんって料理人のことッスよね?」
「ああ、えっと、イタバさんって言う名前な。で、通称 イタさん。」
「イタバさんだからイタさんッスか。イタバって調理場とか料理人って意味ッスよね? なんかもう、料理人になるべくしてなったみたいな名前ッスね。」
「オレんち実際、料理人の家系やし。」
「スゴいッスね! まあオレ様も代々、魔王の家系ッスけど。」
なぜか張り合うように言う魔王を見て、イタバという料理人はプッと噴き出した。
「おもろいコト言うなぁ、魔王の家系って。じゃあなにか? 自分、魔王なん?」
「そうッスよ。」
「おい、ゆう。なんや、おもろい新人来たな。」
「いや、イタさん、マジでコイツ魔王。」
勇者の言葉に、大笑いするイタバ。
「意外やなぁ、ゆうでも冗談言うや。魔王なら、さっきマエノさんと一緒に来とって、チラッと見たけど、こんな感じやなかったで。真っ黒い服でマントつけてて、意外とちっこくて、カオだけ見てたら、なんちゃら系アイドルとか、漫画に出てくる学園一のモテ男子みたいな、そうそう、ちょうどこないなカンジの……って、コイツや!」
「だから言ってるじゃないッスか。魔王だ、って。あと、オレ様がちっこいんじゃなくて、イタさんが大き過ぎなんスよ。シューバンさん並みのサイズッス。」
魔王は腰に手を当てて、ぷぅっと頬をふくらませた。
「誰やねん、しゅーばんて。それより、なんで魔王庵の服着てるん? あのカッコやったからギリ魔王に見えたけど、今はまるっきり学生バイトくんやで。てか、まだ信じられへんわぁ。ホンマに魔王なん? 魔王言うたら、ツノとか羽根があったり、耳とんがってたり、なんてかこう、見るからに魔王ーみたいなダークオーラがブワァみたいな? あとは、ゴツいモンスター従えてたり……」
「こんな感じッスか?」
「ん? ──っ!?」
飛び交う巨大なコウモリ
獰猛さをむき出しにした3首の大きな犬
フワフワと宙を漂う12対の羽根を持つ蛇
2本の角が生えた黒い馬
低い唸り声を上げる炎を纏った虎
眩い光を放つ怪鳥
金色の目で鋭く見据える9尾の白狐……
魔王の周囲に現れたモンスター達に、イタバを始めとする調理スタッフは言葉を失う。
「残念ながら、オレ様はこの姿が完全体だから、ツノとか羽根は無理なんで、友達に来てもらったッス! あ、リリアーくん、最近よく呼び出してゴメンねー。みんなも久しぶりッス!」
犬猫に接するかのように、楽しそうにモンスターと戯れる魔王を見て後退ったイタバは、何かにぶつかり、振り返る。
そこには、額に角を生やし、鋭い牙を光らせた、天井に届きそうなほど巨大なモンスターが立っており、ジロリとイタバを見下ろしていた。
「並んでみたら、シューバンさんのほうが全然大きかったッスね。」
黒馬の背に悠然と座って足を組み、動揺を隠せない様子のイタバに向かって魔王が尋ねる。
「イタさんがイメージする魔王像に、少しは近付いたッスか?」
「あ……ああ、そや……な…ッ!?」
異様な感触にビクッと固まるイタバ。
その体には、7色の大蛇が巻きつくように這い上がってきていた。
「あー、ダメッスよー、セルピリスちゃん。イタさん、ビックリしちゃってるッス。」
魔王は馬から飛び降り、イタバの間合いに入り込んでニィッと笑ってその顔をのぞき込む。
「ゴメンねぇー。セルピリスちゃんは、人間のコトがだぁい好きなんスよ。」
笑みを浮かべているものの、その目は笑っておらず、見る者を凍りつかせるような冷酷な光を宿している。
大蛇に巻き付かれ、背後は巨大なモンスター、目の前は、今までとは全く違う、禍々しい空気を纏った魔王に挟まれ、身動きが取れない。
恐怖で気が遠くなりかけた時、
「悪ふざけが過ぎますよ、魔王さん。」
勝手口から入ってきたイッコマエの、静かだが凜とした声に、イタバは正気に戻った。
「セルピリス、その方から離れなさい。シューバンさんも。」
イッコマエに言われ、セルピリスとシューバンはイタバから離れた。
「ふざけてたワケじゃないッスよ? イタさんが魔王っぽいトコ見たそうだったから……」
「でしたら、それ以外にも方法はあるでしょう? 冒険者でも勇者一行でもない一般の方に、大量のモンスターで威嚇するとは何事ですか!」
「えっ? 魔王やろ、コイツ? 一般人にモンスター差し向けたらアカンとか、ルールあるん?」
ついさっきまでの恐怖を忘れ、思わずツッコミを入れるイタバ。
「それに、ここは食品を扱う場所です。そこに、モンスターを召喚するなど、いかなる理由があろうと、言語道断です。衛生管理が厳しい食堂で、もしものことがあったらどうするおつもりですか!」
「怒りのメインはそっちかい。てか、魔王の執事、食品衛生に詳しいなぁ!」
「そうッスね。保健所とかが調査に来て、営業停止とかになっちゃったら大変ッスからね。」
「その通りです。例え営業再開出来たとしても、1度失った信用を取り戻すことは容易ではありません。人の噂も75日などと言いますが、風評被害というものは、いつまでも付きまとうものですからね。」
「風評被害ッスか。そう言えばセリューさんトコも、そのせいで観光客がなかなか戻ってこなくて大変だったッス。営業停止になって、魔王庵なくなったら、イタさん失業しちゃうッス!」
「いや、ここアカンかったら実家帰るし。てか、営業停止の方向で話進めんといて!」
「よくわかったッス。魔王庵のみなさんを路頭に迷わせたとあっては、魔王の名折れ! 魔王庵のみなさんの生活は、オレ様が守るッス!」
「えっ、むしろ、路頭に迷わす側ちゃうの? 魔王って。」
「わかっていただけて良かったです。」
「なんやようわからんけど、話まとまったようやし、もうえぇわ……」
魔王とイッコマエのやり取りについて行けず、イタバはツッコミを放棄した。
「みんなー、せっかく来てもらったけど、ここは入っちゃダメだってー。また今度向こうの城に遊びに来てねー。」
魔王がバイバイと手を振ると、モンスター達は煙のようにフッと姿を消した。
「マエノさんの言う通り、場所を考えろよな。作業台にモンスター召喚の魔法陣描きやがって。危うく天ぷら吹っ飛ぶとこだったわ。」
「忘れてたッス。よくぞ天ぷらを守ってくれたッス。今日から天ぷら救世主と名乗るといいッス。ん? 救世主 天ぷらのほうが語呂がいいッスか?」
「どっちもお断りだわ! もう戻るぞ。まだ仕事残ってんだからな。」
「はーい。あ、そうだ。」
イタバに向き直り、ペコリと頭を下げる魔王。
「お騒がせしてごめんッした。じゃ、またねー。」
そう言った魔王の顔は、先程とは打って変わって無邪気そのものだ。
呆然と魔王を見送るイタバに、イッコマエが声をかける。
「魔王さんが失礼をいたしました。大丈夫ですか?」
「おお……あれだけのモンスター喚んだり、サッと雰囲気変わったり、アイツ、ホンマに魔王やってんな。」
「ええ。学生バイトくんのような容姿をしていても、彼は紛れもなく魔王であり、忘れがちですが、この世界は彼の手中にあります。今は大人しくしていますが、何がきっかけで恐怖と混乱の世に変えるかわかりません。わたくしといたしましては、この世界がどう変わろうと一向に構いませんが、今の平穏な生活をお続けになりたいのでしたら……魔王さんを不用意に刺激なさらぬほうが宜しいかと存じます。」
「──!」
魔王と同じような凍てつく眼差しに、息を飲むイタバ。
その一瞬後には、ウソのような穏やかな微笑みを浮かべ、イッコマエは紳士然とした振る舞いで深々と一礼し、イタバの前を去った。
「大丈夫ですか、イタさん!」
一部始終を見ていた調理スタッフがイタバの元に集まる。
「あー、アカン。めちゃビビったわ。人間と変わらん姿しといて、魔王とかその執事とか反則やろ。」
「だよなー。一瞬で空気変わったからな。マジで魔王だったとは……」
「ゆうさんの反応にも驚きですよね。モンスター現れても、全然動じてなかったじゃないですか。」
「だよなー。まあ、普段から感情出すタイプじゃねぇけど、にしても落ち着き過ぎ。アイツも魔王の仲間だったりしてな。」
「いやいや、それはないでしょう。」
笑い合うスタッフの声を聞きながら、魔王と勇者が出て行った暖簾の向こうを見やり、誰に言うでもなく、イタバが呟く。
「……案外、そうかも知れんで。」
「えっ? 1品足りない?」
全ての準備が整ったと思ったところで、問題が発生した。
「お、オレ様が犯人じゃないッスよ!」
「わかってるって。1つ2つ足りないんじゃなくて、出す予定だった料理、作り忘れてたらしい。」
調理スタッフ、ホールスタッフ全員が調理場に集まり、緊急ミーティング。
「材料はあるし、それほど手間のかかる料理やないけど……」
時計に目をやるイタバとチーフ。
「お客様がいらっしゃるまでとなると、ちょっと厳しいわねー。」
重苦しい空気が漂う中、魔王があっけらかんとした様子で尋ねる。
「どれくらい時間があれば作れるんスか?」
「せやな……15……20分くらいか?」
他のスタッフがうなずく。
「じゃあ、その間、お客さんを足留めしておけばいいんスね?」
「まあ、そうなんですけど、どうやって……」
「オレ様にお任せッス! 得意分野ッスからね!」
言うが早いか、調理場を飛び出した魔王。
と思いきや、暖簾からひょこっと顔出した。
「チーフさん、マエノさんとゆうくん、借りてっていいッスか?」
「えっ? ええ、こっちはわたし達だけで何とかなりますから。」
「あざーッス。行くッスよ、マエノさん、ゆうくん。」
「えっ、俺も?」
「そうッス、一緒に来るッス!」
「ちょっ……何で俺までーっ!?」
魔王とイッコマエに引きずられるように調理場から消える勇者。
「……達者でな、ゆう。」
「さて、どうやって足止めしてくださるかわからないし、出来るだけ急いで作らないとねー。えーっと、出汁を作ってー……」
「あ、シイタケ戻したん、こっちにあんでー。」
「蒸し器準備しときます。」
「じゃあこっちは器、用意しておきまーす。」
「具に下味つけとくわねぇ。」
「そこの卵、ぜーんぶ割っといてー。」
抜群のチーフワークで、魔王庵スタッフ一同は手早く作業を進めていく。
一方、魔王城 エントランスホール付近。
「そろそろお食事の時間になりますので、お集まりくださーい。」
ガイドが、自由行動をしていたツアー客を呼び集める。
「全員揃いましたでしょうかー? では──」
「ご飯の前に、特別イベントはいかがッスかー?」
「えっ?」
謎の声が響き、魔王庵の向かいの部屋の壁が突然透明になる。
「どーもーッス! 久しぶりに帰還した魔王ッスよー!」
透明な部屋の中から手を振る魔王は、いつの間にか魔王庵のユニフォームではなく、普段の黒い服に戻っている。
魔王に気付いたツアー客は歓声を上げ、部屋を取り囲んだ。
「ガイドさん、どーもッス。お時間大丈夫ッスか?」
『えっ? えとー……』
腕時計を確認し、バスの運転手にも視線を送る。
うなずく運転手を見て、ガイドは両手で大きくマルを作りながら答える。
『少し余裕がありますので、大丈夫でーす。』
「あざーッス! ではちょっとの間、お付き合いください。題して、『出張 まおーちゃんねる ニャンズルームからどーもッス!』」
言いながら魔王が子猫を抱き上げる。
『キャーっ! かわいいーっ!』
