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冬の最涯  作者: 直弥
第二話「ループ」
8/19

2コマ目

 面会から三週間が経った、二月二五日の火曜日。全国的に、国公立大学の二次試験が行われている日。進学率の高いとある公立の高等学校で、広明のいる三年二組の教室の席は三分の一も埋まっていなかった。登校しているのは、進学組の中でも私立のみに的を絞っている者たちの内数人と就職組、そして唯一人の例外である広明だけ。この時期、三年生の授業はもう行われていない。教室は自習用として解放されているだけで、登校自体が自由となっている。にもかかわらずわざわざ学校に来ている者たちは勉強熱心、というわけでなく、ただ友達と話すために来ている者ばかりだった。私立大学の入学試験をまだ残していて本気で勉強をしたいものは、皆家で自習していた。

 特にこの日は三年生の学年部を始めとした教師の多くが出払っていて、教室に監督が不在。二年生と一年生は授業をしているために、あまり大きな声で騒いでいる者はいなかったが、皆席を好き勝手に立って友人と話していた。そんな中で広明は一人、誰と話すこともなければ誰から話し掛けられることもなく、席に着いて週刊誌のページを捲っていた。

 そうしている間にチャイムが鳴る。さすがに授業時間中に教室の外へまで出歩くことは自重していた生徒たちの多くが、待ってましたとばかりに廊下へ飛び出す。それは広明も例外ではなかった。廊下に出た広明は忙しなく辺りを見渡して、一人の男子生徒を見つけ、駆け寄っていく。

「おい、遠藤!」

「ん? おう、高山か」

 遠藤と呼ばれた男子生徒は、軽く微笑んで広明に答えた。

 

 …………。…………。


「じゃあ結局、一年は浪人することになったのか」

「ああ。仕方ないけどな」

「仕方ないで片付けるにしちゃあツイてなさ過ぎんだろ。ラッキーマンにでも変身できなきゃ帳尻合わないレベルじゃねえか」

「それって言うほど帳尻合ってるか? っていうか別にいいんだよ、俺のことは。今年受けられてたとしても、受かってた保証はどこにもないんだし」

「でも最後の模試はA判定だったろ?」

「それでも絶対ってわけじゃないだろ。結構ギリギリのA判定だったし。それに、一年や二年浪人するヤツは幾らだっているんだ。お前みたいに」

「二年はする気ねえよ。ってか出来ねえよ」

 第一志望もとい唯一志望のだった私立大学に落ち、既に浪人が確定している少年が吠える。

「まあ、ともかくさ。俺やお前より、まだ中学生なのに後遺症残るって言われてるあの子の方が悲惨なのは確実だよ。こんな他人事みたいな言い方もおかしいけど」

「後遺症って、そんなひどいのか?」

「詳しいことは半年ぐらい様子見ないと分からないんだと。でも、残るにしたって日常生活レベルなら問題なさそうだって。スポーツやってるってんならちょっと問題あるかもしれないけど、本人はインドア派だって言ってたな。本当かどうか知らんけど」

