むかーしむかしのお話
「ニャンズのお世話も終わったし、ブログも更新したし、あ、そうそう、昨日見つけた『失敗しないケーキ作り』の材料を書き出すの忘れてたッス!」
「……お前、魔王だよな?」
パソコンでいそいそとレシピサイトを開く魔王に、勇者はあきれたように尋ねる。
「そう言うそっちこそ、勇者じゃなくて、『清掃本店』から派遣されて来たお掃除マイスターの間違いじゃないッスか?」
ダークグレーの作業服、頭にはタオルを巻き、モップやらハタキやら掃除道具を持ったまま、ニャンズルームにやってきた勇者に、魔王が言い返す。
勇者扱いされないのはいつものことだし、今回は服装もバッチリお掃除仕様なので、その点に反論の余地はない。
だが、清掃員呼ばわりされたままではシャクだ。
「そもそも勇者ってのは、魔王がいねぇコトには成り立たない仕事だろ? ニャンコだのスイーツだの言ってる魔王とどう戦えってんだ? そりゃ、暇をもてあまして、うっかり掃除マイスターにもなるわ。」
自分に非があるように言われ、魔王はムッとする。
「魔王だって、そこそこ手応えのある勇者がいてこそ、ッスよ。大所帯のヘンテコな勇者一行が来て以来、だーれも来ないじゃないッスか。ネットも何もなかった頃の魔王は、どうやって暇つぶししてたんスかね。」
「……世界征服のために、世界各地にモンスターを放って、いいカンジに世の中を混乱させてたから、もっと頻繁に勇者達が来てて、暇つぶしの必要がなかったんじゃねぇの?」
「なるほど! 魔王がヒマってコトは、世の中が平和ってコトなんスね! いいッスね、平和。」
「……あ、うん。いいコトだな、平和。」
嫌味でも何でもなく、心からの笑顔で平和を喜ぶ魔王に、それ以上かける言葉が見当たらない。
「それにしても、バイトお休みのたびに掃除してるッスよね? チリ1つなくて、おそうじロボくんを困惑させたあの部屋、まだ掃除する余地があるんスか?」
「いや今日は……って、なに戻ろうとしてんだよ、ロボっ! まだ充電切れてねぇだろっ!?」
それまでニャンズルームの掃除に勤しんでいた掃除ロボが、じわじわと勇者から遠ざかり、充電スペースに戻っていった。
「学習機能で、かなわない相手が来たって認識して、ロボくん引きこもっちゃったッス。」
「オレのせいかよっ! 学習機能優秀過ぎだろ……ここの掃除しに来たんじゃねぇから、安心しろー。」
ピロリンっ
活動再開した掃除ロボを見て、勇者はため息をつく。
「……何で機械に気ぃ遣わなきゃなんねぇんだ。」
「ここの掃除しに来たんじゃないなら、何しに来たんスか?」
「イッコマエさんを探しててさ。部屋にも台所にもいなかったからここかな、って。」
「イッコマエさんなら、さっき買い物しに行ったッスよ。」
「マジか。イッコマエさんに頼まれて、書庫の整理してたんだけど、この本……」
勇者は、小脇に抱えていた1冊の本を魔王に見せた。
「コイツだけなんか微妙なサイズで、ピタッと収まる棚がなくてさ。どうすっかなぁ、って。」
「テキトーに斜めに入れておけばいいんじゃないッスか?」
「本棚にそういうのがあると、なんか気になるだろ?」
「そうッスか? オレ様だったら、並んでる本の上の隙間にヒョイと入れちゃうッスよ?」
「あー、ぜってぇ無理! 本は1巻から順番に、高さと奥行きを揃えて、作者あいうえお順! 出版社別にもしたいけど、いろんな出版社から出版してる作家さんは、悩むところだな……」
「……本屋さんとか、図書館とかでもバイトしたらどうッスか?」
意外と細かい勇者の本棚収納に、それ以上かける言葉が見当たらない。
「1冊だけサイズが違うって、何の本なんスかね。」
「何の、って、知らねぇの?」
「オレ様、書庫ってほとんど行ったコトないんスよねー。ちょっと見てみないッスか、それ。」
「勝手に見ていいのか?」
「オレ様の城の書庫にある本なんスから、問題ないッスよ、多分。」
「怖ぇよ、多分て。」
「てか、自分ちにある物把握しとかないと、急な来客時とかに困るじゃないッスか。『あ、今お茶でも……あれ? 急須どこだったかなぁ……ああ、すみません、今、イッコマエさんが出かけてるもので。』ってコトに──」
「魔王が甲斐甲斐しくお茶出すなよ! まあ、急な来客にお茶出す機会はあるかも知れねぇけど、本を持ち出すことはそうそうなくね?」
「じゃあ、友達が『あち鶴』の95巻貸して、って来た時とか。」
「それはあるな。」
「ッしょ? と言うわけで、拝見しまーす。」
「ただ見たいだけだろ?」
勇者から本を受け取り、魔王はソファに座る。
テーブルの上に本を置き、表紙をめくると、すぐにその正体が知れた。
「アルバムか。」
「ッスね。あ、これは、人間界に来てすぐに、イッコマエさんと一緒に撮った写真ッス。」
「ああ、この時はまだちゃんと魔王っぽいな。」
「失礼ッスね! 今だってちゃんと魔王ッスよ!」
「はいはい。ん? 同じ写真?」
「これは、人間界に来る前の日に魔界でイッコマエさんと一緒に撮ったヤツ。」
「……これは?」
「人間界に来る1年くらい前に、イッコマエさんと撮った──」
「違いがわかんねぇよっ!」
どの写真も魔王の部屋で、魔王が玉座に座り、その後ろにイッコマエが立っている構図。
着ている服も同じで、2人の容姿にもほとんど変化がなく、説明されなければ見分けがつかない。
「お、これは屋外だな。」
「魔界第三中学の卒業式の時ッス。わー、懐かしいー!」
「まかいだいさんちゅうがく……」
第三ってコトは、第一第二もあるのか、てか、魔界にも学校があるのか、ツッコミどころはいくつもあったが、とりあえずスルーして、魔王が指差す写真を見る。
そこには、今よりもずいぶん幼げな魔王の姿があった。
「ほらほら、その時のイッコマエさんッス!」
「全然変わらねぇな、イッコマエさんは。」
中学校入学時、小学校入学時と遡るにつれ、魔王はどんどん幼くなっていくが、イッコマエは変化しない。
「イッコマエさんと……これ、誰だ?」
ガッシリとした体格で強面な男性がイッコマエと共に写る写真。
「オレ様のオヤジッスね、多分。」
「ふーん、オヤジさん……って、多分て何だよ、多分て?」
「実際に会ったコトないッスから。」
「えっ……?」
訳ありげな魔王の物言いに、触れてはいけない話題だったかと焦る勇者。
「世の中、色んなの魔王がいると思うんスけど、オレ様の家系は、前の魔王が亡くなると、次の魔王が生まれるらしいんスよ。だから、親の顔もなにも全く知らないッス。」
「だから『多分』か。」
「そうッス。もしかしたらオヤジじゃなくて、じいちゃんかも知れないし、ひいじいちゃんかも知れないし、もっともっと前のご先祖かもッス。」
「あ、一緒に写ってるイッコマエさん見ていけば、ある程度わかるんじゃね?」
「そうッスね。えーっと?」
どんどんとページを進めていく魔王。
次々と違う魔王が現れるが、時折一緒に写ってるイッコマエの姿は……
「全っ然変化しねぇよ、イッコマエさんっ!」
「そもそも、歴代の魔王と一緒に写ってること自体、不思議ッスよね。」
「今さらだけど、何者なんだ、あのヒト!?」
「オレ様も詳しくは知らないんスよね、実は。物心ついた時には一緒にいて、面倒見てもらってたし。」
「前の魔王が亡くなって次の魔王が生まれるんだから、生まれた時から世話してくれてた可能性も?」
「あるッスよね。あれ? こっからはイッコマエさん、写ってないッス。」
スラッとした体躯で、黒の長髪の魔王と写る写真を最後に、それ以降、どれだけページをめくってもイッコマエは出てこない。
「この魔王の時代から生きてて、姿形も変わらないって、不老不死か?」
「不老不死ッスか? 何かカッコいいッスね!」
「……カッコいいで済ますのかよ。なんかもっとこう──」
「わーっ! ワンコの写真ッスっ!」
「何だよ、急に犬って……わ、マジ、犬だ。」
歴代の魔王達とイッコマエ、時々モンスターも登場したアルバムの中に突如現れた犬の写真。
「犬っぽいモンスター、ってことはないのか?」
「モンスターっぽいオーラがないッスね。魔界の生き物じゃないッス。」
動物好きの魔王は目を輝かせる。
「さっきの黒髪魔王が一緒に写ってるけど、犬にしてはデカくね?」
「これくらいおっきいワンコ、フツーにいるッしょ? ボルゾイとかグレートデンとかコモンドールとかアラスカンマラミュート……あ、それに近い感じッス。」
「あ、アラスカン……なに?」
「アラスカンマラミュートっていうおっきいワンコがいるんスけど、狼みたいでカッコいい、って……あれ? もしかして……」
「犬じゃなくて、狼?」
「魔王さん、勇者さん、正解です。」
「えっ、ホントに狼なんスか?」
「はい。本人が言うんですから、間違いありません。」
「本人が?」
「ええ。その狼、私なんです。」
「へー、イッコマエさんって狼だったんス……えぇーっ!!!?」
「てか、お帰りなさいッ、いつの間にっ!?」
情報が大渋滞で、妙な会話が飛び交う。
状況が整理しきれずにいる魔王と勇者に、イッコマエは落ち着いた様子で微笑む。
「ついさっき戻りました。何やら楽しそうな声が聞こえたので来てみたんですが……」
2人の向かい側に回り、アルバムに目を落とすイッコマエ。
「懐かしいですねー。この頃は若かったなぁ。」
「いやいやいや、若かったとかどうとかじゃなく、この狼がイッコマエさんってどういうことだ?」
「そうッスよ! 写真の狼には、魔界の気配ないッスけど、イッコマエさんはちゃんと魔族オーラあるじゃないッスか!」
「そうですね。この時はまだ、人間界生まれ人間界育ちのただの狼でしたから。魔族になったのは、この姿を得た時の出来事の影響です。」
「この姿を得た時の出来事?」
「ホントに、元々は狼だったってコトか?」
興味深げにイッコマエを見る魔王と勇者。
イッコマエはチラッと時計を見ると、スッと2人のそばから離れた。
「えっ、まさかの放置ッスか? 放置魔王? オレ様、勝手にレベル上がるッスか?」
「何の話だよ?」
冗談めいたことを言っているが、置いてけぼりにされた子供のような顔をしている魔王に、イッコマエが答える。
「まだお昼までには時間もありますし、お茶でも飲みながらお話ししましょうか。ちょっと用意してきますね。」
お茶を淹れている間にも、そわそわと落ち着かなげな魔王と勇者に、イッコマエはクスッと笑う。
「そんなに気になりますか? 私の昔話。」
「ハンパなく気になるッス!」
「気にするな、ってほうが無理だろ? 実は狼でした、とか。」
「あっ! だからニャンズの言葉がわかるんスね!」
「今、どうでもよくね? それ。」
「だって羨ましいじゃないッスか。ニャンズとお話しできるなんて。」
「まぁ、ちょっとは? じゃなくて、イッコマエさんの話っ!」
「そうだったッス。」
2人の視線を受け、イッコマエは、何からお話ししましょうかと言ってしばし考え、アルバム内の1枚の写真を示した。
「この方は十代前の魔王、ジュウゼン様です。」
イッコマエが指さしているのは、先程見た、黒い長髪の魔王。
「十代前ってことは、オレ様のひいひいひいひいひい……あれ? 今何回目ッスか?」
「ご先祖でいいだろ。何か、歴代の魔王に比べると、あんまり魔王っぽくないな、このヒト。」
大きな角や、鋭い牙、威圧感漂う巨体、見る者を震え上がらせるギラギラとした目、燃え盛る業火のように逆立った頭髪などなど、いかにも魔王な他の魔王に比べると、ジュウゼンは魔王と名乗らなければ、普通の人間と変わらない。
「そうですね。見た目もですが、性格も魔王らしくない穏やかな方でした。狼だった頃、私はこの方に命を救われたんです。」
ジュウゼンと名乗る魔王が人間界に現れ、各地に配下を送り込んで侵略を開始させたのは1カ月ほど前。
仲間を募り魔王軍に立ち向かう者、己の力のみで戦う者、各地の勇敢な者達が魔王を倒すべく魔王の城を目指して旅立ったが、未だにそこに至る者はいない。
城の最上階の1室で、魔王 ジュウゼンは1人、大きなため息をついた。
(皆に請われて人間界に来てみたものの……ヒマ過ぎる~っ!)
