国王結婚? マヂカ☆マダカ?マダマダダ
「ちょっ……笑い事じゃないって!」
数日前の出来事を友人達に話した途端巻き起こった爆笑に、青年はムッとした表情を見せる。
とある小国のとある大衆食堂。
十数人も入れば満員という小さな食堂には、20代の男女4人と、ウェイトレス、店主といういつもの顔ぶれが揃っている。
「浴室覗いたら、巨大こうもりってどういう……あ、魔王の仕業?」
「……そう、魔王。だいたい、そんなことできるの、彼しかいないでしょ?」
「ほーんと、すっかり懐かれちゃったよねー。」
浴室に巨大こうもりが現れたという奇特な体験を語り、仲間達の笑いをかっているのは、この小国の若き国王 セリューだ。
先代の国王だった父を早くに亡くし、20歳の時にこの国を納める立場となった。
国民から慕われ、尊敬されていた父に倣い、立派な国王であろうとするあまり、真面目過ぎた彼は、国の諸問題を1人で抱え込み、その重圧から、一時期暴君と化し、国を荒廃させた。
そんな時に彼の前に現れたのが魔王だった。
魔王の荒療治と国民達の支えで、元の穏やかで優しい国王に戻ったセリュー。
その後も魔王はセリューの元を頻繁に訪れ、ストーカー呼ばわりされるまでになり、最終的には
「普通に遊びに来てくれるのは構わないんだけど、いっつも唐突だから困るんだよ。当事者じゃないからそうやって笑っていられるけど、実際に遭遇してみなよ。ホント、死ぬほど驚いたんだから!」
「そりゃマズイな。婚約者残して先に逝くなんて一大事だ。なぁ、サリヤ。」
店主に話題を振られたウェイトレス サリヤは、パッと顔を赤らめた。
「なっ……何言ってんのさ、大将! 魔王が何か妙なコト言って、何か、そんな流れになっちまっただけで、こっ、婚約とか、正式なモンじゃないしっ! な、なぁ、セリ?」
「えっ……ぼ、僕としては本気の──」
「そうそう。オレ達ちゃーんと聞いてたぜ?」
「セリューがサリヤに告って──」
「サリヤもOKしたの、ここにいるみんなと、魔王も証人よ。もう、誰がどう見てもプロポーズだったじゃなーい!」
そう
ストーキングの末、国王のプロポーズにまで一役買うことになったのだった。
幼なじみで、いつしか互いに恋心を抱くようになっていたが、その想いに互いに気付かずにいたセリューとサリヤ。
それを知った魔王は、両想いであることを2人に気付かせようと発破をかけたところ、一足飛びでのプロポーズ。
セリューのプロポーズに関しては、魔王も想定外だったらしいが、この国、こと国王に対する魔王の影響力は、相当なものなのだ。
「で? どの程度話は進んでんだよ?」
「そうそう。もう、速攻結婚するもんだと思ってたのに──」
未だに食堂のウェイトレスを続けているサリヤと、休日になると食堂に顔を出しにくるセリュー。
プロポーズする前となんら変わらぬ生活に、友人達のほうが気をもんでいた。
「だいぶ落ち着いて来たとはいえ、まだまだ復興半ばだからね。」
セリューの言葉に同意を示すようにうなずくサリヤ。
「にしたって、一緒に暮らしても良くない?」
「一緒……に?」
セリューとサリヤは顔を見合わせ、同時に赤くなった。
「おいおい、一緒に住むって話だけでこの調子じゃ、先が思いやられるな。」
ウブ過ぎる2人に、大将は苦笑を漏らす。
「一緒に住む前にさぁ、魔王には1度しっかり言っておかなきゃだよね。」
「だよな。突然訪問されちゃ困ることもあるだろうし。」
「ブラトっ!」
含みのある友人の物言いと表情に、テーブルを叩いて同時に立ち上がるセリューとサリヤ。
「わっ、さすがのシンクロ率!」
「わりぃわりぃ。反応がおもしろいから、つい。」
ブラトは2人をなだめて、椅子に座らせる。
「にしても、何のために魔王はこうもり送りつけてきたワケ?」
「『りりあーくんの宅急便』とか何とか言って、お届け物しにきたんだよ。」
「『りりあーくんの宅急便』? で、玄関でピンポーンなしで、即室内、しかも浴室か。」
「魔王らしいというか、なんと言うか。」
「魔王らしいけど魔王らしくないんだよねー。邪気が無いっていうかー。」
「そうなんだ。邪気も悪意も悪気もないから、余計困るんだよ。悪意がないのはわかってるけど、いっつも驚かされてばかりで、なんかちょっと……悔しいっていうか……」
軽くため息をつくセリュー。
そんなセリューの頭をクシャクシャっと撫でて、大将が立ち上がる。
「ま、魔王のサプライズでショック死しないように、しっかり飯食って、健康体でいるこったな。さて、何食ってく?」
「オレ、魔王ランチ!」
「あ、同じの!」
「私もー!」
「お前らなぁ、いっつもそればっかじゃねぇか。」
「仕方ないだろ? 栄養バランスバッチリでしかも旨いときたら、注文しない理由が見当たらねぇよ。」
「クッソ、魔王のヤツ、店のメニューまで乗っ取りやがって……セリュー、お前も魔王ランチか?」
「いや、僕は大将のご馳走で。」
「だよな? 真の常連はそうでないとな!」
急に張り切って厨房へ向かう大将。
「あたしも手伝ってくるよ。」
席を立つサリヤを、ブラトが呼び止める。
「あ、あと、『セリへの愛情たっぷりつめこんだ卵焼き』追加ーっ!」
「悪いねぇ、お客さん。」
グイッとブラトの胸倉を掴むサリヤ。
「あいにくウチにはそんなメニューないんだ。代わりに『看板娘の特製卵焼き』ならあるけど、それでいいかい?」
「……はい、スミマセン、それでお願いいたします。」
「まいどあり~。」
ニッコリ微笑んで、サリヤはパッと手を離した。
「看板娘、おっかねぇ~。」
「冷やかしたブラトのが悪いっ! ねー、サリヤ。」
女友達のソラの言葉に、サリヤは大きくうなずく。
「他に卵焼き追加の人はいるかい?」
手を上げるソラとウィル。
「セリは?」
「んー、今日はいいや。」
「そうかい? じゃあ、3人前だね。」
エプロンをつけながら、サリヤは厨房へ消えた。
「ね、ね、何とかくんの宅急便で、何が届いたのー?」
「なんか、魔王が作ったロックケーキを袋に入れたのを、首にかけて持ってきたんだよね。」
「ろっくけーき? 魔王、ケーキ作んのか?」
「あれじゃね? セリューのプロポーズ聞いた後、でかいウェディングケーキどうこう言ってた、その練習とか。」
「なるほどねー。でも、ケーキって名前だけど、ロックケーキって、クッキーなんだよねー。」
「うん、クッキーだった。ケーキってついてるから、勘違いしたんじゃないかな? おいしかったけど。」
「食ったんかいっ!」
「えっ? 食べちゃダメだった?」
「ダメっていうか、魔王からの荷物で、しかもこうもりが持ってきたのを、よく食う気になったな、って。」
邪気も悪意もゼロの魔王からのお届け物とはいえ、警戒心ゼロでそれを口にしたセリューに、友人達は少し驚く。
「で? 何かお返しはしたの?」
「咄嗟だったから、手紙だけ、こうもりに持ち帰ってもらったけど、そうだよね。ちゃんとお返ししたほうがいいよね。」
「お返しってか、サプライズ返しとかどうだ?」
「サプライズ返しって言われてもなぁ……」
難しい顔で考え込むセリュー。
真面目で優しい彼の性格は、こういうことを考えるのには向いていないようだ。
その傍らで友人達は、
「デカイこうもりよりインパクトあるって、なんだろうな?」
「動物、モンスター関連じゃ驚かないだろうし。」
「魔王だもんねー。ちょっとやそっとじゃビックリしないよねー、きっと。」
「実はセリュー、女の子でした!とか。」
「騙せないこともないな。」
「ヤバっ、似合いそう!」
「んで、サリヤが男でしたオチ?」
好き勝手なことを言い合い、盛り上がっている。
「だぁれが男女だって?」
背後からのサリヤの声に、ビクッと肩を竦める3人。
「いやぁ、サリヤさんてば、美人な上に、おっとこまえだなぁって……なあ?」
ブラトの言葉に、コクコクとうなずくソラとウィル。
「……ま、いいけど。あいよ、看板娘の特製卵焼き、お待ちぃ。」
3人の前に卵焼きを置くサリヤ。
「ランチももうすぐでできるから。」
テーブルに置かれた卵焼きを、ぼんやり眺めていたセリューが、突如立ち上がる。
「お、おい、どうした?」
ブラトの問いに答える間もなく、サリヤを追い掛けるようにして厨房へ飛び込む。
「サリヤ!」
あまりの勢いのよさに、呼ばれたサリヤはもちろん、大将も食器を落としかける。
「なっ、なんだいっ!?」
「やっぱり作ってくれる? 卵焼き。」
『ただい──』
「あ、勇者さん、帰ってきたみたいですね。」
玄関のほうから確かに声が聞こえたのだが、勇者が入ってくる気配がない。
「聞き違いでしたかね?」
「オレ様も聞こえたッスよ。」
ややあって、
『ども、ありがとうございましたーっ!』
『お疲れさまでしたー。』
勇者以外の声が聞こえ、ようやく本人が姿を現した。
「ただいまー。」
「お帰りなさい、勇者さん。」
「お帰りッス。シロイヌのお兄さんの声が聞こえたッスけど……」
「おう。玄関でバッタリ会ったから、荷物、受け取ってきた。お前宛てだぞ。」
勇者は手にした箱を魔王に渡した。
「オレ様宛て? 最近、何も注文してなかったはずッスけど……わっ、冷たっ!」
「『ひんやりお荷物』ということは、なまものですか?」
テーブルに置いた荷物の送り状を覗き込む3人。
「セリューさんからッス。」
「この前、リリアークの宅急便の実験台にされたヒトか。」
「ちょ……実験台って、相手は国王ですよ、勇者さんっ!」
箱を開けると、見覚えのある封筒が、品物の上に置かれていた。
「お手紙ッス。」
「この前、書き足りなかった苦情の続きじゃね?」
「まっさかぁ。セリューさんはそんなコトいつまでも根に持つようなヒトじゃないッスよ……たぶん。」
「そこは確信を持って、断言しましょうよ、魔王さんっ!」
実際のセリューを知っているわけではないが、なぜがイッコマエがフォローする。
「えーと、『先日は、魔王謹製ロックケーキを届けてくれてありがとう。あの時は突然のことでビックリして、お礼もそこそこに、苦情ばかりの手紙をりりあーくん?に託してしまったね。ごめんなさい。今回は改めてお礼の品を送ります。キミの好きな物だから、喜んでもらえると思うんだけど。』オレ様が好きな物?」
首をかしげる魔王。
「とりあえず、苦情の続きじゃなくてよかったな。」
「ええ。本当にいい方ですね、セリュー国王。」
魔王は手紙を置き、箱の中から、もう一回り小さな箱を取り出し、蓋を開けた。
中を覗き込む3人。
「……卵焼き?」
「ですよね?」
いまいちピンと来ていない勇者とイッコマエ。
「これが、お前が好きな物?」
「そうッス! サリヤさんの卵焼きッス!」
嬉しそうに箱から卵焼きを取り出す魔王。
「サリヤさんというと、セリュー国王の婚約者の方ですよね?」
「そうッス! サリヤさんの卵焼きは、ちょっぴり甘くて、おいしいんス! イッコマエさん、今日の夕食の1品にっ!」
「ちょうど買い出しに行きそびれて、どうしようかと思っていたので、助かります。あと確か、冷凍庫にギョウザがあったはず……」
魔王から渡された卵焼きを持って、厨房へ向かうイッコマエ。
「マジでいいヒトだな、その国王。俺だったら、仕返しの1つも考えるとこだってのに、相手の好物を送ってくるとか。」
「いいヒトなんスよ、セリューさんは。久しぶりのサリヤさんの卵焼き、超楽しみッス! あ、イッコマエさん! ギョウザは揚げたのがいいッス!」
「……どんだけうまいんだよ、あの卵焼き。」
ハイテンションでイッコマエを追い掛けていった魔王の様子に苦笑し、勇者は着替えるために自室に戻った。