「いつもは、最上階のオレ様の部屋でみなさんをお迎えするんスけど、ワンパターンかなーって思って、今回はニャンズも連れて来たッス。あ、写真はOKッスけど、フラッシュ厳禁でお願いするッス。ニャンズがビックリしちゃうッスからね。」
カメラが向けられているのに気付いた魔王は、すかさず注意を促す。
「そして、ニャンズルームと言えば……」
「猫シッターのイチコです。ガラス越しではありますが、皆様とお会い出来て光栄です。」
ソファーで母猫を膝に乗せていたイッコマエが立ち上がり、一礼してフワリと微笑む。
『うおーっ! 動画で見るより全っ然美人っ!』
『マジ天使、いや、女神様っ!』
『イチコさぁん、こっち向いてーっ!』
「わー、イチコさんて、男のヒトにも女のヒトにも超人気なんスねー。オレ様、ちょっと妬けちゃうッス。」
『大丈夫! 魔王様も大好きーっ!』
「『も』ってなんスか、『も』って! オレ様のことないがしろにすると、世界の終わりのカウントダウン始めちゃうッスよ!」
『世界が終わる前に豪遊したいから、詳しい日時を教えておいてください!』
「世界的に有名な予言者さんにだけコッソリお伝えしておくッスから、彼の難解な暗号を頑張って解いて、推理するといいッス。正しく解かないと、豪遊後、大変なコトになるッスから、気を付けるッスよー。」
『えーっ!』
観客と魔王のやりとりに、笑いが起きる。
「今日は、こっちの魔王城ってコトで、クチコミサイトでもよく話題に出てくる、魔王庵のウエイターさん、イケメンメガネくんを拉致って来たッス!」
勇者の姿が見えると、女性客の黄色い声が上がる。
「お? この様子だと、彼目当てで来たヒトもいるみたいッスねー。どうッスか? ウエイターさん。」
まおーちゃんねる公開放送風での足留めとは思っていなかった勇者は少々困惑顔で答える。
「どう、って言われても……別に俺、いらなくね?」
「これだけキャーキャー言われているのに、なんという塩対応っ! そんな愛想ナシな接客指導した覚えはないッスよ!」
「ったりめぇだ! てめぇに指導された覚えはねぇからなっ!」
「不思議ッスねー。なんでこんな愛想もへったくれもないヒトが人気なんスか?」
「知らねぇよ。ったく……仕事に戻らせてもらうぞ。」
「戻る? 何言ってんスか。もう……手遅れッスよ。」
妖しい笑みを口元に刻む魔王。
勇者に緊張が走る。
「……どういう、意味だ?」
「ぜーんぜん気付いてないんスねぇ。のんきなヒト。」
「んだと?」
観客の間にも緊迫した空気が流れる中、イッコマエが柔らかな口調でツッコミを入れる。
「ウエイターさん、子ニャンに登られちゃってますから、そのまま出ていかれたら困りますよー。」
「えっ? わっ、いつの間に! おい、危ないって! 落ちる落ちるっ!」
一変して和む空気。
勇者によじ登る子猫達の愛らしさと、その子猫達にアタフタする勇者に、観客は一斉にカメラを向ける。
「なんか今、ウエイターさんの別の一面が見えたッスね。なるほど、このギャップが人気の秘密ッスか? ニャンズにも懐かれまくりってコトは、ちょっと怖そうに見えるけど、実はいいヒトなんスね。」
イッコマエと一緒に、勇者から子猫を降ろす。
「ウエイターさんが、ニャンズルーム初のお客さんなわけッスけど、感想聞いてもいいッスか?」
「感想もなにも、いつも通り特に変わったトコもな……んぐっ!?」
客の死角になるような位置で、勇者の口を同時にふさぐ魔王とイッコマエ。
「そ、そうなんスよ! 向こうのニャンズルームを完全再現したんスよー!」
「む゛──っ!!」
「ニャンコは環境の変化が苦手ですからねー。」
「んん゛─────っっ!!」
「そこに気付くとは、ウエイターさん、もしかしてまおちゃん見てくれてるんスか? あれ? もしもーし?」
「こ……」
「こ?」
「殺す気かぁ────っ!!」
2人の手を振り解き、肩で息をする勇者。
外に聞こえない程度の声で2人に訴える。
「マジで窒息するとこだったじゃねぇか!」
「身バレしそうなコト言うから悪いんスよ! 今日は猫シッターユウさんじゃなくて、魔王庵のウエイターさんなんスから、お馴染み感出したら、同一人物だってバレるかもッしょ!」
「そりゃそうだけど、加減ってもんがあんだろうが!」
「すみません。とっさでしたので……」
『なんだ? 何が起きてんだ?』
『「殺す気か」とかなんとか聞こえたような……』
ウエイターの穏やかではない発言に、ざわつく客達。
「もー、ヒト聞き悪いッスよ、ウエイターさん。お客さん達が心配しちゃってるじゃないッスか。たしかにうちのニャンズの可愛さは、殺傷能力高すぎッスけど、大げさッスよー。」
イタズラっぽい笑みでごまかす魔王。
『ああ、そう言う意味か。』
『マジ、殺人毛玉だもんね、このコ達。』
いぶかりながらも、一応納得したような形に収まる。
「子ニャン達、よっぽどウエイターさんのコト気に入ったんですね。また登ってますよー。」
その様子を見ていた客から声が上がる。
『まおちゃんでもよく見る画だよねー。』
『見る見るー! 子ニャンのユウさんクライミング!』
「もしかして子ニャン達、ウエイターさんのコト、ユウさんと勘違いしてるのかもッスね。」
「ちょっ、何言って……」
『思ってた、それー。ユウさんに似てるよねー。』
『えっ? でも魔王庵の人なんだろ?』
『兄弟とか?』
『どーなんですか? ウエイターさん。』
「いや、そのー……」
慌てる勇者を見て、ニヤリとする魔王。
「どういうつもりだ、てめぇ……」
声を潜めて問いただす。
「バレるかも知れねぇからとか言っておきながら、なんで水を向けるようなコト言い出すんだよっ!」
「よく考えたら、バレようがバレまいが、オレ様的にはどっちでもいっか、って。それに、このほうがおもしろくなるかなぁ、って。」
「おい、マジふざけんな!」
無責任な魔王の言葉に、バレるバレないなどという懸念は一瞬にして頭から吹っ飛び、いつもの調子で返す勇者。
「だいたい何しに来たんだよ? よりによって、色々トラブっててバタバタしてる日によぉ!」
「久しぶりに、魔王城に遊びに来てくれるみなさんに会いに来たんスよ。それに、ここは元々オレ様の城なんスから、いつ顔出そうが、何しに来ようが、文句言われる筋合いはないッス!」
「確かに、いつ、何しに来ようがてめぇの勝手だけど、ヒトを巻き込むんじゃねぇよっ!」
『おいおい、魔王相手にマジ喧嘩て、ホンマ、何モンやねん?』
聞き覚えのある声に、勇者と魔王は部屋の外に目をやる。
「あ、イタさんッス。」
「てか、みんなも。」
ツアー客の後ろのほうから、魔王庵スタッフ数人が顔を覗かせている。
「みなさん、何やってんスか?」
『お食事の準備が整ったので、お迎えに……』
『そしたら、なんかおもしろそうなコトしてるから、一緒に見学?みたいな?』
「あ、ご飯できたんスね。では、出張ニャンズルームはここまでってコトで。」
えー、と名残惜しそうな声がエントランスホールに響く。
『あ、だったら最後に質問いいですか?』
「なんスか?」
『結局、ウエイターさんとユウさんて同じ人なの?』
『いつものまおちゃんと違和感ないもんね。』
勇者に釘付けのツアー客。
答えるまで離れる気配がない。
ちょっと勇者を困らせてみよう、くらいの気持ちで発した言葉だったのだが、マズいことになったと、少し焦った表情の魔王。
つい我を忘れて、いつも通りに振る舞いすぎたと今更ながらに青くなる勇者。
「えっと……俺は……」
「おいおい、マジでこっちにも猫部屋作ったのかよ。」
「えっ?」
ニャンズルームに新たな声が加わる。
「うわっ、外、丸見え……てか、なんだ? ヒトがすげぇいるじゃん。」
その声の主は、部屋の外にいる大勢の人達に、驚いた様子を見せる。
『うそ……あれって……』
ニャンズルームに現れた、黒髪で背の高い、どことなく機嫌が悪そうに見える青年。
「ユウさん……ッスか?」
ツアー客以上に困惑している魔王と勇者に、青年は怪訝そうな顔する。
「ユウさんッスか?じゃねぇよ。てめぇが呼んだんだろ? 以前の魔王城に猫部屋作ったから来い、って、『イチコ』さんから連絡あったんだけど。」
「イチコさん? ああ、そうそう。そうだったッス。」
イチコと言うキーワードで、イッコマエの変身だと察した魔王が話を合わせる。
改めてニャンズルームの外を見渡し、ユウの姿をしたイッコマエが魔王に尋ねる。
「どういう状況だよ、これ?」
「まおちゃん公開放送風イベントッス。お開きにするトコだったんスけど、せっかく来たんスから、ユウさん、みなさんにご挨拶よろしくッス!」
「もう終わるなら、挨拶いらなくね?」
「おんなじようなセリフ、ちょっと前に聞いたッスよ。なんなんスか、この2人。ホントに双子かなんかじゃないんスか?」
「この2人ってなん……うわっ、俺がいるっ!」
勇者を見て驚くフリをするイッコマエ。
「えっ、このヒト誰?」
「ここのお食事処 魔王庵で働いてる、イケメンウエイターさんッス。」
「そーいや、魔王庵のヒトですか?って聞かれたコトあるんだけど、たしかに似てるな。」
状況が飲み込めずに固まっている勇者にさりげなく近づき、イッコマエが小声で言う。
「私です、勇者さん。」
「えっ、だって、えっ……ええっ!?」
ソファーにはニコニコしながら子猫を見守るイチコの姿が。
なのに、目の前の『ユウさん』はイッコマエだと言う。
ますます混乱する勇者に代わり、魔王が話を進める。
「せっかくこっちに来たから、ちょっと拉致って来たんス。オレ様も今日初めて会ったんスけど、メガネと髪型くらいの違いで、後はそっくりッスよね。ドッペルゲンガーかも? ヤバいッス! 2人とも死んじゃうかも!」
「勝手に殺すなっ!(×2)」
『シンクロ率、高っ!(ツアー客+スタッフ)』
「ドッペルゲンガーかどうかは置いといて、ユウさんとウエイターさんは別人だとわかったところで、今度こそお食事タイムッスよー。特別に、オレ様とウエイターさんがエスコートしてあげるから、みなさん、大人しく着いてくるッスよー。さ、ウエイターさん、お仕事お仕事ーっ! ユウさん、イチコさん、お見送り、お見送りーっ!」
勇者の背中を押し、ニャンズルームを出て、ツアー客を食堂へ誘導する魔王。
ニャンズルームの中から、無愛想ながらも一応手を振って見送るユウの姿をしたイッコマエと、笑顔で手を振る謎のイチコ。
全ての客が食堂に入り、魔王がヒョコッと顔を出す。
イッコマエに向かって、ゴメンと言うように手を合わせると、魔王はパチンと指を鳴らし、ニャンズルームの壁を元通りにして食堂に戻って行った。
外から見えなくなったニャンズルーム内で、イッコマエはふぅーと息をつき、元の姿に戻る。
「代役、ありがとうございました、ママさん。」
イチコの姿から元に戻った母猫は、イッコマエに抱き上げられ、ニャーと応える。
「連休最終日にHP 0になってしまった勇者さんが心配だからと言って様子を見に来たというのに、結局またドタバタに巻き込んでいますね、魔王さん……」
「ニャ、ニャー。」
「ええ。アルバイトなんて初体験で、楽しいのはわかりますが、魔王さん、ちょっとはしゃぎ過ぎですし、勇者さんも簡単に乗せられ過ぎです。」
「ニャー。」
「そうですね。これ以上問題が起きないといいのですが……」
イッコマエは母猫をソファーに降ろし、執事 マエノの姿に戻った。
「執事たるもの、常に主人の行動を注視いたしませんと。行って参りますね。」