やり終えたパズル雑誌が積まれた机に突っ伏し、再びため息。
(そもそも──)
羽ペンをクルクルしながら、ジュウゼンは考える。
(皆は、何のために人間界を欲するのか。吾輩としては、魔界のほうが快適に思えるのだが……いくら火を焚いていても、1日中寒いし……)
少し頭を上げ、窓の外を見る。
(どういうわけか、1日中暗いし。皆もだが、先祖達は、こんな世界のどこを気にいって、手に入れようと思ったのか。)
どうやら城を構えた場所も時期も悪かったらしいが、そのことにジュウゼンは気付いていない。
「……ん?」
いつもと違い、外が少し明るいことに気付いたジュウゼンは、立ち上がって窓際に歩み寄る。
「あれは……」
人間界に来て初めて、心が浮き立つような感覚を覚え、ジュウゼンはさらに移動し、扉を開けてバルコニーに飛び出した。
黒い空に浮かぶ、白く輝く丸いもの。
「美しい……が……」
見事な満月に感嘆の声をもらしたのもつかの間、
「やっぱり寒過ぎるっ!」
一瞬にして歯の根が合わなくなり、さっさと室内に引き返そうとした。
その時、
パンパ──ンっ!
銃声、そして、
『ギャウンっ!!』
「──っ!?」
間髪を入れずに聞こえた獣の叫び声に、ジュウゼンは身を乗り出すようにして、辺りの様子をうかがう。
眼下に広がる広大な森。
銃声も獣の声もそこから聞こえたようだが、今は元の静寂を取り戻している。
どういうわけか、妙に胸騒ぎがし、気に掛かって仕方ない。
ジュウゼンは寒さも忘れ、スッと目を閉じ、意識を森に集中させる。
「──いた。」
城からさほど遠くないところに、腹部を血で染めた白っぽい動物が倒れている画が脳裏に浮かぶ。
手摺りをヒラリと飛び越えたジュウゼンの姿は、空中でフッとかき消えた。
月の光がわずかに届く、暗い森の中。
大きな木の下に横たわる獣。
全体に白っぽく、所々灰色の毛色をした大柄の狼だ。
ただ、その美しい毛色は、腹部から溢れる血で赤くなり、その顔にも苦痛の色がうかがえる。
「……い、おい!」
遠退きかけていた意識を呼び戻す声。
なんとか頭をもたげると、
(!)
月の逆光で、ひたすら黒くて大きな人影がすぐそこにあり、狼は警戒心を露わにして低いうなり声を出す。
「ああ、怖がらなくていい。吾輩は決して怪しい者では……いや、人間界の者ではないから、怪しいか。えと、怪しいかも知れぬが、怖い者では……て、一応魔王なんだから、怖くなくてはいかんだろ。」
1人問答している黒い影に、狼は訝しげな顔をする。
「お前の言葉がわかれば良いのだが……あ、そうだ。」
ふいに差し出された右手。
そして、
「るーるるるるる、るーるるるるる」
謎の言動に、狼は呆気に取られている。
「あ、あれ? キツネに話しかける時は、こうするのではなかったか?」
(き……キツネだと思ってる!?)
月明かりが照らし出したその顔は真剣そのもの、むしろ、困り果てている様子で、狼は警戒が解けるのと同時に、気も緩んだ。
しかしその瞬間、腹部に激痛が走り、再び意識が遠退いた。
「あっ、おい、しっかりしろっ! おい、おいっ!」
体を揺さぶられる感覚も、必死の呼びかけも届かない暗闇に包まれ、狼の意識は途絶えた。
「その撃たれた狼が、イッコマエさんってことか。キツネと狼って、大きさとか結構違うよな? それを間違えるとか……なんていうか、その……」
「天然さんッスね、ジュウゼンさんて。」
「おーい、ハッキリ言うなっ!」
「天然さんでしたね。」
「イッコマエさんまでっ! つーかお前だって、写真見て、犬と間違えてただろ?」
「ワンコとは見間違ったッスけど、キツネと狼は間違えないッス!」
ドヤ顔の魔王に、返す言葉がない。
「ところで、イッコマエさん撃ったのって誰なんだ?」
「おそらく、その森の近辺に住んでいた方かと。ジュウゼン様と共に人間界に来たモンスターがその森にも現れるようになっていましたから、月が出る僅かな期間のうちに、町場へ避難しようとしていたんだと思います。」
「なんで撃たれたんスか?」
「モンスターだと思ったんでしょうね。他の狼に比べて、私は大きかったですし、毛色も違っていましたから。」
「イッコマエさんが何かしたワケじゃないんスよね? ヒドいッス!」
「仕方ありませんよ。何もされなくても、狼と遭遇したら恐怖を感じるでしょうし、ましてや、モンスターがいるかも知れない、という状況下で冷静でいろと言うほうが無理です。」
「でもっ!」
遠い昔のこととはいえ、イッコマエが撃たれたことが許せず、思わず立ち上がる魔王。
そんな魔王に、イッコマエは諭すような静かな口調で言った。
「おかげでジュウゼン様と出会え、今もこうして存在できているわけですから、必然だったと思っています。」
「……イッコマエさんがそう言うなら。」
完全に納得したわけではないが、魔王は一応怒りを収め、座り直した。
「人間界征服しにきたのに、ケガした狼を助けるって、何か不思議な魔王だな、ジュウゼンさん。」
勇者の言葉に、イッコマエはフフッと笑った。
「そうですね。ちょっと変わった魔王でしたね。」
パチパチと、乾いた木のはぜる音。
ゆっくりと目を開けると、暖炉の火が柔らかく周囲を照らしていた。
(……ここは)
「お、気が付いたか。」
背後から聞こえた男の声に、狼の耳がピッと立ち上がる。
顔をそちらに向けようとしたが、体が思うように動かない。
「ああ、無理に動くな。」
黒い人影が狼の前に回り込んできて、その顔を覗き込んだ。
(さっきの……)
月明かりの下で見た男だと気付き、狼は警戒の眼差しを向ける。
その様子を見て、男はスッと狼の傍に膝を付いた。
「ここは吾輩の城だ。お前に手出しするような輩は入って来られないから安心していい。」
両手をヒラヒラさせて、丸腰アピールするが、狼はジッと男を見据えたままだ。
「えと、ああ、まだ自己紹介をしていなかったな。吾輩はジュウゼン。魔界を治める王で、魔界の者達を束ねる立場ではあるが、むやみやたらに他を傷付けることは好まぬし、お前に危害を加える気もない。だから……そんなに睨まないでくれるか?」
突然の自己紹介といい、困り顔といい、どうにも気が抜けてしまい、狼の目から鋭さが消える。
その変化を感じ取ったのか、魔界の王 ジュウゼンと名乗った男は、ホッとしたような顔になって、話を続ける。
「傷はまだ痛むか? 知り合いの医者に診てもらったが、銃弾は体内に残っていないし、幸にして、臓器の損傷もないそうだ。治癒魔法で治せないか相談したが、人間界の者に魔界の治療法を使うと、どんな作用があるかわからないからやめたほうがいいと言われた。すまんな。」
本当にすまなそうな表情のジュウゼン。
「できることといったら、傷口に包帯を巻くくらいだと言われて、やってみたのだが、その……少々、巻き過ぎてな。」
「!?」
どうにか頭を持ち上げて自身の体を見ると、傷口どころか、手足までグルグル巻きにされていた。
(どっ……どうりで動けないわけだっ!)
「すっ、すまんっ! 吾輩は不器用で……あー、また睨まれてる~っ! すまんっ! ゴメンって! ほどいたほうがいいか?」
ジュウゼンの言葉に、狼は頷く。
「わかった。少しジッとしていて……ん? お前、吾輩の言葉がわかるのか?」
またも頷く狼に、ジュウゼンはパッと顔を輝かせる。
「そうか、わかるのか! 賢い犬だな!」
(キツネの次は犬かっ! いや、そんなことより──)
「バドシュが……ああ、さっき話した医者だが、お前を診てもらった時に、キツネではなく犬だと教えてくれて……あれ? 何故唸っているのだ? キツネだと思っていたのを怒っているのか? 魔界のキツネの中には、お前みたいな感じの者もいて……ん? 怒りの原因はそれではなさそうだな。ああ、そうか。」
狼がグルグル巻きになっている体のほうに2度3度と顔を向けるのを見て、包帯をほどこうとしていたことを思い出す。
「すぐにほどくから、動かないでくれ。」
狼の上にかざしたジュウゼンの両手がポゥっと光り、その光はやがて狼の体を包み込む。
ジュウゼンがその手をスッと上げると、体がふわりと宙に浮き、狼は驚いて、動けないながらも、もがく仕草を見せる。
「大丈夫だ。包帯を巻く時も、この状態でやったのだ。お前は大きいから、寝かせたままだとうまく巻けなくてな。決して落としたりしないから、包帯を取るまでいいコにしていてくれ。」
(『うまく』は巻けていないが、そういうことなら。)
狼が大人しくなると、ジュウゼンはフッと微笑んで狼の頭を撫で、包帯をほどきにかかった。
が
「ん? 包帯の端はどこだ? たしか……あったあった。お? キツく結び過ぎたか? 結び目が……」
いきなり苦戦しているジュウゼンに、狼は不安を覚える。
「よし、とけた! 後はクルクルっと……おかしいな。何やら動きにくくなってきたぞ?」
ジュウゼンの焦りが伝わって来て、狼も内心穏やかではない。
そんな中、突然、部屋の扉が開いた。
「……ヒトをパシらせといて、犬っコロと戯れてるとは、いいご身分だなぁ、魔王サマよぉっ!」
入って来たのは、黒いドクターコートを着た赤い短髪の男。
(誰だ?)