「なんか、おもしろい組み合わせだな。」
セリューから送られてきた卵焼きに、揚げギョウザ、サラダパスタ、ジャガイモの冷製スープという統一感のない食卓。
「よく言うッしょ? 『文句言う者、食うべからず』ッスよ!」
「いや、文句ってワケじゃねぇし、聞いたことねぇよ。」
「すみませんねぇ、あり合わせの物で作ったので。」
あり合わせとは言え、栄養バランスに配慮した様子が伺える。
「はいはーい、席についてー、手を合わせて下さい。いたーだきます!」
「いただきまーす。」
魔王の合図で、夕食が始まる。
「あり合わせの物で作っても、イッコマエさんの飯はうまいよなぁ。」
「あったりまえッスよ。イッコマエさんの料理の腕前は、7つ星レストランの料理長が、教えを請うほどッスからね!」
「……だから、なんでお前がドヤるんだよ。」
イッコマエが誉められると、自分のことのように得意げな顔をする魔王。
そんな、イッコマエの料理一筋の魔王がハマる卵焼きを、勇者が口にする。
「どうッスか? おいしいッしょ?」
「……甘めって言うか、甘過ぎねぇか?」
「卵焼きは甘くない派ッスか? 確かにそういうヒトには違和感かもッスね。……ん? あれ? 確かにいつものより甘くて、食感もちょっと違うッス。」
「魔王さん、もしかしてこれ、卵焼きに見えるケー……」
「イッコマエさん、ストップ! それ以上言わ……」
「ケーキみたいッスね。てか、ケーキッしょ、これ。」
「サクッと言うなよっ! どうにか、甘過ぎる卵焼きだって、脳を騙してたのに!」
「あ、まだ残ってたんスか? ○○に見えるケーキシリーズの後遺症。」
「忘れたてたけど、今、一気に甦ったわっ! やっぱコレ、リリアークの仕返しじゃねぇか?」
「まっさかぁ。リリアーくんでビックリしたからって、卵焼きケーキでビックリ返しなんて……」
そこまで言って、魔王はおもむろに立ち上がり、卵焼きが入っていた箱を持って戻ってきた。
「あ、2通目のお手紙が入ってたッス。」
箱から手紙を取り出して座り直し、封を開ける。
「『サリヤに作ってもらった、卵焼きに見えるケーキ。キミにはいつも驚かされてばかりだから、ちょっとお返し。少しは驚いてくれたかな?』」
「やっぱりビックリ返しじゃねぇかっ!」
「1番ビックリさせられたのは、勇者さんでしたけどね。」
「オレ様もビックリしたッスよ。だって、どう見ても卵焼きじゃないッスか。サリヤさん、スゴいッス!」
「ビックリの方向性が勇者さんとは違いますけどね。まあ、これはこれでおいしいからいいじゃないですか。甘めの卵焼きはそもそもデザートみたいなところもありますし。」
「……だな。これはケーキ、これはケーキ、これはケーキ……よし、騙されろ、俺の脳!」
「見た目とのギャップが気になるヒトは大変ッスね。いつものもおいしいけど、卵焼きケーキもおいしいッス。あ、写真撮っておこ。」
卵焼きケーキをいい感じに盛り付け直し、写真を撮り終えると、魔王はなんのためらいもなく、おいしそうに卵焼きケーキをパクつく。
「それにしても、魔王さんが取り寄せた○○に見えるケーキと同じくらい、見事な出来栄えですね。」
「断面まで完全に卵焼きだもんな。お前が取り寄せたの、どんなのがあったっけ? たしか、ラーメンみたいなのと、たこ焼きシュークリームと──」
「色々あったッスよね。ピザみたいなアップルパイとか、オムライスみたいなのとか──」
「あと、ギョウザアイスがありましたよね……あ。」
バターンっ!
勇者は力尽きた
「冷凍ギョウザじゃなくて……」
「ギョウザアイスだったッスね、コレ。」
テーブルに突っ伏した勇者が握る箸の先には、一口かじった揚げギョウザアイスが。
「倒れるほどショッキングなんスか?」
魔王は揚げギョウザアイスを口にする。
「パリッとした皮と、少し溶けたアイスが合うじゃないッスか。」
「まだヒンヤリしてる部分もあって、なかなかおいしいですね。」
「焼きギョウザにしてたらアウトだったッスねー。」
「蒸し焼きの段階で大変なことになってましたね。揚げて正解でした。」
「冷静に食リポすんなっ!」
「あ、復活したッス。」
「あ、ここだよ、きっと。ほら。」
「ホントにフツーの食堂なんだねー。」
スマホを手にした若い女性が、初めて訪れる店の扉を、少しためらいながら開ける。
「いらっしゃーい。あれ? 珍しいな、初めて見る顔だね?」
姉御肌の元気のいいウェイトレスが、2人の女性客を席へ案内する。
「あの、ここって、卵焼きみたいなケーキが売りの食堂なんですよね?」
「えっ?」
「私達、これを見て来たんですけど……」
客が見せるスマホを覗き込むウェイトレス。
『セリューさんから卵焼きが届いたッス。どう見ても卵焼きッスよね? でもでも、実はケーキだったんス! びっくりッしょ? しかも、すっごく美味しかったッス! サリヤさん、スゴいッス!……あ、サリヤさんはセリューさんの婚約者で、セリューさんが小さい頃から立ち寄っている大衆食堂で、ウェイトレスさんやってるッス。サリヤさんが作る卵焼き、オレ様大好きなんスよ! 卵焼きケーキも美味しかったから、メニューに加えて欲しいッス!』
そんなコメントと共に魔王のブログに載せられていたのは、卵焼きケーキと、この食堂の写真。
「なっ……」
「この写真見たら、どんなのだろうって、超気になっちゃって──」
「ググールさんで『セリューさん』『サリヤさん』『大衆食堂』ってワードから、地道に検索しまくって──」
「初めてこの国のことを知りました。さらに調べて、このお店を見付けたんです!」
「そこまでして、わざわざよその国から来てくれたのかい!?」
「はいっ!」
「魔王様のお気に入り、どーしても食べてみたくて!」
「そ……そうかい。遠路はるばるようこそ……」
期待の眼差しでこちらを見上げる女性達に、サリヤは申し訳なさそうな表情を見せる。
「『メニューに加えて欲しい』って書いてあるけどさ、あれは──」
1回限りのつもりで作ったもので、メニューに加える予定はないと彼女達に説明しようとしたその時、
「あっ、あったあった! このお店だよ!」
「すみませーん、魔王様がブログにアップしてた卵焼きケーキのお店ってこちらですか?」
「あ、ケーキ屋さんじゃなくて、食堂なんだ。」
「卵焼きケーキくださーい!」
次から次へと客がやって来て、告げるタイミングを失う。
いつもと違う様子に気付き、大将が厨房から出てくる。
「やけに賑やかだな。どうし──なんだぁ、この大量の客は!?」
満席な上に、店の外にも行列ができているのを見て、驚く大将。
「ごめん、さっきのブログ、ちょっといいかい?」
サリヤは最初に来た女性客からスマホを借り、魔王のブログを大将に見せる。
「この前送った卵焼きケーキ、魔王がブログに載っけたもんだから、それ目当てで……」
「おいおい、どうすんだぁ?」
「どうにかするしかないだろ? 彼女達なんか、よその国から来てくれて──あ、スマホありがと。とりあえず、応援呼んでみるよ。」
サリヤは自分のスマホから電話をかける。
「あ、ソラ? 急で悪いんだけと、今から店手伝いに来てもらえるかい? ありがとう、助かる! あ、ブラトとウィルも手ぇあいてるようなら連れて来てもらえるかい? うん、よろしく!」
通話を終え、サリヤは大将にも指示を出す。
「急だから、材料がある分しか作れなくて、幾つ作れるかわからないって、待ってる人達に説明しつつ、近所に迷惑にならないように誘導しといて。」
「お、おうっ。」
「どーもー、お久しぶりッス! あれ? なんでみんな瀕死状態なんスか?」
久々に訪れた馴染みの食堂。
その店内でグッタリしている馴染みの面々を見て、魔王は首をかしげる。
「なんだか、嵐が過ぎ去った後みたいな……」
「ああ。まさに嵐が過ぎ去った後なんだよ。」
ブラトがスマホを操作し、魔王に見せる。
「あ、オレ様が昨日更新したブログッスね。」
「それを見た人達が一気に来て、卵焼きケーキくれ、卵焼きケーキくれって。」
「正規のメニューじゃないって説明する間もなく、どんどんお客さん来ちまって、かなり遠くから来てくれた人もいたから、断りにくくなってさ。」
「で、私達も手伝いに来たんだけど、ほーんとスゴかったよねー。」
「ああ。この店にあんなに大勢客がいたの、初めてなんじゃね?」
「初めてじゃねぇよっ! お前らが知らないだけで、この店はいつも満員御礼のカリスマ食堂だったんだよ!」
「カリスマて……」
「いつの時代の話だよ……」
「卵焼きケーキにいつもの卵焼きに、大将のご馳走に魔王ランチ……材料尽きるまで作りまくって、閉店したトコ、ってワケ。」
「そうだったんスか。お疲れッした!」
「お疲れッした、てか……」
ブラトは再度、スマホを魔王に見せる。
「わ、コメントがたくさん来てるッス。『卵焼きケーキ美味しかったです!』『フツーの卵焼きもめちゃウマでした!』『大将のご馳走と魔王ランチを友だちとシェアして食べました! また行きたーい!』『小さいけど、すごく雰囲気のいいお店ですね。』『店員さん達が元気で気さくでいいカンジだったよー。』大好評じゃないッスか!」
「それ見たら、今日以上にお客さん来ちゃうんじゃないかって話してたんだよねー。」
「今日はたまたま手伝いにこれたけど、いつでも手があいてるってワケじゃねぇからな。」
「やっぱり、数量限定にしたほうがいいね。卵焼きケーキ、1日10個くらいかな。」
「そうだな。にしても、人手は欲しいとこだな。他の料理もだいぶ出たし。でもなぁ、今からバイト募集しても、無理だろうし……」
「はいっ!」
大将の言葉に、魔王が元気よく手を上げる。
「オレ様、バイトするッス!」
「えっ……えぇ──っ!?」
驚く一同。
「ちょうど探してたんスよ、バイト。ちょっとお金が必要で……」
「魔王がカネがいるってどんなだよ?」
「1日だけッスけど、食堂のホール経験あるし……まぁ、そこでちょっとやらかして、お金が必要なんスけど。」
「ちょっと待て。その、何やらやらかしたヤツを雇えってか?」
「今度は大丈夫ッス! 明日から週7で来れるッス! 大将さん、サリヤさん、よろしくッス!」
「まだ雇うって決まったワケじゃ……」
「あ、履歴書が必要ッスね。帰って、早速用意するッス! じゃあねーっ!」
言うが早いか、姿を消した魔王。
「……バイトする気満々だな。」
「てか、結局何しに来たんだろーね?」
「あ、肝心なコト忘れてたッス。」
「うわあっ!」
再び魔王が現れ、サリヤに近付く。
「卵焼きケーキ、すっごく美味しかったッス! 直接お礼言いたくて来たのに、すっかり忘れてたッス。」
「そ、そうかい。そりゃわざわざご丁寧にありがとよ。」
「セリューさんにもよろしく伝えておいて欲しいッス。じゃ、明日からお世話になりまーす!」
「あ、そうだ。履歴書、いらねぇからな。」
「そうッスか? ちょっと書いてみたかったんスけど……了解ッス!」
慌ただしく行き来する魔王に、苦笑する一同。
「本気で来るつもりかね? あいつ。」
「来ると思うよー。」
「だな。目ぇキラッキラしてたし。」
「セリューの次はサリヤか。魔王に魅入られた国王夫妻。大丈夫かよ、この国…」
ゴッ
「まだ夫妻じゃないっての。軽口叩く余裕があるようだから、明日に備えて、食材の買い出しでも頼もうか?」
「1日中調理場に立って、ホールにも気ぃ配って大忙しだったのに、頭上からガッツリ鉄拳かます余力があるなんて、さすが国王が選んだ女性……」
ゴンッ!