「ニャー。」
母猫に見送られ、イッコマエもニャンズルームを後にした。
「なんや? ウエイターの次は菓子職人のコスプレか?」
ツアー客を食堂へ案内し終え、パティシエ服に着替えて調理場にやって来た魔王を見て、イタバが言う。
「コスプレじゃないッスよ。ちゃーんとお菓子作るッス。」
「えっ? 作れんの?」
他の調理スタッフも驚いた様子で、洗い物の手を止める。
「オレ様を誰だと思ってるんスか? 生まれた時からマエノさんの調理技術を目の当たりにしてるんスよ?」
「まあ、たしかにマエノさんは凄かったですけど……」
「機械より速くキャベツ千切ってたもんな。しかもすっげー細さで。」
「賽の目切りにした豆腐のサイズがぜーんぶ一緒でしたよ。」
「大根の桂剥きもめっちゃ薄かったしな。」
「材料見ただけで、献立当てたし。」
「すごいッしょ? マエノさん。」
イッコマエを褒められ、誇らしげな魔王。
「で、よく言うッしょ?『厨房の魔王、習わぬカップ麺を作る』って。」
「聞いたことないし、習わんでも作れるやろ、カップ麺。」
「最近のカップ麺を侮ったらダメッスよ、イタさん。かやく、粉スープ、液体スープ、調味油……どのタイミングで入れたらいいのか、お湯を入れて何分待つかもそれぞれ違うし、湯切りすると、シンクがボコンって言うのも怖くないッスか?」
「シンクに熱湯流しちゃダメですよ、魔王様。」
「えっ? そうなんスか?」
「てか、ボコンが怖いて……ホンマに魔王なん?」
「なんスか? もう1回オレ様のお友達に会いたいんスか?」
「いかなる理由があろうと、調理場にモンスターを召喚するなど──」
「はいっ、言語道断ッスっ! 営業停止ッス! 一家離散ッス!」
「営業停止も一家離散もさせんといてーっ!」
「ま、マエノさん。よくオレ様の居場所がわかったッスね。」
イタズラがばれた子供のような顔で、魔王が振り返る。
「ホールの方に伺ったら、こちらだと。」
調理スタッフに、にこやかに一礼するイッコマエ。
「魔王さんがご迷惑をおかけしてませんか?」
「ええ、大丈夫ですよ。」
「だな。今んトコは。」
「今んトコ、って、これからも大丈夫ッスよ! 多分……」
「多分て、お菓子作るだけやろ?」
「お菓子作り、ですか?」
なぜそんな事をと問いたげなイッコマエに魔王が答える。
「ほら、ここのデザートに使う予定だったバナナ、オレ様達が大量購入しちゃったじゃないッスか。」
「バナナ来なかったのは魔王のせいだったのかよ?」
「ごめんッス。まさか、こんなところで影響が出るとは思ってなかったんスよ。」
「なんでそない大量買いしたんや?」
「リリアーくんに配る用にッス。」
「リリアーくんて誰ですか?」
「さっき喚んだおっきいコウモリッス。」
「えっ、コウモリってバナナ食うの?」
「モンスターちゃうけど、フルーツ好きなコウモリおるで。」
「へー、人間界にもそんなコウモリがいるんスね。で、500人近いリリアーくんにお届け物を頼んで、そのお礼として配ったんスよ。」
「お届け物? それ、魔界の話?」
「つい先日の、人間界での話ッス。」
「えっ、ちょい待ち。今日、料理長が急に休んだのって、昨日、家にでかいコウモリが来たからとかなんとか……」
「ええ。お届け先の1つが、どうやら料理長さんのお宅だったらしく……すなわち、料理長さんのお怪我は、我々が原因です。」
「まさか、こんなところで影響以下略、ごめんッス!」
魔王とイッコマエがほぼ同時に頭を下げる。
「だから、魔王庵の手伝いをしてたんですか?」
「そうッス。ホントはただ遊びに来ただけだったんスけどね。」
「料理長が休みなのも、食材が足りないのも、魔王が原因だったとは……しっかし、おつかいコウモリにお礼とかって。モンスターって、魔王の命令なら報酬とかナシで動くもんじゃねぇの?」
「よその魔王はいざ知らず、オレ様はそういうの嫌いなんス。ちゃんとお仕事してもらったら、ちゃんとお給料を払う、おつかいを頼んだらお礼する。オレ様はそういう魔王ッス。」
「いろいろ大変なんですね、魔王様って。」
「いろいろ大変なんスよ、魔王って。」
「魔王さん魔王さん、話が大幅に逸れてます。」
「そうだった。と、いうわけで、本来出す予定だったデザートの代わりに、ロックケーキ作るッス。」
「唐突な展開やな。なんでロックケーキなん?」
「最近、お菓子作り始めたんスけど、とりあえずオレ様がちゃんと作れるのがロックケーキなんス。でも……」
イッコマエのほうを見ながら、魔王が続ける。
「みなさんの迷惑になるからやめなさいってマエノさんが言うならやめておくッス。」
はしゃぎ過ぎている自覚があるらしく、イッコマエの顔色を伺う魔王。
「迷惑なコトないし、一緒に作ったるわ。なあ、みんな。」
「そうだな。デザート提供できないけど、代わりの物も思いつかなかったし、ちょうどいいんじゃね?」
「おみやげとしてお持ち帰りいただいてもいいですしね。」
肯定的な言葉の数々に、魔王は心底嬉しそうな顔をする。
「魔王庵のヒトは、ホントみんな優しいッス! 作ってもいいッスか? マエノさん!」
声を弾ませ尋ねる魔王に、イッコマエはコクリと頷く。
「皆様がそうおっしゃってくださっているのですからね。でも、急がないとあまり時間がありませんよ。」
「よっしゃ、さっさと始めるで。材料は?」
「ちょっと待って。こっくぱっとさんに聞いてみるッス。」
「こっくぱっとかいっ!」
「あ───っ! スマホ、ゆうくんに没収されたままッス!」
「魔王からスマホ没収するって、すげぇな、ゆう……」
「ボクのでよければ、使ってください。」
「あざッス! わー、最新のじゃないッスか! いいなー……ん?」
レシピサイトを検索する前に、スマホ画面に釘付けになる魔王。
「壁紙のニャンコ、かわいいッスね!」
「あ、ありがとうございます! ボクんちの猫なんです。」
「マジッスか! 他に写真とかないんスか?」
「ありますよ。えっと、これが赤ちゃんの頃です。」
「わわわっ、超かわいいッスっ! なんスかこれ? キュン死させる気ッスか? あ、ワンコもいる! かわいー!」
「実は犬も飼ってて。魔王様は犬も好きなんですか?」
「好きッス! 動物番組とか、録画しまくりッスよ。動画もあるじゃないッスか! 見ても……」
「猫は後にせんかーいっ!」
レシピ検索そっちのけで動物の写真に夢中な魔王から、イタバがスマホを取り上げる。
「ああっ、今度はニャンコ誘拐されたッス!」
「……なるほど。こんな調子で、ゆうからも、スマホ取り上げられたんだな。」
「皆様ー、隣の席の方はちゃんといらっしゃいますかー? 乗っていない方は返事してくださいねー。」
定番のギャグで客の笑いを誘いつつ、車内を歩きながら、乗客の人数を確認するツアーガイド。
「はい。全員いらっしゃるようですので、発車いたしまーす。」
動き出す観光バス。
魔王城の前では、魔王庵スタッフが総出でツアー客を見送る。
「はぁー、色々あったけど、何とか終わったねぇ。」
ホッとした表情のスタッフ達。
「さぁて、戻って後片付け始めますかー。」
スタッフ全員が食堂に戻ると、テーブルの上にあった食器は全て、イッコマエによって片付けられていた。
「まあっ! マエノ様、すみません!」
「いえ。とりあえず調理場のほうへ運んだだけですし、魔王さんが何かとお騒がせしておりますので、これくらいのことは……おや? 魔王さんは?」
「えっ? あれ?」
「ゆうさんもいなくない?」
イッコマエに言われて初めて、ツアー客を見送る時にはいたはずの魔王と勇者がいないことに気付く。
「一緒にバスに乗って行ったんじゃねぇか?」
「まっさか、そんなコト……」
((あり得るーっ!))
全員の脳裏に、同じ考えが浮かんだ。
その時
ピリリピリリ ピリリピリリ……
「ちょっと失礼いたします。」
着信音がし、イッコマエがスーツの内ポケットからスマホを取り出す。
「もしもし?」
『あ、オレ様ッス。』
「オレ様? オレ様詐欺ですか? うっかり国1つ破壊してしまって、今すぐ賠償金が必要だと言われても、びた一文お支払いいたしませんよ。」
「規模でけぇー、オレ様詐欺!」
『何言ってるんスか、マエノさん。あ、魔王庵のみなさんもそこにいるッスか?』
「ええ、いらっしゃいますよ。」
『じゃあ、スピーカーにして、みなさんにも聞こえるようにして欲しいッス。』
「魔王さんから電話です。皆様にも聞いていただきたいそうで……」
スピーカー通話の状態にし、スマホをテーブルの上に置く。
「魔王さん、今どちらにいらっしゃるんですか?」
『最寄りの100円ショップ。ゆうくんと一緒ッス。』
「100円ショップ? って、ゆうくんも一緒!?」
『黙って連れてきたから、みなさん心配してるかなぁって思って、連絡してみたッス。』
「今さっき、2人がいてないって気付いたトコや。」
『バッチリなタイミングだったッスね。大騒ぎになる前に連絡できて良かったッス。』
『良くねぇよ! まだ後片付けが残ってんだよっ! いちいち俺を巻き込むなっての!』
「あ、ゆうさん。マジで一緒なんだー。」
電話の向こうから聞こえた仕事仲間の声に、魔王による拉致が事実であると確信する。
『新人の面倒を見るのもお仕事ッスよ、ゆう先輩。』
『呼び方変えて、今さら新人感出してんじゃねぇっ!』
『わー、ゆう先輩怖いッス。じゃあ、ツアーのみなさんにロックケーキお届けしたらすぐ戻るんで、ご心配なくー。』
「ちょっ、魔王さんっ!……切られましたね、電話。」
軽くため息をつき、イッコマエはスマホをしまう。
「魔王さんの自由過ぎる行動の数々を止めることが出来ず、本当に申し訳ございません。」
深々と頭を下げるイッコマエを、チーフが即座にフォローする。
「大丈夫です! マエノ様のせいではありませんから!」
「そうそう。元々ここは魔王の城なんだから、そりゃ、好き勝手もするっしょ。」
「まぁ、1番の働き手を誘拐されたのはちょっとイタいけどねぇ。」
「だぁいじょうぶ。ゆうの分、イタが頑張るから。」
「おぅ、任しとき……って、なんでやねん!」
漫才のようなテンポのいい会話に、笑いが起きる。
「……ありがとうございます。魔王さんも言ってましたが、本当に魔王庵の皆様は優しい方々ばかりですね。」
スタッフ達の明るい雰囲気に、イッコマエは安堵と申し訳なさが混ざった、ぎこちない笑顔を見せた。
「にしても、ホーント、ゆうくんのことが気に入ったみたいねー、魔王様。初対面とは思えないくらい仲良くなってー。」
「ホンマに初対面なん? 実はお仲間やったりして。」
「あら、イタちゃんまでそんなコト言うのぉ?」
「えっえっ? どーいうコト? ゆうくんって、魔族だったのー?」
魔王と勇者が一緒にいる場面にあまり遭遇していなかったチーフは、1人でプチパニクる。
「あんまり仲がいいから、以前からの知り合いなのかしら?だとしたら、魔族だったりして?なんて話してたのよぉ。」
「どこかの国王とも知り合いだから、知り合いイコール魔族ってワケでもないっしょ?って、ねー。」
「ああ、あのすっげぇ若い王様かぁ。たしかに知り合いっぽいけど、あの人は、魔族かも知んねー、とか思わないんだよな。でも、ゆうは……なぁ?」
「魔王様が急にモンスターを喚びだした時も、全然驚かなかったんですよ。」