「おお、バドシュ! いいところに!」
(バドシュ? さっき聞いた名前。確か、医者だとか……)
「一体何やって……うわっ! 犬っコロ、グルっグル巻きじゃねぇか!」
「お前のアドバイス通り、傷口に包帯を巻いたら、少し巻き過ぎて……」
「巻き過ぎっつーか、もはやミイラの域!」
「だから、包帯を取ろうとしていたのだが、どういうわけか身動きが取れなくなってきて……」
「肩の金具やらベルトのバックルやらサーベルの持ち手やら、あっちこっちに引っかかってんだよ! 包帯外すだけで、何でそうなるんだよ!?」
「吾輩、不器用ですから。」
「どこぞの鉄道員かよっ! ったく、不器用なんだか逆に器用なんだか……」
ブツブツ言いながら、バドシュは手慣れた様子で包帯を回収した。
「助かった。ありがとう、バドシュ。」
「気ぃ抜いて、犬っコロ落とすなよ。」
「おっと、そうだった。暴れずにいいコにしていてくれて、ありがとう。」
ジュウゼンはゆっくりと狼を床に下ろし、よしよしとその頭を撫でると、バドシュに向き直った。
「で、見つかったか?」
「それっぽいのをいくつか持ってきた。こんな薄暗い中で、図鑑で見ただけのものを探してこいとか、どんだけムチャ振りだよ。」
バドシュがカバンから何かを取り出すと、狼は鼻をヒクヒクさせた。
「ん? どうした? もしかして、これが何かわかるのか?」
ジュウゼンはバドシュから受け取った数種類の植物を、狼の前に並べてみた。
「人間界の薬草図鑑を調べて、バドシュに探してきてもらったのだが……」
「何やってんだ? 犬っコロに薬草見分けさせようってのか?」
「吾輩の言葉も理解している賢い犬だから、或いはと思ってな。」
2人が見守る中、狼は植物のにおいを嗅ぎ、その中の1つを鼻先で示した。
その植物と図鑑を見比べるジュウゼンとバドシュ。
「これこれ、『サンチリス 血止め、殺菌抗菌、修復作用がある』。葉っぱの形とか茎から生えている感じが同じだ。こうやって見ると、他のヤツはちょっとずつ違ってんだな。すげぇ、ホントに見分けやがった。」
「な? 賢いだろう?」
「ああ。てめぇより断然賢いな。」
「そうだろう、そうだろう!」
「……否定しろよ。」
嫌味に気付いていない上に、狼をほめられ、ドヤ顔のジュウゼンに、バドシュはあきれ顔だ。
「お前はホント、賢くていいコだよな。あ、まだ名前付けてなかった。」
「名前、って、飼うつもりか?」
「んー、賢くていいコだから『カシコイイコ』……言いにくいなぁ……」
「言いにくいとかじゃなくて──」
「カシコイイコ、カシコイコ、カシコ、イコ……イコ! イコにしよう!」
「なんつー名付け方だよっ!」
「よろしくな、イコ!」
「決定しちまったし、飼う気まんまんだし……」
「飼う? 何を言っている。お前は共に暮らす友や家族を『飼う』と言うのか?」
「は?」
「イコ、今日からお前は吾輩のルームメイトだ~!」
イコと名付けたばかりの狼にぎゅっと抱きつくジュウゼン。
「ギャンっ!」
「アホかっ! コイツはケガしてんだぞ。気をつけろっ!」
洗って汚れを落とした薬草を、イコの傷口に当て、包帯で固定しながらバドシュはジュウゼンを叱りつける。
「す、すまん、イコ。頭撫でさせてくれるようになったから、すっかり打ち解けたものと思って。モフモフ加減がたまらず、ケガのことも忘れて、つい……」
「まあ、確かにいいカンジのモフモフだけど、一気に距離詰めすぎ。」
イコと目が合うと、バドシュは同情するように言った。
「とんでもねぇヤツに拾われて災難だな。ま、悪いヤツじゃねぇから、よろしくしてやってくれ。」
「包帯ほどいて自分に絡まるとか、ケガしてる動物に抱きつくとか、なんていうか、その……」
「ドジっ子さんッスね、ジュウゼンさん。」
「おーい、はっきり言……」
「ドジっ子さんでしたね。」
「……何でオレが1番、昔の魔王に気ぃ遣ってんだろう。」
自分の先祖を、自分の命の恩人を、天然だのドジっ子だのと笑顔で言ってのける魔王とイッコマエに、勇者は複雑な気持ちになった。
「でもでも、ジュウゼンさんの気持ち、わかるッス。こんなおっきくてモフモフのワンコがいたら、オレ様もギュッてしたいッス。」
「あ、ギュッてします?」
「しますっ!」
即答の魔王の要望を受け、イッコマエが本来の姿を見せる。
体高1メートルほど大きな狼。
全体的に白く、耳やその周辺、頭頂部から背中のほうにかけて灰色の美しい毛並みで、銀色っぽくも見える。
凛とした佇まいの中にも、優しく穏やかな空気でイッコマエだとわかるのだろう、ネコたちも特に驚いているような様子はない。
「わーっ、イッコマエさん、カッコいいッス! モフモフ~っ!」
さっそく抱きついて大はしゃぎの魔王。
「ホントにこの写真の狼、イッコマエさんだったんだな。」
勇者は、写真の狼と目の前の狼とを見比べながら言う。
「ここまでの話だと、狼から人型になる要素が見当たらねぇケド……」
「そうッスよね。お医者さんの言う通り、治癒魔法も使わないで、わざわざ人間界の薬草探してきたり。」
「もしかして、間違って魔界の薬草を使ったとか?」
「お医者さんいるんスから、そこは大丈夫なんじゃないッスか? 毎日来てくれたッしょ?」
「毎日ではありませんでしたが、来てくれましたね。」
「となると、医者がいない時に、違う薬草を採ってきたとか……」
「バドシュさんが来ない時も、薬草は毎日届いていました。今思うと、リリアークに預けていたのかも知れません。」
「リリアーくんの宅急便はオレ様が考えつくずっと前からあったんスね。」
「薬草は届いてて、医者も時々は来ていた……か。」
ヒントを頼りに真剣に考える勇者に対し、
「わかんないッス! イッコマエさん、正解は?」
イッコマエの背中ですっかり寛ぎ、早々に答えを聞こうとする魔王。
「正解は?じゃねぇよ。もう少し考えろ。」
「えーっ、いいじゃないッスか。あ、答え聞きたくなかったら、耳塞いでたらいいッス。」
「聞きたいケド、ギブアップ早過……」
「正解はですね──」
「CM挟まず、すぐ!?」
イコが魔王城に来てから数日が経った。
「……どうだろうか?」
「うーん……」
イコの傷口をジッと観察するバドシュ。
「ここに来た翌日からは立ち上がれるようになって、今は歩き回れるのだが、どうも傷の治りが良くないような気がしてな。」
バドシュが診察する様子を見ながら、ジュウゼンは容態を説明する。
「やっぱ、薬草貼り付けてるだけだと、効果はいまいちっぽいな。」
「そうか……」
心配げな顔でイコの背中を撫でるジュウゼン。
その傍で、バドシュは薬草図鑑を読み返している。
「んー、煎じて飲ませたほうが効くかも知れねぇな。」
「煎じる?」
「やかんに水と薬草入れて、暖炉に置いとけ。沸騰して10分くらいそのまま沸かしたら完成。冷ましてから飲ませろよ。まあ、熱々のモン出されても、飲まないだろうケド。」
ちょこっと顔を上げて、バドシュを見るイコ。
「ホント、こっちの言ってることわかってんだな。これ、貼り付けてるより、飲んだほうが早く治ると思うケド……って、露骨にイヤそうな顔だな。」
耳がペタンとなり、目を細めてムーッとした顔のイコに、バドシュは苦笑する。
「どうした、イコ? 傷が早く治ったほうがいいだろう?」
「ジュウゼン、ちょっとこれ、かじってみ?」
「?」
バドシュが差し出す薬草を、何のためらいもなくかじるジュウゼン。
「っがっ! にっが───っ!!」
「あ、やっぱ苦いんだ。つーか、ちったぁ警戒しろよ。」
薬草の苦味に、ペットボトルの水を一気飲みするジュウゼンを見て、大笑いのバドシュ。
「前にもこの薬草の世話になったコトがあって、苦いって知ってたんじゃね? 見分けられるくらいだし。煎じれば苦味も少なくなると思うから、ちゃんと飲めよ。」
渋々といった感じだが、コクリと頷くイコに、感心するバドシュ。
「ホント、頭いいな。」
「ああ、賢いんだよ。先日、酷く冷え込んだ日があっただろう? 少し多く薪を焚いたら、暖かくなったせいか、頭がボーッとして、急激に眠くなってな。その後の記憶が定かではないのだが、冷たい風が吹き込んで来て、目が覚めた。」
「それって、不完全燃しょ……」
「起き上がってみたら、イコがバルコニーの扉の前にいて、その扉が開いていた。吾輩を起こすために思い付いたのだろう。」
「起こすため、っつーか、換気のため…………」
「おかげで助かった。あの時勇者達が来ていたら、おや? もう魔王倒されてる?という事態になっていただろうからな。」
「……てめぇはもっと賢くなれ。」
不完全燃焼による中毒症状で、危うかったことに気付いていない様子のジュウゼンに、ジト目のバドシュ。
「じゃあ、帰るぜ。」
「ああ。忙しいのに呼び出して済まなかった。ありがとう。」
「おう。また何かあったら呼べ。来れたら来てやるよ。」
背を向けたまま手をヒラヒラさせて、バドシュは部屋を出て行った。
「さて、さっそくやってみるか。やかんやかん……たしか、物置にあるはずなんだが……ちょっと探してくるから、待っていてくれ。」
ジュウゼンが部屋を出て行って十数分。
ガシャガシャーンッ!
大きな物音に、イコの耳がピンと立ち上がる。
それきり、シン……となった城内。
(様子を見にいったほうが……)
ジュウゼンが出て行った扉に向かい、頭で押してみるイコ。
大きな扉は見た目に違わず非常に重く、幾らイコが他の狼より大きいと言っても、開けられる重さではない。
それでももう一度、グッと押した瞬間、
「あったあった! 物置の一番奥に……ん? イコ? どこに……いつの間に部屋の外に?」
ジュウゼンが外から扉を開けたことにより、イコは扉を押す勢いのまま、部屋の外に転がり出てしまった。
(換気のために動いたり、扉を開けようとして転がったり……傷の治りが遅いのは、そういったことも関係しているんじゃ……)
傷の痛みを感じながら、イコは部屋に戻る。
「吾輩が中々戻らぬから、探しに行こうとしてくれたのか? 賢い上に、優しいな。」
ジュウゼンに頭を撫でられると、なにやら鼻がムズムズっとして、イコはくしゃみをした。
「ああ、すまん。物置が埃っぽかった上に、小瓶を幾つか落として、中に入っていた粉が服にかかっ……て……っくしゅんっ!」
しばらく続くくしゃみ合戦。
「あー、折を見て、キチンと片付けないとな。それよりコレだ。」
くしゃみが収まり、物置から発掘してきたやかんをイコに見せるジュウゼン。
「軽く洗ってみたが、水を入れても漏れないし、錆びてもいないから使えるだろう。だいぶ年期が入っているようだが。これに薬草を……はて、どれくらい入れていいものか?」
(おいおい。)
「そういえば、バドシュは図鑑を見て、煎じて飲ませたほうがいいと言っていたな。えーと……これか。『葉5、6枚に、水1リットル程度』なるほど。葉っぱを5、6枚、水は……少々足りない気もするがこれで良かろう。」
2リットルサイズのペットボトルに3分の1程度残っていた水をやかんに注ぐ。
(おいおいおい。)
「あとは暖炉の上で沸かし……フタがないな。洗った時に置いてきたか。まあ、フタがなくとも問題ないな。」
(こんなテキトーな感じで作られたものを飲まないといけないのか!?)
暖炉の上に置かれたやかんを、イコは不安げに見上げる。
それを感じ取ったのか、ジュウゼンは自信タップリに言った。
「心配はいらんぞ、イコ。味見をして、苦かったら砂糖を入れてやるから!」
(そんな心配はしてないっ!)
的外れな回答だが、ここ数日で何となくジュウゼンのキャラが掴めていたため、イコは色々諦めたように、暖炉の前に寝そべった。
(そのまま薬草を食べても良かったけど……)
沸騰するのを待ちわびているジュウゼンを見て、仕方ないな、といった感じで、軽くため息をつくイコ。
(せっかく用意してくれているし、実際、あの薬草とんでもなく苦いし……)
火の温かさや静かに燃える様子を見ているうちに、イコはいつしか眠りに落ちていた。
『………コ、イコ』
ジュウゼンの声が聞こえた気がしたが、夢かうつつか、はっきりとしない。
そんな状態の中、口元に何かが触れた。
と認識した次の瞬間、口の中に温かい液体が流れ込んできた。
「─────!???」
苦くて渋くてそれでいて甘くてクリーミーという、複雑な味に、イコは一気に覚醒した。
「お、起きたか。薬ができたから、さっそく飲んでもらいたくてな。起きるのを待ちきれずに、シリンジで飲ませてしまった。」
持っていた小皿とシリンジを床に置き、ニコニコとイコを見るジュウゼン。
「味見してみたら、生でかじった時よりはマシだったが、やはり苦かった。ひと工夫したら、ミルクティーのようになったのだが、どうだ? なかなか美味いと思うが。」
(これが……美味い!?)
早く飲ませたいからと、寝ているヤツの口にシリンジで流し込とか、にがしぶあままろな液体を美味いだとか、ふざけんなっ!と立ち上がった瞬間、
「!?」
体が熱い。
「イコ? どうした、イコ!」
鼓動が激しくなり、足が震え、ガクッと崩れ落ちる。
(どう……なってるんだ?)
血が沸騰しているのではないかと思うほど体が熱くなり、心臓が今まで経験したことがない速さで拍動している。
急変したイコに、ジュウゼンはサッと青ざめ、その体をさすりながら必死に呼びかける。
「イコ! しっかりしろっ! イコ、イコっ!!」
ジュウゼンの声が、徐々に小さく、遠ざかっていく。
呼吸も鼓動も止まり、動かなくなったイコ。
「イコ? イコ───っっ!」
ジュウゼンの叫びが城中に響く。
横たわったまま、微動だにしないイコの傍らに、ガックリと膝を付くジュウゼン。
「こんなことになるとは……吾輩のせいだ。すまない、イコ……っ!」
イコの背に顔を埋め、その頭を背中を撫でながら、ジュウゼンはイコの名と謝罪の言葉を繰り返し口にした。
「?」
異変を感じ、顔を上げる。
イコの体が淡く光っているように見え、ジュウゼンはイコから手を離して様子をうかがう。
「イコ? イ……ッ!!?」
一気に強くなった光に、ジュウゼンは両腕で光を遮る。
強烈な光は、ついには部屋中を真っ白に覆った。
うるさいくらいに胸を叩いていた鼓動はいつしか収まり、焼け付くような熱さも感じなくなった。
熱さも暑さも温かさもすっ飛ばし、
(寒っ!)
生まれてこのかた、年中寒いこの地で生きてきて、慣れているはずなのだが、カタカタと震えがくる寒さに見舞われ、イコは飛び起きる。
「お前は…………」
ジュウゼンの声に視線を向ける。
「イコ……なのか?」
「?」
初めて会ったかのような戸惑いを見せるジュウゼンに、イコは訝りながらも、いつものように頷く。
(ん? なんかいつもと違う感覚……)
肩や腕に何かが触れ、サワサワする。
何だろうと確認する前に、ジュウゼンが隣にやってきて、空中に四角を描くように手を動かした。
「ちょっと見てみろ。」
ジュウゼンが指差すほうに目をやると、そこには2人の男性がいた。
1人はよく見知ったジュウゼン。
その隣にいるもう1人は──
(誰だ?)