「懲りないねー、ブラト。」
「懲りないっつーか、わざとだよな、あれ。」
2度目の鉄拳制裁を受け、頭を抱えたブラトに、ソラとウィルは顔を見合わせ、肩をすくめた。
『卵焼きケーキは、先着10名様(お1人様1個)とさせていただきます。ご了承ください。※お持ち帰りも可能です。』
そう書いた紙をドアの外に貼り付け、サリヤが戻ると、
「おはよーッス!」
「うわぁっ!」
ついさっきまで誰もいなかった店内に、魔王がいた。
「大げさッスよ、サリヤさん。そんなにびっくりしなくても……」
「どうした、サリヤ! わっ、魔王っ! いつの間にっ!」
「2人ともヒドくないッスか? 化け物か何かみたいな扱い。まぁ、魔王ッスけど。」
厨房から出てきた大将にも同じような反応をされ、魔王は少しむくれて、頬をぷぅっと膨らませた。
「あっ、そっか。ちゃんとピンポンてしてから入りなさいってセリューさんに言われてたッス。やり直すッスねー。」
そう言って外に出ようとする魔王をサリヤが止める。
「もういいって。だいたい、店に呼び鈴ないし。」
「そうッスか? じゃあ。」
魔王はピシッと気をつけの姿勢で挨拶を始める。
「今日からお世話になる魔王ッス。バイト経験は1日しかないッスけど、頑張るのでよろしくお願いしまーす!」
「よろしく、魔王。」
「よろしくな。ま、店を壊さない程度に頑張ってくれや。」
魔王の頭をクシャクシャっと撫でて、ニッと笑う大将。
「最悪、壊しちゃったら、再建費用に達するまでバイト続けるッス!」
「や、なんかそれ、永遠にバイト続けるハメになりそうな……」
前のバイト先で何があったのかは聞いていないが、新装開店を余儀なくされるくらいにまで破壊されそうな発言に、サリヤは乾いた笑いを漏らす。
「このお店は、ユニフォームとかないんスか? とりあえず、昨日のブラトさん達みたいなカッコしてきたッスけど。」
Tシャツにジーンズと、名乗らなければ、本当に普通のバイト青年にしか見えない、魔王の服装。
「うん、それでいいよ。ユニフォームなんて気の利いたもんはないから、その上からこれを……あたしの予備ので悪いけど。」
サリヤから渡されたエプロンを着ける魔王。
エプロンをしている間に、サリヤは魔王の頭に三角巾を着ける。
「おー、あつらえたようにピッタリだな。」
「なんなら、ちょっと大きいくらいだね。」
「サリヤさん、オレ様より背ぇ高いッスもんね。でも、どうッスか? 似合うッスか?」
「おう、似合う似合う。どう見ても魔王には見えねぇな。」
「あざーッス……ん? 今、褒められたんスか? けなされたんスか?」
「褒めてる褒めてる、全力で。じゃあ、俺は厨房で準備始めてるぞ。」
「あいよー。さて……」
改めて魔王に向き合うサリヤ。
「前のトコでは、どんな風だったんだい?」
「団体さんが来るからって、テーブルに食器を先に並べて、料理を配って、お客さんが到着した時には、準備完了してる、ってカンジだったッス。」
「なるほど。今回は、お客さんが来てから、注文を聞いて、料理を出す、って流れだけど……あ、ちょっとお客さん役やって。テーブルに案内するところからな。いらっしゃーい。何名様?」
「1人ッス。」
「じゃあ、好きな席にどーぞー。あ、席がある程度空いてる時の話な。混んできたら、人数に合わせて、空いてるトコに案内、OK?」
「OKッス。」
近くのテーブルに着く魔王。
「注文が決まったら、呼んどくれ。」
「はーい。看板娘の卵焼き1つお願いするッス!」
「ってなカンジで注文聞いたら……」
サリヤは、厨房のほうに向かって声をかける。
「大将-、卵焼き1つー。」
『おう!』
「で、料理が出来たら声かけるから、注文したお客さんのトコに持っていく。ザッとこんなだけど、聞きたいコトあるかい?」
「今注文した卵焼きはいつ出て来るんスか?」
「練習なんだから、出てこないよ。」
「えーっ、食べたいッス、サリヤさんの卵焼きー。」
「あ、そうそう。あたしもなるべくホールにいるようにするけど、卵焼きの注文入ったら作りに行くから、その時は1人で頑張ってくれよ。」
「うわ、マジッスか?」
途端に不安げな顔になった魔王の肩をポンと叩くサリヤ。
「頑張ったら卵焼き、作ってやるからさ。」
「わかったッス! 超頑張るッス!」
ご褒美を聞き、一転、張り切る魔王を見て、サリヤはふと、昔を思い出した。
(そういや、セリもあたしのエプロンつけて、時々店手伝ってくれたっけ。)
そのお礼の卵焼きを楽しみにしてくれていたことや、ちょうど、今の魔王くらいの背丈だったことなど、当時のセリューの姿と重ね合わせ、懐かしさに目を細める。
「……さん、サリヤさん?」
「えっ、あ、なんだい?」
「それはこっちのセリフッスよ。今じゃない、いつかに意識が行ってたッスよ?」
「あ、あんたを見てたら、昔のセリを思い出しちまってさ。」
少し照れくさそうに笑い、サリヤは店の入り口へ向かう。
「店、開けるよ。準備はいいかい?」
「いいッスよ! 100人でも1000人でもドーンと来いッス!」
「さすがにそんなには来ないって。」
サリヤが扉を開けると、開店を待っていた客が早速入店してきた。
「いらっしゃーい。」
「いらっしゃいませーッ!」
「あのー、卵焼きケーキ、テイクアウトで1つお願いします。」
「あいよー。ちょっと待ってて。」
表の張り紙効果か、思ったほどの混雑は見られない。
それでも、普段よりは来客数が多い。
「卵焼きケーキ、用意して来るから、他のお客さんの対応、任せたよ。」
「了解ッス! いらっしゃいませーッ! 何名様ッスか?」
「2人でーす。」
「お好きな席へどうぞッス。注文が決まったら声かけてねー。いらっしゃいませー、何名様ッスかー?」
サリヤに言われた通り、客を誘導する魔王。
「すみませーん、注文いいですかー?」
「はーい、はりきってどーぞーッス!」
「えっ、あ……張り切らないとダメですか?」
「ん? フツーのテンションでいいッスよ。」
ちょっと変わったウェイターに、戸惑う客。
「えっと、卵焼きケーキ、まだあります?」
「あるッスよ。」
「じゃあ、それを2つください。」
「ここで食べて行くッスか?」
「はい、お願いしまーす。」
「了解ッス! 大将ー、卵焼きケーキ2つッス!」
小さな店内は、あっという間に満員だ。
「あ、注文いい?」
「はいはーい。」
「卵焼きケーキ、まだあるかな?」
「ちょっとまってねー。サリヤさーん、卵焼きケーキまだあるッスか?」
厨房からサリヤが出てくる。
「悪いねぇ、お客さん。ついさっき終わっちまってさ。」
「あー、残念。じゃあ、看板娘の卵焼きは?」
「それなら用意できるよ。」
「じゃあそれと、大将のご馳走1つ。」
「まいどーっ! あ、魔王。」
「なんスか?」
「表に張ってある紙はがして、こっちと交換してくれるかい?」
『本日分の卵焼きケーキは終了いたしました。』と書かれた紙とテープを魔王に渡す。
「お任せッス!」
すぐさま店を飛び出す魔王。
2人のやり取りを間近で見ていた客は、魔王の後ろ姿を目で追いながら首をかしげる。
「今の人、魔王、って呼ばれてたような……」
「えーっ! 卵焼きケーキ終わっちゃったのー?」
張り替えられたメッセージに、外で待っていた客はガッカリした声をあげる。
「そうなんスよー。今日の分、なくなっちゃったんスよー。」
「仕方ないよね。また来よ?」
「だね……あれ? もしかして……」
売り切れの紙を張りに来たウェイターをマジマジと見る客。
「魔王様?」
「まっさかぁ。こんなとこに魔王様がいるわけ……」
「魔王ッスよ。」
えーっ、とハモる2人の女性客。
「ここで何をしてるんですか?」
「なんか、バイトくんみたいなカッコで……ねぇ?」
「そうなんス。バイト中なんスよ。あ、ありがとーございましたー。また来てねー。」
店から出てきた客にもしっかり声をかける。
「卵焼きケーキはなくなっちゃったけど、他のならまだあるッスよ?」
「せっかく来たんだし──」
「魔王様がバイトしてる姿も見たいし、寄ってこうか?」
「あざーッス! サリヤさーん、2名様、入りまーす!」
卵焼きケーキ終了の張り紙を見て帰る人とそれでも並ぶ人の割合は半々で、行列は少し短くなったものの、店は相変わらず満員だ。
「お待たせー。えっと、看板娘の卵焼き、魔王ランチ、大将のご馳走1つずつ、これで全部ッスよね?」
先ほど招き入れた2人のところに、注文の品を運ぶ魔王。
「わー、どれもおいしそー!」
「魔王様、このお店って、店内での撮影大丈夫ですか?」
「ちょっとまってねー。サリヤさーん、店内で写真撮っても大丈夫ッスかー?」
「他のお客さんの迷惑にならなきゃいいよー。」
「OKみたいッスよ。ではでは、ごゆっくりー。」
「あ、待って!」
立ち去ろうとする魔王を引き止める女性客。
「写真、お願いしていいですか?」
「えっ? オレ様、SNS映えする写真とか撮れないッスよ? 自分で撮ったほうがよくないッスか?」
「料理の写真じゃなくて、魔王様と一緒に撮らせてもらいたいなぁって……」
「あ、そういうことッスか。いいッスよ。」
その様子を見ていた他の客も、ウェイターをしているのが魔王だと気付き、次々と撮影依頼が入る。
「魔王ー、半々チャーハンできたぞー。」
「はいはーい!」
「魔王様、私たちとも写真いいですかー?」
「もちろんスよー。ちょっと待っててねー。」
魔王は給仕に撮影にと大忙しだ。
予定よりも早く執務を終え、時間ができたセリューは、いつもの大衆食堂へと向かっていた。
食堂近くまで来ると、何だかいつもと様子が違う。
(店の周り、やけに人が多いような……)
いつもは馴染みの客だけで、閑散としているのだが、行列ができ、店の中をのぞき込むように人々が窓に張り付いている様子に、セリューは戸惑う。
行列最後尾の人にセリューは声をかける。
「すみません、今日、このお店、何かやってるんですか?」
「ホントかどうかわからないんだけど、魔王が来てるって情報が流れててー。」