「驚くどころか、こんなトコに喚ぶな、なんて注意したり……そう言えば、魔王が描いた魔法陣が、モンスター召喚のヤツやて、見ただけわかったんやで、アイツ。」
「仲がいいって言うか、お互いに遠慮がないって言うか、単なる知り合いじゃない雰囲気なのよねぇ。」
「ニャンズルームでも、フツーに言い争ってましたし……」
魔王庵スタッフの視線がイッコマエに集まる。
「……だから、ゆうさんも魔王さんの仲間、魔族ではないか、と?」
イッコマエの言葉に、黙って頷くスタッフ。
「実際、どうなんですか? マエノさん。」
真剣な表情で尋ねるホールスタッフの少女。
「ゆうさんも魔族なんですか?」
まっすぐな眼差しに、イッコマエは優しく微笑み返し、落ち着いた様子で応えた。
「その質問には、お仕事が終わってからゆっくりとお答えしましょうか。」
「えー、皆様ー、右側をご覧くださーい。こちらに見えますのは──」
「たびたび登場のオレ様でございまーす!」
「そう、オレさ……ええっ!」
走行中のバス内に現れたパティシエ服の魔王に、驚くガイド。
「左側には魔王庵のウエイターさんもご覧いただけまーす!」
ガイドの背後、その左右に立つ魔王と勇者に、ツアー客達もざわつき始める。
「魔王庵でのお食事には、デザートがつくはずだったんスけど、足りない材料があって、別のを用意したんス。でも、ちょーっと間に合わなかったから、ここまでお届けに来たッス!」
手にしたカゴを掲げてみせる魔王。
「魔王庵のみなさんに手伝ってもらって、ロックケーキ、作ったッス!」
「ロックケーキって、ちょっと前にまおちゃんでやってたヤツ?」
「マジで? 欲しかったんだよ、あれ!」
あちらこちらで嬉しそうな声が上がる。
「ウエイターさんと一緒に、たった今袋詰めしたとこッス。急遽だったから、1人1枚ずつしかないッスけど、頑張って作ったんで、ご賞味くださーい。」
ワーッと盛り上がるバス内。
「はい、ガイドさんと運転手さんの分。」
「えっ? 私達もいただけるんですか?」
「もちろんッス。」
「ありがとうございます! 家宝にします!」
「いや、そんな大層なモンじゃねぇから、ダメにならないうちに食ってください。」
ロックケーキの入ったカゴを勇者が持ち、その前を歩く魔王が1袋ずつツアー客に手渡して行く。
バスの最後尾の席に1人で座っている客の前で、魔王と勇者があれっ?と声をあげる。
「1個足りないッス。」
「おっかしいな。運転手さん、ガイドさん合わせて、ちょうど40人だったんだけどな。」
「20袋入りのを2つ買って来て、全部使い切ったッスよね? ゴメンねー。袋ないけど、ロックケーキは調理場に幾つか残ってるから、すぐに召喚するッス……体調悪いんスか? 今日、そんなに寒くないのに、ニット帽にマスクにサングラス……」
「てか、こんなヒトいたっけ? なんかその格好、まるで……」
最後尾の客はふいに立ち上がると、魔王の背後から腕を回して拘束し、バスの前方に連れて行くと、その首にジャックナイフをつきつけた。
「ん? なんスか? 脅さなくてもちゃんとロックケーキあげるッスよ。」
「そんなモンいらねぇよ。てか、状況わかってんのか、このガキ!」
「そんなモンとは失礼ッスね! その上、刃物をヒトに向けるなんて、なんなんスか?」
「なんなんスかって、バスジャックに決まってんだろっ!」
怪しい風貌の男の怒鳴り声に、バス内に悲鳴が上がる。
「静かにしろっ! おい、運転手、次のパーキングエリアでバスをとめろ。乗客全員、両手を頭の後ろで組め。外に連絡でもしたらただじゃおかねぇぞ!」
魔王に刃物をつきつけたまま、男は勇者に命令する。
「お前は客が持ってるスマホ、ケータイ、カメラ、車内の様子を記録できそうなモンを全部集めて持ってこい。ちょうどいいカゴも持ってることだしな。」
勇者はやれやれといった表情で、諭すように男に言う。
「なぁ、何が目的かわかんねぇケド、バカなマネはやめとけよ。お前が人質にしてるソイツは……」
「黙れっ! オレに指図すんな!」
「いや、指図とかじゃなくて……」
「いいから言う通りにしろ! ここにいる全員の命運を握ってんのはオレだ。このバスは今オレの物、オレの支配下にあんだよ!」
男の言葉に凍り付く車内。
そんな中、
「……ふふっ」
嘲るような笑いをもらす魔王。
「なに、笑ってんだ、ガキっ!」
「ジャックさんがおもしろいから笑ってんスよ。」
「じゃ……ジャックさんっ!? おい、バカにしてんのか? オレのどこがおもしろいってんだよっ!」
「ぜーんぶッス。例えば、こんなおもちゃでオレ様を制圧した気になってるトコとか。」
言うなり魔王は、突きつけられたジャックナイフの刃先をグッと握った。
「何やってんだっ!? これはおもちゃじゃなくて、本物のナイ……」
「わかってるッスよ。」
「なっ……」
人質の意外な行動に、焦る男。
「ホンモノだってわかってるッス。でも、オレ様にとってはおもちゃ同然って意味ッス。」
魔王が手を開くと、粉々になったナイフの刃先が、その足元に散らばった。
「ね? こんなモンじゃ、血の1滴すら出ないッス。」
首を後ろ反らしてこちらを仰ぎ見、妖しく微笑むパティシエの得体の知れなさに、武器を失い丸腰になったことに、恐怖を禁じ得ない。
「お客さんの命運を握ってるのも、このバスも自分のモノ? この場を支配してるのも自分? これだけおもしろいコト言ってるのに、無自覚なんスか?」
妖しくも冷ややかなその視線に、魔王を拘束していた腕が緩む。
「バスはバス会社さんのモノだし、お客さんの命はお客さん自身のモノ。でもそれは、一時的なコトと言うか、表面上のコトで、実際はこの世界の全ては──」
今までより低いトーンで、魔王は男に言う。
「オレ様のモノなんスよ。」
「───ッ!?」
ただ凝視されているだけなのに、体が凍り付いたように動かない。
「なっ……何だよ。世界は自分のモンだぁ? 何者だよ、何様のつもりだよ、てめぇはっ!?」
明らかに狼狽しながらも、精一杯虚勢を張り、大声をあげる男。
「何者、って、オレ様の知名度って、まだまだ低いんスねー。」
対象的に魔王は、男に何者かと問われたことを、いつものような軽い調子で嘆いてみせる。
「ちょうどよくテレビ中継してる時に勇者を倒して、世界征服宣言したのに、見てなかったんスか? その後もニュースとかネットとかでかなり騒がれてたんスけど……」
「勇者を倒して、世界征服宣言した? おい……ウソだろ? まさか、お前……っ」
魔王からバッと手を離し、男はジリジリと後退る。
「なぁんだ。オレ様が誰か、知ってるっぽいッスね。あ、こんなカッコしてるから、わかりにくかった? ごめんねぇ、魔王だってわからないくらい、パティシエ服似合い過ぎてて。」
ゆっくりと振り返り、ニヤリとしたその顔、確かに見覚えがあった。
背筋がゾッとして、膝が細かく震える。
「じゃあ、改めて自己紹介するッス。どーも、魔王ッス。忘れてるヒトも多いけど、この世界は今、オレ様の支配下にあり、世界中のヒト達、もちろん、ジャックさんの命運も───」
魔王は男に向かってスッと手を伸ばす。
「オレ様の手の中にあるッス。」
「う……うわあああああ─────ッ!!!」
恐怖が頂点に達した男は、1歩1歩近付いてくる魔王から逃げるように、転びながらも必死にその足元をすり抜けて行く。
「そんなに慌てて逃げなくてもいいじゃないッスか。バスからは出られないし、出られたとしても──」
運転席近くにいたはずの魔王の姿が一瞬にして消える。
バス後方へと逃げていた男の前に現れた魔王は、しゃがみ込んでその顔を覗き込み、ニッコリ笑う。
「絶対に逃がしてあげないッス♪ 痛ッ!」
突然降ってきた衝撃に、魔王は頭を抑える。
「……やり過ぎだ。」
あきれ半分怒り半分な表情の勇者が、顔を上げた魔王の頭を、手にしたカゴでもう1度小突く。
「見てみろ。2人の『演技』がマジ過ぎて、サプライズ通り越して、お客さん、ドン引いてんじゃねぇか。」
「? 演技?」
立ち上がって車内を見渡す魔王。
「……あ。」
恐怖で青ざめながら、恐る恐る魔王と男の様子をうかがう人々を見て我に帰った魔王は、勇者が機転を利かせたセリフに気付き、『演技』を続ける。
「ジャックさんの犯人ッぷりが真に迫り過ぎてて、ついついオレ様も本気出し過ぎちゃったッス。」
半ば、腰が抜けたようになっている男を、勇者と共に抱え起こし、3人で再びバスの前方に立つ。
「ごめんッス! もう手ぇ下ろして大丈夫ッスよー。」
頭の後ろに組んだ手を下ろし、少し緊張が緩んだ車内の人々に魔王が言う。
「最近、魔王らしくない、とか、実はあれ、魔王のコスプレイヤーなんじゃね?説が流れてるって聞いたから、久々に魔王っぽいトコ見せようと思って、バスジャックごっこしてみたッス。そしたら、ちょーっとやり過ぎて、ちょこっとビックリさせるつもりが、すっごくビックリさせて、みなさんを本気で怖がらせちゃいました。楽しい旅を邪魔しちゃって、ホント──に、ごめんなさいッス!」
「俺も、止めに入るのが遅くなって、スンマセンでした! てか、こんな悪ふざけ自体、やめさせるべきでした!」
両サイドで深々と頭を下げられ、間に挟まれた男も、訳がわからぬまま、一緒に頭を下げた。
「オレ様のコトはキライになっても、このバスツアーのコトはキライにならないで下さいッス!」
「……古いパクりだなぁ。あ、いやでもマジで、ツアー会社さんは一切関与してない、つーか、むしろ1番驚いてると思うんで、苦情とか入れないで下さい。みーんな、コイツが悪いんで。」
「そうそう。クレームはまおちゃんに……って、イヤッスよ! クレーム対応なんてっ!」
「うるせぇっ! お前がやらかしたコトなんだから、お前が責任取るのが筋ってモンだろうがっ!」
「新人バイトをちゃんと監督できてない、先輩にも責任あるんじゃないッスかぁ?」
「こういう時ばっか、思い出したようにその設定持ち出してくんなっ!」
「設定じゃなくて、今日は1日、魔王庵のアルバイターッスぅ。」
「じゃあ、先輩の言うコト、ちゃんと聞きやがれっ!」
「わーっ、パワハラッスよ、パワハラ!」
「──っ! マジ、ハラ立つなぁ! いい加減にしろよ、てめぇっ!」
「あ、あのぉ……」
ガイドの女性がおずおずと声をかける。
「コレも、お芝居なんですか?」
「えっ?」
「あ。」
2人のやりとりを見て、ハラハラしている乗客達に気付く魔王と勇者。
「いくら魔王様とそのお連れ様とは言え、安全な運行の妨げになる行為はお控えいただけますでしょうか?」
「はいっ! おっしゃる通りッス! このことはどうかイッコマエさんに内緒でっ!」
「お、俺も、魔王庵チーフには内密に頼みますっ!」
土下座せんばかりの勢いで謝り倒す2人。
「たびたびお騒がせしてごめんッした! オレ様達はここでお暇するんで、楽しい旅をお続けくださーい。」
「ホント申し訳ありませんでした! これに懲りずにまた魔王城に遊びに来てください!」
「2代目魔王城のほうに来てくれてもいいッスよー。じゃ、またねー!」
微妙な空気を残し、3人はバスから消えた。
「……えっとぉ、色々ありましたが、定刻通り、予定のサービスエリアに到着いたしましたー。20分間の休憩時間となりますので、お手洗いやお買い物などご自由にお過ごしくださーい。」
にこやかに客を見送り、車内に戻るガイド。
「あー、ビックリしましたねー。あの空気の中で冷静な運転、さすがですねー。」