「ふうん。まあ、そればっかりは本人の立場にならないと分かんねえよな」

「ああ。だいたい、スポーツしないからってスポーツのし辛い身体で充分ってわけじゃないしな」

「だな。それは言えてる」

 話は尽きそうになかったが、そこで始業のチャイムが鳴った。


「ただいま」

 午後四時。広明は学校から真っ直ぐに帰宅した。二階建ての一戸建て。リビング・ダイニング・キッチンは十四畳のフローリング。夕食の準備を始めていた広明の母親は、

「おかえり」

 と。ぐつぐつとカレーの煮立つ鍋をかき混ぜながら答えた。コートを脱ぎ、ダイニングの椅子に引っ掛けた広明はその部屋を出て自室へ向かう。

 広明の部屋はパイプベッドの下に学習机を配し、それとは別にパソコンデスクも置かれている。椅子も各々、勉強椅子とキャスター付きの事務椅子。学習机の上に鞄を置いた広明は、リモコンからエアコンのスイッチを入れ、続いてパソコンの電源を入れた。二十一.五型デスクトップのウィンドウズパソコンが音を立てて起動を始める。広明はじいっと、というよりもぼうっと、システムが完全に立ち上がるまで待っている。デスクの事務椅子に腰掛けて。位置の関係上、学習机には完全に背を向けた形。やがて馴染み深い音が鳴り響いた。セキュリティソフトが更新を促しているがそれを無視した広明は、すぐにインターネットのブラウザを開く。そして上部のタブに並んだお気に入りの内から、一つのサイトに飛ぶ。名前を聞けば誰でも聞いたことがあるような求人情報サイト。IDとパスワードを入力し、マイページへログイン。様々な希望条件にチェックを入れて求めるアルバイト先を探しはじめる広明。場所、職種、雇用形態等。チェックの入れられた箇所は、時間が経つごとに何度も変わる。但し高校生OKの欄だけは不動でチェックが埋まったまま。

 ――おっ。

 ガソリンスタンドのスタッフ募集に目を付けた広明が、詳細の情報を開く。

 ――えーっと、『進路の決まっている高校三年生歓迎!』か……はっ! 『バイク通勤可』……もうねえよ。

 無茶な毒を吐きながらもしっかりキープに入れた広明が次の候補を探し始めようとしたところで。

「あ?」

 カーソルが動かなくなる。ホイールに指をかけて転がすも、微動だにしない。

 ――なんだよ、まだ買ったばっかりだぞ!

 覚えず立ち上がろうとした広明だったが、踵をキャスター部分に引っ掛け、尻餅でまた着席した。

「かっこわる」

「へ?」

 どこからか声が聞こえ。広明は座ったまま、狭い部屋の中を見渡す。パイプベッドの上、学習机の上、そんなところにいるはずもないのに。だが声の主はもっといるはずのない場所から彼を見ていた。パソコンの画面、ど真ん中に、さっきまで映っていなかったはずの少女がでかでかと映し出されている。継ぎ接ぎだらけの着物で和装した、見目十歳ほどの、おかっぱ頭の少女。

「おうおっ!?」

 頓狂声を上げつつ、広明が出した答えは。

 ――うわっ、ウイルスか?

「違うんだけど」

 広明の心の声に返事した少女はどんどんとアップになっていく。まるで画面の奥から手前の方へと近付いてきているように。

「っ!」

 思わず床を蹴って椅子を転がし、座った姿勢のままで画面から遠ざかろうとする広明であったが、すぐに後ろの学習机――正確にはそれに付属する椅子――にぶつかる。

「さ、貞子!」

「誰のこと? 私はチエなんだけど。って、こっちの名前なんてどうでもいいわね。とにかく怖がる必要はないから落ち着いて。一週間もかけて呪い殺すつもりはないわ」

「貞子知ってんじゃねえか」

 ついツッコミを入れてしまったことで恐怖心が薄れた広明は、こうなるとむしろ自分が興奮し始めていることに気付いた。

 ――なんだろう、こいつ。マジで幽霊的な奴か?

 はやる気持ちを抑えず訊ねる。

「お前誰?」

「失礼な聞き方ね。口の利き方に気を付けなさい。私のこと誰だと思ってるの?」

「知らねえから聞いてんだよ」

「全く以てごもっとも。だけど残念ね。教えられないの」

「なんだよそれ、ふざけてんのか」

「仕方がないのよ。あなたのためでもあるんだから」

「ああ、そういう手合いか」

「何勝手に納得しているのかしら。ま、いいわ。私がこうしてあなたの前に現れたのはね、あなたに人生をやり直す機会を与えるためなの」

「あれ、そういう手合い?」

「だから何の話をしてるのよ。ふざけているのはあなたの方じゃないの?」

「いや、そんなつもりはなかったんだけど。で、なに、人生をやり直すだって?」

「そう。十八年間生きていたら、時間を遡ってでもやり直してみたいことの心当たりが幾らでもあるでしょう?」

「そりゃあ」

「じゃあ、戻りたい時間を決めておいて。念のために、第三希望くらいまで。後でまた会いに来るから」

 言って。少女は画面から姿を消した。広明はしばし呆然としていたが、軽く頭を掻いてからマウスを動かしてみた。カーソルは問題なく動くようになっていた。


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