バドシュでも、森の中で見かけたことのある人間達でもない。
銀髪の見知らぬ若い男。
イコが首をかしげると、その男も首をかしげる。
その時、サラッと流れた髪が肩に触れた。
(これ……さっきのサワッとした感じ……)
またも速くなる鼓動。
先ほどとは違い、今度は不安を煽るような寒気が伴う。
謎の男の正体を探るように、イコはスッと手を上げてみる。
同じ動きをする目の前の男。
自分の手を直に見て、イコは目を丸くする。
(なんだ、この手……まるで、人間? ということは、この男はもしかして──)
「人間の姿をしているが、やはりイコだよな?」
ジュウゼンにも指摘され、目の前の見知らぬ男は自分だと確信する。
(なぜ、人間の姿に!?)
考えがまとまらない。
突然のことに動揺しているせいもあるが、それ以上に思考を邪魔するものがある。
バッとジュウゼンを仰ぐと、ジュウゼンは少し驚いたような顔をして、イコに尋ねた。
「どうした? 吾輩に何か伝えたいことがあるのか?」
「……さ……」
「さ?」
「寒い……」
体毛で覆われていない体は、こんなにも寒さに弱いものだと、イコは初めて知った。
「コイツがあの犬っコロぉ?」
夜になり、ジュウゼンに呼ばれたバドシュが城を訪れ、人型になったイコと対面した。
「犬っコロではない。イコ、だ。」
「あー、はいはい、いいコいいコのイコちゃんな。髪の色は体毛の色合いっぽいし、面影もなんとなーく残ってるケド……」
バドシュは、イコのワイシャツの裾をさっとまくり上げ、
「あ、この傷。確かにあの犬っコ……イコだな。」
患部を見て、ようやく人型のイコを認めた。
「何でこんなコトになってんだよ?」
「わからぬ。吾輩はあの薬草を煎じて、飲ませただけなのだが……なあ、イコ?」
「はい。」
「うわっ、しゃべった!」
普通に会話に入ってきたイコに驚くバドシュ。
「吾輩も驚いた。今までは、我々の言葉は理解していたが、声は出さずに、頷いたり、表情で訴えてきたりするだけだったからな。」
「何より、私自身が1番驚いています。」
真面目な顔で言うイコに、バドシュは思わず噴き出した。
「本人が1番驚いてんなら、俺らが驚くのも無理ねぇな。なんか体の具合が悪いとかねぇか?」
「寒いという以外は特に。」
「何しろ、第一声が『寒い』だったからな。取り敢えず吾輩の服を着てもらったが、サイズ感が一緒で良かった。」
「確かにピッタリだな。ま、不調がないなら、この姿でも問題ないケド、不思議だよな。薬飲んだだけでこうなるとは……ん?」
薬草を煎じた液体が入ったシリンジを見て、バドシュがたずねる。
「薬草煎じただけなのに、なんでこんなに濁ってるんだ?」
「ああ、ハチミツと牛乳が入っているからな。」
「はぁ?」
「苦みが残っていたから、飲みやすいようにと思って。」
「……ちゃんと、人間界のハチミツと牛乳だよな?」
「当然。」
「だよな!」
「魔界のものだが?」
「そっちの『当然』かよっ!」
「当たり前だ。考えてもみろ。吾輩は魔王だぞ? 人間界の店に『ハチミツと牛乳ください。』などと買いに行けるわけがない。」
「もしかして、飯も魔界のモンを食わせてたのか?」
「『カルブセとカルブドに聞いた食材で作った食事だ。』と言ってましたが、どなたですか?」
「魔界の犬っコロだよ。それもう、100パー魔界産の食材じゃん……」
「安心しろ。ちゃんとタマネギは抜いたから。」
「そんなとこだけ配慮されてもっ! どうりで魔界オーラ感じるわけだっ! 人間化どころか、魔族化してるじゃねぇか!」
魔界の治療法は使うなとは言ったが、魔界の物を与えるなとは言わなかったことを後悔する。
「にしてもなぁ、魔界のモン食った程度で、姿形変わったり、魔族化するか? 他に何か心当たりは?」
「特にないな。熱いまま飲ませるなと言われたから、軽ーく氷結魔法で冷ましたくらいで……ん? どうした、バドシュ?」
「……頭、痛くなってきた。」
「『医者の不養生』とはよく言ったものだな。」
「てめぇのせいだってのっ! 不用意に魔法使いやがっ……おい、袖に着いてるこの粉は何だ?」
「ん? ああ、やかんを探しに物置に行った時、粉が入った小瓶を幾つか落としてしまってな。何の粉かはわからぬが……」
ジュウゼンの言葉を聞いた途端、バドシュは走って部屋を飛び出し、ものの数分で、茶色の小瓶を持って戻って来た。
「てめぇが落としたのはこれだな?」
「正直に答えると、銀の小瓶と金の小瓶に……」
「ならねぇよ。とっとと答えろ。」
「詳しく見ていないが、落ちていたのなら、それに違いないだろうな。で、中身は何だったのだ?」
「これは致死量0.0001グラムの毒薬、こっちはあらゆる状態異常を治す薬、で、これは蘇生に使う薬。」
「ほう、そんな凄い薬があの物置に。」
「ほう、じゃねぇよ。服に付いてたヤツがやかんに入って、一緒に煎じたんじゃねぇか?」
「まさか、そんなことは……」
「あるかも知れません。あの時、ホコリと粉とで、くしゃみをしまくりましたから、服から舞った薬がやかんの中に入ってもおかしくありません。あと、煎じる時に使用した水も、何か影響しているかも……」
「どの水使った?」
「これだが?」
カラになったペットボトルのラベルには
『魔界百銘水 100パーセント天然 悪魔谷のおいしい水』
イコの肩をポンと叩き、親指でジュウゼンを差しながら、バドシュは言った。
「この姿で、不調や不都合があったら、全力でコイツを恨んでいいからな。」
「えと……正解は──」
「イッコマエさんのケガを一刻も早く治してあげたいと思ったジュウゼンさんの、天然スキルと、ドジっ子スキルがフル稼動、なんやかんやあった結果、魔族化した!」
「なんやかんやって……」
「正解です。」
「いいのかよ、なんやかんやで! しっかし、魔族化しただけで済んでよかったな。猛毒も一緒に煎じた可能性があるんだろ?」
「そうですね。本当にそれらの粉末が混入したかは定かではありませんが、入っていたのだとしたら、偶然にもうまいバランスで調合されたんでしょうね。」
しっぽをパタパタさせて、何故か嬉しそうなイッコマエ。
「魔族化しても、撃たれたキズは残ってたみたいッスけど、今もあるんスか?」
言いながら魔王は、狼姿のイッコマエの背中に乗ったまま、腹部をのぞき込む。
「見あたらないッス。どの辺り……うわっ!」
のぞき込み過ぎて、魔王はイッコマエの背中から転げ落ちた。
「大丈夫ですか?」
すぐさま人型に戻り、魔王を気遣うイッコマエ。
「すげぇ。その姿に戻ると同時に、ちゃんと服まで元通りになるんだな。」
「訓練の賜物と言いますか、必然の産物と言いますか……」
少し恥ずかしそうに頬をかきながら、イッコマエは続ける。
「あの頃は能力が安定していなくて、ふとした拍子に狼になったり人型になったりしてまして。狼から人型になると、何も着ていない状態になってしまうんですね。それがどうにも……」
「ああ、そりゃ恥ずかし……」
「寒くて。」
「そっちかいっ!」
「狼の時は何とも思わなかったんですが、寒い土地だったんですね。それはもう、必死に修得しました。」
「死活問題か。って話してる時に、お前は何やってんだ!」
ごそごそとイッコマエの服をまくり上げている魔王に勇者がツッコむ。
「お腹のキズを探して……」
「そんなに気になるか?」
「キズ、ないッスね。」
不思議そうな顔で見上げる魔王に、イッコマエはフッと微笑む。
「『魔族化したから、治癒魔法で治しちまうぞ。』と、バドシュさんが治してくれましたからね。傷跡も残らず、あっと言う間に全快でした。」
「よかったッスね!」
「なんつーか、ジュウゼンさんより、バドシュさんのほうが恩人なんじゃ……」
撃たれたイッコマエを見つけて保護したのはジュウゼンだが、バドシュがいなければ、もしかしたらこんにちのイッコマエはいなかったかもしれない。
「バドシュさんて、ジュウゼンさんと仲良しみたいッスけど、お友達だったんスか?」
「だよな。話聞く限り、魔王に対してため口だしな。」
「ええ。魔界なかよし幼稚園時代からの縁だと言ってましたね。」
「まかいなかよしようちえん…………」
「オレ様は、にこにこ魔界幼稚園だったけど、違う幼稚園ッスか?」
「にこにこまかいようちえん……………」
「少子化で、魔界なかよし幼稚園とにこにこ幼稚園が統合して、にこにこ魔界幼稚園になったんです。」
「少子化……統合……」
「さっきから、何をブツブツ言ってるんスか?」
「魔界も人間界も、似たような問題を抱えているんだな、って。」
本当は、『なかよし』だの『にこにこ』だの、魔界でそのネーミングはねぇよ、そもそも幼稚園て……とも思っていたが。
「バドシュさんの写真、ないんスか?」
「あると思いますが……あ、ありました。この方がバドシュさんです。」
ジュウゼンとバドシュが一緒にいる写真を、同時にのぞき込む魔王と勇者。
「どっちが魔王か、って聞かれたら──」
「バドシュさんのほうを選んじゃいそうッスね。」
2人とも、ほぼ人間と変わらない姿だが、どこかのんびりのほほんとした雰囲気さえ漂わせるジュウゼンと、モノクルの奥から眼光鋭く、威圧するような、見下すような眼差しで不敵な笑みを浮かべるバドシュ。
「バドシュさんのほうが魔王っぽいって言うより──」
「ジュウゼンさんの魔王っぽさが、圧倒的に足りてないッスよね。」
「……それ、お前が言うか?」
「?」
母猫をだっこし、子猫達に纏わり付かれながら、魔王は首をかしげる。
「バドシュさんは医師でもありましたが、戦闘能力も高く、魔界ではジュウゼン様の次に強いのではないかと言われていたそうです。実際、城近辺の強力なモンスターを指揮していましたし、人間界征服に消極的だったジュウゼン様を説得したのも、バドシュさんだったようです。」
魔界の者達に支配されつつある小国
人々の団結により、魔物達の閉め出しに成功した地域
世界各地で、人間と魔族の争いが激化し、世の中が騒がしさを増してきたある日、バドシュがジュウゼンの元へ訪れた。
「……何やってんだ?」
長い髪を1つにまとめ、マスクとエプロンをし、パタパタとハタキをかけているジュウゼンを見て、バドシュはげんなりする。
「あ、バドシュさん。」
「……バドシュ『さん』?」
普段とは違う呼ばれ方が引っかかったが、とりあえずスルー。
「今、留守を預かっているんですが、ただ待っているのもなんなので、軽く掃除していました。」
「どこの世界に、暇だからって掃除して……『いました』ぁ? さっきからなんだよ、そのしゃべり方!?」
スルー仕切れずにつっこむと、ジュウゼンはキョトンとした顔になった。
「え? 変ですか?」
「違和感あり過ぎてキモいわっ! 何で敬語……」
「お、来ていたのか、バドシュ。」
「……えっ?」
ジュウゼンは目の前にいるのに、背後から聞こえた声もジュウゼン。
振り返ると、髪は結わえておらず、マスクとエプロンもつけていない、見慣れたジュウゼンがいた。
「じゅっ……だって……ええっ!?」
2人のジュウゼンに驚くバドシュ。
さらに、
「おっ、どうした、その姿は?」
装備:マスク、エプロンのジュウゼンに驚く
装備:普段着のジュウゼン。
「お帰りなさい、ジュウゼン様。ちょっと掃除をしてまして……」
「ジュウゼン『様』?」
「なるほど、掃除か。本当に気が利くな、イコは。」
「イコ? いや、どう見ても……」
2人を見くらべ、戸惑っているバドシュに気付き、普段着ジュウゼンがポンと手を打った。
「そうか。これを見るのは初めてだったか。イコ、マスクを外してみてくれ。」
マスクを外すと、ますます瓜二つな2人。
「と、こういうことだ。」
「いや、どういうことだ?」
「ふむ……イコ、元の姿に戻っていいぞ。」
エプロンジュウゼンが一瞬白い光に包まれ、光が消えると、イコが姿を現した。