「いやいや、内心ヒヤヒヤもんだったよ。長いこと運転手してるけど、バスジャックなんて初めてだったからね。」
「ですよねー。あ、これ、魔王様からの。」
預かっていたロックケーキを運転手に渡す。
「お、ありがとう。いやー、このツアー、たまーに魔王様来るけど、今回は凄かったな。城の中だけじゃなく、バスにまで現れて、バスジャックサプライズまで仕掛けてくるとは。」
「ですねー。でも……ホントにお芝居だったんですかねー、あれ。もし、あの人が本物のバスジャック犯で、魔王様とウエイターさんが居合わせていなかったら……」
まじまじとロックケーキを見るガイド。
「やっぱりこれ、家宝に、いえ、お守りにします!」
『本日の営業は終了いたしました』の札を扉にかけ、後片付けを済ませた魔王庵の店内。
「ゆうさんが……あの時の勇者さん?」
約束通り、魔王庵ホールスタッフ ゆうの正体がイッコマエの口から明かされ、スタッフ達は顔を見合わせる。
「はは、んなアホな。マエノさんも冗談言うんやな。ゆうがあの時の勇者なワケないやん。」
「何故です?」
「何故、って、魔王様が倒しちゃったのよね?」
「勇者やっつけたから、世界は魔王のものだー、ってコトになったんだよな?」
「そうですね。ですが、勇者の最期を確かめた方はいらっしゃいますか?」
「そんな人、いるワケないっしょ? えっ……まさか……」
イッコマエがコクリとうなずく。
「世界征服を宣言し、魔王さんが城に戻ってみると、勇者は息を吹き返していました。但し、自分が勇者だったことはおろか、何者であったのかさえも忘れた状態で。」
「生きてたのねぇ、勇者さん……」
「その勇者があのゆう……て、ちょ、おかしない?」
「お菓子? ロックケーキの余りでよろしければ……」
「いやいや、『お菓子』ちゃうわ、『おかしいやろ?』言うてんの。」
「そうよねー。いくら記憶がないっていっても、相手は自分を討伐しにきた勇者なんだから、生かしてはおかないわよねー、普通。」
「ええ、そうなんです。普通の魔王なら。」
『普通の魔王』と言う言葉に、何やら思うところがあるようで、スタッフ達はイッコマエの次の言葉を待つ。
「魔王さんは、全力で戦ったわけではなかったとは言え、かろうじて生きていた勇者に驚くと同時に、興味を持ってしまったんです。」
困り顔で言うイッコマエに、今日1日の魔王を見ていたスタッフ一同は、あー、と納得したような反応をみせる。
「何代もの魔王に仕えてまいりましたが、魔王さんのようなタイプの方はいらっしゃいませんでした。魔王さんの感性は、今までの魔王にはなかった非常に独特なもので、19年共に過ごしておりますが、未だに戸惑うことも少なくありません。」
「……なんか、大変なんですね、魔王様の執事さんも……って、19年? 魔王様って19歳なんですか!? 同い年です、ボク。」
「マジで? 10万と19歳とかじゃなくて?」
「私達の2コ上ですかぁ?」
魔王の年齢で、一時騒然となる若手スタッフ。
「何代もの魔王に仕えて、って、マエノさん、一体幾つなの?」
「きれーいに白髪だけど、30代後半から40代前半位に見えるわよねぇ?」
「それこそ、10万38歳とか言うんちゃう?」
「出た! 年齢不詳執事あるある!」
「10万歳でも、100万歳でも、わたしはぜんっぜん構いません、マエノ様っ!」
イッコマエの年齢でざわつく大人達。
「ま、まあ、我々の年齢はひとまず置いておきましょう。そんな経緯がありまして、魔王さんと勇者、今、皆様と働いているゆうさんですね、2人はその時からの知り合いです。そして、ゆうさんと関わるうちに、魔王さんはゆうさん以外の人間や、人間界の様々なことに関心を持ち始めまして……」
「うわー、めっちゃわかる気ぃするわー。」
「ウエイターの仕事も、興味津々で、真面目にやってたわよねぇ。」
「真面目過ぎて、セッティング済みの食器を片付けてしまいましたよね。」
「ついでにテーブルと椅子を重ねて、すみっこに片付けちゃったり。」
「真剣にやってるかと思えば、フキノトウつまみ食いしたりー。」
「ホールでもつまみ食いしてたのかよ? 調理場でもまた食ってたぜ。」
「ニガイのは毒やー、言うてな。」
魔王のエピソードで、場が一区切りつく。
「何だか、突拍子もない話だけど、不思議と意外な感じがしないのよねー、ゆうくんがあの勇者だった、って言われても。むしろしっくり来た、って言うか。」
「2、3メートルもある椅子とテーブルを飛び越えて脱出してきたのも、勇者だからって思えば納得だしー。」
「記憶はなくても元勇者だし、魔王様との付き合いの中で、モンスターに接する機会もあるから、モンスターを見ても冷静だったのかも知れませんね。」
同僚の正体は、かつて魔王を戦い、命を落としたと思われていた勇者だった。
それで話がまとまろうとしていたところを、イッコマエがしれっとどんでん返す。
「気に入っていただけましたか? わたくしの創作。」
「は? そうさく?」
「創作って……えっ、マジで? 今の話、ぜーんぶウソってコトか?」
「魔王さんが人間や人間界に興味を持っているのは本当ですが、ゆうさんに関する事は全て作り話です。何しろ、ゆうさんとは初対面ですから。魔王さんもわたくしも。ゆうさんが何者であるかなど、知りようもありません。」
「でも、魔王様とのやりとりを見てたら、とても初対面とは思えない感じだったわよぉ?」
「わたくしから見たら、皆様とも初対面とは思えないほど打ち解けていたように思いますが。ねえ、イタバさん?」
急に振られたイタバにみんなの視線が集まる。
「あー、確かに、気に入られてたなぁ、イタも。」
「なになにー? なんかあったの? イタさん。」
「魔王様が召喚した大きい蛇に巻き付かれて……」
「ちょっ……言うなや、もぉ~。」
「なんでそんなことになったのよ、イタちゃん。」
「ちょーっと魔王らしくない言うてイジったら、モンスター喚ばれて、絡まれてん。」
「イタさんらしいですね。」
ホールスタッフの女性陣に笑われ、イタバはバラした調理スタッフをジロリと睨んだ。
「マエノさんの言う通り、ゆうに限らず、誰とでもタメ口でフレンドリーな感じだったな。そういやぁ、オレもフツーにタメ口だったわ。」
「中でも特にゆうさんとは波長が合ったのではないかと、わたくしは思っております。初対面ではありますが、確実に言えるのは、ゆうさんはあの時の勇者ではないということと、魔族ではないということだけですね。勇者は確実に事切れておりましたし、魔族同士なら、見ただけで魔族かどうかわかりますから。」
「えっと、話をまとめると、ゆうくんは元勇者でも魔族でもなく、私達となんら変わりない人間、てことかしら?」
言葉を用いず、落ち着いた微笑みを返事の代わりにするイッコマエ。
「でしたら作り話などせずに、初めからそうおっしゃってくだされば……マエノ様、なぜわざわざそんな作り話を?」
「そうですねぇ……知りたかったから、でしょうか?」
「知りたかった?」
「もしゆうさんが、本当に記憶をなくした勇者だったら、或いは、勇者とは正反対で、他人には言えない言いたくない後ろ暗い過去を背負った人間だったら、はたまた、魔王さんやわたくしと同じ魔族だったら、魔王庵の皆様の、ゆうさんへの接し方は変わってしまうのかどうか、ということを。」
「──!」
ゆうも魔族なのかと尋ねた少女を始め、スタッフ一同はハッとなる。
「魔王さんのユニークな感性の影響を、少なからず受けているのでしょうね。わたくしも、人間や人間界のことに関心を持ち始めてしまったようで、我々の訪問のせいで魔族疑惑をかけられてしまったゆうさんが心配になったんです。そのせいで、彼がここで働けなくなってしまったらと、気になってしまいまして。」
スタッフ全員をゆっくりと見回して、イッコマエが尋ねる。
「どうでしょう? ゆうさんが何者であるか、まだ気になりますか?」
「……そうですね。なんでそんなこと気にしてたんだろう、私。勇者でも魔族でも、ゆうさんはゆうさんですよね。」
「そうね。無愛想だから怖そうに見えたりするけど、優しいし、面倒見もいい、よく出来たコよね。」
「入ったばっかの頃、わかんないコトがあってオロオロしてたら、すぐ気付いて声かけてくれたなー。仕事の手順とか、丁寧に教えてくれて、すっごく助かったし。」
「お客様への対応もいいし、他のスタッフのフォローも自然に出来ちゃうのよねー、ゆうくんって。」
「掃除の手際も綺麗さも凄いのよねぇ。入るのためらっちゃうくらいピッカピカで。」
「どんな仕事も、イヤなカオしないで引き受ける、マジ、いい奴だしな。」
「ゆうさんが休みだと、仕事が回らないこともありますよね。」
「せやな。あいつは、魔王庵にはなくてはならない存在や。勇者でも魔族でもモンスターでも関係あらへんわ。」
魔王庵スタッフの言葉に、イッコマエは安堵の表情を浮かべる。
「安心いたしました。我々の訪問のせいで、1人のウエイターさんを路頭に迷わせたとあっては、魔王の名折れ。ですよね? 魔王さん。」
「あ、やっぱり気付かれてたッス。」
イッコマエの呼びかけに、魔王がテーブルの影からヒョコッと顔を出す。
「お、お疲れさん。いつの間に帰って来たんや?」
「みなさんがゆう先輩をベタ褒めしてる辺りッスかねぇ。オレ様のせいでクビになった時に備えて、いろんなバイトアプリ検索してたんスけど、よかったッスねー、新しい仕事探さなくて済みそうッスよ、ゆう先輩!」
「ああ。だから、2度と手伝いに来んなよっ!」
魔王に続いて姿を現した勇者は、思いがけず知ることとなった、仕事仲間からの高評価に、少し照れくさそうにしている。
「ところで……そちらの方は?」
魔王と勇者の後ろにいる、ニット帽にマスクにサングラスの怪しさ満点の人物に、スタッフの注目が集まる。
「ロックケーキを配りに行ったバスの中で知り合った、ジャックさんッス。」
「バスで知り合った、そんなカッコしたジャックさんて、バスジャック犯かよ。」
「そうッス。」
「あら、ホントにバスジャック……」
「え────っ! バスジャック犯ーっ!?(×8)」
「魔王さんっ! 犬や猫ならともかく、犯罪者まで拾ってくるとは何事ですかっ!」
「だって、バスの中に置いてくるワケにはいかないじゃないッスか。それに、ジャックさんは悪いバスジャック犯じゃないんスよ!」
「悪くないバスジャック犯てどないや?」
「悪いか悪くないかは置いといて、俺達が止めたから未遂なのは確かだけどな。」
「未遂とは言え、このまま無罪放免というわけにはいきません。然るべきところへ引き渡し──」
「ツアーのみなさんにも、バスジャックごっこ、お芝居ってことにしてきたし、マエノさん、お願いッス! ちゃんと面倒みるから!」
「本格的に犬猫扱いやん……」
「責任持って面倒みるッス! 魔王庵のみなさんが!」
「そうそう、魔王庵が責任を持って……って」
「え────っ! 魔王庵でぇ!?(×8)」
「ありがとうございます! 一生懸命働きますので、よろしくお願いいたします!」
「いやいやいや、話がぜんっぜん見えねぇんだけど!?」
「よかったッスね、ジャックさん!」
「……まったく良くありませんよ、魔王さん。」
混乱中の魔王庵を、イッコマエが冷静に仕切る。
「皆様にわかるように、順を追って説明してください。」
