その瞬間を……
「花火」の第1話「花火のように……」のanother story(華夜目線)です!
「お母さん、早く早く―!」
息子の雄介がわたあめの店を指さして、私の手を引く。
「はいはい」
店にたどり着き、わたあめを買うと、店の人は雄介に渡してくれる。雄介はパァッと表情を明るくし、美味しそうにわたあめを食べる。私はその様子を見て、つい笑ってしまう。わたあめを食べる雄介と手を繋いで賑わう祭りの中を歩いていると、後ろから大きな音が響いてくる。
ヒュー……ドーン!!
「あっ! 花火だー!」
雄介は目を輝かせて、花火を見る。私も一緒に花火に見とれていたが、パッと昔の事を思い出した。
それは、私がまだ中学生だったの頃の記憶。
何で今更、いや、何で今まで忘れていたのだろうか? これが、この思い出がこの祭りが大好きになった理由なのに……。
ー ー ー ー ー
私は昔、祭りは好きではなかった。祭りというより、人が多いところに行くのが嫌いだった。でも、この日は妹に無理矢理浴衣
を着せられて祭りに連れていかれた。でも、祭りに着くと妹は友達(ではなく多分彼氏)を見つけて、私を置いて行ってしまう。
しかも
「帰りは一緒に帰るから、先に帰らないでよねー!」
って言って、遊びに行ってしまった。
え、えー、嘘でしょ? あの子が帰ってくるまで、私は何をしていれば……。
ついため息が出る。
帰りたい……。
「ねぇ、君どうしたの?」
急に青年が私の顔を覗き込んでくる。
……え?
私は今何が起こっているのか、判断するのに少し時間がかかった。青年はニコッと笑って、首を傾げている。
こ、これって、いわゆるナンパ? ど、どうしよう、私なんかにナンパする人がいるなんて思ったこともなかったから……。
「あ、あの……」
私は少し顔を強張らせ、少し体を縮ませる。そんな私の様子を見ると、青年は1歩下がると少し首を傾げながらフッと笑顔を見せる。その笑顔は、とても優しいものだった。ずっと私を見守ってくれていたような優しい笑顔。
……あれ?
青年は一度目を閉じ、ニコッとさっきの笑顔とは違う明るい笑顔を見せる。まるでさっきの人とは別人のように思えた。
「いや、話したくなかったらいいんだ! こんな賑やかな祭りに君の様子は場違いだったからどうしたのかなーと思っただけだから!」
青年はじゃーね、と言って、手を振ると何処かへ走って行ってしまう。
今のは何だったんだろ……。
私は呆然としてしまう。その後は、また退屈になってため息が出る。俯いているとまた私の前に人影ができる。
「ねぇ、君どうしたの?」
え?
さっきの青年と同じセリフだけど、言い方が全く違う。彼の声はもっと優しくて、温かい……。顔を上げると、厳つい格好をした若者たちに絡まれてしまっていた。
ど、どうしたら……。
さっきの青年に声をかけられた時の恐怖とはまるで違う。若者たちはニヤッと笑って、私に触れようとする。私は怖くて動くことができない。ギュッと目を閉じると誰かが私の肩を持って、その人の方に私を引き寄せた。
「……何君ら。 僕の彼女に何か用?」
……ん?
ゆっくり目を開けて見上げると、さっきの青年が若者たちに威嚇するように笑っていた。口元は笑っているけど、目がどう見ても睨んでいるようにしか見えない。
この人、本当にさっきの笑顔を見せた人?
青年の笑顔を見ると、若者たちは後退りをして逃げていった。
……こ、怖かった―。
ほっと息を吐こうとすると、青年ははぁーっと胸を撫で下ろしていた。
この人も怖いのに、私のために来てくれたんだ。
「あ、ありがとうございました。すみません」
私がペコッと頭を下げると、青年は不思議そうに首を傾げた。
「いや、僕は本能に従っただけだから」
「え?」
「何でもない」
青年は首を傾げる私に、訊くなと言わんばかりにニコッと笑顔を見せる。青年は私から視線をそらし、祭りの様子を見ながら、顎に手を添え、うーんと唸り始める。
何か考えているのかな?