「改めて、こういうことだ。」
「それで全部わかると思うなよ? まあ、なんとなくはわかったケド。」
「イコは、犬の姿と人型に変身するタイミングや時間をコントロールできるようになったばかりか、他の姿にも変身できるようになったのだ。」
「……何でてめぇがドヤるのかはわかんねぇケド、すげぇな。姿も声もそっくりだったぜ。」
感心するバドシュに、ジュウゼンは自分が褒められたかのように上機嫌だ。
「多分、お前の姿にもなれると思うぞ。」
「マジか? やってみてくれよ。」
「わかりました。」
要望に応え、バドシュに変身するイコ。
「どうですか?」
「うわっ、鏡見てるみてぇ。」
「そうだろう、そうだろう。自分ではわからぬと思うが、声も同じだ。」
「すっげぇな。で? それを利用して留守番させて、てめぇはどこ行ってたんだ?」
「魔界に戻って、パズル雑誌の今月号各種を買って来、っ痛!」
手にしていた紙バッグを突き出して見せたと同時に、ジュウゼンのひたいにバドシュのデコピンが炸裂し、雑誌が床に散乱する。
「人間界征服進行中に、のんきに里帰りしてんじゃねぇよ!」
「くっ……誘導尋問だったか。流石だな、バドシュ。」
「ただの質問だっ! やる気ねぇのは分かってたケド、ここまでとはな……」
はぁ、と大きなため息をついたバドシュだったが、ふと、何かを思いついたらしく、ジュウゼンの肩にガシッと腕を回し、ニィっと笑う。
「なあ、いっその事、俺に魔王の地位、寄こせよ。」
「バドシュさんっ!?」
バドシュの提案に、イコが驚く。
「ふむ、その方が、皆の為にも良いのかも知れんな。」
「ジュウゼン様っ!!?」
あっけらかんとしたジュウゼンの返答に、更に驚く。
「そんな、今からあなたが魔王です、はい、引き受けます、みたいな簡単なことでいいんですか?」
「いんじゃね? そもそも、人間界に来ようって言い出したのも俺だし。」
「皆からの信頼も厚いバドシュならば、安心して任せられる。」
なんだかんだ言いながら、困っていれば手を貸してくれるバドシュは、ジュウゼンにとって頼れる存在なのだろう。
人間界の野生動物の治療法でさえ、しっかりと気を遣うことから鑑みるに、魔界の住人達への接し方も、慕われているであろうことも想像に難くない。
(にしても───)
あまりに簡単な魔王権譲渡に、イコは戸惑う。
「よし、決まったな。たった今から、俺が魔王。その初仕事として、サクッと人間共を全滅させてくるわ。」
「なっ……」
予想だにしない急展開に、今まで安穏としていたジュウゼンに動揺が走る。
「何も、全滅させずとも──」
「誰に指図してんだ? 魔王に意見すんじゃねぇよ。」
「っ!」
凄みの効いた声と表情に、ジュウゼンは息をのむ。
「征服した後の労働力として生かしておくのも1つの考え方だけど、ひっそりと力をつけて、機を見て反撃されたら面倒だろ? だったら消しちまうのが手っ取り早いじゃん? 手始めに───」
バドシュはグイッとイコの腕を引っ張り、
「コイツを始末しないとな。」
背後から片腕を回して肩から上腕の辺りを押さえて、動きを封じる。
「おっと、大人しくしててくれよ。不用意に動かれると、手元が狂うからな。」
首筋にチクッとした感触。
「バドシュ、何だそれはっ?」
「この前、てめぇのがばらまいた小瓶に、猛毒が入ってたヤツあったろ? その水溶液が入った注射器だよ。苦しむ間もなく、一瞬で逝けるハズだから安心しな。」
突き付けられている物の正体を知り、イコは固まる。
「おい、やめろ。何故そんなことを!」
「優秀な部下として手元に置こうかとも思ったケド、ちょっと優秀過ぎ? この短期間で変身能力を自在に使えるようになるとか、ヤバイだろ。誰かさんのせいで今は魔族だけど、元々人間界育ちだし、やっかいな存在になりそうじゃん?」
「関係のない人間達やイコを巻き込むのはやめろっ!」
「いとも簡単に魔王の地位を手放したヤツが、今更ゴチャゴチャ言ってんじゃねぇよっ!」
いつもの友人同士の軽い言い争いとは全く違い、ビリビリと張りつめた空気が部屋に満ちる。
「人間界に引っ張り出せば、少しはマシになるかと思ってたケド、逆効果だったな。ケガした犬っコロ拾って来て飼い慣らしているうちに、人間界のモンに愛着がわいたか?」
「そのような言い方はよせ! イコは吾輩の友人だっ! 人間界の者達にはこれといった感情を持ち合わせていないが、全滅させるなどという考え方には──」
「はっ! マジでへたれだな。てか、『元』魔王サマにお伺い立てる必要も、ご意見を頂戴する義理もねぇんだよな。」
表皮を裂く注射針の感覚に、すっと血の気が引く。
「……じゃあな、いいコいいコのイコちゃん。大丈夫、すぐにアイツも送ってや───」
ギュッと目を瞑った瞬間、強烈な熱風が体を掠め、イコはよろけて床に倒れた。
ほぼ同時に、ズドンという大きな音が、城を揺らす。
「ぐっ……ぅ…」
呻き声が聞こえ、イコは恐る恐る目を開ける。
「ジュウゼン……さま……」
掌を正面に向けて右腕を突き出しているジュウゼンが視界に入る。
鬼のような恐ろしい形相をしたジュウゼンが無言で見据える先に目をやると、
「! バドシュさんっ!」
壁に開いた大きな穴にめり込んでいるバドシュの姿が。
ピクリともしないバドシュと、その様子に徐々に青ざめていくジュウゼンとを交互に見て、オロオロするイコ。
そんな絶望感漂う空気を破ったのは───
「……あーあ、メガネ、こなごな。」
乾いた笑いと共にぼやく、バドシュの声だった。
「だ、大丈夫ですかっ?」
ふらつきながらも自力で立ち上がったバドシュに、イコが駆け寄る。
無数のやけどや傷を負った痛々しい姿とは裏腹に、バドシュは服の汚れを払いながらニヤリと笑う。
「俺が医者だっての、忘れてる?」
治癒魔法を自身に施し、体中にあった傷を消してみせる。
「殺されかけてたってのに、心配してくれるとか、どんだけいいコちゃんなんだよ。」
「…………あ。」
あまりにも普段通りのバドシュの振る舞いに、ついさっきまでの緊張感をすっかり忘れていた。
そんなイコの反応に、バドシュはプッと吹き出す。
「あ。ってなんだよ。一緒にいるうちに、ジュウゼンの天然が伝染ったんじゃね? おっ、血ぃ出てる。」
注射針でついた小さな傷に気付き、バドシュはちょこっと傷口に触れ、即座に治す。
「手荒なマネして悪かったな。そうそう、注射器の中身、無害なビタミン剤だから。」
イコの肩をポンポンと叩き、自身の右手を見たまま茫然自失としているジュウゼンの元へ歩み寄る。
「ほら、見ろよ。レンズねぇし、フレームもグニャグニャ。後で弁償な。」
「───ああ。」
目線は曲がったフレームを向いているが、焦点は合っていない。
心ここにあらずのジュウゼンに、バドシュは構わず話しかける。
「やっぱ桁違いだな、ホンモノの魔王の力は。傷は治ってんのに、まだ体中痛ぇよ。」
「───すまない、2人共。」
「ジュウゼン様?」
「おーい、なにヘコんでんだよ?」
消え入りそうな声で言ってうなだれるジュウゼンを、イコは心配げに、バドシュは軽い調子で言って様子をうかがう。
「何故吾輩はこのような力を有しているのだ? 他を傷つけ、破壊しか生まぬ禍々しい力を。」
「まあ、魔王なんだから仕方ねぇんじゃね?」
「お前を止める方法など、他に幾らでもあったはずだ。なのに、よりによってこの忌々しい力を使ってしまうとは──っ!」
「大事なヤツが殺されるかもって時に、手段なんか選んでられねぇだろ。」
「しかしそのせいで、同じく大切なお前を傷つけてしまった。もしかしたら、お前を葬ってしまっていたかも知れんではないかっ!」
友に手を上げてしまった自身への怒りで声を振るわせるジュウゼンを、バドシュは軽く笑い飛ばす。
「おいおい、随分なめられたもんだな。あんだけ手加減された攻撃で、俺がくたばるわけねぇよ。」
手加減という言葉に、ジュウゼンがピクリと反応する。
「あ、あの威力でですか!?」
壁に開いた穴を見て、驚いたようにイコが言う。
「コイツが本気出したら、城崩壊するだろうし、俺なんか跡形もなくなるわ。」
言われてみればその通り。
だが、
「吾輩は、手加減した憶えなど──」
「無意識のうちに、バドシュさんを傷つけてはいけない、という気持ちが働いたのではありませんか?」
「あり得るな。『むやみやたらに他を傷つけることは好まぬ』って、昔っから言ってるもんな。」
「無意識のうちに……」
バドシュを傷付けまいとする気持ちが働き、無意識のうちに攻撃力をコントロールできていた?
その可能性に気づき、ほんの少し、気分が上向いたように見えたが、それもつかの間、
「いやいやいや、手加減とか、意識的だとか無意識だとかいう問題ではなく、この力を使ってしまったこと自体が……」
ヘコみモードに逆戻りするジュウゼン。
「まぁたそれかよ。っとに、面倒くせぇヤツだな。」
バドシュは苛立ったように、堂々めぐりのジュウゼンの胸倉を掴み、顔を上げさせ、
「てめぇは忌み嫌ってるケド、その力がなかったら、コイツを守れなかったんだぞ?」
その顔を、イコのほうに向けた。
「コイツを助けるために、やむなく攻撃した。難しくグダグダ考えなくても、シンプルにそれでいいじゃねぇか。」
バドシュの言葉に、イコが頷く。
「そうですよ、ジュウゼン様! あの時、バドシュさんが本気だったとしたら、私は死んでいました。ジュウゼン様のおかげで、命拾いしたんです。ありがとうございます、ジュウゼン様。」
「イコ……」
イコの微笑みと感謝の言葉が、不思議と心を落ち着かせてくれる。
「どんだけヤダっつっても、持って生まれた能力なんだから、仕方ねぇじゃん。ベタな例えだけど、猛毒だって使い方次第で薬になる。強大過ぎる力だって、どう使うかで変わってくる。誰かを、何かを守るために使えば、非暴力主義のてめぇも、少しは気がラクになるんじゃねぇの?」
「バドシュ……」
あくまでも軽く、無責任にも聞こえるバドシュの発言。
それは、深刻に考え過ぎてしまうジュウゼンの性格を知っているからこその言い方であり、ジュウゼンもそれを理解していた。
「ま、聞いたコトねぇケドな。非暴力主義の守護魔王? どんな魔王だよ?」
「こんな魔王だが?」
バドシュに茶化され、自虐っぽく返すジュウゼンの表情は、憑き物が落ちたかのようにスッキリしていた。
「……誰かを傷つけるのがヤダとか、でもそんな魔王の力を持ってることで悩むとか、ジュウゼンさんて──」
「魔王に向いてないッスね。」
「いや、そうなんだけど、もう少しオブラートに包むような言い方……」
「はい、魔王不適合者でしたね。」
「手厳しいっ! 2人共、特にイッコマエさん、容赦なさ過ぎじゃね!?」
「ジュウゼン様ご本人もそう言ってらしたので。」
「……あ、うん。本人が認めてんなら仕方ねぇか。」
全く悪意なくサラリと言うイッコマエに、勇者はジュウゼンのフォローを諦めた。
「その後ジュウゼンさんはどうなったんスか?」
「どう考えても、世界征服続行できなさそうだよな。」
「はい。その出来事を機に、即、魔界に帰りました。」
「ジュウゼンさんなら、って妙に納得できちゃう展開ッスね。」
「まあな。でも、あっさり帰れたのか? 反対派とかが出てきそうだけど。」
「魔界では、魔王は絶対的な存在なので、反対する者はいません。そもそも、反対する間もなく、全員を撤収させましたから。」
格闘家の攻撃!
シュウバンノキョウテキに10のダメージ!
「くそっ! やっぱこの辺りの敵は強いな。」
「一旦、前のエリアまで戻って、もう少しレベルを上げたほうが……」
「しかし、うまく逃げ切れるかどうか……」
戦闘続行か、撤退か。
メンバーは敵と対峙したまま、リーダーの判断を待つ。
「! 来るぞっ!」
シュウバンノキョウテキの攻撃!