「了解ッス。あ、ゆっくりお茶しながらってのはどうッスか?」
「そ、そうねー。ちょっと落ち着いたほうがいいかも。準備しますねー。」
チーフと数人のスタッフが調理場に向かう。
「あのー、魔王様。」
魔王と同い年の調理場スタッフが魔王に声をかける。
「あ、ニャンコくん。なんスか?」
「もしよかったら、お茶する場所──」
「わーっ! マジ、ニャンズルームっ!」
「みんな、かわいーっ!」
スタッフの希望で、ニャンズルームに移動した一同。
提案したスタッフはもちろん、他のスタッフも、ニャンズルームや魔王の猫達を目の当たりにし、興奮を隠せない。
「ありがとうございます、魔王様! まおちゃんの、特にニャンズルーム大好きなので、すっごくうれしいですっ!」
「喜んでもらえて何よりッス。あ、そうそう、誘拐されて見れなかったスマホの動画……」
「ジャックさんの説明が先です、魔王さん。」
「……はいッス。」
ローテーブルを囲んで座る、魔王、勇者、イッコマエ、チーフ、イタバ、そしてバスジャック犯。
他のスタッフも、猫達と戯れながらも、そちらの成り行きを気にしている。
ニット帽、サングラス、マスクの下からは、バスジャックを企てたとは思えない、大人しそうな顔が現れた。
「犯罪とは無縁のようなタイプとお見受けしますが、何故バスジャックを?」
「就活に行き詰まって、生活費も底をつき始めて、将来のこととか考えたら、もう何もかもがイヤになってしまって……」
「それでヤケになって、っちゅーコトか。生活費がどうこうってことは、今までは働いてたん?」
「はい。でも、なかなか長続きしなくて。オレ、理不尽なことが、ど────してもガマンできない性質で。最初のうちはなんとかガマンしているんですが、日に日に不満が募って。初めに就職した会社では、上司相手にブチ切れ、次のコンビニでは、店長相手にブチ切れ、その次の小さな町工場では、社長相手に……」
「ヒトは見かけによらないッスねー。最終的には、オレ様にもキレてたッスもんねー。」
「そこまでいったら、もう、怖いものなしねー。そっかー、言いたいことがあっても言えなくて、爆発しちゃうタイプなのねー。」
「はい。キレる前に言えばいいとはわかっているんですが、意見する以前に、コミュニケーション事態が苦手で……」
「バスん中では、わりと言いたい放題だったッスけどね。」
「す、すみません。今にして思えば、なんであんなに強気だったのか、自分でもわかりません。」
「自分でもわからない……状態異常だったんスかね? じゃあいっそ、常にバーサクモードでいたらいいんじゃないッスか?」
「怖ぇだろ、そんなヤツ。」
さも名案のように言う魔王に、勇者がツッコむ。
「理不尽かぁ。昨日言うたコトと今日言うコトがまるっきりちゃうやんか、とかなぁ。わからんコトは聞け、言うときながら、聞いたら聞いたで、そんなん自分で考えろ、言われたりな。どないせぇっちゅーねん、みたいなヤツな。」
「そうなんですっ! 指示された通りにしたら、そんな指示はしていない、とか責められたり、聞く人によってやり方がまるで違って、そのせいでまた怒られたり! もう、理不尽は付きものなんだからと諦めて、次こそは耐えないと、って毎回思うんですが、ある日、プチッと……で、居づらくなって、辞めてしまう。それを繰り返すうち、気付いたら働けるところがなくなって……」
「そうなのよねー。この辺りは職種も限られてるし、求人がずーっと出てるところは、大抵何か問題がある職場なのよねー。」
「自業自得なのはわかってるんです。だから、今度こそは何があっても辞めないと決心して、自分が出来そうな仕事はもちろん、苦手と思われる仕事、ブラックとウワサされる会社、いっそ、パートやバイトでも、って、履歴書送りまくり、面接行きまくって、100社越え、全滅です。」
「そら、ヤケにもなるわな。」
「というワケなんスよ。魔王庵でなんとかしてあげられないッスか?」
「皿洗いでも、買い出しでも、掃除でも何でもやりますっ! 何なら、時給半額でもいいです! だから、オレを雇ってくださいっ! お願いしますっ!」
「オレ様からもお願いするッス!」
「なんとかしてあげたいのは山々だけど、上の者や料理長にも相談してみないと……」
「せやなぁ……オレらの一存ではどうにも……」
顔を見合わせるチーフとイタバ。
そこへ、話を聞いていたスタッフが、各々の考えを口にする。
「でもさー、もう1人2人くらいいたほうが良くない? うちら基本、学校休みの時しか来れないしー。」
「受験に向けて、そろそろバイトやめないと、って言う先輩もいますし。」
「今日は来てないけど、もう時期産休に入る子もいるしねぇ。」
「急に誰か休んだりもあるしな。今日みたいに。」
「そうなのよねー……」
「チーフさん。」
スタッフの意見を聞き、どうしたものかと悩むチーフを、まっすぐに見つめながらイッコマエが言う。
「我々も後ほど、魔王城の支配人さんや料理長さんにお願いに伺いますので、ジャックさんを雇っていただけないでしょうか?」
「いやいや、なんぼマエノさんのお願い言うても、そない簡単には……」
「マエノ様のお願いとあれば、命にかえましても! ジャックさん、明日からよろしくねー! あ、一応履歴書持ってきてねー。」
「ちょっ、陥落速すぎやろっ!?」
「相変わらずの罪作りっぷりッスねー、マエノさん。」
「罪作りっちゅーか、ヒト誑しっちゅーか……」
「マエノさんのアレって、無自覚? 意図的? どっちにしろ、チーフ、チョロ過ぎだけど……」
イッコマエの頼みを二つ返事で引き受けたチーフに、苦笑いの勇者とイタバ。
「でもま、オレらが交渉決裂しても、バックに魔王おるんやから大丈夫やろ。なんせ、この世界は魔王のモンやからな。魔王城の支配人どころか、国のトップかて逆らえんわ。な、魔王サマ?」
「へっ?」
イタバに言われ、キョトンとする魔王。
「ちょっ……なんやねん、そのカオ! しっかりしぃやっ! そないな調子やから、ホンマに魔王か言われるんやぞっ!」
「あ、そっか。この世界はオレ様のモノなんスから、オレ様の言うコトは絶対ッスよね。じゃあ、魔王命令で、ジャックさんのコト、よろしくお願いするッス!」
「りょーかーい! よろしくー、ジャック。」
「わからないことはなーんでも聞いてね、ジャックくん。魔王庵では、いちいち聞くなっ!なんてコト言う人いないから。」
「よろしくお願いします、ジャックさん。」
「てかさー、本名『ジャック』なの?」
今更ながらにその事に気付く一同。
「違うけど、生まれ変わったつもりで、ここでは『ジャック』と名乗らせてください。」
「ま、本人がそれでえぇんやったら、なぁ?」
「そうねぇ。チーフチーフ言ってるから、チーフの名前、忘れちゃってるわぁ。」
「えーっ! なんかショック~っ!」
そんな何気ないやりとりが、魔王庵の和やかな雰囲気を物語る。
「今度こそホントによかったッスね、ジャックさん!」
「はい! 何から何までありがとうございました! バスジャックして良かったです!」
「いや、そこは反省せぇや……」
「よしっ、一件落着ッス! にゃんこ動画ターイムっ! ゆう先輩もジャックさんも一緒に見るッスか?」
「なんだよ、にゃんこ動画って……」
勇者とジャックを引き連れてスタッフ達の元へと駆けていく魔王の後ろ姿を、ため息交じりで見送るイッコマエ。
「魔王さんにも色々と反省していただきたいところですが……」
「やりたい放題してくれたけど、そのおかげでツアーのお客さんもジャックも助かったことやし、反省せんでもえぇんとちゃう?」
「結果的に事態がうまく収束いたしましたが、皆様にご迷惑をおかけしたのは事実ですから……」
「マエノ様、みんなの顔を見てください。」
スマホの小さな画面を魔王と共に仲良くのぞき込む顔
魔王が連れて来た猫達と楽しそうに遊ぶ顔
そんな様子を微笑ましく眺める顔
そのどれもが笑顔だ。
「ね? 誰も迷惑なんて被ってませんよ。」
「すでにスタッフの一員みたいやな。あん中に魔王がおる言われても、誰が魔王かわからへんわ。」
「そうねー。もしかしたら、1番らしくないかも。」
そう言って笑うチーフとイタバ。
「ですから、気になさらないでください、マエノ様。」
「本当に、ありがとうございます。なんとお礼をしたら良いものか……」
頭を下げるイッコマエを見て、あたふたするチーフ。
「ですから、お礼とかそんなこと……あ、でしたらマエノ様のサインなんか戴けたらうれしいかなー、なんて!」
「えっ、わたくしの、ですか? 魔王さんの執事でしかありませんよ?」
「マエノ様のサインがいいんです。えっとこの辺りにマジック……あったあった。ではこれで、そのエプロンにササッとお願いいたしまーすっ!」
イッコマエに貸していたエプロンを指さし、マジックを渡す。
「よろしいのですか? お店の備品では……」
「大丈夫です! 私、買い取りますから!」
「どうせなら、エプロンやなしに、婚姻届にサインしてもらったらどうや?」
「あ、ナイスアイディア、イタさんっ! 今から役所に行って──」
「ちょっ、本気にすなっ!」
2人のやりとりに、イッコマエはクスリとしながら、エプロンにサインする。
「こんな感じでよろしいですか?」
「ありがとうございますっ!」
嬉しそうにエプロンをギューッと抱きしめるチーフ。
それを優しく見守るイッコマエに、イタバが言う。
「魔王もやけど、マエノさんも魔族っぽくないなぁ。フツーの人間で、しかもめっちゃえぇヒトそうに見えるわ。」
「そうねー。2人並んだら、イタさんのほうが魔族っぽいかも。」
「魔王にも言われたわ。しゅーばんさん?みたいやて。」
「それで比較のためにシューバンさんまで喚ばれたんですね。」
「さすがにあんなデカないっちゅーねん!」
笑いながら魔王達のほうに目をやる3人。
「あ、お掃除ロボに追いかけられてるッス!」
「お掃除ロボに載っちゃうコもいますけど、これもかわいいですねー。あ、さらにワンちゃんが追っかけてきましたねっ!」
「これ、掃除機止めると……」
「超猫パンチ! 急に強気じゃん!」
「あ、ワンコにもパンチしてるッス! 完全に八つ当たりッスねーっ!」
相変わらず、スマホの動画に目を輝かせている魔王を見て、イタバがイッコマエに尋ねる。
「どんだけ動物好きなん? なぁマエノさん、マジであいつ、魔王?」
イタバが少し茶化すように言うと、
「皆様のイメージする魔王とはかけ離れているのは確かですね。ですが──」
イッコマエから、不意に表情が消える。
「──今後どうなるかは、わたくしにも予測不能です。」
「えっ?」
「それ……どういう意味なん?」
「あ、わたくしも動画見させていただいてもよろしいですか?」
「はい、もちろんです!」
チーフとイタバの声が聞こえなかったのか、聞こえないフリをしたのか、イッコマエは2人から離れ、魔王達と合流した。
「なんやろなぁ。つかみ所がないっちゅーか、やっぱ怖いわ、あのヒト。」
「謎めいたところがまたステキだわー、マエノ様っ!」
「違う意味で怖いヒトがここにおったわ……」
完全に『マエノ』にハマっているチーフに、イタバは乾いた笑いをもらした。
「猫もいいけど、オレ的にはイチコさんに会いたかったなぁ。」
猫と遊びながら、残念そうに言うスタッフ。
「イチコさんてだぁれ?」