私はじっと青年を見る。青年の髪は染めたような茶色じゃなくて、少し黒の入った綺麗な茶色。瞳も髪と同じ色で、とても澄んでいて綺麗だった。顔立ちは整っていて、引き締まっている体。肌は白が少し強い。服は浴衣というより着物だった。着物は黒で羽織は白。
着物だからというのもあるだろうが、通りがかりの人は必ず青年に視線を向けている。彼からは何か惹きつけられる魅力のようなものを感じた。
見とれていると青年は私を見て、パリチと目が合ってしまった。私は恥ずかしくて慌てて視線をそらす。
い、いつの間にか見とれちゃってた! 変だと思われたかな?
チラッと青年に視線を戻すと、青年は悩みが吹っ切れたような顔で私の方を向く。
「僕はマル! 君名前は?」
マルと名乗った青年は、ニッと満面の笑みを見せる。
きゅ、急だな。
「華夜です」
「華夜ちゃん! いい名前だね」
マルくんはニコッと笑った後、少し俯いてから、もう一度笑顔を見せる。さっきの優しい笑顔と少し似ている。でもそれより、とても静かで温かい美しい笑顔。
マルくんって、色んな笑顔みせるなぁ……。
その笑顔を見ていると、だんだん顔が熱くなっていく。きっと顔が赤く染まってしまっているのだろう。
もう、何これ……。熱い。
「良かったら、一緒に回らない? 僕一人で寂しかったんだー」
顔を上げると、マルくんはにっこり笑っていた。でも、少し緊張気味の笑顔。
……どうしよう。助けてもらってし、悪い人ではなさそうだけど……。
もう一度、マルくんに視線を向けると頬をポリポリとかいて、少し寂しそうに見えた。
まぁ、ここで何もしないで妹を待つのも嫌だし……。どうせ、他に一緒に回る人もいないしね。
「は、はい、私も一人なので……」
私は、つい出てしまった言葉を誤魔化すためにニコッと笑ってみる。
いちいち祭りにまで来て、1人って……。私、ただの変人じゃん。
私は恥ずかしくて、マルくんの反応を恐る恐る確認すると予想してた反応とは全く違った。マルくんは少し怒っているような、悲しんでいるような複雑な表情を見せている。
何でそんな顔をするの? 今、私笑えてなかった?
マルくんは唇をきゅっと噛んでから、私の手を取って人ごみの中へと入る。
「え!?」
顔がまた熱くなる。さっきとは比べ物にならない。耳も熱い。
マルくんの手は、思っていたより大きくて温かい。でも、今の私にはその温かさは熱すぎる。
私の様子を見て、マルくんは首を傾げ立ち止まる。
「夏バテ? 顔赤いよ。 あ、人ごみダメな人?」
マルくんは人多いからなー、と言って周りを見渡す。私はブンブンと首を横に振ると、繋いでいる手の方に視線を移した。
男の人と手を繋いだことないから……。マルくんにとっては、普通のことなのかな?
マルくんは繋いでる手をジッと見てから、少し握る手の力を強めた。
!?
「この人ごみの中じゃ、はぐれたら肩車をしてもらわないと見つからないよ? だから、ね?」
マルくんは繋いでいる手を私の顔の高さまで上げ、ニッと笑う。
か、肩車って……。
でも、別に嫌ってわけじゃないし……。ここで迷子になるのは怖い。さっきのこともあるし。
コクッと頷いてみせると、マルくんは安心したように息をつく。そして、嬉しそうに笑う。
マルくんの笑顔、好きだなー。私もあんな感じで笑えるようになりたい。
マルくんを見上げていると、勝手に顔が熱くなっていく。
だから、何でこうなるの!?
マルくんは、色んな店に連れて行ってくれた。嫌いだったはずの祭りが、マルくんといると、とても楽しく感じた。ちょっとしたことで笑いあって、少し前まで憂鬱に感じていたことが嘘のように感じた。
マルくんのその温かい手が、私を暗い場所から光の中へ連れ出してくれた。
そんな感覚をその時感じた。
ずっと一緒にいたい……なんて。
ヒュー……ドーン!!
後ろから鮮やかな光が照らされる。
振り向くと、花火が上がっていた。
わぁ! 綺麗……!!
こんな近くで花火を見たのは久しぶりだった。今まで祭りに行こうとしなかったから。花火の音だけを聞いて、そういえば今日祭りだっけ?と思うくらいで……。
マルくんはぼーっとした顔で花火を見上げていたが、また握る手に少し力を入る。
「……華夜、ちょっとこっち」
マルくんは私の手を引いて、何処かに向かって走る。賑やかで明るいところから抜け、だんだん暗くなっていく。でも私は全然怖いとは思わなかった。それどころか安心感を抱いていたような気がする。マルくんが立ち止ったのは、走って数分だった。
ここは……。
私たちが立ち止った場所は、私の家の近くにある神社だった。幼いころは、よくここには来ていた。
急な坂で少し長い階段の上には、大きな鳥居がある。
久しぶりに来た……。でも、どうしてここに?