「みんな、攻撃に備えろっ!」
防御しても、相手との力の差を考えると、大ダメージは必至。
教会送りも覚悟したが、
「…………ん?」
いつまで経っても攻撃される気配がない。
「おい、あいつどこに行った?」
防衛姿勢を解いて顔を上げると、壁のように行く手を塞いでいた敵の巨体が忽然と姿を消していた。
「どういう……ことでしょう?」
戦闘中だったモンスターがいなくなった。
モンスターが現れた!と思ったらバグが発生したかのように消えた。
突然魔物がいなくなり、魔物使いが失業した。
同じような現象が、同時刻に世界各地で起こっていた。
「バケモンどもがいなくなった?」
「そう言えば、集団で飛び回ってる大コウモリ、今日は1匹も見てないねぇ。」
「森の中も、なんだか生き物の気配がなくなったようだし。」
「もしかして、魔界に帰った?」
「いえ、嵐の前の静けさかも知れないわ。」
人々の間に、様々な憶測が飛び交う。
そんな中、先ほどシュウバンノキョウテキと戦っていた勇者一行は、信じがたい光景に出くわしていた。
「魔王城が……消えた……」
まだ小さくではあるが確かに見えていた魔王城までも、跡形なく消えていた。
「この先にあったよな?」
「行ってみましょう!」
魔王城が見えたほうに向かって走り出す勇者一行。
「やはり妙だな。」
「どうした、賢者?」
「敵と全く遭遇しないなどということはあり得ん。」
1歩進む度に、くらいの頻度でエンカウントしていた敵が、急に現れなくなっていた。
木々の間隔が広くなり、森の出口が近いことを教える。
森を抜けたそこには、暗雲に覆われた、見るからに禍々しい巨大な城が───
「やっぱり、なくなっている。」
目の前に広がる空き地に、勇者一行は目を疑う。
「モンスターもいない、城もない、一体どうなっているんでしょう?」
「魔王が斃された?」
「可能性はあるな。我々より先に辿り着いた者が、魔王を斥けたのかも知れん。」
「真相はわからないけど、これだけははっきり言える。」
「何ですか、勇者?」
勇者は仲間達のほうを向いて一言、
「ここ、寒すぎっ!」
「やっぱ寒いよな! 基本、俺の装備って薄着だろ? そのせいかなと思って黙ってたけど!」
格闘家の言葉に、他のメンバーも首を縦に振る。
「魔王がいなくなったのなら、この場に留まる必要もないな。」
「即、最寄りの町まで帰りましょう!」
人間界から消えたモンスター達は、同じく人間界から消えた魔王城の前に集合していた。
「久しぶりの魔界、やっぱ落ちつくな。」
「勇者共と戦ってる途中だったのに、気が付いたら魔界に戻ってて驚いたけど、早めに帰ってこれて良かった。」
「実際行ってみたら、それほどいいトコでもなかったしな、人間界。」
「あ、ジュウゼン様がお見えになったぞ!」
城の中からバドシュを伴い、ジュウゼンが姿を現す。
「ジュウゼン様ーっ!」
「バドシュ先生!」
魔界の住人達の声に、軽く手を上げて応えるジュウゼン。
歓声が落ち着いたところで、ジュウゼンが口を開く。
「人間界征服に際し、前線へと赴き、力を尽くしてくれた皆に感謝する。そして、突然の帰還となったこと、済まなく思っている。」
凶暴さの欠片もなく、魔王らしからぬ魔界の王 ジュウゼン。
そのことは魔界の誰もが知っていたが、その口から飛びだした謝罪の言葉には、さすがに驚いたようだ。
「人間界へと出向いてみたものの、侵略だ征服だというのは、やはり性に合わぬと改めて気付いた。悪戯に皆を振り回してしまい、申し訳ない。」
「あー、一応魔王なんだから、そう簡単に謝んなよ。」
謝罪尽くしのジュウゼンを見かねて、バドシュが口を挟む。
「今回の一件は、俺が言い出したことだ。みんなも知っての通り、争い事を好まない、変わった魔王だろ? 歴代の魔王みたく、人間界征服に行かなきゃいけないのかって、グダグダ悩んでたから、まあ、とりあえず行ってみろ、ってな。人間界に行ってみたら、少しは魔王らしくなるんじゃねぇか、って思ってのことだったんだケド、今、本人も言ったように、そう簡単に性格は変わるもんじゃなかった。俺の考えが甘かったせいで、なんか慌ただしくなっちまってスマンっ!」
「やっぱ、バドシュ先生の差し金かぁ。」
「なんかおかしいと思ってたのよねー。」
平和主義魔王の突然の世界征服宣言、からの、これまた唐突な一斉強制帰還の真相を知り、納得の声があちこちから上がる。
「これからは、皆が何不自由なく快適に過ごせる魔界作りに取り組んでいく所存だ。頼りない王だが、よろしく頼む。」
やはり魔王らしくない発言だが、その佇まいは、人間界進出以前に比べ堂々として見え、『魔界を治める王』としては申し分ない。
その雰囲気が伝わったのだろう。
集まっていた住人から、魔界中を揺らすほど大きな歓声が上がった。
その頃人間界では──
「あ、いつもお世話になっております。ご注文いただいていた鋼の剣50本ですが、ご用意できましたのでご連絡を……えっ? キャンセル? そんな、困りますよ! 急にどうしたんですかっ?」
『『モンスターと遭遇しなくなる聖水』などと偽り、水道水を高値で販売していた業者が摘発されました。』
「需要激減で、薬草の先物取引で大損だぁっ!」
「勇者になるからって、昨日、会社辞めたばっかりなのに、魔王がいなくなった? どうしてくれるんだ!」
『各国の権力者に電話をかけ、『100億円支払えば世界の半分をやる』などと持ちかける、いわゆる『魔王魔王詐欺』グループのメンバーが逮捕されました。』
魔王が突然いなくなったことにより、ちょっとした混乱が起こっていたが、当のジュウゼンは知る由もなかった。
「確かに、魔界をしっかり納めていれば、よその世界を征服しようがしまいが、『魔(界の)王』だよな。」
「ええ。そういう意味では、ジュウゼン様は立派な魔王でした。自然災害が起きれば、すぐに現地に飛んでいって陣頭指揮をとる傍ら、自らも救護活動を行ったり、紛争が起きれば、すぐさま仲裁に入って円満解決に導き、魔界を手に入れようと襲来する侵略者は、容赦なく叩きのめしていました。」
「守るためなら、魔王の力を使うのもOK、ってことッスか。」
「そうですね。ジュウゼン様の尽力で、魔界の環境が整った結果、魔界を征服しようと、あちこちから狙われるようになり、その度にジュウゼン様は、魔界を、魔界の人々を守るために戦いました。特に、銀色の円盤に乗った、全身銀色の謎の人々との攻防では、城が大きく損壊する事態になりました。」
「全身銀色の人々って……」
「もしかして異星人? よその星からも狙われてたんスか!? で? で? どうなったんスか?」
SF映画のストーリーを聞いているかのように、魔王はワクワクした様子で続きを促す。
「あれは、ジュウゼン様と出かけた帰りでした──」
毎月購入しているパズル雑誌でいっぱいの紙バッグを持つジュウゼンと、食材でいっぱいの買い物袋を持つイコ。
「何でしたら、食材と一緒に、雑誌も買って行きますよ?」
「ありがとう。だが、これだけは自分で買いに行かないと、何となく落ち着かなくてな。今回は近場の書店だったが、視察も兼ねて、毎月、各地を回っているのだ。」
「そうだったんですか。」
感心したように言うイコに気を良くし、ジュウゼンはさらに続ける。
「視察に行った先の書店で全種類揃わない時は、幾つかの地方をハシゴしたりも……」
「……それって、視察メインですか? 本屋さんメインですか?」
感心して損したというようにジロリと睨むイコに、ジュウゼンは、うっ…と言葉を詰まらせる。
「……バドシュのようなことを言わないでくれ。少し、感化され過ぎてはいないか?」
「ジュウゼン様の言動に、自然とそういう言葉が口をつくんです。感化されているというより、バドシュさんも同じような心境なんだと思います。」
「イコが反抗期だ……」
塩対応のイコに、打ちひしがれるジュウゼン。
その時、雨雲がかかったように辺りが暗くなった。
「ん? ひと雨来るか? 降られる前に戻らねば。急ぐぞ、イコ……イコ?」
隣にいたはずのイコがいない。
振り返ると、薄暗がりのど真ん中に光の柱ができており、その中にイコはいた。
イコの所在を確認できた次の瞬間、イコの足が地面から離れ、急速に上昇し始めた。
「ジュウゼン様危険ですっ、離れてくださいっ!」
「イコっ!」
イコを掴まえようと、手を伸ばしたが、強烈な光に目を眩まされる。
眩しさを堪えながら見上げると、上空には巨大な円盤が浮かんでいて、光の柱はその円盤から地面へと伸びたものだった。
イコの姿はあっという間に円盤の中へと消え、同時に光の柱もなくなり、円盤そのものもフッと消えてしまった。
「た……大変だっ!!」
何がどうなっているのかはまったくわからなかったが、緊急事態だということだけははっきりとわかり、ジュウゼンは城へと駆けだした。
「おっ、何だ、いたのか。」
異常事態が起きていたほぼ同時刻
魔王城を訪れていたバドシュは、エントランスホールにいたイコに声をかけた。
「部屋に行ったら誰もいねぇから、留守かと思って。」
イコが手にした買い物袋に目を留める。
「買い出しに行ってたのか。ジュウゼンも一緒か?」
「……ジュウ、ゼン………」
「そう、ジュウゼン……えっ、呼び捨て?」
うつむいたまま立ち尽くし、しかもジュウゼンを呼び捨てにしたイコを訝りながら、バドシュはゆっくり近付く。
「イコ? おーい、どうした? イコー、イコちゃー……」
ふいに顔を上げるイコ。
赤く光った目から飛び出した光線を、バドシュは間一髪のところでよけた。
光線が当たった壁には穴が開き、外まで貫通している。
「おいおいおい、それ以上、才能開花させなくてもいいって。目からビームって、メイド服の猫耳キャラじゃあるまいし。」
あからさまにおかしいイコと距離をとりつつ、様子をうかがう。
イコに注視するあまり、背後の気配に気付くのが遅れた。
「!! ヤバ……っ!」
魔王城の巨大な玄関扉が勢いよく開き、城の主が血相を変えて飛び込んでくる。
(どうする? バドシュに連絡して、それから──)
「そんなに勢いよく開けたら、ドアがぶっ壊れるぞ。」
呼ぼうとしていたバドシュの声を耳にし、ジュウゼンは顔を上げる。
「バドシュ……ちょうど良かった。今、連絡しようと思っていたところだ。聞いてくれ、イコが大変なことに……」
「知ってる知ってる。目からビーム出して、壁に穴開けて、妙なお友達と一緒に、俺を縄でグルグル巻きにするくらい大変なことになってるってな。」
「……えっ?」
よく見てみると、確かにバドシュは縄でグルグル巻きにされ、その後ろには無表情のイコと、全身銀色で背の低い人影が3体確認できる。
「……先に帰っていたのか、イコ。バドシュは、えと……縄抜けの練習中と言ったか?」
「は? 何言って……」
「そうそう、イコの友達が来ているのだったな。全身銀色コーデとは、なかなか洒落た友達だな。今お茶でも……はて、ティーポットはどこだったか……最近イコに任せきりだからな。イコ、ティーポットは──」
イコの目が赤く光る。
直後、顔のすぐ横を掠めた2本の光線。
振り向いて見ると、扉に2つの穴が空いていた。
「どうした、イコ。友達の前だからといって、悪ぶって見せずとも……」
「悪ぶって?」
「ああ。どうやら反抗期らしくてな。悪ぶりたい年頃だろう?」
「悪ぶりたい年頃だからって、目からビーム出すヤツがいるかっ! あからさまにおかしいだろうが! 操られてるか、改造されてんだよ、コイツは! いつもの天然か、静かにパニクってんのか、渾身のボケか、なんにしても笑えねぇよっ!」
「静カニシロ。」
ジュウゼンにツッコミを入れるバドシュに、銀色のヒトAが、先端の丸い銃らしきものを突き付ける。
その様子を見て、ジュウゼンは緊張した面持ちになる。
「オマエガ コノ世界ノ長カ?」
銀色のヒトBが1歩前に出て、抑揚のない口調でジュウゼンにたずねる。
「……いかにも。吾輩はこの魔界の王だ。」
落ち着いた様子で応えるジュウゼンに、銀色のヒトBはさらに1歩前に出る。