「魔王が? なんでここに……」
数日前に送った卵焼きケーキを思い出す。
(もしかして、あれに怒って、店に乗り込んで来たんじゃ……)
慌てて裏の勝手口から店内に駆け込む。
「サリヤっ! 大将っ!」
「おっ、セリューか。どうした? 血相変えて飛んできて。」
「魔王が来てるってホントっ!?」
「ああ、来てるぜ。ほれ。」
ホールのほうを親指で指し示す大将。
そこには、嗤いながら店内を破壊する魔王の姿……はなく、実に楽しそうにテーブルを行き来する魔王がいた。
「……あれ、何してるの?」
「見ての通り、飯運びのバイトだ。」
「……お客様と一緒に写真撮ってるのは?」
「どこかの国じゃ、フワフワヒラヒラした服を着た娘が、給仕の他に、客と一緒に写真撮るサービスがあるらしいから、それと同じだろ。その写真をみんなが、えすえぬえす?とかいうのに投稿してるらしくて……」
「それを見た人達が、あれだけ集まっちゃった、ってコト?」
「そうみてぇだな。おっと、大丈夫か?」
急に膝から崩れかけたセリューを大将が支える。
「この前送った卵焼きケーキに、魔王が怒って乗り込んで来たのかと思ったから、安心して力が抜けちゃって……」
照れ笑いを浮かべて立ち上がり、改めてホールの様子をうかがう。
「サリヤ、疲れてるみたいだね。」
いつもと変わらぬ明るい笑顔でテキパキとしているが、声に元気がないことを即座に見抜くセリュー。。
「ああ。昨日から大忙しで、ほとんど休まず働き続けてるからな。」
「昨日から? 昨日も魔王来てたの?」
「いや。昨日は昨日で、魔王のぶろぐ?で、卵焼きケーキをベタ褒めしたのを見たっていう客が、今日と同じくらい押し寄せてきて。ブラト達呼んでどうにか乗り切ったところに、あいつがひょっこり来てな。しばらく卵焼きケーキ目当ての客で混雑するかも知れないから、バイト募集しねぇと、っつったら、自分を雇え、って言い出してよ。」
「あの卵焼きケーキから、こんな事態になってたなんて……」
忙しく動き回っているサリヤを見て、申し訳なさで胸が苦しくなる。
「大将ー、魔王ランチ3つー!」
「大将ー、爆盛りお子様ランチよろしくッス!」
「おう。せっかく来てくれたのに、バタバタしてて悪いな……ん? どこ行った?」
「いらっしゃいませー! 何名様ッスか?」
「4人です。」
「えーっと、サリヤさーん、4人分の席、空いてるッスかー?」
「今ちょっと手が離せなくて、テーブルが片付いてないんだ。待っててくれるかい?」
「りょうかー……」
「いらっしゃいませ。4名様ですね? こちらへどうぞ。」
魔王の前にスッと現れ、客を誘導するウェイター。
「ご注文がお決まりになりましたら、お声をおかけください。」
ウェイターの優しい笑顔に、ぽうっと見とれる客。
「えっと、食器を片付け……えっ?」
サリヤが駆けつけると、片付けようとしていたテーブルはすでに綺麗になり、しかも、客が席についている。
「ごちそうさまでしたー。えと、お会計は──」
「ありがとうございます。あちらのレジでお願いいたします。」
なれた様子で客を案内する、よく聞き知ったウェイターの声。
まさかという思いでそのウェイターを振り返り、サリヤは目を丸くする。
「セリ……なんでここに?」
「あ、サリヤ。こっちは僕がやっておくから、レジのほう、お願い。」
客が去ったテーブルの食器を片付けながら、セリューは魔王にも声をかける。
「魔王ー、2名様、ご案内できるよー。」
「えっ、あ、はいッス!」
サリヤ同様、魔王も、セリューの登場に驚きを隠せない。
客を連れてきた魔王と、会計を終えたサリヤが、セリューの元へ集まる。
「やっぱりセリューさんッス! ぱっと見、そうかなって思ったんスけど、ホントにセリューさんだったッス! 元気してたッスか?」
久しぶりの再会に、魔王の笑顔がはじける。
セリューも、いつも通りの優しげな微笑みで答える。
「おかげさまで。キミも元気そうだね。」
「オレ様はいつでも元気ッスよ!」
「魔王さまー、一緒に写真、お願いしまーす!」
「はいはーい!」
客に呼ばれて走って行く魔王を見送り、セリューはクスッと笑う。
「ホント、元気だね。」
「楽しそうにやってくれてるしね。ところで、どうしたんだい? そんなカッコで。」
エプロンと三角巾を着けたセリューに尋ねる。
「仕事が早めに終わったから来てみたんだ。そしたら、何か大変なことになってるみたいだったから、ちょっとお手伝いと思って勝手に借りちゃった。」
以前は少し大きいくらいだったサリヤのエプロンが、今では少し短くなり、時の流れを感じさせる。
「えっ、なに? このカッコ、変?」
サリヤにジッと見られ、アタフタするセリュー。
「変じゃないよ。ただ、いつの間にか、あたしより大きくなったな、ってさ。」
「なにそれ。久々に会ったご近所の子供に言うみたいなカンジ。」
クスクスと笑い合う2人の間に、魔王がヌッと割って入る。
「ラブラブなのはいいッスけど、お仕事中ッスよー。」
「ラっ……ふ、普通に話してただけだよっ! ね、サリヤ?」
顔を赤らめながら、コクコクとうなずくサリヤ。
「ま、いいッスけどぉ。サリヤさん、看板娘の卵焼き5つ、注文入ったッス。」
「あ、あいよーっ!」
魔王のニヨニヨした笑みから逃げるように、サリヤは厨房へ向かう。
「あ、サリヤ。ホールは僕と魔王で見るから、サリヤは厨房の仕事に専念して。」
「えっ? 2人で大丈夫かい?」
「任せて。久々だけど、魔王よりは慣れてるから。ホントは、調理も手伝えたらいいんだけど……」
「厨房とホール行き来しないで済む分、ラクになるよ。ありがとう、セリ。」
極々自然に見つめ合う2人……を、生暖かく見守る魔王。
その視線に気付き、
「あ、あっちのテーブルも、片付けなくちゃ。」
と、セリューはそそくさとその場を離れ、
「あ……っと、卵焼き5つだったね。あんたのコトも頼りにしてるよ、魔王。だから──」
サリヤは魔王の両肩をガシッとつかみ、
「その意味深な笑顔、やめな。」
「……ハイ、了解シマシタ。」
ニッコリと、しかし目は笑っていない笑みを残し、厨房へ消えた。
「すっごい迫力だったッス。オレ様をゾッとさせるなんて……王妃様、おっかないッス。」
「魔王ランチとー、身変わり定食とー、辛そうでやっぱり辛いカレー、お待ちどうさまッス!」
「ありがとうございまーす。あ、魔王さま、一緒に写真、いいですか?」
「いいッスよー。」
「ねぇねぇ、途中から来たウェイターさんも一緒に撮らせてくれないかな?」
「あの人もカッコいいよねーっ! 魔王様の知り合い?」
「大親友のセリューさんッスよ。」
「セリュー……どっかで聞いたような……」
「魔王さまのブログで……って、えっ、確かセリューさんて、この国の……」
「そうッス、王様ッスよ。」
「王様ぁ──っ!?」
3人の驚きの声が、狭い店内に響き渡る。
「あの人が王様って……すっごく若くない?」
「オレ様よりちょっとお兄さんッスね。確か、20……2、3歳?」
「若っ! 魔王さまより年上、って、魔王さま、何歳なんですか?」
「19ッス。」
「1万19歳とかじゃなく?」
「よく言われるんスよねー、それ。なんでなんスかねー。」
「まぁそれは閣下の持ちネタ……てか、話逸れてるし。何で国王がウェイターさんしてるの?」
近くテーブルの客、さらにその近くの客へと、セリューの話題が広がっていく。
「なんか、さっきのウェイターさん、この国の王らしいぞ。」
「えっ? 魔王でしょ?」
「いやいや、後からきたウェイターさんのほう。」
「そーなん? どっちにしろイミわかんない。何で国王がウェイター?」
「あのイケメンウェイターさん、この国の王様なんだって!」
「うっそーっ!?」
「王様? 若くない? 王子じゃなくて?」
「早くに先代がご逝去されたとか聞いたような……」
「あー、なるほど。でも、何で国王がウェイターさんやってんだろ?」
「わかんないけど、魔王と国王がバイトって、このお店すごくない?」
厨房に注文を通してホールに戻ってきたセリューに向かって、魔王が手を振る。
「セリューさーんっ! こっちこっちーっ!」
「どうしたの?」
至近距離で見るセリューに、客は顔を見合わせ、小さく歓声を上げる。
「やっぱカッコいいーっ!」
「ねーっ! 私、この国に住んじゃおうかなぁ。」
キャッキャと盛り上がっている客の反応を見て、セリューは魔王に尋ねる。
「どういう状況?」
「こちらのお客さん、セリューさんと一緒に写真撮りたいって。いいッスよね?」
「僕と? どうして……」
「どうもこうもないッス! こういうちょっとした交流も、国王の務めッスよ!」
「えっ、それ、本当に国王の務め?」
客の間に広がった、『謎のウェイターは国王?』の疑念が、魔王とセリューの会話で、『謎のウェイターは国王!』の確信に変わる。
店中のイスが一斉にガタッと鳴り、客が立ち上がる。
「次、あたし達も、魔王様と国王様と一緒に写真お願いしますっ!」
「こっちもいいですか?」
「魔王と国王の2ショット撮りたーいっ!」
「もちろん、OKッスよ!」
「ちょっ……魔王っ!? なに勝手なこと──」
思わぬ展開に戸惑うセリューに構わず、魔王は客の要望に応える。
「ほらほら、セリューさん、笑顔がかたいッスよ。見るヒト全てが癒される小動物のような愛らしさと、国王らしい凜とした空気も纏いつつ、どこか憂いを滲ませた眼差しと──」
「どんな笑顔なの、それっ!? 難し過ぎだよっ!」
「簡単ッスよ。はい、こんなカンジ。」
「小動物のような愛らしさに、魔王らしい闇のオーラを漂わせつつ、どこか物憂げな眼差しなのに笑顔……って、何でできちゃうの!?」
「漫才コンビみてぇ! 動画、いいっすか?」
「どうぞどうぞー! セリューさん、あのカメラに向かって、えっと、何だっけ? あ、そうそう! ゼロ円スマイル!」
「逆だよっ! 価値のない笑顔みたいに言わないでっ!」
「パタッと注文が途絶えたな。」
「呼んでも取りに来ないし、何してんだろうね、2人とも。」
