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第1話

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 トーマス・ボーンはある日、いつものようにオフィス内にある自らのディスクで作業していると突然部長から直接会議室へとくるようにと指示された。私が会議室に行かなきゃいけないだって? トーマスは考えた。なぜ自分が今から会議室へと行かなければならないのか。数秒考えてみたのち、やはり今日の彼には、自分には会議室へ行く用事などちっともないように思われた。しかし今部長から直接会議室へくるようにと言われたことは紛れもない事実だった。どうして自分が今会議室へいかなければならないのか彼としてはわけがわからなかったが、部長に直接言われたのだから行くしかない。トーマスは部長に「ちょっとこれから会議室へくるように」と言われて、そこへ行く理由を自分の中で発見することはできなかったが、だからといって会議室へ行かないでおこう、と結論付けることはなかった。トーマスは、部長からそのような指示を受けたからには、そのような指示を受けたから、という理由のみでも十分自分は会議室へと出向くべきだろうという結論に達した。

 会議室のドアをノックして室内に入ってみると、そこには部長のクルーズ・フェントンと、課長のエイハブ・コッカーがもうすでに到着しているようだった。彼らは会議室にある巨大なホワイトボードの前で立ち尽くしており、どうやらトーマスがやってくるのを今か今かと待っていたようだった。トーマスはそんな彼らの様子を見て「ああ自分はもしかしたらこの場所へやってくるのが遅かったのかもしれないな。ちょっとばかり遅かったのかもしれない。明確な時間を指示されていたわけではないけれども、でも遅かったんだろう。だって明らかに待っているじゃないか。あの二人の様子は、どうやらこの僕がここへいつやってくるのだろうかとずっと待っている感じだ。確かにここへくるまでにトイレには寄ってきたさ! 用を足すためにトイレには寄ってきましたね! ですが僕の落ち度と言えばそれくらいで、あとはスムーズですよ。結構スムーズにこの部屋へは到着したつもりなんですがね。こうは考えられませんかね。あなたたちがそうやってホワイトボードの前で立ち尽くす羽目になっているのは、ずばりご自分たちが早くそこへとたどり着きすぎたからじゃありませんかね」

「お待たせしましたかな?」トーマスは部屋へ入るなり、ホワイトボードの前で立ち尽くしていた二人に向かって言った。

 部長のフェントンが言う。「いや全然待ってなどいないが? 問題は君がどうして今日我々にこの部屋へと呼ばれることになったのかということだよ」

「まったく見当がつきませんな」トーマスは答えた。「今日ここへ私が呼ばれた理由ですって? そんなものまったく思いつきませんよ。これっぽっちも思いつきませんね。私は私の考えうる限り最高のセールスマンですし、トラブルなんかまったくといっていいほど起こしていませんよ。個人的にどこかから借金をこさえているという事実もありませんし、不倫だって誰ともしていません」

「どうやらこれからの君との話し合いは困難を極めそうだな」フェントンが言う。

「一体どういうことなんです?」クルーズはすぐさま言った。

 すると課長のコッカーが言う。「お前本当にどうしてこの部屋に自分が呼ばれたのかわからないのか?」

「ええ、まったくわかりませんが」

 実は何となくわかっていた。確かに部長に「会議室へくるように」と直接言われたときには「果てどうしてこの僕が?」と思ったものだが、それからいくらかの時間を経てトイレで用を足す頃には「そういえば僕今日の午前中に営業車で事故を起こして、今の今まで警察署で事情聴取みたいなものを受けていたんだった」というようなことを思い出すに至っていた。だからずばりそれだろう。部長や課長から会議室へとくるようにという指示があったのは、その事故の件を詳しく本人である自分から聞き出そうという意図があったからだろう。