「あ、まおちゃん、見たことないんすか? 魔王が配信してる動画なんだけど。」
「そういうのって、パソコンとかで見るんでしょ? 電源の入れ方さえわからないんだから、私達みたいなおばちゃんは、見たことないわよ。」
ねーっ、と声を揃えるおばちゃんスタッフ。
「……ウチのかぁちゃんみたいなコト言ってる。まあ、そのパソコンで見るテレビみたいなヤツで、この猫達と一緒に番組に出てるイチコさんて人が、すっげぇ美人なんだよ。さっき少ししか見れなかったからさー。」
「ユウさんももっと見たかったなー。あれっ? そう言えばあっちも『ユウさん』だったねー。」
その指摘にギクッとなる勇者。
「ま、まあ、珍しい名前でもねぇし、いや、すげぇな、偶然って。」
動揺のせいか、不自然なテンションの勇者に助け船を出すように、魔王が言う。
「ユウさんは帰っちゃったけど、イチコさんになら会えるッスよ。」
「えっ、マジで?」
「ね、マエノさん。」
魔王のフリに、一瞬驚いた顔をしたイッコマエだが、
「そうですね。今日は皆様にお世話になりましたから、リクエストにお応えして……」
そう言って立ち上がり、何やら呟き始めた。
イッコマエを包み込んだ光が消えると、そこに現れたのは───
「イチコ……さん?」
唖然とする一同ににっこりと微笑む、イチコに姿を変えたイッコマエ。
「マエノさんとイチコさんって、同一人物だったの!?」
「あっ、だからあの時、マエノさんの姿が見えなかったのか。ゆうと一緒にお客さんの足止めに行ったけど、どこにも見あたらねぇなぁって。」
「そういうワケだったんスよ。スゴいッしょ? 何にでも変身できるんスよ。で、今日は執事さんのカッコで、ってオレ様がお願いしたんス。」
「初めまして、って言うのもおかしな感じですね。まおちゃんでは猫シッターと名乗ってますが、実は魔王さんの側近をしております。」
「てことは、こっちが本来の姿なん?」
「ええ、そうです。これが私の本当の姿です。」
誰よりも驚いた様子のチーフに向かって、イッコマエは申し訳なさそうに言う。
「すみません、騙すつもりはなかったのですが……」
『マエノ』に心酔しすぎているチーフに、これ以上深入りさせないよう配慮しての嘘だったのだが、
イッコマエの両手を包み込むようにギュッと握るチーフ。
「あ、あのー……」
「大っっっ好きですっ!」
「え──────っ!?」
チーフの発言に、どよめくニャンズルーム。
「どんだけ守備範囲広いんやっ!」
「変な言い方しないでよー。大ファンだ、って意味! 憧れよ、憧れー!」
「わかるー! イチコさん、超美人だから憧れるよねー! うわっ、髪の毛サラッサラでつやっつやーっ!」
「動画ってよくわからないから初めて見るけど、あなたがイチコさん? まぁー、ホントに綺麗ねぇー。」
「スッピンでこのクオリティーって、詐欺ですよ。細いのに胸も大きいし、足も長いとか、反則ですっ!」
「色白で、肌も透明感があって、その上、顔も小さいわねー! 9頭身? もっと? 10頭身くらいあるかしら?」
「あ、あのっ、皆さんっ、ちょっ…ひゃあっ!」
あっという間に女性陣に囲まれるイッコマエ。
「くっそー! 女同士っていいよなぁっ! オレがイチコさんに会いたいってリクエストしたのに、近付けもしねぇって、ヒドくね?」
「まあまあ。ほら、魔王様のママ猫さん、美人だし、なつっこいし、超癒されますよ。」
「このコはどうッスか? うちのニャンズの1番人気なんスよ。男のコッスけど。」
「せめてメス猫ーっ! じゃなくて、猫はお勧めしてくれなくていいから!」
「えー、にゃんこ最高じゃないですかー。ほら、このモフモフ感!」
「ッスよねー。あ、もしかして、ワンコ派? ごめんねー、ワンコも好きなんスけど、飼ってないんスよねー。でも、首が3つのワンコなら喚べるッスよ?」
「見たっ! それさっき調理場で見たモンスターっ! ちょっと変わった犬とかカラフルな蛇とかでかいコウモリとかはもういいって!」
モンスターの特徴を聞き、ジャックが反応する。
「もしかしてそれ、カルブセにセルピリスにリリアーク? 見たかったなー。」
「ジャックさん、詳しいッスね。すぐ喚べるッスよ?」
「喚ぶならヒト型の女モンスターにしてくれよぉー!」
「ヒト型女性モンスターというと、ルミジェナー、オピツェラ、ユリニー、ラミファム、セレーネナ辺り?」
「マジで詳しいッスね。」
「ちなみに、より人間に近い外見のは──」
「モンスター喚んでもらわんでも、マエノさん……やなくて、イチコさん? あのヒトんトコ行ったらえぇやん。」
放っておいたらいつまでも続きそうなジャックのモンスター話をイタバが遮る。
「囲まれて困ってはるみたいやし、助けたったら、えぇコトあるかもやで。」
「なるほどっ! ナイスアドバイス、イタ! よっしゃ、行くぜ!」
いざ、イチコの元へ、と踏み出そうとしたスタッフだったが、
「……いや、ムリムリ。あの集団の中に飛び込むって、どんだけ勇者だよ。」
「そうッスねー。怖いッスよねー、女のヒトの集団。」
ココアを飲みながら、しみじみと同意する魔王。
「悠長なコト言ってないで、そろそろ助けたほうがいんじゃね?」
「今言ったじゃないッスか、ゆう先輩。女のヒトの集団は怖いって。オレ様だって例外じゃないッス。」
「……何度言うたか覚えてへんけど、ホンマ魔王なん?」
「魔王だって、怖い物とか苦手な物があるんスよ。あと、イチコさんがあまりにも人気があってちょっと悔しいから、もうしばらく放置しようかなーって。」
「うわっ、ヒドっ!」
「どないしようと勝手やけど、後々めっちゃ怒られ……」
イタバの言葉に、魔王は慌てて立ち上がり、怖いと言っていた女性陣の輪にあっさり入って行った。
「はいはーい。ニャンズもお疲れだし、時間的にも遅いッスから、この辺でさよならッスよー。」
「あ、マジでめっちゃ怒られるんや。魔王がビビるて、どんだけ怖いんや、あのヒト。」
素速すぎる魔王の行動に、イッコマエに感じていた、つかみ所がない怖さは気のせいではないと確信するイタバ。
「わっ、ホントだ! 外、もう暗いじゃん!」
「じゃあ最後にみんなで『#魔王とバイトなう。で、サボりまくり、ヤバいから使っちゃダメッスよ』写真撮るッス。」
「全く意味わかんないですよ。どんな写真ですか、それ。」
「もはやバイト中でもねぇし、魔王庵のユニフォームでも……あれ? いつの間に着替えたんだ?」
「ニャンズルームに来る前ッス。仕事終わったら写真撮っていいって約束だったッしょ?」
「それでわざわざ着替えるて、律義やなぁ。」
「律義なんスよ、オレ様って。」
集合写真や、魔王やイチコ、猫達などと一緒に、心行くまで撮影を行い、慌ただしい1日がようやく終了した。
魔王庵訪問から数日後、
「どうッスか? ジャックさん、魔王庵で頑張ってるッスか?」
帰宅した勇者に、ジャックの様子を尋ねる魔王。
「いや、魔王庵にはいねぇよ。」
「えっ? すでに辞めてしまったんですか?」
「魔王庵にはいねぇケド、魔王城で働く予定にはなってる。」
ハテナ顔の魔王とイッコマエ。
「話すと長くなりそうだからか、飯食いながらでいいか?」
勇者の腹がぐぅ~と鳴る。
「さすが腹ペコ勇者。」
「健康的で何よりです。支度しておきますから、着がえて来て下さい。」
7階の自室へ、ご丁寧にも階段で向かう勇者を見ながら、魔王とイッコマエは顔を見合わせる。
「魔王庵にはいないけど城で働く予定になってる、って、なぞなぞッスか?」
「どういう意味なんですかね。とりあえず、食事の準備をしましょう。」
「アイツさ、モンスターのこと詳しかったろ?」
夕食のテーブルに着いて間もなく、勇者が話を切り出す。
「そうなんですか?」
「そっか。イッコマエさん、あの時チーフさん達に絡まれてたから知らないんスね。ジャックさん、モンスターの特徴聞いただけで、名前をスラスラ言えたんスよ。」
「そんなことがあったんですか。」
「やっぱ面接しなきゃだろ、って、支配人とチーフと3人で面接して。で、持ってきた履歴書の趣味、特技欄に『モンスターのイラストを描くことやフィギュア作成』って書いたらしくてさ。それを見た支配人が興味持って、ジャックがイラストやフィギュアの写真見せたんだと。」
カツ丼を食べ進めつつ、話しを続ける。
「そのクオリティーが高くて、魔王城の1室にそれらを展示した、モンスター館を作ったらどうか、って話に発展して……因みに、ジャックの作品はこんな感じで……」
箸を置き、スマホを取り出して、2人に画面を見せる勇者。
「うまっ! えっ、これイラストなんスか?」
「写真みたいですよね。これをジャックさんが?」
画面をスワイプしていくと、イラストだけでなく、立体造形物の写真も出てきた。
「わっ、これ、もしかしてオレ様ッスか?」
「リアルですねぇ。こちらは勇者さん?」
「旧魔王城でバトった一瞬しか資料ないはずなのに、再現率パネェよな。」
このせいでバレるかも知れないとぼやきつつ、勇者はみそ汁に手を伸ばす。
「で、モンスター館近日オープン予定で、今のところ、展示するイラスト、フィギュアの製作やら準備やらで奔走してるトコ。モンスター館がオープンしたら、そこで解説員として働くことになってさ。」
「なるほどー。こんな才能があったんスね、ジャックさん。」
食事よりも、ジャックの作品に気を取られている魔王から、イッコマエがスマホを取り上げ、勇者に返す。
「では、魔王庵の人手不足問題は解消されていないんですね?」
「まあな。今のところ、それほど忙しくねぇから大丈夫だけど、何人かいなくなるから、魔王庵スタッフ募集だけじゃなく、魔王城全体で色々求人出してるとこらしい。モンスター館も、ジャック1人じゃやっていけないし、犬猫部屋もミアだけじゃ無理だからな。」
「みゃあ?」
「ミ・ア。猫動画見せてくれた──」
「ああ、ニャンコくんって、ミアくんっていう名前だったんスか。ニャンコの鳴き声みたいな名前ッスね。」
「犬猫部屋とは?」
返してもらったスマホを操作し、再び2人に見せる。
「旧魔王城のホームページなんだけど……ほら、ここ。」
『ニャンズルームができたって聞いて行ってみたけど、見当たりませんでした。』
『ニャンズルームって常設じゃないの?』
『ツアーに参加しないと見れないのかな?』
『魔王様に会えたり会えなかったりするみたいに、ニャンズルームもランダムらしい。』
「こんなコメントが大量に来たから、保護施設から猫や犬を預かって、あの時のニャンズルームを利用して猫用スペース、その隣の部屋を改装して犬用スペースにして、外から見てもらったり、中で一緒に遊んでもらったりできるようにしよう、って話になって。」
「それで彼が動物のお世話や接客を、という感じでしょうか?」
「そういうコト。」
「なるほど。どちらも1人だけでは、休日どころか、休憩時間すらとれませんしね。スタッフ募集しないわけにはいきませんね。」
「犬猫部屋は、ゆくゆくは里親探しの場にもしようって計画らしい。」
「へー、いいッスね! あっ、ワンコルームの改装お手伝いに行ったほうが……」
「謹んでお断りいたします。」
「えーっ、オレ様だったら、一瞬で改装終了ッスよ?」
「確かに、魔王さんの魔力を使えば一瞬ですが、こういうことは、あちらを管理されている方にお任せしておくほうがいいと思いますよ。」
「部屋の改装とかを人間がすると、たくさんのヒトが必要で、何日もかかるッしょ?」