注文を受けた料理は全て完成しているが、魔王もセリューも来ない状態に、サリヤと大将は顔を見合わせ、首をかしげる。
「なんか、人の気配もなくなって、静かになったみてぇな感じだしな。」
「あたし、ちょっと様子を見……」
「あのー。」
「うわぁっ!?」
厨房を出ようとしたところで鉢合わせた人影に、サリヤは思わず声を上げる。
「あっ、ごめんっす! 勝手にこんなところまで入って来ちゃって。」
小柄な少女が、緩く編んだふわっとした金髪をピョコンとさせながら頭を下げる。
「ああ、大丈夫大丈夫。いつまで経っても店員達が料理取りに来ないから、見に行こうとしてたんだ。お待たせして悪かったね。今持って行くよ。」
「ありがとうっす! その、店員サン達なんすけど。」
少女に手招きされ、ホールに出るサリヤと大将。
そこに広がるのは、人っ子一人いない、ガラーンとした、ある意味馴染みの光景。
「なっ……みんな、どこ行ったんだ!?」
「『まおーさま』サン?とか言う店員サンが、もう1人の店員サンとお店のお客サンを外に連れ出して、気が付いたら、外にいたお客サン達もみーんないなくなってたんすよ。」
「! 大将、あたしちょっと行ってくる!」
「行くったってどこへ? おい、サリ──」
大将が止める間もなく、エプロンと三角巾をレジの横に脱ぎ捨て、サリヤは店を飛び出した。
店に残された大将と少女。
「嬢ちゃんは、何でみんなと一緒に行かなかったんだ?」
「何でって、ここレストランっすよね?」
「まあ、そんな洒落たモンじゃねぇけどな。」
「レストランは、お食事するところっすよね? 店員サンに着いて行く意味がわかんないっす。」
「嬢ちゃんは、あの店員のこと、知らねぇのか?」
「『まおーさま』サンっすか? みなサンと一緒に写真撮ってたっすケド、何か有名な人なんすか?」
「まあ、この国じゃ知らねぇヤツはいねぇし、世界的にも有名なんじゃねぇかなぁ。嬢ちゃんのしゃべり方とか雰囲気がアイツに似てるから、アイツのファンで、ぶろぐとか、えすえぬえすとか見て、ここに来たのかと……」
「ぶろぐ?とか、えすえぬえす?とか、よくわからないし、『まおーさま』サンも知らないっす。ウチの直感が、このお店は『当たり』だ、って言うから、お邪魔させてもらったっす。」
「そいつはうれしいね! ありがとうよ。」
魔王由来ではなく、自らの感覚で選んでくれたことに、大将は顔をほころばせる。
「いやぁ、待たせて悪かったな。嬢ちゃんは何を注文してくれたんだ?」
「大将のご馳走、ってヤツっす。」
「お目が高いね! うちの国王も太鼓判のメニューなんだ!」
「わぁっ、そうなんすか?」
自信作を注文され、さらに機嫌がよくなる大将。
「せっかくだから、作り立てを用意するぜ。ちょっと待っててくれ。」
「うれしいっす! ありがとーございまーすっ!」
(一体何を考えてんだ、魔王は。セリとお客さんを連れ出して、何をするつもり?)
当てもなく飛び出してきたサリヤは、足を止め、少し冷静になってみる。
(卵焼きケーキおいしかったなんて言ってたけど、ホントは騙されたこと怒ってて、復讐の機会を伺ってた、とか? お金が必要だからバイトしたい、って、よく考えたら変だよな? この世界は自分の物だ、って豪語してるんだから、お金が必要なら、バイトなんかしなくても、どうにでも工面できるだろうし……)
そんなことを考えていたサリヤの耳に、通りすがりの人々の会話が聞こえてきた。
「さっき噴水公園の前を通りかかったんだけどね、なんか、若い子達がいっぱいいたのよ。今日って、何かイベントでもあるの?」
「さあ、特に聞いてないけど……」
「なんかね、女の子達が『まおさまー』とか、『おーさまー』とか言っててね。」
「男性アイドルでも来てたのかしらねぇ。」
(『まおさま』に『おーさま』って……)
目的地が定まり、サリヤは再び走り出した。
噴水公園
たくさんの木々が植えられ、その木陰では人々が憩い、広々とした園内では、子供達が元気に伸び伸びと駆け回り、平和な光景を目にすることができる。
中央には、名前の由来となっている大きな噴水があり、ちょっとした水遊びができたり、近くのベンチで涼をとれたりと、人気のスポットだ。
その噴水の前に立つ2人の青年。
「だっ、ダメだよっ! これ以上は無理……っ」
「何言ってんスか。こんなのお子様のお遊びにもならないッスよ。」
両腕で必死に顔を隠す気弱そうな青年。
その腕をどけようと、小柄な青年がいたずらっ子のような笑みを浮かべながら手首を掴みグイグイと引っ張る。
「ホント、もう……や……やめ……っ! ちょっ……やっ、ヤダってばっ!」
全力の抵抗に合い、小柄な青年がため息交じりにその手を離すと、気弱そうな青年も構えを解いた。
「何がそんなにイヤなんスか?」
「何が、って……」
口ごもり、視線を合わせようとしない青年の顔をヒョイとのぞき込む。
「あれ? 顔、赤いッスよ? もしかして……初めてッスか? こういうコト。」
「っ……!」
「そっかー。だからそんなに恥ずかしがってるんスね。」
初々しい反応を見て、小柄な青年は、手頃な玩具を見つけた子供のように、その目の奥に無邪気ゆえの残忍な輝きを宿す。
「大丈夫ッスよ。確かにはじめはちょっと恥ずかしいかもッスけど、1度思い切ってやっちゃえば、どうってコトなくなっちゃうッス。むしろ病みつきに──」
「絶対ならないって!」
「じゃあ……実際やってみるッス。」
耳元で囁くように言われ、ますます赤くなりながらも、断固とした態度で拒絶する青年。
「ヤダよっ! 絶っっ対無理っ!」
「もー、照れ屋さんッスねー。」
それに構うことなく、と言うよりは、むしろ彼の反応を愉しむように、クスクス笑いながら更に迫る小柄な青年。
「怖がらなくていいッスよ。オレ様が1から丁寧に教えてあげるッス。ほら、婚約者にも見せたことのない初めての表情、オレ様に見せ──」
「いい加減にしてよっ、魔王っ!」
顔をこちらに向けさせようと、あごに伸びてきた魔王の手をパシッと払いのけ、セリューはキッと睨み返す。
「そんなにイヤなんスか? 変顔で撮影。やってみると、意外と楽しいッスよ?」
そう言って、様々なおどけた表情を作って見せる魔王。
「変な顔する上に、それを撮るって、意味がわからないよっ! 撮影したら後々まで残るし、ネットに上げたら、どこまでも拡散して、それこそいつまででも残るでしょ? 何で自ら率先して、黒歴史を作らなきゃなんないワケっ!?」
「セリューさんは大袈裟ッスねー。冷静さを取り戻してから見返して、うわっ、何であの時こんなはっちゃけた写真撮って、しかも得意気にUPしちゃったんだろう、って、のたうち回るほど後悔して、ちょこっと死にたくなるだけッスよ。」
「後悔確実、超暗黒歴史必至だって分かってることをお勧めしないでよ! 大体、何で変顔撮影なんてするハメになってんの!?」
「それは、こちらのお客さんのリクエストで……ゴメンねー。ご覧の通り、セリューさんごねちゃって、変顔、無理っぽいッス。」
「ごね……僕がわがまま言ってるみたいなカンジになってるけど、ここまで大がかりな撮影会になるなんて、聞いてな──」
「無理言ってごめんなさいっ! セリュー様っ!」
変顔をリクエストした客に深々と頭を下げられ、セリューは慌ててフォローする。
「あ、いえ、僕が魔王に流されるがままになっていた結果、こうなってしまったわけで、決してお客様のせいでは──」
「いいえっ! セリュー様があまりにもお優しいので、調子に乗りすぎてしまいました! 本当にごめんなさいっ! そして、ありがとうございました!」
「あ……あり…がとう?」
バッと顔を上げる客。
その顔は、高揚感でキラキラつやつやしている。
「変顔より、もっといいものを見させて頂きました!」
食堂から連れ出した客や、魔王とセリューに気付いて集まってきた人々の中にも、同意を示すようにコクコク頷く者がいる。
「えっ、何? もっといいもの、って。僕、何かした?」
「無意識、無自覚のうちに人々のココロを惑わせたり魅了したり……セリューさん、小悪魔的な、てか、魔王の素質あるんじゃないッスか?」
スッと近付いて、上目遣いにセリューを見、からかうような物言いでニヤリと笑う魔王。
「や、やめてよ、その話っ! それこそ僕の1番の黒歴史なんだから、思い出させないでっ!」
思い出させないでと言いつつ、すでに思い出してしまっている自身の黒歴史を恥じ入り、真っ赤になってうろたえるセリュー。
そんな2人のやりとりに、キャーッと歓声を上げる一部の人々。
「だから、何で!? どういうキャーッなの、コレ!?」
「世の中には知らなくていいコトもあるんスよ、セリューさん。さぁて、お次の方ー、リクエストをどうぞッス!」
「そうだねぇ。店内で2人がしっかりウェイターとして働いてる姿をリクエストさせてもらえるかい?」
「はいはーい。店内でしっかりウェイターしてる2人……って、さ……」
「サリヤっ!?」
腕組みの姿勢で2人の前に立つサリヤ。
「写真撮影してもいいとは言ったけどねぇ──」
笑顔の下から湧き上がる、隠しきれない怒りがビリビリと伝わって来て、魔王とセリューの顔からスーッと血の気が引く。
「本来の仕事を忘れて、しかも、こんな所にまでお客さんを連れ出しての撮影会までは許可してないよっ!」
看板娘の雷攻撃!
魔王は麻痺して動けない!
国王は麻痺して動けない!
客 ABCDは麻痺して動けない!
客 EFGHは混乱している!
客 IJKは逃げ出した!
客 LMNOPQRSTUVWXZは魅了されている!
国民 ABCDEFGHIJKLMNは魅了されている!
「魅了されている人、多くないっ!?」
このままではツッコミ不在と察知し、国王の麻痺が解けた!
「サリヤさーんっ、ステキーっ!」
「俺も、ガツンと叱って下さい!」
「サリヤ様ーッ!」
「お姉さまーッ! こっち見てーッ!」
魅了された人々が口々に何かを叫んでいる!
「えっ、な、なんだい?」
看板娘は戸惑っている!