 トーマスは言った。「確かに思い当たるところはあります」

「そりゃそうだろうな」課長のコッカーが言う。「あれだけのことをしておいて、僕が何かしましたか? なんてとぼけていられるわけがない。そんなことは許されないんだよ」

「ですが今私が思い浮かべているものと、あなたたちの思い浮かべているものが必ずしも一致しているとは限りませんよね?」

 トーマスは言った。もうここまでくれば自分でも完璧にわかっているのだが、今日のこの会議室での議題は午前中に起こった事故に関することで間違いない。だが何となくだがこいつむかつく。このコッカーとかいう僕の直属の上司である課長むかつく。日ごろからそういえばむかつく言動ばかりとってくる人物だと思って警戒していたが、今日のように落ち度が自分ばかりにある案件を目の前に出されてしまったら、まったくこれから僕はどれだけ自分のむかつく気持ちと対面しなけりゃならなくなることだろう。トーマスは不安を覚えた。「畜生、本当に今からでもそのことを考えると億劫になる。だってもうすでにちょっとこのコッカーとかいう奴にはむかつき始めているんだ。どうしてこいつはいつだってこの僕に対してちょっと上から目線なんだ。高圧的というか何というか、本当にちょっとだけ僕のことをばかにしたようなものの言い方をしてくる。部長はまだいいんだ。部長は僕にしてみればもはや手の届かないくらいの高い位置にいる人だから何を言われても傷つかないで済むけど、コッカー、あんたは違うんだ。いずれ近い将来僕もあんたくらいの位置までだったら簡単に上り詰めてしまうんだよ。コッカー、そのときあんたはまだ僕の上司でいられるかもしれないし、別の課で同じ位として働くことになるかもしれないし、最悪もしかしたら僕の下で働くことになるかもしれないんだぜ?」

「警察からもう大体の話は聞いているのだがね」部長のフェントンが言う。「今回の事故は要するにあれだろ、君が交差点で信号待ちをしているところに、後ろから学生の運転する車が突っ込んできたってわけだ」

「その通りなんです部長!」トーマスは言った。「だから今回の事故に関しては、私はちっとも悪くないんですよ。ちっとも悪くないどころか、正真正銘の被害者ってわけなんです。なんてかわいそうなことでしょう! 自分の全く悪くない、避けようとも避けられなかった事故に偶然にも巻き込まれてしまった運の悪い男なんです」

「相手方もそれで納得しているのかな?」課長のコッカーが言う。

 トーマスは言った。「納得しているも何も、警察ではそういう話になっていましたよ? 警察からは『あなたは何も心配することはないですよ、きっとこの事故は相手側が一方的に悪いという風に話がすすんで、それできっとあなたには何も支払いなどの命令が下ることはないでしょう』みたいなことを言われましたね。僕はその話を素直に信じることにしましたが」

トーマスはコッカ―の真意を量り損ねていた。相手はそれで満足しているのか? だから先ほど述べたとおり、今回確かに車の事故があった。交差点で信号待ちをしていたところに後ろから車が突っ込んできて、それでお互いの車が壊れてしまったのである。それでその今回の事故について一体誰が悪いのか。誰が悪いのかということになれば当然それは相手方の、交差点で信号待ちをしている車に後ろから急に突っ込んできた方に違いないのであって、その点はもう歴然としている。歴然としているというか、警察の方ももうそのように報告はいっているし、また警察の方からもその点に関しては何の疑問も投げかけられなかった。今回の事故がどのような経緯で発生し、またどちらがどれだけ悪いのかということは、ここでは警察になるわけだが、第三者を間に挟んでしっかりと評価を受けているのである。だからその結果について、相手方が納得していようが納得していまいが、そんなことは関係ないんじゃないだろうか、とトーマスは思ったわけなのであった。しかし課長のコッカーときたら、それで相手は納得しているのか、だってさ。重要なのは相手が納得しているのか納得していないのかではなくて、事実がしっかりと判明しているのか判明していないのかという点なのではないだろうか。その点に関してはご心配なく。だって私は今の今まで警察署にいて、そこで事故についての事情聴取みたいなものを受けていたのですからね。

 コッカーが言う。「じゃあ事故の修理代は全部相手がもってくれるってわけだ。その場合相手は本当にこちらの要求する額を出してくれるんだろうな? 交通事故はシビアな案件だと聞く。お前にその任務をまるきり任せてしまってもいいのかな?」