「人員も作業時間も少ないほうが経済的ではありますが、たくさんの人が働く場ができ、収入を得ることができる。これも、地域を活性化させるためには大事なことかと。」
イッコマエの話を聞き、魔王はしばらく真剣な顔で考え込んでいたが、やがて、ポンと手を打って顔を上げた。
「オレ様が頑張り過ぎちゃうと、ジャックさんみたいに、仕事がない!ってヒトが増えちゃうんスね。それは良くないッス。わかった、皆さんにお任せするッス。」
「まあ、はなっからその予定だけどな。」
「……そう言われると、なんか仲間外れにされたみたいで、ヤな感じッス。」
ぷぅっと頬を膨らまし、勇者を軽くにらむ魔王。
そんな2人の様子にクスッと笑うイッコマエ。
「何だか、ピッタリな仕事が見つかったようでよかったですね、ジャックさん。ヤケになっても、大抵いいことはないものですが、今回はいい方向に転がりましたね。」
「だな。バスジャックしなければ、魔王に出会うことも、魔王城で働くこともなかっただろうからな。」
「そうッスね。あ、あれッスね。『捨てる神あれば拾う魔王あり』ってヤツ。」
「聞いたコトねぇよ。あ、いや……」
魔王城の食堂で、魔王とイッコマエとテーブルを囲み、食事を共にしている今の状況。
何の違和感もなく過ごしているが、ほんの数カ月前までは、想像さえしていなかった状況であることに気付くと同時に、ここに至るまでの過去が甦る。
物心着く前、もしかしたら、生まれて間もなく預けられ、10歳まで過ごした教会での日々。
引き取られた先で、休むことも許されず、道具のように扱われ働かされた苛酷な少年時代。
魔王降臨の噂を聞き、無一文で旅立った16歳のあの日。
5年もの歳月を経て魔王城に辿り着き、何度となくイッコマエに敗れ、ようやく開いた重厚な扉の向こう
そこにいたのは、想像していたような、恐ろしい姿のモノではなく、自分よりも小柄で華奢な、でも、近付くことすらできないほど、圧倒的な力を持った敵
それが、今、目の前にいる魔王だ。
幾度か戦ううちに、到底敵う相手ではないと思い知ると同時に、世界征服とは何かと悩み始めるなど、およそ魔王らしからぬ繊細さに触れ、いつしか討伐対象ではなくなっていた。
それどころか、気が付けば、一風変わった世界征服を手助けする格好になっていた。
『一緒に来るッスか?』
そう言って差し出された手に、驚き、困惑し、戸惑い、
バカにしてんのか、とイラッともしたが
なぜか、うれしかった───
その後、自分の存在意義に疑問を抱き、魔王の元を離れようかと気持ちが揺らいだ時、イッコマエからかけられた言葉
『……居なくなってもらっては、困ります』
魔王の考え方に影響を与え、図らずも世界を救った勇者。
魔王らしくない魔王が目指す、平和な世の中を創るという変わった世界征服には、勇者らしくない勇者が必要なのだと、留まるように諭してくれた。
それは、魔王の側近として、魔王のための発言だったのかも知れないが
初めて見る、厳しくも温かいまっすぐな眼差しが、しっかりと自分に向き合ってくれているように思えて
うまいコト言いくるめられてんじゃねぇか、と訝りながらも
なぜか、ありがたく思えた───
「どうしたんスか? 急に機能停止して。」
何か言いかけたまま、フリーズした勇者の顔の前で、魔王がサッサッと手を振る。
「そういやぁ俺も、お前に拾ってもらったようなモンだったな、って。」
当たり前のように過ごしている、充実した今の生活。
その始まりは、魔王との出会いだったこと、そして、イッコマエの配慮があってこそだったことを思い出す。
「『捨てる神あれば拾う魔王あり』聞いたコトねぇケド、間違ってないかもな。」
勇者は魔王とイッコマエを交互に見ながら言う。
「まあ、自由に使っていいって言われた部屋は物置というか、汚部屋だったり、警察呼ばれそうになって、壁にめり込まされたり、猫化して引っ掻かれたり、鮭皮入りケーキ食わされたり、大量のバナナ買いにパシらされたり、振り回されてばっかで、大変なことも多いけど……」
「なんスか? ケンカ売ってん──」
「────、な、2人とも。」
ほぼ同時に発せられた勇者の言葉を聞き逃し、魔王は尋ね返す。
「えっ、なになに? なんて言ったんスか?」
「なんか聞こえた? 気のせいじゃね? ごちそうさまでした! さて、後片付けすっかな。」
誤魔化しながら食器を持って厨房に向かう勇者だが、紅潮した頬は隠しきれていない。
「……なんなんスか? なんか赤くなんなきゃなんないようなコト言ったんスか、今。」
「確かに、身近な間柄だと、改めて面と向かって言うのには気恥ずかしかったり照れが出たりする言葉かも知れませんね。」
「えっ? イッコマエさんは聞こえたんスか?」
「ええ。聴覚には少し自信があるんですよ、私。」
「えーっ、ズルいッス! なんて言ったんスか?」
「勇者さんに直接お聞きになってみては?」
「聞いても教えてくれないッスよ、きっと! ねぇー、なんて言ってたんスか!」
「魔王さんも、39歳になって、和の心を持てばわかりますよ。ごちそうさまでした。さて、私も後片付けしますかね。あ、ちゃんと残さず食べてくださいね。」
魔王に対して、珍しく意地悪そうな笑顔を残し、イッコマエも厨房へ消えた。
「ちょっと、なんスか、39歳って。3と9? さん、きゅう? で、和の心? 3、9……み、く? 緑色の髪の女の子? 全然わかんないッス! オレ様だけ仲間外れッスか? 仲間外れはいじめッスよ! いじめ、はんたーいっ!」
プンスカしながらも、しっかり食事を終え、ちゃんと手を合わせてごちそうさまを言い、食器を持って2人を追う魔王だった。
夕食後は、大抵ニャンズルームで猫と遊ぶか、厨房で懲りもせずケーキ作りをしている魔王が、今日はそのどちらにもいない。
「……ま、いっか。」
ニャンズルームでさっそく子猫達に登られ、キャットタワーと化しているところへ、イッコマエがやってきた。
「イッコマエさん、魔王、どこ行ったんだ?」
「魔王さんなら、最寄りの書店に。」
「本屋? こんな時間になんで……」
「ただいまーッス! あれ? みんなどこッスか?」
答えを聞く前に、玄関のほうから魔王の声が聞こえてきた。
「ここにいますよー、魔王さん。」
イッコマエが声をかけると、魔王がニャンズルームに駆け込んできた。
「イッコマエさんの言う通り、100円以下で売ってたッス。」
「100円ショップで買うより、別の店で買ったほうが安い物もあるんですよねぇ。ガムテープとか、ホームセンターで買うほうが安くて質のいいものが──」
「ああ、イッコマエさん、お買い得情報はまた今度。で、わざわざ本屋で何を買って来たんだ?」
「ジャーンっ! これッス!」
魔王が得意気に掲げて見せたのは──
「り、履歴書ぉ?」
「そうッス。面接時の必需品ッス。」
「面接ぅ?」
「魔王城で、色々スタッフ募集するって言ってたッしょ? オレ様も応募するッス!」
「ちょっと待て。魔王城の改装は地域の人に任せるんじゃなかったのか?」
「ワンコルーム改装以外は特に止められなかったッスからね。ほらほら、バイトアプリにも掲載されてるッスよ。魔王城の支配人さんは仕事が早いッスねー。」
魔王が見せるスマホの画面には、確かに『魔王城 新規スタッフ募集』の文字が。
魔王庵 調理場、ホール
近日オープン予定 モンスター館及びワンコのお部屋ニャンコのお部屋で一緒働いてくれるスタッフ募集
事前見学 OK お気軽にご連絡ください
詳細につきましては、ホームページでご確認ください
面接希望の方は、履歴書をご持参ください
「魔王庵ホールスタッフも楽しかったッスけど、他のお仕事もしてみたいッスよねー。」
「おい、マジで応募する気か?」
「マジじゃなかったら、わざわざ履歴書買いになんて行かないッスよ。わー、履歴書書くの初めてッス!」
「書くな、書くな!」
「えっ? 写真も必要なんスか? 撮ってくるッス!」
「行かなくていいって!」
「そうですね。写真でしたら、スマホで自撮りしたものを使えばいいと思いますよ。」
「そういう意味じゃなくて、応募自体するなって言ってんだよ! マジで来るなよ。お前がちょろちょろしてると、普段の何倍も疲れるんだよ!」
「わかったッス。魔王庵のほうはやめておくッス。じゃあ、モンスター館かワンコのお部屋ニャンコのお部屋スタッフ希望で──」
「魔王さんがモンスターの解説するなんて、ちょっとおもしろい趣向ですよね。」
「ッスよね~! えーっと、名前 魔王 住所……現住所ッスかね、魔界のほうッスかね?」
「だから、応募すんなってのっ! 向こうの魔王城周辺だけ発展させるんじゃなくて、世界全体を豊かにするってのが、お前の目指す世界征服じゃなかったのか?」
「そうだったッス。魔王城目指してやって来る勇者一行に、武器やら防具やら薬草やら宿泊施設やらを提供して、娯楽施設で有り金全部巻き上げて、歓楽街で骨抜きにして堕落させ、魔王城周辺地域はもちろん、旅の道すがらの地域経済を潤すためにお引っ越ししたの、忘れてたッス。」
「……後半だけ聞くと、めっちゃ魔王っぽいな。それに、デカいウエディングケーキ作るってのも、まだ途中なんじゃねぇのか?」
「そうだったッスね。今は、勇者一行を待ちつつ、巨大ウエディングケーキを極めることに専念するッス。」
ボールペンを置いた魔王に、ひとまずホッとする勇者。
「ケーキ以外のお菓子も極めて、1日も早く、魔王城内に『パティスリーMAOU』を開店させるッス!」
「……それって、あっちの魔王城内に、か?」
「そうッスよ。こっちの城内に洋菓子店があったら、違和感ハンパないじゃないッスか。せっせとお菓子を売って、お金を貯めないと。オレ様には緊急にお金が必要なんス。」
「緊急に、金が必要?」
先程までとは打って変わって、神妙な面持ちの魔王。
「誤ってオーブンに転送して灰にしてしまった竹製天ぷらカゴ40個の弁償費用が必要なんス!」
「確かに。あれはしっかり弁償しなくてはいけませんね。」
「密林さんで似たようなカゴを調べてみたら、1000円くらいするんスよ。1000×40、40000円ッスよ!」
「あれ、お前が大好きな100円ショップにあるから。」
「100×40、4000円ッスか。なら、魔王庵でもう1度バイトさせてもらえば弁償できそうッス!」
「4000円くらいあるだろ!? 魔界では石ころ同然の価値のないモノで、その辺にゴロゴロしてんだろ? ちょっと帰省して、4000円分拾ってこいよ!」
「そういう、誠意のない対応、オレ様、嫌いなんスよ。」
「っとに、面倒なヤツだな。バイトしたいならすりゃいいケド、魔王庵には来るなよ! 絶対来るなよ!」
「『絶対来るな』って何度も念を押すってコトは……」
「ええ。人間界では『是非とも来て下さい』という意味だと聞いております!」
「そういう、フリじゃねぇから───っ!」
新たな展示スペースが増えた旧魔王城は、今まで以上の集客を得、魔王城周辺地域はもちろん、関連企業にも特需をもたらし、なんやかんや、世界のあちらこちらの経済活動の一翼を担っていた。
一方、2代目魔王城は、時折宅配のお兄さんが訪れる程度で、相変わらず勇者一行が攻め込んでくる気配が微塵もなく、魔王と勇者とイッコマエ、それに、4匹の猫達で、ドタバタながらも平穏な日々を送るのみであった。