ジワジワとサリヤに近付いてくる人々。
そのうちの1人、怪しげな風体の男が、その丸々した巨体を揺らしながら走ってきて、サリヤに飛びかかった。
「っ! サリヤさんっ!」
予想外の事態に、珍しく焦りをみせる魔王。
サリヤもその場を動けず、腕で頭をかばうようにし、顔を背けることしかできない。
男の手が、サリヤに触れそうになる直前、
「!?」
男の体がクルリと宙を舞い、噴水の中へとダイブする。
「……サリヤに危害を加えるようなマネは赦さない。」
「セリ……?」
その場が凍りつく程の鋭い視線で男を見下ろすセリュー。
豹変した彼の様子に客達は驚き、普段の穏やかな彼を知る国民もまたハッと我に返った。
「セリューさんセリューさん、魔王モードになってるッスよ。」
魔王の言葉で、セリューも我に返り、噴水に投げ飛ばした男に手を差し出した。
「すっ、すみませんっ! 大丈夫ですかっ?」
男は差し出された手に掴まって噴水から出てきたが、その淵に座り、放心状態になっている。
「ど、どうしよう……」
「そのうち元に戻るッスよ。それにしても、セリューさん、スゴいッス! こんな細身なのに、あんなに大きいヒト投げ飛ばせるくらい力持ちさんだったんスね!」
巨漢を軽々と投げ飛ばしたセリューの意外な一面に、魔王は興奮と驚きを隠せない。
まだ呆然としている男の様子を気にしつつ、セリューは魔王に答える。
「相手の勢いを利用した護身術で、力持ちってワケじゃないよ。昔、父さんから習っていたんだ。サリヤ、大丈夫だった?」
「あ……ああ。大丈夫。ちょっと、ビックリしたけど。」
「ホント、セリューさんにはいっつもビックリさせられてばっかりで、なんか悔しいッス。」
「えっ? 僕がキミを?」
いつも驚かされているのは自分のほうだと思っていたのに、まさか、魔王が自分に対してそんな風に思っていたとは。
「そうッスよ。オレ様の拘束魔法、自力ではね飛ばしちゃったし、サリヤさんに告らせようとしただけなのに、いきなりプロポーズまで行っちゃうし──」
「す、ストップ! もうその話は──」
またも掘り返されそうな黒歴史に、慌てるセリュー。
「今だってめっちゃビックリしたッス。セリューさん、カッコよかったッスよ! オレ様も負けてられないッス!」
魔王がスッと視線を巡らすと、噴水周囲にいた人々の動きがピタリと動きが止まる。
「! 手荒なことはダメだよ、魔王っ!」
魔王の魔力を知っているセリューは、慌てて自重を促す。
「オレ様は、弱いモノいじめが嫌いな、平和主義の魔王ッスよ? 手荒なコトなんてしないッス。みなさんの記憶をちょこっと改ざんするだけッスから。」
「改ざ……いや、なおさらマズイって!」
「大丈夫ッス。消すのは不都合な記憶だけッス。でも、オレ様の魔力、ハンパないんで──」
無邪気さ100パーセント、とびきりの笑顔で投下される爆弾発言。
「必要な記憶までぶっ飛んじゃったらゴメンねーっ♡」
セリューが止める間もなく、魔王は呪文を唱え始める。
「二トコタ・ツ・カナ・ハクオ・キナイ・ケヨ!」
「ん? あれ? 何してたんだっけ?」
「確か、撮影会が終わって、帰ろうって話してたトコじゃない?」
「そうそう! そうだったね。」
「おまえ、何でずぶ濡れなんだよ?」
「噴水に落ちたっぽいんだけど、誰か、押さなかったか?」
「何かにつまずいて、勝手に落ちたんだろ?」
「あー……そんな気がしてきた。」
正気に戻り、動き出す人々。
記憶の改ざんはうまく行ったように思えたが、
「なんか、お腹すいてる気ぃしない?」
「そう? 食堂で身代わりランチ……あれっ? 食べたよね?」
「食べる前に魔王様と写真撮ろうとして──」
「お客さん全員でここに来て、それから……どうなったんだっけ?」
「あ、ちょっと魔力の出力下げ過ぎたかもッス。」
「えっ?」
「それ、どういう意味だい?」
「効果がイマイチで、改ざん仕切れてないヒトもいるみたいッス。」
「ど、どうするのっ!?」
「こうするッス。」
セリューとサリヤの手を取る魔王。
「36Kテレビの迫力は、シカも逃げる、ッス!」
「36計逃げるに如かず、でしょ!」
「……よくわかったね、セリ。」
次の瞬間、3人の姿は公園から消えた。
「あー、やっぱりちょっとヒビ入っちゃったッスね。」
噴水公園から瞬間移動で店に戻ってきた3人。
店には入らず、通りに面した窓のほうへ向かう魔王とセリューに、サリヤも同行する。
魔王が見ている窓には、確かにヒビが入っていた。
「どうしたんだい、これ?」
「外で待っていたお客さんが、ウェイターしてるセリューさんに気が付いて、ちょっとおしくらまんじゅう状態になっちゃったんスよ。」
「このままだと、お客様が危ない、ってコトで、魔王がみんなを連れて、公園まで瞬間移動したんだ。」
「そういう経緯だったのかい。」
「ゴメン、サリヤ。手伝うどころか、却って手を煩わせちゃって。窓もちゃんと交換するから。」
「いいよ、大したヒビじゃないし。」
「そうそう。これくらいのヒビなら、こうして──」
言いながら、魔王は窓に何かを貼り付ける。
「……なんだい? このでっかい絆創膏は。」
「でっかい絆創膏ッスよ。」
「ふざけてんのかい?」
「ま、魔王っ、これ以上の悪ふざけはマズイって!」
サリヤの静かな怒りをいち早く察し、小声で魔王に言うセリュー。
しかし、魔王はまじめな顔で答える。
「ふざけてなんかないッス。これは、オレ様の魔力配合の絆創膏ッス。」
「魔力配合の絆創膏?」
「さすがセリューさんとサリヤさん、ばっちりシンクロしてるッスね。魔族、モンスター、人間のちょっとしたキズはもちろん、ガラスのヒビとか、背くらべの柱のキズとか、車の擦り傷ヘコみの補修もできちゃうんスよ。キズが治ると、勝手に消えるから、後片付けも不要ッス。あ、あと、こじれた関係の修復とか。」
言いながら、巨大絆創膏でセリューとサリヤの手をクルリと巻いてくっつける。
「ちょっと、どういう意味だい、コレはっ!?」
「婚約したのに、サリヤさん、まだお店で働いてるから、破談になっちゃったのかと思って。違うんスか?」
珍しく心配げな顔をする魔王に、セリューはフッと微笑む。
「あのね、婚約したから即結婚ってワケじゃないんだよ?」
「えっ、そうなんスか? あ、ホントだ。絆創膏、もう消えたッス。よく考えたら、今日もいちゃついてるトコ、散々見せつけられてたッスね。」
「見せつけた覚えはない……っていうか、別にいちゃついてもいないしっ!」
「そんなに必死に否定しなくてもいいッスよ。オレ様的には、何でまだ結婚してないのか気になっただけッス。」
冷やかしかと思いきや、何だかんだ2人のことを気に掛けているのを感じ取ったセリューは、取り乱したことをごまかすように軽く咳払いして、落ち着いた口調で答える。
「これでも一応一国の王だから、それなりの準備が必要だし、それよりも先に、国の復興をキチンとしないといけないし。僕だけじゃなくて、サリヤの都合もあるしね。」
「サリヤさんの都合?」
「あたしがいなくなったら、この店、大将1人になっちまうだろ? セリとか常連さんが時々顔を出す程度ならやっていけるだろうけど、誰かさんのおかげで、しばらく忙しくなりそうだし。」
「サリヤのこと、実の娘同然に育ててきたんだから、寂しくなっちゃうだろうしね。」
「でもでも、そしたらいつまで経っても結婚できないじゃないッスか。そうだ! 大将さんのお店を、お城に移転させて──」
「何でキミが1番焦ってるの?」
自分が結婚するかのようなテンションで食い下がる魔王に、2人は苦笑する。
「卵焼きケーキブームだってそのうち終わるし、そうしたら大将とも相談して、新しい人を雇うとか、徐々に考えていくから、大丈夫だよ。」
「あ、じゃあ、オレ様がアルバイターから正社員に昇格して、サリヤさんの代わりに──」
「あんたが来ると、また大変なことになりそうだから、遠慮しておくよ。」
「確かに。」
「えーっ、ヒドくないッスか? 閑古鳥鳴きまくりのお店がこんなに繁盛してるのは──あれ? 今は誰もいないッスね。」
「そりゃまあ、店員不在じゃ営業できないし、大勢いたお客さんは、あんたが連れ出して、公園で解散させちまったからね──あ。」
「どうしたの? サリヤ。」
「そのお客さんが注文した料理、全部出来上がってんだけど──」
「えっ、それ大変じゃない! 大将、怒ってるんじゃ……」
3人は慌てて勝手口から店に飛び込む。
「おぅ、おかえり。どうした、そんなに慌てて。」
勢い良く入ってきた3人に、大将は少し驚いた様子だが、怒ってはいないようだ。
「大将、ゴメンっ! 店、ほったらかした上に、お客さん、全員帰しちまって!」
「それで慌てて戻ってきたのか。構わねぇよ。店はもう閉めたし。」
「せっかく料理出来てたのに、ホントごめんなさいっ!」
「食べ物を無駄にしたら、イッコマエさんに叱られるッス! あ、なんならさっきのお客さん、召喚して呼び戻せるッスよ!」
「ああ、いいっていいって。大丈夫だから。」
怒るどころか、なぜか機嫌良さげな大将の後ろから、1人の少女がひょこっと姿を見せ、元気よく挨拶する。
「あ、みなサン、お帰りなさいっす!」
「えっ、どちら様?」
見知らぬ少女に、セリューは戸惑い、魔王は元気に挨拶を返す。
「ただいまッス!」
「あ、キミの知り合い? 雰囲気似てるし。」
セリューの言葉に、顔を見合わせる魔王と少女。
「おにーチャンっ!」
「いもーとちゃんっ!」
両手を広げ、駆け寄ってきた少女を、魔王はギュッとハグする。
「えっ、ホントに知り合い、っていうか、兄妹っ!?」
「違うッスよ? オレ様、ひとりっこ。」
「あ、ウチも一人っ子っす。」
「ちなみに初対面ッス。」
肩を組んで、セリューに向かって親指を立ててみせる2人。
「兄妹でも知り合いでもなく、初対面でその息の合いっぷり!?」
「あれ? あんた……」
「サリヤさんのお知り合いッスか?」
「知り合いって言うか、お客さんだよ。」
「あ、そういえば、僕が席まで案内したっけ?」
「そうっす。案内されたっす。」
「よく覚えてたな、セリュー。」
「1人で来る女の子って珍しいから何となく記憶に残ってて。サリヤはどうして知ってるの?」
「魔王がお客さん連れて出て行った、って教えてくれたんだ。置き去りにして悪かったね。まだいてくれたなんて、ビックリだよ。」
「『大将のご馳走』いただいた後、大将サンとお話しながら、出来上がってた料理をぜーんぶゴチになったところで、みなサンが帰って来たっす。」
「ああ、そうだったのかい……って、料理を全部!?」
「10人前は確実にあったはずだよね!?」
魔王よりもさらに小柄な少女を、サリヤとセリューは信じられないといった顔で見る。
「俺もビックリしたぜ。話してるうちに、1枚2枚と皿がキレイになっていってよぉ。」