「コノ世界ノ 噂ヲ聞キ ヤッテ来タガ 気二入ッタ。」
「そうか。では、ゆっくりしていくといい。」
「観光デ来タワケデハナイ。」
銀色のヒトBが目配せすると、銀色のヒトCが、イコに銃口を向けた。
「大事ナ仲間達ヲ 無事返シテ欲シクバ 我々二 コノ世界ヲ渡セ。」
「断る。」
「ナニッ!?」
ためらいゼロの返答に、驚く銀色のヒトB。
「だよな。」
「エエッ!!」
人質の相づちに、更に驚く銀色のヒトAB。
「ナ……何故ダ? コノ2人ガ ドウナッテモ 構ワナイト 言ウノカ?」
「いや。2人とも、吾輩の大切な友人だから、無事に返してもらいたいのは山々だ。しかし、その交換条件が魔界全部となると、断らざるを得ない。」
淡々と語るジュウゼンに、能面のように表情が読めないはずの銀色の顔に焦りが見える。
「一応聞いておくが、魔界を我が物とした場合、魔界の住人の処遇はどうするつもりだ。仲良く共存、共生というのならば交渉の余地はあるが。」
「共存ハ スル。ソノ者ノ意思ヲ封ジ 我々ノ傀儡トシテ 生カシテオイテヤロウ。」
「……なるほど。話にならぬな。その様な事、吾輩は断じて赦さん。」
雰囲気が一変し、鋭い殺気を帯びたジュウゼンの眼差しに、銀色のヒトBは怯む。
「だよな。コイツは魔王。魔界を治め、住人達を守るのがコイツの役割。その為には多少の犠牲は仕方ねぇよな。だから、人質と引き替えに、って作戦は意味ねぇぜ。イコを元通りにして、大人しく帰れよ。フルボッコにされたいなら相手するけど?」
飄々とした口調とは裏腹に、ゾッとするほど残忍で好戦的なバドシュの笑みに、銀色のヒトAはたじろぐ。
「落チ着ケ。本当二 人質ガ無意味カドウカ 試シテミレバ分カル。」
銀色のヒトCはそう言うやいなや、イコに突き付けていた銃の引き金を引いた。
倒れるイコ。
愕然とするジュウゼンとバドシュ。
そして
「ナ……何ヲシテイルッ!?」
何故か大慌てで、倒れたイコを囲む、銀色のヒトAB。
よく見ると、倒れているのはイコではなく、銀色のヒト。
「サッキ捕ラエタヤツ二変身シタ 同胞ダトイウコトヲ 忘レタノカ!」
「あなた達を同胞と思ったことなんて、1度もありませんけど。」
「オ オ前ハ……ッ!」
銀色のヒトCがいたそこには、撃たれたはずのイコが立っていた。
「馬鹿ナ! 艦内二拘束シテ来タハズノオ前ガ 何故ココニ!」
「あなた達の仲間が私に変身したのと同じように、私もあなた達の仲間に変身して、着いて来ただけです。」
表情が戻り、目も赤くないイコ。
それを見たジュウゼンの顔がパッと明るくなる。
「イコ! 無事だったか!」
「はい。ご心配をおかけして、すみません。」
「イコの無事が確認できたんなら、人質ごっこも終わりでいいな。」
スッと空を切るように指先を動かすとあっさり縄が切れ、自由になったバドシュがニヤリとする。
「俺としては、久々に大暴れしたいトコだけど、どうする? 魔王サマ?」
気を失っている仲間を抱え、戦意喪失気味の銀色のヒトABをチラッと見つつ、バドシュはおもしろそうに言う。
出方を伺うようにこちらを見ている銀色のヒト達に向け、ジュウゼンが口を開く。
「吾輩はそもそも、争い事は好まぬ。このまま帰るのであれば手出しはしない。しかし、まだ魔界征服を諦めぬとあらば……容赦はせぬ。」
纏った空気から伝わってくるその強力な魔力に気圧される。
敵う相手ではないと感じ取り、銀色のヒトABは銃をおろした。
「……分カッタ。今回ハ大人シク 手ヲ引クトシヨ──」
一件落着かと思われたその時、3つの頭を持つ犬が城に駆け込んできた。
「どうした、カルブセ?」
「ガウッ! バウバウ!」
「カルブドさんが、空飛ぶ銀色のものに吸い込まれたですって?」
ギクッとする銀色のヒト。
「データ収集部隊ダナ。」
「コノ タイミングデ コノ話題ハ 不利過ギダ……」
ヒソヒソと話し合う2人。
立て続けに、巨大なコウモリ リリアークが数匹、飛び込んできた。
どこか傷めている様子の1匹を気遣うように周りを囲むリリアーク達。
「キィーキィー」
「飛んで来た銀色の灰皿にぶつかった? ちょっと診せてみ?」
バドシュはリリアークに近付き、ケガの様子を確認する。
「小型偵察機ガ接触シタノカ? 何故動イテイル?」
母艦の仲間と交信する銀色のヒトA。
「偵察機ガ飛ビ回ッテイルヨウダガ ドウシタ?」
『捕ラエテイタ魔界人ガ消エタノデ 探シテイル。』
「ソノ魔界人 ココニイルカラ 偵察機全機回収シテ! ナル早デ!」
「ソレト データ収集作業モ 即 中止デ! 捕マエタ奴 全部無事二 秒デ返シテ!」
ジュウゼンの機嫌を損ねないためにも、これ以上問題を起こすのは勘弁という、銀色のヒトABの願いも虚しく、
「ジュウゼン様、聞いてーっ!」
「ルミジェナーにラミファム。何があった?」
髪もロングドレスも靴も真っ白、肌までも透き通るように白く、ヒンヤリとした雰囲気の女性と、髪もタキシードもマントも黒く、真っ赤な口紅と、時折覗く2本の鋭いキバが目を引く、血の気のない女性がジュウゼンを訪ねてきた。
「ユリニーんちに行く途中で、全身銀色のヘンな2人組に会ってー。」
「全身銀色の……」
「ヘンな2人組?」
ジュウゼンとイコはほぼ同時に銀色のヒト達を振り返る。
銀色のヒトABは、顔の前で手を横に振り、自分達ではないことをアピールする。
「その2人組に、誕生日の贈り物にと持参していた花束を強奪されてしまいまして。」
「なんと……お前達自身は無事だったか?」
「まぁねー。でも、メッチャ頭きたからー」
ルミジェナーは一旦外に出ると、何かを引きずってきて、ジュウゼンの前に差し出した。
「思わず凍りづけにしちゃった。」
「ド……同胞────ッ!!」
カッチカチ、冷え冷えの仲間を見て、銀色のヒトCを放り出し、駆け寄る銀色の2人。
「吸血を試みる間もなく、瞬間冷凍でした。」
少し残念そうに言うラミファムに向かって、ルミジェナーは両手を合わせる。
「速攻凍らせちゃってゴメンっ! でもコイツら、血も涙もないと思うよ、きっと。」
「血モ涙モ アルワーッ!」
「えっ、あるんですか? 試飲させていただいても宜しいでしょうか?」
急に目に生気が宿ったラミファムに、銀色の2人はゾッとなる。
「宜シクナイ! 容赦ナク凍リヅケニシタリ 血ヲ吸オウトスルトカ 血モ涙モナイノハ ソッチダロッ!」
「なにそれ、ひどくない?」
「ああ、酷いな。魔族と言えど、か弱い女性から物を奪い取るなどしたそちらに、そもそも非がある。」
「カ弱イィ?」
「その上、その被害者に暴言吐くとか、ホント、ひでぇなぁ。イコやカルブド攫ったり、リリアークにケガさせたり、魔界で好き勝手してくれて、魔王としては許せねぇ状況だよな。」
リリアークの治療を終えたバドシュが、ジュウゼンを焚き付けるように言う。
ジュウゼンとバドシュだけでも敵わないと感じていたところに、仲間を凍りづけにして持ってきたルミジェナー、吸血の機会を伺うラミファムが加わり、撤退の二文字しか浮かばない。
「ワ 分カッタ。 今スグニ帰還スル。本部 応答セヨ。」
『コチラ 本部。ドウゾ。』
「作成終了。直チニ帰還スル。負傷者 数名。救護求ム。場所ハ魔王ジョ……」
「ジュウゼン様ー、大変ですー。」
救護要請中にやって来たシュウバンノキョウテキが、その巨軀で魔王城の玄関口を塞ぐ。
「どうした、シュウバン?」
「麦畑の上空にー、銀色の大きな皿みたいなのが飛んできてー、麦をなぎ倒して行ったんですがー。あ、これー、上空からの写真ですー。」
シュウバンが手渡した数枚の写真には、小麦色に色づき、間もなく収穫の麦が倒され、円形を基本に、多数の図形の組み合わせからなる模様を描いている様が映し出されていた。
「この銀色のやつ何個かいるらしくー、あちこちで目撃情報がありましてー、麦畑だけじゃなくー、トウモロコシ畑や、田んぼの稲も倒されててー。」
「何デ 来テ早々 田畑アート シチャッテルカナァ 同胞達ッ!」
写真を見るジュウゼンの表情がどんどん険しくなるのを目の当たりにし、焦りはピークに達する。
「これは、食糧を絶って、征服を優位に進めようとしているのか?」
「これもう、宣戦布告じゃね?」
ジュウゼンとバドシュの鋭い視線に、銀色のヒトABは首をブンブンと激しく横に振る。
「チ 違ウッ! コレハ 魔界二来テ ハシャギ過ギタ同胞ガ 記念ニシタ 落書キノヨウナモノデ──」
「マジ スンマセン! 帰リマス! 2度ト 来マセン! デスカラ ドウカ 穏便二!」
「駄目です。帰しません。」
「えっ?」
銀色のヒト達はもちろん、魔界サイドの人々も気付いていなかった。
ジュウゼン以上に険しい顔をし、怒りのこぶしを固めていたイコの存在に。
「イコ、どうした?」
「農家の皆さんが手をかけ、時間をかけ、大切に育てた作物をこんな風に扱うなんて、絶対に許せませんっ!」
「……なんか、独特な観点でお怒りだけど、大丈夫なのか?」
「わからぬ。この様なイコを見るのは初めてだ。」
どう対処したらいいのか戸惑っていると、イコはくるりと振り返った。
「ルミジェナーさん、ラミファムさん、たしか、ユリニーさんのお誕生日だとおっしゃいましたよね?」
「あ、うん、言ったけど……」
「ジュウゼン様、ユリニーさんに来ていただいて、皆さんでお祝いするというのはいかがでしょう?」
「サプライズパーティーか? 構わぬが、急にどうした?」
「いえ、思いがけず、珍しい肉が手に入りそうなので、皆さんに振る舞おうかと……」
そう言って、銀色のヒト達に視線を戻すイコ。
「エッ チョ……珍シイ肉ッテ……」
コクリとうなずくイコ。
「待て待て待てっ! さすがにサプライズ過ぎじゃね!?」
「わたくしの分は、レアより生に近い、ブルーでお願いいたします。」
「ラミ、アレ、食べる気!?」
「承知しました。あ、でも、肉というより、光り物の魚に近いかもしれませんね。」
「でしたら、活け作りで宜しくお願いいたします。」
「あ、では宇宙船盛りにしましょうか。」
「素敵ですね! 血抜きの必要があれば、わたくしにお任せ下さい。」
「おいおい、物騒な方向で、急速に意気投合すんなよ。ジュウゼン、コイツら止めてくれ。」
何故かラミファムは食べる気満々だが、自身も含め他の仲間達の意を汲み、ジュウゼンがやんわりと謎肉祭り開催の回避を試みる。
「すまん、イコ。なんだ、そのー……あれだ、安全が保証されていない物を提供するのは、賛成しかねる。」
「そうですね……わかりました。」
意外にもあっさりと開催中止となり、ホッとする一同。
銀色の2人も胸をなで下ろした。
が
「では、バラバラにして、作物が倒された田畑に、肥料として埋めましょう。」
再び訪れる命の危機。
とびきりの笑顔なのだが、喜怒哀楽、どの感情も伝わってこないイコに、えも言われぬ恐怖を覚える。
「イヤ───ッ! 助ケテ───ッ!!」
「何コノヒト メッチャ怖イッ!」
抱き合って震え上がる2人。
そんな2人に救いの手が。
城内にフッと現れた銀色の円盤。
「オ迎エ キタ──(・∀・)──!!」
円盤から地上へまっすぐに伸びる光の柱。
その中から、2つの頭を持つ犬 カルブドが飛びだしてきた。
「ワウッ!」
カルブセに気付き、カルブドが駆け寄ってくる。
再会を喜ぶようにスリスリと体を寄せ合う2匹。
場が和んだ隙に、円盤に戻ろうとした銀色の人々にイコが気付く。
「逃がしませんっ!」
イコは咄嗟に凍りづけの銀色のヒトを掴み、光の柱の中を上昇して行く銀色の人々めがけて投げつけた。
投げつけられた冷凍の2人の衝突により、軌道が変わった銀色の人々は、入り口から逸れて円盤外部にぶつかり、その衝撃で円盤は城の壁に───
「城が壊れたのって、異星人達との戦いのせいじゃなくて……」
「こうして思い返すと、私のせいだったんですね。」
照れ笑いのイッコマエに、苦笑いの勇者。
(……なんか、思ってたカンジのUFO話じゃなかったな。魔王もガッカリ──)
「してないっ!」