階段の真ん中まで上って振り返ると、海が見え、花火が上がっているのも見えた。階段の周りは木に囲まれているけど、花火は綺麗に見える。
わぁ……。
私たちは階段で隣に並んで座って花火を見る。
「すごい、とっても綺麗」
私の視線は花火に吸い込まれる。その一瞬一瞬を見逃したくないのだ。
でも、マルくんは自分の膝に肘を置き、頬杖をついて横目でじーっと私を見ていた。
……何だろう、すごい視線を感じる。
「華夜は……とっても綺麗だね」
マルくんの口が開いたのと同時に、ドーンと花火の音が響いた。でも、私の耳にはその音はとても小さな音に感じた。また顔が熱くなっていくのが分かる。
マルくんは花火を見て、ハハハと安心したような、ガッカリしたような表情で笑う。
「ねぇ、マルくん。今なんて?」
私の声にマルくんは肩をビクッと上げ、振り向いた。パチパチとまばたきをしながら私を見ると、ふぅと息をついてニコッと悲しそうに笑う。
何でそんな悲しそうな顔をするの? 何で今にも消えてしまいそうな笑顔を見せるの?
「……何でもない」
マルくんはそう言って少し俯いてしまう。悲しそうな笑顔を浮かべたまま。
マルくんは目を瞑って息を吐くと、少しずつ顔を上げてマルくんの瞳に花火が映った。瞳に花火を映すマルくんは、カッコよくて、綺麗で、頼もしくて……。でも、少し目を離すとどこかに消えてしまいそうで、もう会えないような気がして、目を離すことができなかった。
「華夜、花火……綺麗だよ」
マルくんはただ花火を見上げながら言う。私は花火に視線を向ける。
花が咲く 消える 新しい花がまた咲く そしてまた消える さらにまた……
花火は綺麗だ。でも1輪では物足りない。誰かが一緒に咲いてくれるから、綺麗に咲くことができる。
……なんてね。
最後に大きな花火が咲いた。でも咲いた花はやっぱりすぐに消えていってしまう。
あぁ、もう終わりか……。短いな。もっと、見ていたい。
もっと一緒にいたいよ。
「終わったね」
マルくんは少し残念そうに笑いかけてくる。その終わったという言葉が、彼と一緒にいられる時間も終わりだということが分かった。
……嫌だよ、一緒にいたい。
私はマルくんと繋いでいる手をギュッと強く握りしめる。
「うん」
でも、頷くことしかできなくて、私は膝に泣きそうな顔を隠す。
マルくんは今どんな顔をしているのだろうか? きっと困ってるよね。なんて我儘なんだろう、私は……。
「おいで、華夜」
マルくんは悲しそうに少し眉間にしわを寄せながら、また私の手を引く。その手は、今までより力が入っているような気がした。私も強く握り返した。
この手は放したくない……。
マルくんは私を神社の本殿に連れてくると、そっと手を放した。手にマルくんの温もりがまだ残っている。私はキュッと手を握った。
「1つだけお願いをしてみて」
本殿に目を向けた時のマルくんは、笑顔を見せなかった。
「え?」
「きっと叶うから」
マルくんは確信したような笑顔を見せる。私は頷くと、おばあちゃんに何回も教えられた正しい参拝をする。
そういえば、おばあちゃん。昔、狸の神様に会ったって言ってたっけ? 幼いころ山の中を探検してたら、迷子になって、狸の神様が山の外まで連れ出してくれたって……。
ここも狸の神様が祀られているんだよね?
私は階段の途中や、入口の両端に狸の石像があったことを思い出す。
……願い事か。
考えると、一番最初にマルくんの笑顔が浮かんでくる。
今日だけで、色んな笑顔が見ることができたなあ……。
もっとマルくんの笑顔が見たい。笑顔だけじゃなくて、色んな表情も。話もしたい。
願い事はもう決まっていた。
『また、マルくんと会えますように』
願った瞬間、後ろからズサッと石が擦る音が聞こえた。
何かあったのかな?