ビックリしたと言うわりに、ニコニコしている大将。
「どれも美味しかったから、ついつい箸が進んじゃったんすよ。」
大将が上機嫌な理由はこれだったようだ。
「でも、大変なことに気付いちゃったんすよね。」
不意に深刻な顔になる少女に、皆の注目が集まる。
「た、大変なコトって?」
「……完全に食べ過ぎっすよね。」
「そりゃそうだよ! 大丈夫かい? おなか痛いとか、気分悪いとか。」
心配げに少女の両肩に手を置き、顔をのぞき込むサリヤ。
そんなサリヤに、少女はケロッとした顔で答える。
「おなかは至って健康っす。むしろ、まだイケるっす!」
「ウソでしょ!? 僕達の中で、1番食べるウィルだって、3人前くらいだよ!?」
底知れぬ胃袋を持つ少女に、愕然とするセリューとサリヤ。
「じゃあ、何が大変なんスか? いもーとちゃん。」
「妹さんじゃないんでしょ?」
「お名前わからないッスから。」
「それもそうだね。あたしはサリヤ。」
「僕はセリュー。」
「セリューさんは、この国の王様で、サリヤさんと婚約中なんスよ!」
「マジっすか! おめでとうございまーすっ!」
「あ、ありがとう。まあ、それは置いといて、こちらがこのお店の店主で──」
「リスタだ。ま、大将で通ってるがな。」
「へー、大将さんのお名前、初めて聞いたッス。で、オレ様は──」
「あ、知ってるっす! 『まおーさま』サンっすよね?」
どや顔の少女に、大将が頭を掻きながら言う。
「……悪ぃ。ずっと訂正しそびれてたけど、『まおーさま』じゃなくて、『魔王』だ。」
「あ、そうなんすか。『悪魔』って名前がダメ出しされた話は聞いたことあるんすけど、『魔王』ならOKなんすねー。」
「……なんか、DQNネームだと思われてる予感しかしないッス。てか、オレ様の知名度もまだまだなんスね。」
心なしかヘコんだ様子の魔王を、セリューとサリヤが、まあまあと宥める。
「で、嬢ちゃんの名前は?」
「ウチは『マホ』っす。」
そう名乗り、謎の大食い少女 マホはぴょこんと頭を下げる。
「自己紹介が終わったところで本題に戻るけど、マホさんの大変なこと、ってのはなんだい?」
「コレっすよ。」
マホは親指と人差し指でマルを作って見せる。
「1食だけのつもりが、サクッと全皿完食しちゃったから、持ち合わせじゃ全然足りないんすよ。」
「なんだ、カネの心配か。いいっていいって。あんだけいい食いっぷり見せてもらったんだ。タダでいいぜ。」
「いやいや、そういうワケにはいかないっすよ。で、ちょっと考えたんすけど──」
「大丈夫だよ。なんなら、魔王のバイト代から差し引いておくからさ。」
「えっ?」
突然向いた矛先に、あっけにとられる魔王。
「なんでオレ様が、マホちゃんのお食事代、肩代わりするハメになってるんスか!?」
「なんで、って、料理を注文してくれたお客さん連れて行っちまったのはあんただろ?」
「そうッスけど、あれは──」
「そうだよ、サリヤ。あのままだったら、ガラスが完全に割れて、怪我人が出たかも知れないし。」
魔王を擁護するセリュー。
「僕がいなかったら避けられた事態だったかも、って考えると、悪いのはむしろ僕なんだ。だから、マホさんの食事代は、僕が払うよ。」
「あ、いや、ちょっと言ってみただけで、本気でバイト代から差し引くつもりはな──」
軽い冗談のつもりだったが、思いのほか真剣に受け止められ、サリヤは慌てて訂正しようとしたが、話はどんどん進んでいく。
「セリューさんのせいじゃないッス! 王様の仕事の他に、ウェイターも掛け持ちして糊口を凌いでいるセリューさんの自腹を切らせるワケにはいかないッス!」
「えっ、誤解してない? いつもウェイターしてるワケじゃないよっ!? たまたま訪ねたら、忙しそうだったからちょっと手伝っただけだからね?」
「みなまで言わなくてもいいッスよ。1日も早い国の復興に向けて、バイト代を国費に回してるんスよね?」
「さすがにそこまで国の財政、逼迫してないから! 最高級のレストランで10人前って言われたら、ちょっと考えさせてもらうかも知れないけど、このお店なら払えるから。」
「うちは、大衆向けの安値がウリだからな……って、何気にバカにしてねぇか?」
「そっ、そういうつもりじゃなくて……」
「だから冗談だって。あんたからもセリからもお金取る気はないから。」
「そうそう。タダでいいって。」
「いや、やっぱりオレ様が!」
「僕が出すって!」
「いやいや、ウチがここでバイトして、お返しするっす!」
「どうぞどうぞッス!って……」
「今、なんて?」
空を飛べない大型鳥類トリオのような流れで飛び出した発言に、4人の視線がマホに集まる。
「みなサン、白熱しちゃって、口を挟むタイミング逃しちゃったんすけど、ここでバイトさせてもらっちゃダメっすか?」
「いいッスね、それ! マホちゃんが2代目看板娘を襲名すれば、サリヤさん側の問題はバッチリ解消ッス! ね、皆さん!」
マホの提案に即座に賛成する魔王だが、他の3人は何やら困った様子だ。
「あれ? どうしたんスか?」
「あのね、この国の法律で、15歳以下の人の労働が禁止されているんだ。」
「嬢ちゃんの気持ちはありがてぇんだけど……」
「えーっ! セリューさん、国王の独断で、今すぐ法律を変えるッス!」
「む、無茶言わないでよ!」
「じゃあサリヤさん、未来の王妃として、国王に進言を! 『働けないってんなら、年齢制限なくしちまえばいいんだろ?』って!」
「ずいぶんガラの悪いアントワさんだね。あんたから見たあたしのイメージがよーくわかったよ。この国は、国王が自由に法律変えられるわけじゃないんだ。諦めな。」
「諦めたらそこで就活終了ッス! こうなったら、奥義 世界を統べる魔王命令ッス! セリューさん、この国の法律改正は、国王に一任──」
「あ、法律改正するまでもないっすよ。ウチ、24歳っすから。」
「そう、にじゅう……え───っ!」
法律改正問題をあっさり解決に導く、マホの一言。
「あたしと1つしか違わないのかいっ!?」
「14歳のまちがいじゃねぇのかっ?」
「よく言われるんすよねー、それ。なんでなんすかねー。」
「なんで、って、見た目が……」
「やっぱそうっすよねー。おかげで、身分証明書が手放せないっす。」
ため息交じりに、マホは自動車運転免許証を4人に見せる。
「あ、ホントだ。オレ様よりお姉さんだったッス。」
「確かに24……って、大型特殊免許だぁ?」
「クレーン車とか、ショベルカーなんかが必要な時は、操作できるっすよ。年齢確認完了したところで、バイト、させてもらえるっすか?」
「むしろ、いいのかい? こんな免許持ってるのに、それを活かす仕事じゃなくて。」
「もちろんっす! 写真入りの身分証明書が欲しくて普通の自動車免許取って、ついでに取っておこうかなぁ、くらいのノリで取ったヤツなんで。」
「大型特殊免許って、ノリで取っちゃうものなの!?」
「せっかくそんな免許持ってんだ。悪いこたぁ言わねぇ。こんな店でバイトなんてやめ──」
「ウチ、大将さんのお店、気にいっちゃったっす!」
そう言って、リスタを見上げるマホ。
「そんな志望動機じゃ、ダメっすか?」
他の3人も、リスタを見、その返答を待つ。
「……こんな洒落っけもねぇ店気に入るなんて、変わりモンだなぁ。」
照れくさそうに笑い、リスタは続ける。
「大した額は払えねぇけど、嬢ちゃんがそれでいいってんなら。」
差し出されたリスタの手を、マホは嬉しそうにギュッと握る。
「ありがとうございまーす! あ、週7で来れるっす!」
マホが仲間として加わった!
「ホントに姉弟みたいというか、双子みたいだね。魔王も、週7で来れる、って言っててさ。」
「知らなかっただけで、実は姉弟なんじゃない?」
セリューに言われ、顔を見合わせる魔王とマホ。
「マホおねーちゃんっ!」
「魔王クンっ!」
ハグからの肩組み、そしてサムズアップ。
「由緒正しき魔族の長、魔王一族の血をひく、ひとりっこッス。」
「霊長類ヒト化の一般人、平凡な両親の血をひく、一人っ子っす。てか、魔王クン、魔族とかって、設定しっかりしてるんすね。」
「設定って……オレ様、マジ魔王ッス! 設定とか、DQNネームじゃないッスよ!?」
再びヘコむ魔王に、サリヤの言葉が追い打ちをかける。
「マホさんを採用したから、あんたは明日から来なくていいよ。」
「えーっ! もう解雇ッスかぁ!?」
「お前さん目当ての客で、余計忙しくなるからな。今日1日、ありがとな。お疲れさん。」
「わ、マジで戦力外通告ッス。また、バイトアプリと仲良しな日々が始まるッス……」
トホホ顔でさっそくスマホをのぞき込む魔王だったが、
「さて、約束通り、看板娘の特製卵焼き、作るとするかね。」
そう言ってエプロンを着け、調理に取りかかるサリヤを見て、パッと表情が変わる。
「作ってくれるんスか!」
「もちろんだよ。頑張ってくれたからね。セリとマホさんも食べるかい?」
「えっ? ウチも? ウチ、何のお手伝いもしてないっすよ?」
「サリヤさんの卵焼き、すっごく美味しいんスよ!」
「そうそう。マホさんにも是非食べてもらいたいな。」
「たっぷり詰まったセリューさんへの愛情が隠し味なんスよ!」
「そうそ……って、妙なコト吹き込むんじゃないよっ!」
「セリューさんへの愛情が隠し味、と。勉強になるっす!」
「メモらなくていいからっ!」
ホールのテーブルで卵焼きを待つ、魔王とセリューとマホ。
「すんません、魔王クン。ウチがバイトしたいなんて言い出したせいで、クビになってしまって……」
申し訳なさそうに言うマホに、魔王は屈託のない笑顔で答える。
「マホさんのせいじゃないから、気にしなくていいッス。」
「てか、魔王クンも一緒じゃダメなんすかね? スゴく混んでて忙しそうだったじゃないっすか。」
「オレ様を一目見たいってお客さんで混み合っちゃうから、オレ様がいちゃダメなんスよ。」
「一目見たい、って、魔王クン、マジ有名な人なんすね。ウチ、全く知らないんすけど、ロックバンドか何かやってるんすか?」
真剣な顔で問われ、魔王はセリューに向き直る。
「……セリューさん、オレ様、バイトしてる場合じゃなかったッス。世界にはオレ様のコト知らないヒトがまだまだたくさんいるんスね。世界征服仕直しッス。」
「世界征服? あ、世界ツアーのコトっすか? ホントにスゴいんすねっ! 世界ツアーもちゃんと魔王設定とか、しっかりしてるっす。世界征服し直しって、追加公演のコトっすよね? 何て言うバンドなんすか?」
「『STN66代目公立弁天にじいろでんじはA』……って、うわぁん! セリューさぁんっ!」
勘違いが止まらないマホに、魔王はついにセリューに泣きついた。
「うわぁん、って言う割に、バンド名まで考えちゃって、結構乗り気に見えたけど……キミが翻弄されてるトコ、初めて見たかも。」