英雄を見るように、キラキラと目を輝かせている魔王に、思わず心の声が漏れる。
「UFOにさらわれて、そこから無事脱出して、さらに銀色のヒト達を欺いて追い返しちゃうなんて、イッコマエさん、すごいッス!」
「……まあ、言われてみれば、異星人との遭遇エピソードには違いないな。もっと、派手な戦闘シーンとか想像したけど。」
魔王の反応を見て、こんな異星人譚もアリかと、勇者は考えを改めた。
「その後、銀色のヒト達はどうなったんスか?」
「壁が崩れて来たので、ジュウゼン様の指示で全員城外へ避難したんですが、その間に帰ったんでしょうね。しばらくして戻ってみると、円盤はいなくなっていて、衝突跡や光線で空いた穴も綺麗に直っていました。田畑の作物も元通りになっていたので、私の気も収まりましたし。」
「ジュウゼンさんやバドシュさんより、イッコマエさんにキレられたことがよっぽど怖かったんスね……」
大慌てで田畑アートを消して回る異星人の姿を思い浮かべ、少し同情するように魔王が言う。
「今も昔も食が絡むと怖かったんだな、イッコマエさんは。農作物の代わりに異星人を食糧にしようって発想は、ちょっとヤバイけど。」
「我ながら、とんでもない考え方でしたね。若気の至りと言いますか……」
「若気の至りって、見た目は全然変わってないから、なんか違和感……そう言えばイッコマエさんて───!」
「不老不死なんスかっ?」
イッコマエが実は狼だったと聞かされる前から気になっていたそれを思い出し、魔王と勇者は勢い込んでイッコマエにたずねる。
「はい、そうです。」
「はい、そうですって、もうちょいなんかこう……」
あっさり過ぎる返答に、勢いの持って行き場をなくす勇者。
「ホントに不老不死だったんスねっ! どうやってなったんスか?」
勢いそのままに、さらにたずねる魔王。
魔王の期待の眼差しを受け、イッコマエは困ったような顔をする。
「それが、よくわからないんですよ。」
「わからない?」
「はい。魔界で暮らし始めてすぐのことなんですが、毒沼にはまってしまいまして。」
「毒沼ぁ? 大丈夫だったのか、イッコマエさん?」
「ええ。落ちたら即死と言われていた沼だったんですが、毒状態になっただけで済んだんです。」
「マジか……そんな危険な沼、前もって場所を教えておいてくれないと。」
「あ、それは無理ッス。」
「無理? なんで?」
不思議そうにたずねる勇者を、不思議そうな顔で見返す魔王。
「沼って気まぐれで、ちょこちょこ移動するじゃないッスか。だから、予測できないんスよ。」
「……は?」
「そうなんですよね。その時は城を出てすぐのところに、沼がいまして。」
「沼が、いた……?」
「神出鬼没で困るんスよねー。」
「待て待て、なんで沼が動くんだ?」
滞りなく進む謎の会話に、勇者が待ったをかけると、魔王とイッコマエはキョトンとした。
「なんで、って、沼は動くッしょ?」
「湖は動かないんですけどね。」
「えっ……そういうもん、なのか?」
2人のリアクションを受け、魔界では当たり前のことなのかと、追究をやめる。
「あとは、落雷の直撃に遭ったり。」
「昔から合ったんスね、ゲリラ落雷。」
「ゲリラ落雷、って、落雷オンリー?」
「バーサーク状態になったモンスターに轢かれたり。」
「モンスターに轢かれる!?」
「交通事故も絶えないッスよねー。」
「交通事故扱い、なのか……」
「城の庭を掃いていた所に、ジュウゼン様が手を滑らせて最上階から落としてしまった植木鉢が頭に直撃したり。」
「それ、城周辺の新たな罠として使えそうッスっ!」
「罠っていうか、嫌がらせじゃねぇか!」
魔界あるあるとは違う案件はさすがにスルーできず、ツッコミを入れる。
「と、まあ、色々危険な場面に遭遇したんですが、怪我はするものの、命に別条はなくて。魔界に移り住んで何十年かして、全く容姿が変わらないことをバドシュさんに指摘され、死なないし、老けないし、もしかして、不老不死?みたいな話になりまして。」
「そんな、バナー広告みたいな……」
「血液検査、レントゲン、CT、MRI、心電図、超音波検査、視力検査、体力測定、学力テストなど、色々調べてみたんですけどね。」
「後半はあまり意味なさそうな……」
「3人であれこれ考えて、ジュウゼン様が調合した煎じ薬の副作用ではないかという結論に落ち着きました。ですが、本当にそれが原因だったのかは定かではありません。」
「薬のせいなら、味見したジュウゼンさんも不老不死になってるはずッスもんね。」
「そうなんです。口にした量が少なかったから何の影響もなかったのかも知れないし、薬と私の体質との兼ね合いだったかも知れないし。」
「だから、よくわからない、か。なるほどなぁ。」
「何だか曖昧で、すみません。」
「全然悪くないッスよ! 理由はどうあれ、イッコマエさんが不老不死のおかげで、歴代の魔王がお世話になったッス! ありがとね!」
「歴代の、ってか、お前も現在絶賛お世話になり中だろうが。」
そう言って、ん?と首をかしげる勇者。
「助けてもらったからジュウゼンさんに仕えていたのはわかるけど、その後の魔王にも仕えてきたのは何で?」
当然のことのように思っていたが、ジュウゼンが亡くなった後、魔王の従者として生きる以外の選択肢もあったはずだ。
「ジュウゼン様と約束したんです。」
「約束ッスか?」
「ええ。子孫のことを頼む、と。」
どことなく寂しげに見えるイッコマエ。
おそらくそれは、ジュウゼンの最期の言葉だったのだろうと察し、魔王と勇者はハッとした。
「ご、ごめんッス、イッコマエさんっ!」
「ごめんっ!」
「えっ? どうしたんですか?」
突然の謝罪に、イッコマエは不思議そうな顔をする。
「オレ様達が色々聞いたから、ツラいことまで思い出させちゃったッスよね?」
「余計なことまで聞いて、ホントごめんっ!」
「ああ、そういうことですか。大丈夫ですよ。私は別に───」
過去の話をしたことで感傷的になっていない旨を伝えようとするが、
「そうッスよ! 余計なことッス! 歴代の魔王に仕えていた理由まで聞く必要ないッスっ!」
「だから、悪かったって!」
「ホント、無神経ッスよね。イッコマエさんが不老不死になった理由も、不老不死かどうかも、無理に聞き出すコトなかったのに───」
「ちょっと待て! それ聞いたのはお前だろっ?」
「あのー、お2人とも落ち着いて。」
ヒートアップしている2人に、イッコマエの声は届いていない。
「ていうか、そもそも、アルバム持ち出してきたのが悪いんスよ!」
「持ってきたのはオレだけど、なんの本だかわからないから見てみよう、って言い出したのはお前だしっ!」
「魔王の暴走を止めるのは勇者の役目ッしょ? 一緒になってアルバム見てるとは何事ッスか!」
「こんな時だけ勇者扱いすんじゃねぇよっ!」
「───ふふっ」
「ほらっ! イッコマエさんも笑って……わら?」
「イッコマエさん?」
肩を震わせ、笑いをこらえているイッコマエに気付き、魔王と勇者の言い争いが止む。
「どうしたんスか?」
「すみません。ジュウゼン様とバドシュさんも、よくそんな風に言い合いをしていたんですよ。思い出したら、何だか可笑しくなってきまして。」
「えっ? 昔のこと思い出して、しんみりとかしょんぼりとか───」
「してませんよ。むしろ、ほっこりしてます。」
いつも通りのイッコマエに、魔王と勇者は安堵の息をもらす。
「よかったッス。イッコマエさん、なんか寂しそうに見えたから……」
「だよな? 悲しいことまで思い出して、暗い気持ちにさせたんじゃないかって思ったよな。」
「そんな風に心配してくれてたんですね。ありがとうございます、魔王さん、勇者さん。」
イッコマエはフッと微笑み、アルバムに目を落とす。
「確かに、ジュウゼン様やバドシュさんとお別れした時はとても辛かったし、何故自分は不老不死なのかと悩みもしました。何度経験しても、関わりのあったヒト達との別れには慣れないし、その度に辛くなるのも事実です。ですが、不老不死である限り、これは避けられないこと。なので、別れの憂いはなるべく引きずらず、新たな出会いや良い思い出を大切にしながら、今を生きていこうと考えるようになったんです。」
顔を上げ、魔王と勇者を見るイッコマエ。
「お2人に出会い、今こうして一緒に過ごせること、とても幸せです。」
「イッコマエさん……」
「オレ様も、イッコマエさんと一緒で幸せッス!」
飛び付いてきた魔王を、慈愛に満ちた優しい眼差しで受け止めるイッコマエ。
なんだか胸が熱くなるのを感じながら、勇者は2人の様子を見守った。
「ちょっと話が長くなってしまいましたね。そろそろ昼食の支度を……」
「あ、ちょっと待った!」
ソファから立ち上がったイッコマエを勇者が止める。
「このアルバム、大きさが微妙で、他の本とのバランス的に、ピタッと収まる棚がなくてさ。どうしようか聞こうと思って持ってきたんだけど。」
勇者の質問に、首を傾げるイッコマエ。
「気にせずに、適当にこう、斜めに立てかけておけばいいのでは?」
「ッスよねー。」
「いやいや、それだと本が変形するだろ?」
「では、本の上と棚の隙間に入れておくとか。」
「ッスよねー。」
「何だ、この分かり合えなさ! 俺か? 俺が少数派なのか? 綺麗にそろってたほうが探しやすいし、見栄えもいいだろ?」
「あ、それはわかります。1巻から順番に並んでいるといいですよね。」
「だろ? ついでに、高さと奥行きとかもそろっていたほうが……」
「いえ、ムリにそこまでは……」
「ッスよねー。」
「なんでだあぁぁぁっ!!」
理想の収納に理解を得られず、嘆く勇者。
「書庫の整理は優秀な司書さんにお任せして、オレ様はイッコマエさんと一緒にお昼の支度するッス。」
「えっ?」
「そうですね。アルバムも、いいカンジでよろしくお願いします。」
アルバムを託された勇者は、仲良く並んでニャンズルームから出て行く魔王とイッコマエを呆然と見送った。
「ニャー?」
ネコの声で我に返り、おかれた状況を把握する。
「ま……丸投げかいっ!」
その後、書庫は見栄えよくわかりやすく整理され、件のアルバムは、優秀な司書お手製の四方帙に収められ、インテリアのように机に置かれた。
「あれ? 『あち鶴』の64巻がなくて、65巻が2冊あるッス。」
「何巻まで持っていたかわからなくなって、こうなったんですね。」
2冊ある同じ本を見て、やっちゃったなぁという感じで顔を見合わせる、魔王とイッコマエ。
「あっちこっちの棚に、バラバラに入ってたからな。こうしてちゃんと揃えて並べておけば、間違って同じ本を買うこともなくなるだろ?」
整理整頓のよさを改めて説く勇者。
「そうですね。蔵書の数は変わっていないのに、何だかスッキリして、広くなったように感じます。」
「だろ? だからこれからは───」
ちゃんと片付けろ、と続けようとしたのだが、
「わかったッス。これからは正式に、魔王城書庫の司書さんとして任命するッス!」
「えっ?」
「よろしくお願いいたします、司書勇者さん。」
盛大な拍手をもって、司書を拝命する羽目になってしまった。
「ちょっと待て。引き受けるなんて一言も……」
「間違って買っちゃったら、古本屋さんに持って行けばいいッスからね。」
「フリマアプリで売ってもいいですしね。」
「フリマアプリは、過去にやらかしたせいで、オレ様のアカウント、使えないんスよね。」
「私が代わりに出品しますから、大丈夫ですよ。」
「そういう問題じゃなくて……」
「あ、これも2冊あるッス。」
「こっちにもあります。」
「整理してもらったおかげで、ダブってる本が見つけ易いッス!」
「そういう無駄をなくすためにも、片付けて、持ってるモン把握して──」
「ダブってる本を全部集めるッス!」
「私はあちらの書架を見てきます!」
「ダブってる本を見つけ易くするために片づけたんじゃねぇぞっ! ちったぁ反省しろや──っ!」
ダブっている本が50冊を越えた辺りから、さすがに反省し、魔王城書庫の司書に謝る、魔王とイッコマエだった。