私はできたよと言って、笑顔でマルくんを見ると、マルくんは少し顔を赤くして、じーっと私を見つめていた。
ど、どうしたんだろう。
「……叶うといいね」
マルくんは私から視線をそらして、少し照れくさそうに言う。私はマルくんにそう言ってもらえたことが嬉しくて、うんと大きく頷いた。
マルくんは片手で真っ赤な顔を覆って、大きくため息をついた。
さっきからどうしたんだろ?
「……じゃあ、もう遅いし帰らないとね」
マルくんはため息をつきながら、月を見上げて言う。
「そうだね」
私はマルくんを困らせないように、笑ってみるけど上手く笑えない。
こんなんじゃ、マルくんを困らせちゃうじゃない……。
「大丈夫、会えるよ」
マルくんは私の様子を見てクスッと笑うと、私の頭の上にポンと手を置く。マルくんの優しい笑顔に安心して、私は大きく頷いた。
マルくんの家は私の家とは逆方向らしい。送れなくてごめん、というマルくんの顔はとても辛そうだった。私は首を横に振って、ありがとう、とマルくんに伝えると恥ずかしくて走って帰ってしまった。
家に帰ると、妹が先に帰ってきていて、遅いと怒られた。でも、それだけを言うと妹は楽しそうに祭りでのことをしつこく聞いてきた。でも、私は何もないよ、と誤魔化し続けた。妹は口を尖らせ、面白くなさそうにした。
祭り以来、私たちは再び出会うことはなかった。
いつの間にか、マルくんと一緒に笑いあった祭りの記憶がなくなっていた。
初恋がないことになっていた。
ー ー ー ー ー
「お母さん? どうしたの?」
ぼーっとしていると、雄介が私を心配そうに見上げていた。私は雄介の頭を撫でて、ニコッと笑ってみせる。
「何でもないよ」
私たちは狸が祀られてある神社の階段に座って花火を見上げる。
「きれいだね」
雄介がニッと笑う。
「きれいだね」
私もそう言うと、フフッと笑った。
最後の大きな花火が咲いて、ドーンと音が響く。
雄介は少し残念そうに終わっちゃったー、と言う。私は来年も見に来ようね、と言ってまた雄介の頭を撫でた。雄介は嬉しそうにへへへと笑う。
雄介と笑いあっていると急にビューっと強い風が吹き、木の葉が空へと舞い上がっていった。風が吹き止むと、背後から石がザッと石が擦れる音が聞こえた。
「こんばんは」
懐かしい声が聞こえてくる。とても優しくて、温かい声。
私が振りむくと、階段の頂上に私の初恋の人が立っていた。
彼はあの頃と全く同じだった。同じ顔、同じ体型、同じ声。何もあの時と変わっていない。
「久しぶりだね……。その子は君の子供?」
私は驚きすぎて声を出せず、頷くことしかできない。彼は嬉しそうに、安心したように笑顔を見せた。
「へへへ、可愛いね。きっと君のように、いい子に育つんだろうね」
彼はそういうとふぅと息を吐いて、少し申し訳なさそうな顔を見せた。
「……君の願いは叶えた。記憶をいじってしまってごめんね。上からの命令だったんだ。でも、君なら思い出してくれると思ってた。信じてたよ。ありがとう」
彼はそれだけを言うと、私たちに背を向けて歩いて行ってしまう。
待って、行かないで……。
「ま、待って!」
私の声に彼は1度足を止めてくれた。完全には振り向かず、少しだけ顔を横に向けた。
「……さようなら。君に幸多からんことを願っているよ」
彼の笑顔が見えたと思ったら、ボンっと音を立てて消えてしまう。私は呆然として、彼がいたところを見つめることしかできない。雄介は何が起こっているのか全く分かっていないようだった。
「お母さん? 誰かいるの?」
雄介は首を傾げながら、私の服の裾を引っ張る。私は雄介を安心させるように笑って、雄介の手を取る。
「ううん、帰ろっか」
「うん!」
雄介は大きく頷いて、ニッと笑った。
私はとっても幸せだよ。ありがとう。さようなら。
私は彼がいた方に笑顔を見せると、その後は振り返ることなく家に向かった。
「ねぇ、雄介」
私は星が散らばる夜空を見上げながら口を開く。雄介は不思議そうに首を傾げながら、私を見上げた。
「何?」
「お母さんね、神様に会ったことがあるんだー。狸の神様で、とっても笑顔がステキな神様!」
私は満面の笑顔でそう言うと、彼との思い出を雄介に話しながら家に帰った。
これで「花火」は完結です!
ありがとうございました!