マホさん、すごいなぁ、と面白がりながらも、魔王の頭をよしよしと撫で、セリューはマホに説明する。
「世界的なロックバンドのメンバーじゃないけど、彼は有名なんだ。このお店が忙しいのも、彼がブログで話題にしたことで、一時的にお客様が増えているからなんだよ。だから、しばらくすれば落ち着いてくると思うよ。大将はもともと、あまり商売っ気がなくて、常連さんがちょこっと来てくれればそれで充分、って人だから。」
「そうなんすかー。いいお店なのに、なんかもったいないっすね。」
「閑古鳥鳴いてるくらいでいいんだよ。あんまり繁盛すると、コイツが一息つける場所がなくなっちまうからな。」
3人のテーブルにやって来たリスタは、そう言いながらセリューの頭をクシャクシャっと撫でた。
「なるほど。多忙な王様のための隠れ家的なお店、ってコトっすか。」
「そうだね。僕の父さんもここの常連だったんだ。」
「『国王に会える食堂』って宣伝すれば、行列のできるお店になるッスよ!」
「……お前さん、ヒトの話聞いてたか? 繁盛しなくていいって言ってる先から。赤字にならない程度に店回せて、生活できて、バイト代支払えるだけの稼ぎがあればそれでいいんだよ。」
そう言いながらリスタは、魔王に封筒を差し出した。
「? なんスか? あっ! ガラスの請求書!? はたまた帰しちゃったお客さんのお食事代!? いっそ、その両方っ!?」
「ヒ・ト・の・は・な・し・を・聞・けっ! この話の流れで渡された封筒に入ってるモンっつったら、バイト代だろうが。」
「えっ? バイト代? だってオレ様、今回も色々やらかしちゃったのに……」
「ああ、まったくだ。卵焼きケーキが完売した時点で、ある程度客も減るだろうと思ってたのに、全く跡絶えやしねぇ。何事かと思ったら、バイトしてる魔王が見れるの、一緒に写真撮れるらしいのって、昨日より客増えてんじゃねぇか、ってくらいでよぉ。色々やらかしてくれたおかげで、損失分差し引いても、過去最高の売り上げが出ちまったぜ。ありがとよ。」
受け取った封筒をじっと見つめる魔王。
「どうしたの? 魔王。」
「……お仕事して、お金もらうの初めてだから、なんか不思議な感じッス。うれしいんスけど、ただうれしいんじゃなくて、なんか、じんわりとうれしいって言うか、とにかく不思議な感じッス。」
魔王にしては珍しく、はにかんだような控えめな笑顔を見せる。
「大将さん、ありがとうッス!」
「おう。」
「ちょうどいいタイミングだったみたいだね。」
厨房から出てきたサリヤが、魔王の前に卵焼きを置く。
「看板娘の特製卵焼き、お待ちー。」
「やったーっ! 久々のサリヤさんの卵焼きッス!」
「おいおい、バイト代もらった時より断然うれしそうじゃねぇか。」
先ほどとは打って変わって、跳び上がらんばかりのテンションで喜ぶ魔王に、店内は笑いに包まれた。
「サリヤさんが働いていらっしゃるお店でバイトしてたんですか。」
「ね? 法に触れない、まっとうなお仕事ッしょ?」
2代目魔王城 ニャンズルーム。
魔王庵で焼失させた天ぷらカゴを無事弁償し終え、その代金を捻出した経緯を、イッコマエと勇者に話す魔王。
「何かって言うと巻き込まれる、セリューさんも災難だな。」
「巻き込んでないッスよ? セリューさんは自ら進んでサリヤさんのお手伝いを買って出て、その結果、巻き込まれただけッス。」
「やっぱ巻き込んでるじゃねぇか。そのせいで婚約破棄になったらどうすんだ?」
「大丈夫ッス。むしろ、近々結婚式の日取りが発表されるはずッス。」
えらく自信ありげに言う魔王に、爪切りを終えたネコを床に下ろしつつイッコマエが尋ねる。
「セリュー国王から、そのような連絡があったんですか?」
「ないッスけど、卵焼きケーキブームもそろそろ落ち着いて、マホさんもお仕事慣れてきた頃かなー、って。」
「そういうことですか。確かに、婚約者の方がいつ嫁いでも大丈夫という状況は、大きな進展ですね。」
「ッしょ? あ、大変ッス! ウェディングケーキの準備ができてないッス! まだ結婚しちゃダメって、セリューさんにお願いしないと!」
アタフタとスマホを探す魔王に、勇者が冷静に言う。
「心配しなくても、準備期間はまだまだありそうだぞ。」
「えっ?」
「どういうことですか?」
「これ、お前がバイトしてた店だろ?」
勇者がテレビを指さす。
『今日は、SNSで話題の、卵焼きそっくりなケーキがあるお店に来ているんですが、ご覧下さい、この長蛇の列!』
画面には、小さな店を取り囲むように列をなす、大勢の人々が映し出されている。
「そうッス! 大将さんのお店ッス!」
「取材くるとか、すっかり有名になったな。」
「未だに大盛況みたいですね。」
『1日限定10個の卵焼きケーキを目当てに、皆さん朝早くから並んでいらっしゃいます。卵焼きケーキで有名になったんですが、ここはケーキ屋さんではなく、食堂なんですよー。卵焼きケーキの元になった『看板娘の特製卵焼き』、店主のご友人でいらした先代の国王によく作っていたという『大将のご馳走』、魔王様が開発に携わったという『魔王ランチ』などなど、ちょっと変わった名前の料理がたくさんありまして、どれもリーズナブルでおいしいと評判なんです。限定10個の卵焼きケーキが手に入らなかったとしても、それらを求めて、皆さん、待っているわけですねー。』
「私が考案した『魔王ランチ』、定着したんですね。」
「ブラトさん達、ほとんど毎回注文してるみたいッスよ。」
「オレも食ってみてぇな、魔王ランチ。」
「今日のお昼はそれにしましょうか。それにしても、本当にスゴい行列ですね。」
「オレ様がバイトした日とあんまり変わらないくらい大勢ッスね。あの日より、男のお客さんが増えてるみたいな……」
『SNS映えするメニューと聞くと、女性が多いイメージですが、男性も割といらっしゃいますねー。このお店、大人気の理由がもう1つ。なんとあの──』
突如起きた客達の歓声が、リポーターの言葉を遮る。
店先に向けられたカメラは、1人の女性店員の姿をとらえていた。
「あっ、マホさんッス!」
「あの方がマホさんですか。」
「確かにお前と似てるな。」
マホの登場で盛り上がる客達に気圧されながら、リポーターは仕切り直すようにカメラに向かう。
『卵焼きケーキ、安くておいしいお料理、そしてもう1つ、人気の理由は、今お店から出て来たあちらの女性なんですが……こんにちはー、ちょっとよろしいですかー?』
カメラマンを伴い、マホの元へと駆け寄るリポーター。
『よろしくないっす。みなサン、ちゃんと並んでるんすから、割り込み禁止っす。』
腰に両手を当て、ぷんすこ顔でリポーターに注意するマホ。
『あ、割り込みではなく、ちょっとお話を伺いたいと思いまして。あなたがマホさんですか?』
『そうっすよ。』
『こちらのマホさんなんですが、どなたかに似ていると思いませんか? そうなんです。あの魔王様に似ているということで、魔王様の妹さんなのでは?とウワサされて……』
『違うっすよ。』
『えっ?』
『よく言われるんすけど、ウチのほうが年上っす。』
『ではお姉さんですか?』
『ウチも魔王クンも一人っ子っす。』
『えっ、えっ? お2人とも一人っ子? ということは──』
予定していた流れとは違う展開に混乱気味のリポーターをよそに、マホはウェイトレスの仕事をこなす。
『えっと、3名様でお待ちのシマカゼ様ー、お待たせしました、ご案内しまーす。』
『マホさん、後で一緒に写真撮らせてもらえますか?』
『いいっすよー。』
『っしゃあっ!』
マホに約束を取り付け、大喜びで店内に入って行く客。
『ホント、魔王様そっくりー!』
『似てるし、マジかわいいなっ!』
マホが店に戻った後も、客達のざわつきは収まらない。
「お前の代わりに、あのヒトが客寄せ効果発揮しちまってるな。」
「マホさん目当てで、男のお客さんが増えたんスね。」
「こんなにお客様がいらしていて、サリヤさんとマホさんだけで大丈夫でしょうかね。」
「ん? さっきとは違うヒトが、お客さん呼びに来たぞ。あのヒトがサリヤさんか?」
「違うッス。サリヤさんとセリューさんのお友達で、お名前は確か──ソラさんッス。あ、買い物袋抱えてお店に入っていったあの2人、ブラトさんとウィルさんッス。」
「あのお2人も、セリュー国王とサリヤさんのご友人ですか?」
「そうッス。」
「友人総動員て、ブームが去って落ち着くどころか、過熱して大忙しじゃねぇか。」
「大変そうッスよね。お手伝いに行ってくるッス!」
「待てっ! お前が行ったら──」
テレビのほうから、悲鳴にも似た黄色い声が響く。
『2名様でお待ちの───』
『あ、マホさんお久しぶりッス!』
先ほどまでニャンズルームにいた魔王が、すでにテレビ画面の向こう側に。
客を案内するために店の外に出て来た瞬間、目の前に現れた魔王に、マホの動きが一瞬止まる。
『──ビックリっす。魔王クン、一体どこから来たんすか?』
『魔王城からッス。テレビ見てたらお店が出てて、忙しそうだったからお手伝いしに来たッス! 移動魔法でひょいっと。』
『魔王城、城……移動魔法……瞬間移動? お城からワープっすか!? なるほど、魔王クンの正体が分かったっす!』
『ようやく分かったもらえたッスか?』
自信満々にマホは答える。
『世界イチ有名な配管工サンっすね!』
「どうしたら、魔王だって分かってもらえるんでしょうね、魔王さん……」
「あれで気付かねぇなら、もうムリじゃね?」
『魔王クンの影響力、ハンパないんすねー。魔王クンのぶろぐ見た、ってお客サン、減るどころか日に日に増えて大変なんすよー。あと、えすえぬえすを見てお店に来たってお客サンも多くて。なんすか、えすえぬえすって? えす……さしすせそ……あ、『写真・仲間・集合』とかいう雑誌があるんすか? それで皆サン、ウチとサリヤサンと写真撮りたいって言うんすね! たまーにしかホールに出てこない大将サンなんかもう、激レア扱いっすよ。昨日からサリヤサンのご友人サンもお手伝いに来てくれてるんすけど、ご友人サン達も写真いいですかー、って聞かれてて。あ、そうそう、2名様でお待ちのフタバ様ー、お待たせしました、ご案内しまーす。大将サーン、サリヤサーン、魔王クンがお手伝いに来てくれたっすよー。』
予想だにしない珍回答に石化している魔王を引き連れ、マホは店内へと姿を消した。
怒涛の展開をただただ見守るしかなかったリポーターは、ライブ中継だということを思い出し、カメラに笑顔を向ける。
『魔王様もお手伝いに駆けつけるほど大人気のお店の前から中継でしたー!』
「連日満員の一因がご自身だということにも気付いていらっしゃらないようですね、マホさん。」
「魔王を振り回すなんて、すげぇな、マホさん。」
魔王以上に自由奔放で、独特な勘違いで突き進むマホに、なにかしらの脅威を感じる勇者とイッコマエであった。