「もちろんよろしいですとも」トーマスは言った。「事故に巻き込まれたのはこの私なんです。紛れもないこの私なんですよ。ですから安心してください。最初からそのつもりだったんです。車に相手の車がぶつかったと分かった瞬間から、私の頭にはこのようなストーリーが思い描かれていたというわけなんです。ああこりゃ追突事故だな。10対0で完璧に相手方だけが悪い事故だ。だからもし車に何らかの修理費みたいなものが発生した場合は、全部相手方に払ってもらうようにしよう。病院にも行ってみることにしよう! 追突事故ってやつは案外体のケガもついてくるものらしいからな――まあこんなストーリーを思いついていたというわけなんですよね」

 トーマスは得意げに言った。何だ、課長が心配していたのは、壊れた車の修理費はちゃんと相手が払うということで納得しているんだろうな、ということだったのか。当たり前じゃないか。そんなの当たり前に決まっているじゃないか。この僕が金銭的な問題の発生する場でそれにぬかりがあるままのこのことこの場に帰ってくると? おいそれとその場を抜けて帰ってくるとでも思っているんですか。当然そこは相手にもご納得をいただいて、今後こちらが要求する金額通りのお金をもらえる手はずになっていますよ。車はこちらの負担なしで回復する算段になっていますとも! それにしてもがめつい課長コッカーめ。私の直属の上司である課長コッカーはやはり金に目ざとい奴だったんだな。金にぬかりのない奴だった! 普通部下が事故に巻き込まれたということになったら、真っ先にその部下の体の心配をするんじゃないのか。どこかケガはなかったのかとか、ケガまではいかなくとも痛いところはないのか、とか。そういうところなんだよな! まったくこの課長はそういうちょっとした相手への気遣いって奴ができないんだ。確かに仕事上の数字に関しては立派な部分があるかもしれないけれども、残念ながら部下の僕からしたらただそれだけの男ともいえなくもない。彼はもう結婚していて家庭を持っているらしいけれども、彼の家族は息苦しい思いをしていないかな? もちろんそんなことを思う必要は、赤の他人の僕にはないだろうんだろうけど、でもちょっと想像してしまうな。想像させられてしまうな! この課長の周りの人間たちはどこか息苦しい思いをしてるんじゃないかな。部下の僕だってそうなんですよ。部下の僕だって毎日毎日彼のせいで息苦しい思いをしているんです。

 部長のフェントンが言う。「では話は以上だ。君が責任を持って事故の後処理をするというのであれば、我々はその君の発言を尊重することにしよう」

「ありがとうございます」

 トーマスは自分の主張が課長のコッカーを通り越して部長のフェントンに通じたことにほっと安堵の念を覚えた。そしてトーマスがフェントンに対して礼を言うと、やっと彼がふと笑みを浮かべて「それにしても今回の事故は避けようがなかったという点で確かに不運だったな。」

「そうなんですよ」トーマスが言う。「まったく今回の事故は避けようのなかったものなんですよね。それを証拠に私はただ赤信号の交差点で車をとめていただけなんですよ。ブレーキを踏みながら、ハンドルをどこへも切らずにただぼうっと信号機が青色に変わるのを待っていただけなんですよね。それなのにその結果がこれなんですからね。まったく車というものは恐ろしい乗り物ですよ。私はまだ大丈夫ですけれども、相手方だって考えてみれば気の毒ですね。だってこれで免許の点数は減らされてしまうし、お金も保険に入っているとはいえそれなりに今後かかってくることでしょうからね。事故を起こしたのが私じゃなくて良かったですよ。もし事故を起こしたのが私だったら、今頃はここに立てていたかどうかも定かではありませんよ」

「君の話はよくわかったよ」フェントンが言う。「だからもう今日は君の話をこれ以上ききたくないな。疲れた分ゆっくりと休みをとってくれたまえ」

「はい、いつもお心遣いありがとうございます」

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